天御柱学院へ

なし

校長室

蒼空学園へ

そんな、一日。

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そんな、一日。

リアクション



14


「ほんまに? ほんまにひとりで大丈夫か? 迷子にならんか?」
「大丈夫だよ〜! ちーちゃん、やー兄が思ってるよりずっとお姉さんなんだから!」
 そう言って日下部 千尋(くさかべ・ちひろ)は胸を張ったが、日下部 社(くさかべ・やしろ)の心中は穏やかではなかった。
 クロエと遊ぶ、それはいい。全然いい。だけど社は今日仕事があって、千尋と一緒に行けないのだ。
「心配やなぁ……あっせや、リンぷーに迎え来てもらお?」
「それじゃ迷惑かかっちゃうでしょ、めっ!」
 怒られて、しゅんとうなだれる。だって、本当に心配なのだ。
「社長? そろそろ行かないと」
 スケジュール帳を手に、声をかけてきた響 未来(ひびき・みらい)をちらりと見やる。
「仕事、なんとかならん?」
「なりません」
 きっぱりはっきり言い切られ、大きく息を吐く。
 そう、なんとかなるはずがない。プロダクションに所属するアイドルたちの今後の活動が決まる、大事な大事な営業周りがあるからだ。ないがしろにするわけにはいかない。
「ほんじゃ、行くか〜」
 だから、ごねるのはさっくりやめにして玄関へと向かった。千尋が後を追ってくる。見送ってくれるらしい。玄関先で立ち止まった彼女は、笑顔で大きく手を振った。
「いってらっしゃい、お仕事頑張ってきてね!」
「おう! ちーも精一杯遊んでくるんやで! なんかあったら俺が飛んでいったるからな〜!」


「だからねー、今日やー兄はいないんだー」
 工房の近くにある原っぱで、千尋はクロエと一緒にシロツメクサの冠を編んでいた。
「ちょっぴり、さみしいわね」
 同じく、冠を編みながらクロエが言う。千尋はこくりと頷いた。
「ちーちゃん、まだお仕事したことないからよくわからないけど、大変そうだよね」
 仕事が終わった後、疲れた顔をしていることがまれにあった。社でさえそうなのだ。よほど大変なのだろうと思う。
「クロエちゃんはリンぷーちゃんのお仕事手伝ったりしてるんだよね? えらいなー」
「でんわでのちゅうもんをとりついだり、さいしょかさいごにてをかすだけよ。ぜんぜんだわ」
「十分立派だけどなー。お店番もするんでしょ?」
「たまにね。だれもいなければ」
「すごいなー。ねぇそれ、ちーちゃんにもお手伝いできるかなー?」
「おみせばん? できるとおもうわ」
「やってみたいんだけど、いいかな? お仕事の大変さ、ちょっとでもいいからわかりたいの」
 そうすれば、社と同じ気持ちがわかるかもしれない。少しでもわかれば、社が大変なときに話くらいは聞いてあげることができるかも、と。
 クロエは、完成した花冠を千尋の頭に載せた。立ち上がって、千尋の手を引く。
「リンスにおねがいしてみましょ!」
「! うんっ」


 アイドルという華を咲かせるためには、地道な活動も大切である。
 だから社はあれこれ考えてたくさん動くし、そんな頑張りを見ているからこそ、未来は力になってあげたいと思う。
 ラジオ局での番組交渉は、滞りなく終わった。事前に未来が根回しをしておいた結果なのだが、社は知る由もないし知らなくていいと思う。
「上手く纏まったな〜」
 ラジオ局の斜向かいにある喫茶店にて、社はほっと息を吐いた。お疲れ様、と未来は微笑みかける。
「やっぱりラジオ番組は基本よね。トーク力も大事だし」
「せやな〜。ウチ、ラジオ局での仕事はあんまりしとらんかった気がするし、良い刺激になると思うわ」
「ね♪」
 にこやかに頷いてから、気付いた。妙に社がそわそわしている。
 いや、そういえば、交渉が終わった直後から、携帯を取り出しては仕舞い、を繰り返していたような。
「ねえ、マスター?」
「んっ?」
「千尋ちゃんが心配なの?」
「なんっ??」
「いや、わかるわよ。……そんなに心配なら、電話でもしてみたら?」
「してええの?」
「今なら平気でしょ」
 未来の言葉を聞くが早いか、社は携帯を取り出して千尋の番号を呼び出した。
 呼び出し音とコール音が、未来のところまで聞こえてくる。待つ間、余計に社はそわそわと落ち着きをなくしていた。
『もしもーし』
「ちー!? 俺やで、やー兄!」
『わかるよー♪ どうしたの、お仕事終わったのー?』
「いや、まだなんやけど……ちーが元気しとるかなって」
『ちーちゃん元気だよ! 今ね、リンぷーちゃんのお仕事手伝ってるんだー。だから切るね、ばいばーい』
 明るい声がして、がちゃり。
 通話終了のつーつーという音は、どうしてこうも空しいのだろう。社の顔を見ていると、一層そう思った。
「あー! 電話した方が心配になってもーた!」
「どういうことよ。ちーちゃん、元気って言ってたじゃない」
「リンぷーの手伝いって裁縫かなあ? 針で手ぇ刺したりしてへんやろな? あーあー」
「…………」
「あっかん、はよ仕事終わらせて迎え行く! 未来、次の予定は!」
「ええと、次は――」
 その後の社の働きはめざましく、普段なら夕暮れまでかかるところを太陽がまだ高いうちに終わらせた。
「ほな! 雑務は未来、お前に任せた!」
 いい加減さもめざましかったけれど。
「うおおーちー! 待っとれよー!」
「こんなところから大声上げて行くと息切れするわよー。って、聞いてないわね……」
 走り去る背に声をかけ、未来はぐいと背伸びする。
「残された仕事、ちゃっちゃと片付けちゃいましょうかね」
 終わり際はまあ、少しアレだったけれど、社が今日一日頑張ったことはわかっているから。
「サポートは任せてよ、マスター?」


 社が会社を走り出た、丁度その頃。
「リンぷーちゃんもやー兄も大人なんだよねー。お仕事たくさんしてるもんね」
 千尋は、リンスの仕事を手伝っていた。最初、クロエと始めた売り子の仕事は一時中断して、社が懸念していた針仕事に精を出している。
「すごいなぁー」
「大人だから仕事するとか、仕事してるからすごいとか、そういうことはないと思うな」
「そうなの?」
「俺はそう思う」
「じゃあ、リンぷーちゃんはどうして仕事してるの?」
「俺はね、最初はこの工房を潰したくなかったから頑張ってた。そのうちそれは、やることがある安堵に変わった。忙しいと何も考えなくて良かったから」
 呟くリンスの声は小さく、抑揚のない声は寂しそうな色をしていた。針を動かす手を止めて、千尋はじっ、とリンスを見る。視線に気付いて、リンスが顔を上げた。
「大丈夫。今は違うから」
「じゃぁ、今は?」
「こうやって、人との繋がりが増えるのが楽しくなってきたから」
 そう答えると、リンスは千尋の頭を撫でた。社よりも小さく、薄い手をしていた。
「手伝ってくれてありがとう。そろそろ日下部が迎えに来るんじゃない?」
 言葉とほぼ同時に、遠くから「ちー!」という社の声が聞こえた。
「よくわかったね!」
「うん」
 頭から手が離れ、その手は人形のところへ戻される。針を動かす彼の手を、少しの間見ていた。
「お仕事、楽しくできるのって、すごくいいことだと思うの」
 帰り支度をしながら、千尋は言う。
「やー兄もね、『色々なアイドルの子たちを全員輝かせるのは大変だー』って言ってるけど、たまにほんとに大変そうだけど、でもね、とっても楽しそうにお仕事してるんだ」
「目に浮かぶね」
「そういう人ってね、見ててね、なんていうかね、いいな! って思うんだー」
「光栄」
 リンスは、少しだけ笑っていた。えへへ、と千尋も笑う。
「またお手伝いしに来てもいいかなぁ? クロエちゃんもいるからとっても楽しいんだー」
「いいよ。またどうぞ」
「うん!」
 じゃあまたね、と手を振ると、ばんっと勢いよくドアが開いた。
「ちー! 遅くなってごめんな、迎え来たで〜!」
 仕事上がりなのに元気良く、息を切らせてきた兄に。
「やー兄、お仕事お疲れ様でした!」
 労いの言葉を投げかけて、千尋は駆け寄り手を握った。