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27.夕暮れ時のお見舞い。2


 面会時間も終わりに近付く頃。
 茅野 菫(ちの・すみれ)パビェーダ・フィヴラーリ(ぱびぇーだ・ふぃぶらーり)は、リンスが入院する大部屋を訪れた。
「あ」
 菫とパビェーダの顔を見たリンスが小さく声を上げる。
「こんにちは。具合はどうなの?」
 サイドテーブルにフラワーアレンジメントを飾り、お見舞いのメロンを置いたパビェーダが問いかけた。
「うん、まあ……」
「っていうか。何でそんな顔してるのよ」
 曖昧に頷いたリンスへと、菫は思わず頬を膨らませた。
 何せリンスの表情は、疲れているというかしょげているというか。そういうものだったから。
「ん、叱られたから反省してた」
「あと疲れたんでしょ。お見舞いの人、たくさん来ただろうし」
「合ってる。茅野、すごいね」
「リンスがわかりやすいのよ」
 パイプ椅子を引いてパビェーダと並んで座り、菫は再びリンスの顔を見る。
「あのね。病気になった時は我儘言っていいんだからねっ」
「我儘?」
「そうよ! ちょっと叱られたからってしょげずにさらに我儘を重ねるくらいでいいの。あたしも子供の頃、風邪引いた時にはパパやママに我儘言ったもの」
 なんとか元気になってほしくて、自分の事例を持ち出して励ましてみた。が、リンスは
「茅野は元気な時でも我儘言ってそうだけど」
 などと言うものだから、頬を引っ張ってやった。
「そんなことないし。悪いこと言う口はこうしてやるんだから」
「いひゃい」
「こら、菫。やめなさい」
 パビェーダが菫の手をぽんと叩き止めたので、ぱっと頬から手を離す。
「で。そういうことみたいだけど、何かしてほしいことある?」
 病人の特権、我儘は?
 微笑みながらされたパビェーダの問いに、リンスが思案気な顔で宙を見る。
「叱らないで欲しい、かな」
「誰に叱られたか知らないけど……そんなことするはずないでしょ。病気になりたくてなる人なんていないんだから」
「そっか」
「そうよ」
 当然でしょうとパビェーダが言った。すまし顔で。
「こんなこと言ってるけどさ」
 ので、菫は暴露することにした。
「パビェーダったら、あんたが入院したって聞いたとき、すんごく慌てたのよ?」
「す、菫っ!?」
「病気!? 怪我!? 命に別状は無いの!? と言ってさ、部屋の中ぐるぐる回ってさー、むぎゅっ」
 喋っている最中、頬を両手で挟まれた。これでは何も言えない。
「それ以上言ったら、怒るからね」
「ふぁい」
 真っ赤な顔で怒るパビェーダが面白くて可愛かったので、素直に頷いてやることにした。
「…………だって、心配だったんだもの」
 ぽそり、菫にしか聞こえない声でパビェーダが呟く。あまり心配させないで、と。
「…………」
 黙ってじっとパビェーダを見つめていたら、ぱっと手が離された。離された後もパビェーダを見ていたら、はぐらかすように笑われた。
 そんなパビェーダの呟きには気付かず、二人のスキンシップだけを見ていたリンスが「仲良いね」と小さく笑って言うものだから。
「あんたとももっと仲良くなりたいと思ってるわよ」
 菫は言ってやる。
「だから早く治して退院しなさいよ。さすがに病院じゃできることなんて限られてるしね」
「……うん。そうする、ありがと」
 頷くと同時に、面会時間終了間際のアナウンスが流れた。長居してリンスの負担になることも嫌だったので、丁度良いタイミングだといえよう。
「じゃ、お大事にね」
 椅子から立ち上がって、病室を出て行った。


*...***...*


 噺を終えて、高座から降りた瞬間。
 急な眩暈と視野狭窄。
 あれ、と思う間もなく若松 未散(わかまつ・みちる)はその場に倒れた。


 次に未散が目を覚ましたのは、ベッドの上。
 白い天井、白い壁。リノリウムの床に消毒液の匂い。
 ――病院……だよな?
 そう思いながらも疑問符を浮かべてしまったのは、そこが病室のわりにひどく賑やかだったからだ。
 どうやら、隣のベッドにいる患者の見舞い客が原因のようだった。
 知らない人。
 そう、知らない人でいっぱいだ。
 入院患者も、見舞い客も、未散の知る人は誰もいない。
「…………」
 噺家のくせに人見知りな未散は、この空気に耐えられなかった。布団を頭までかぶる。
 寝たふりをしていれば、万が一にも誰か近付くことは無いだろうと。


 そして、次に目覚めたとき、病室には患者以外誰もいなかった。
 病室にある時計を見ると、なるほど面会時間終了数分前だ。それでは患者しか居ないはずである。
 先ほどとは打って変わって静かな病室に、いくらか落ち着いた。未散はベッドから身体を起こし、改めて病室を見回す。
 隣のベッドの患者も、未散と同じように身体を起こしているのが見えた。
 ――この人、さっきたくさん見舞い客が来てた……。
 未散はベッドのところにあるネームプレートを窺う。リンス・レイスとある。
 ――リンス、さん。
 頭の中で相手の名前を復唱し、じっと相手を見た。
 線の細い顔立ち。目を離したら消えていってしまいそうな儚さ。
「……あのさ、……こんばんは」
 このまま放っておいたら、本当に消えてしまうのではないかと思って。
 初対面の相手なのに、声をかけていた。
「こんばんは」
 透き通った声だった。高くも低くもない、聞きやすく中性的な声だ。
 返事を受けてから、未散は我に返る。
 ――何やってるんだ私!?
 初対面なのに。きっかけがあったわけでもないのに。話題も無いのに、声をかけて。
 ――……でも。
 ――でも、この人とは何か通ずるものがあるような気がする。
 なぜか、そう思った。
「おまえ、体調不良なの?」
「うん。そっちは?」
「私も体調不良」
 未散の入院理由は、体調不良を放置した上無理をしすぎて悪化、である。
「おまえのとこさ、お見舞いたくさん来てたよな」
「ごめん。うるさかった? 布団かぶってたよね」
「あ、そういうんじゃないんだ。大丈夫」
 一度目が覚めたことに気付いていたのだろう。よく相手のことを見ているなと思った。
「そうじゃなくて、……ちょっと羨ましいなっていうのがあって」
「羨ましい?」
「うん。私、見舞いに来てくれる人なんていないから」
 人見知りの猫かぶりで内弁慶、その上素直になれない天邪鬼。おまけにネガティブで、それをかいくぐって親しくなれた人は気まぐれで振り回してしまい。
 ……端的に言えば、未散には友人が少ない。
 ――倒れて、見舞いに来てくれる人かぁ。
 ハル・オールストローム(はる・おーるすとろーむ)くらいかな、と小さく苦笑い。
「姉さんだったら来てくれたかもしれないけど……」
 もう、ずっと前に亡くなってしまったから。
 後に続くであろう言葉を、リンスは察したらしい。追求せずに、「そう」と短く相槌を打った。
 十数秒の沈黙の後、
「俺もね」
「うん?」
「俺も、姉が居たんだ」
 過去形で、リンスが言う。
「……亡くなった?」
「うん。結構前にね」
 これか、と思った。
 先ほど感じた、『何か通ずるもの』の正体は。
 急に親近感が沸いて、未散は「私、」と話を切り出した。
「姉さんが亡くなったのが本当にショックで……それで、落語に打ち込んだんだ」
「なんかさ。俺らって似てるかも」
「それ。私も思ったんだ。まだ似てるところがあったのか?」
「俺も、姉が亡くなってから人形作りに打ち込んでた」
 大切な人を亡くして。
 それで、一芸で身を立てて。
「……偶然にしては、すごいな」
「だよね」
「……あの、さ。良かったらなんだけど」
 これが偶然だというなら、それは運命的にも思えて。
「……友達、に、なってくれないか?」
「俺でいいなら、喜んで?」


 面会時間終了とほぼ同時。
 着替えを届けたりしたいので、どうしても……と看護師さんを説得して、ハルが未散の病室を訪れると。
「……おや」
 未散が、なにやら綺麗な女の子と会話しているのが見えた。それも、楽しそうに。
 元気そうなのは何よりだし、未散に友達が増えたのなら、それはハルにとっても嬉しいことだ。
「未散くん」
 ドアをノックし、来訪を告げ。
 ハルは未散のベッドに近付いた。
「ハル……」
 安心と嬉しさが綯い交ぜになった表情で、未散がハルを見上げる。が、その表情がすぐに曇った。不安そうに見つめてくる。
 きっと、ハルが普段から体調管理に気をつけて、と言っているのに入院という結果を招いてしまったことが原因だろう。
「大丈夫ですよ」
 気にすることはない、とハルは優しく言って未散の頭を撫でる。
「あなたが無事なら、それでいいんです」
「……そっか」
 何か言いたそうに、未散が口をもごもごと動かす。言葉は出てこない。
 でも、何を言いたいのかはわかっている。
 『心配かけてごめん』。
 そう伝えたいのだろう。
 ――未散くんは素直じゃないですからね。
 でも、本当にいいのだ。
 未散が無事なら、いくら心配をかけさせられても。
 ――いえ。できれば心配するような事態を招きたくはないのですが。
 ――……それを言えば、どうして今日に限って一緒に居なかったんです、私……。もしものことがあったらどうするのですか。
「ハ、ハル?」
「いえ、少し自己嫌悪に陥りまして」
「なんでハルが自己嫌悪するんだよ。……ごめん。私が、何も言わなかったから」
 未散が俯いた。ハルはその手を取り、包むようにぎゅっと握る。
「ハル?」
「今度からは、気をつけてください。未散くんが倒れてしまうのは、少し怖いです」
「……わかった」
 珍しく素直に頷いた未散ににこりと微笑んで、
「また来ます。お嬢さん、未散くんをよろしくお願いしますね」
 仲良さげに話してくれた彼女にも挨拶をして、病室を去った。