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リアクション
28.ディナーで仲良くさせる大作戦
ブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)の青い目が、驚いたように見開かれる。いや、事実、驚いていた。
「ちょっと、同席なんて聞いて……」
素直に言いかけて、彼女は口をつぐむ。
ブリジットの目の前には、聞かれたくない相手、アナスタシア・ヤグディン(あなすたしあ・やぐでぃん)という百合園女学院生徒会本部・白百合会の生徒会長様が――そう、偉そうなくせに未熟で迂闊だと、ブリジットは思う――既に座っていたから。
ブリジットは恨みがましい目をパートナーの橘 舞(たちばな・まい)に向ける。
舞の方はと言えば、そんな非難も織り込み済みで、嬉しそうに笑顔を浮かべている。邪気のない、“親切な”人物が浮かべる笑顔を。
「……舞、謀ったわね……」
あのにこにこ顔がすべてを物語ってるわ、とブリジットは思った。
とはいえ、今更出ていくわけにはいかない。
第一、人目がある。レストランを予約しておいて(予約したのは舞だが)、わざわざ来ておいてテーブルの前で帰るなんて、マナー違反だろう。
第二に、敵前逃亡を認めることになる。そんなことをしたら、アナスタシアに後々ネタにされかねない。
第三に、舞の顔も潰すことになるし……。
しかし腹が立つのは、ブリジットがそれらの理由で帰れないのを知っていて、舞が計画を立てたことだった。
(わざわざ支度して来たっていうのに……)
ブリジットは、瞳と同じ青い色のディナードレスに、靴と鞄を揃えて合わせ、普段より時間をかけてヘアメイクを整えてきていた。
もしアナスタシアが来ると分かっていたら早々に舞の誘いを断って、今頃は部屋でのんびり、新作カエルパイの味見でもしていただろうに。
「御機嫌よう、ブリジットさん」
アナスタシアはと言えば、こちらは平然としていた。ブリジットが後から来たことに驚いた様子を全く見せなかったのは、あらかじめ舞から聞かされていたのだろう。
シンプルラインの紺色のワンピースに、クリーム色の五分丈のボレロを羽織って、お嬢様のお出かけといった風だった。舞のドレスは白……仕方ないことだが「微妙に色被ってるし」と、ブリジットは思う。
「……御機嫌よう」
いつまでも立っていては不自然だった。ご機嫌悪そうにブリジットが言って、給仕の引いてくれた椅子に座った。
こうして、「ブリジットとアナスタシアさんをフランス料理のフルコースのディナーで仲良くさせる大作戦 By 舞」は、舞の勝利で第一ラウンドを終了した。
――すごく美味しいフランス料理のお店を見つけたんです。特に窓から見えるヴァイシャリーの夜景が綺麗なんですよ。一緒に行きましょう。
地球人の舞がヴァイシャリーに来て四年。
来た当初は、不案内な舞をブリジットが、あちこち市内の名店に連れて行ったものだったが、最近では舞もヴァイシャリーに詳しくなり自分から誘うことも増えて来た。
だからそんな誘い文句をブリジットは疑わなかった。
アナスタシアはエリュシオン出身で、舞よりも後に入学しているのだから、余計に不自然に思う筈がない。その上ブリジットが来ることは聞かされていたものの、深い意図があるとは、今も考えていなかった。
舞は一度は生徒会選挙で会長職を巡って戦った仲でもあり、その後は度々生徒会に手伝いに来て顔を合わせている。人を傷つけるような嘘をつくタイプではないことは知っていたし、彼女の中では「あのブリジット」の落ち着いたパートナーということで、何故か舞に感心しているのだった。
(これから喧嘩しないでくれたらいいんですけど……)
舞はちらりとブリジットの方を見やると、案の定まだ不機嫌そうに口を閉じたままだった。何かの拍子に彼女がアナスタシアを挑発したら、例によって口論が始まってしまうかもしれない。
ブリジットは否定するだろうが、舞はパートナーのことをツンデレだと思っている。
気になるとちょっかいをかけてしまうのだ。それも気になっている事柄の良し悪し、ちょっかいの良し悪しがあるにせよ、目立ちたがりの負けず嫌いの性格のせいで喧嘩を売るような口調になってしまっている。
そしてアナスタシアは挑発に乗りやすい――今までのことがあったせいか、特にブリジットにはむきになって対抗しているように見えた。
ブリジットが到着する前に少し話したのだが、アナスタシアは彼女に負けない探偵になりたいらしい……それも良く分からないけど。
あと、一応の和解はみたものの。ブリジットはヴァイシャリーが生まれ故郷であり、アナスタシアは初めてここに訪れた時、東シャンバラの首都として訪れたエリュシオン人だった。政治的な思惑があり仕方のないことだった、とアナスタシア個人は割り切っているが、ここで過ごすうちにブリジットや住民にとっては大変心を痛める出来事だったであろうことも想像が付くようになっており、微妙な負い目のようなものを感じてもいるのだという。
「素敵なレストランですわね」
アナスタシアは舞に微笑んだ。
ヴァイシャリーの夜は――少なくとも一部の者にとっては――長い。貴族制度が残り、彼らの間では社交が華やかに繰り広げられているからだ。また、夕方からオペラを鑑賞した人々がその後遅いディナーを取るためのレストランもある。
その長い夜を快適に過ごそうというわけか、このレストランは大運河に面して作られており、広くとった窓からは運河とぽつぽつとオレンジ色の光が点る夜景が見えた。
「……ふふ、ありがとうございます。あ、ソムリエの方がいらっしゃいましたよ」
ソムリエが彼女たちの座るテーブルに近づき、ワインは何にするか訊ねる。
「私は、そうですね、白ワインをお願いしましょう」
「私には赤ワインを頂戴」
これもドレスと同じく対照的だ。アナスタシアは瞬きする間だけ迷ったが、ワインのリストに目を通し、
「こちらのロゼをお願いしますわ」
と、言った。ヴァイシャリーと言えば魚料理だろうが、ここで白を選ぶと、二人でブリジットを罠にはめたような気がしてしまったからだ。
舞は暫く二人が話をしないかなと、にこにこ見守っていたが、どちらもいつまでも話をしないので、そのままワインと一皿目が来てしまう。
(んー、なんだかブリジット、いつもより無口というかぎこちない感じですね)
ブリジットはと言えば、別に本気でへそを曲げているのではなくて。実はアナスタシアとの共通の話題、なるものがないような気がしていた。
今まであったことを改めてしても、どこでもできる世間話になってしまう気がしたし。
(ロケーションも最高だけど話題がないわね……そうだ、舞の話でもしようかしら)
思いついたことを口にしてみる。
「実はね、舞とはお揃いのロケットを作ったの。舞が誕生日にくれてね、お揃いのを舞が持って……」
「って、いきなり私の話を……お互いの写真を入れたロケットは確かに作りましたけどね。あ、もちろん今も持ってますよ?」
「ちょっとした友情の証、っていうのかしらね。パートナーだものね」
ブリジットの顔に、嬉しそうな誇らしそうな表情が浮かんだ。
「だから舞のことならいろいろ知ってるのよ。木に登って降りられなくなった仔猫を助けようとして1mの高さから転落して病院に担ぎ込まれた話とか……ドン臭いにも程があるわよね」
「ブ、ブリジット! その1mの高さから落ちて入院した話は……」
舞は意外な話題にワインでむせそうになって、けほんと小さな咳をする。
そんな様子をブリジットは面白そうに見ながら、
「……後、怒らせると延々と静かに説教してくるとか……」
「転倒した拍子に頭打ってしまって意識無くしただけなんですけど……説教だって怒らせるからじゃないですか……」
うう、と今度は舞が恨めしそうな目でパートナーに抗議する。
(いくら距離の取り方が分からないからって、そんなことまでバラすなんて酷くないですか?)
舞は対抗して、舞なりに意地悪なことを言い出した。
「……そういうことを言うなら、ブリジットなんて、パンにマスタードとチーズ挟んだだけのものをサンドイッチって言ったんですよ? どう思います?」
急に話題を振られたアナスタシアは目をしばたたかせると、何かを思い出したように。
「……そういえば、ブリジットさんはカエルがお好きみたいですけど……?」
「そうですよね、忘年会の時なんか、私のおにぎりよりカエルの姿焼きの方が美味しいって、差し入れにしようとしたくらいでしたもの」
カエルはありませんよね、と舞が同意を求める。
「そうですわね、カエルは私も抵抗がありますわね」
形勢が悪くなったと見たのか。ブリジットも舞と同じようにアナスタシアに顔を向けて、
「あなたも何か話しなさいよ。私ばかり不公平じゃない」
――と、その時だ。
舞は真顔に戻るとぽん、と手を打った。
「ああ、そういえば、アナスタシアさんってパートナーまだいませんよね。アナスタシアさんだったら、素敵なパートナーさんがすぐに見つかると思うのですけど?」
「……え?」
「あんがい悪く無いわよ。百合園ならいい子いるでしょ?」
目をぱちくりさせるアナスタシアに、ブリジットも同意するように頷く。さっきまで応酬していたと思ったのに、この辺り、流石パートナーと言ったところか。
アナスタシアは首を少し傾げて考えるような仕草をした後、ロシアンブルーの瞳を舞に向け、口を開いた――、
「そうですわね、舞さんみたいな方だったら……」「あ、だけど舞はダメだからね」
――が、すかさず釘を刺された。
むっとしたように唇をほんの少し尖らせて、遮らないでくださいます? と言った後、力を抜くように両肩を下げた。
「百合園女学院に通われている地球の方の中に、魅力的な方、信頼している方がいらっしゃるのは確かですわね。舞さんとブリジットさんのように、対照的でありながら信頼に結ばれている関係を素敵だと思うこともありますわ。
――でも、私、今のところ契約する気はありませんの。
私が舞さんみたいな方を、と言ったのは、そう、仔猫を助けようとして1メートルの高さから転落して病院に担ぎ込まれるから、ですわ」
仲良く顔に疑問符を浮かべている二人に、アナスタシアは操っていたフォークを置いた。
「以前、会計の村上さんに言ったことがありますの。『私が守り導きたい乙女やこの世の多くを占める方たちと、意識しないと歩幅が合わなく』なる、と。
私は1メートルの高さから転落して骨折し、3メートルの崖に怯え、怪物を恐れて逃げ、目の前で戦いを、血を見て気分を悪くしてしまうような、そんな人間ですわ。
魔法が使えますから、その点では全くの一般人ではありませんけれど……少なくとも、体と心は」
彼女が特に守りたいと意識しているのは、一般の百合園の生徒だ。もし契約者になれば、意識せずとも立ち竦む気持ちを忘れてしまうことがあるかもしれない。
「それに、私はエリュシオンの貴族の娘。様々なしがらみをパートナーにも与えてしまうことになるでしょうし。
勿論……契約ができたら、様々な方を直接救うことはできるかもしれないと、何度か思ったこともありましたわ。ただそれは私たちの役目だと、言ってもらえましたから。もし契約をすることがあれば、それは百合園を卒業し、会長の職を辞した後になると思いますわ」
それからアナスタシアはワイングラスを軽く持ち。
「……少し、酔ってしまったかしら。こんなことをブリジットさんにお話しするなんて」
「何よ、それ」
「だから、その『何よ、それ』ですわ。……有難いと思ってますのよ。忌憚のない意見を下さる方は」
ほんのりと、顔に少し赤みが差していた。
ふうん、と、照れたようにブリジットが言い。
舞はアナスタシアのグラスの中身が殆ど減っていないことに気づいて、にこにこと微笑んでいるのだった。