リアクション
* ――葦原島。 雲海に浮かぶ小さな島。 今でこそ都市として整備されマホロバ文化と、それをアメリカ風に解釈した文化が融合し、異国情緒漂う街となっているが、2020年に葦原明倫館が移転するまでは「田舎」だった場所だ。 今でも桜の名所があり、妖怪の住む山があり、自然がある。 それでいて空京から定期航路があるため、お手軽な旅行先にもなるだろう。 牙竜は、だからといって、ここを選んだわけではない。 ……本音を言えば、何処でも良かった。星が綺麗に見れる場所なら。セイニィが望まない、というならば別だったが。 ただ、彼はこの島のことを他の場所よりもよく知っていただけだ。星を見るにふさわしい場所を含めて。 何故なら……、 「セイニィ、着いたぞ」 牙竜は横のセイニィを振り返った。セイニィは結局その後飛空艇に乗って、牙竜の案内に付いてきたから、先に歩くのは諦めたというわけだ。 「……ここなの?」 促すように牙竜が前をむけば、セイニィは茫と景色を眺めた。 葦原島に連なる低い山々の影は初夏の鮮やかな緑から藍色のシルエットに変わり、今では黒い稜線が地上と空を隔てていた。 灰色の雲を混ぜ込んだようなミッドナイトブルーの空には満天の星が輝いている。 セイニィが星空を眺めている間に、牙竜は気持ちの良い草地の上に緋毛氈を敷く。 「こっちに来て、一緒に座らないか。傘がないから雰囲気は出ないかもしれないが、星を見に来たんだ。いらないだろう」 「……うん……」 セイニィは軽く頷くと、毛氈の上に腰を下ろした牙竜の横に並んで座った。 距離は、こぶし二つ分ほど。 夜中二人で山中に座っているにしては、恋人のように寄り添っているわけでもなく、見知らぬ人のような距離でもない。 親しい友人といったところだろうか。 ――ただの友人、ではない。少なくとも、牙竜がセイニィに抱いている感情は、恋だ。 愛していると伝えた。セイニィも知っている。 返事はまだもらっていない。 嫌われてはいないだろう。返事は待ってくれ、と彼女は言った。 あれから一年半になる。 日中に立ち上った草いきれの残り香が、ぷんと牙竜の鼻先に漂った。 いつの間にか生い茂る草を見ていたことに気づいた牙竜は、再び顔を上げた。 ……星空を見たかったわけではない。以前も同じように星空を見に来たことがある。 その時に感じたことを、再び感じたかった。そして、言語化したかった。 意識しようがしまいが、その視線は自然にセイニィに吸い寄せられていく。 満天の星空と月から降り注ぐさやかで神秘的な光は、セイニィの肌を夜の闇にほんのりと照らし出し、美しさを引き立てているように見えた。 「……何で誘ったの? あたし、疲れてるように見えた?」 横顔を星に向けたまま、ぽつりとセイニィは言った。 以前彼が誘ったのは、忙しそうで、恋愛に心揺れるセイニィの息抜きになったからだった。でも、今回は違う。 「セイニィの神秘的な美しさが一番見られるからさ、満天の星空がよく似合う」 「ば、馬っ鹿じゃないの!」 セイニィはぱっと顔を赤らめると、小さな唇に似合わず、まるで吐き捨てるような調子で。 「そんなこと言うためにわざわざこんなトコまで来たってわけ!? 信じらんない!!」 「俺は、セイニィには一切誤魔化したりする不誠実はしない」 けれど、牙竜の方は至極真面目な口調で落ち着いて答えるものだから、セイニィは困ったように青い瞳をひそめて。 「何よ、それ」 牙竜は目をそらさずに、セイニィの横顔を見つめ続けた。 「紅白の花火あの時に心に染み渡った笑顔……譲りたくて傷つきれそうな時もあのとき心に誓った約束を守りたくて走ってきた。 クリスマスの時の一言は心に突き刺さったけどな……」 「クリスマスの時の……あぁ、あれね」 セイニィは小さく頷いた。 「私が権力者を嫌いだってこと、知ってるよね?」 「俺は、セイニィが嫌いだと言われても放り出す事はしない」 「権力を持ってたい、ってこと?」 セイニィの声に若干厳しさが混じるが、牙竜はそれで怯むようなことはなかった。 落ち着いた声で話を続ける。 「4年間で多くの争いが起きて人命も失われた……シャンバラもそうだが他国も……。 パラミタ全土危機が去って平和な時代になっても俺と同じように孤児になってしまった子供達、行き場を失った人々のために出来ることをするために、俺はセイニィの嫌いな『権力』を使うこともあるだろう……」 彼の権力。それは、マホロバ幕府の陸軍奉行並、という役職に在ることだ。 「その時に間違った方向に進んだらぶん殴ってでも止めて欲しい……かつてティセラ、ティセラ・リーブラ(てぃせら・りーぶら)の洗脳を解いた時を思い出しながら」 「それがあんたの覚悟ってわけ? 自分でそれくらい判断しなさいよ……」 そうキツい言葉を言ったセイニィだったが、青い目は困ったように見えた。 「セイニィ、君は世界を曇りなき目で見ることのできる唯一の人だと思う。 ――これがクリスマスの日に君が俺に教えてくれた事への答えだ……セイニィと出会ってからのことを思い返したら、ちゃんと嫌っている事への答えを返して置くべきだと……俺は指摘された事を誤魔化したり投げ出したりする生き方はしたくない……じゃないとセイニィを愛する事への誠実さに欠けると思う」 一息に言ってから、牙竜は優しく微笑んだ。 「以前同じように星空を見た帰りに感じた温もり、目に焼き付くくらい眩しい笑顔、セイニィといるだけで幸せを積み上げる想いを裏切りたくないからな……だから、俺は誤魔化さない……自分が今までやってきたこともセイニィへの愛も」 牙竜が言い終えた時、セイニィは大きなため息を吐くと無造作に振り返って、呆れたように言った。 「ほんっと、よくそんな恥ずかしいこと言えるわよね」 頭を軽く振る。猫の尻尾のように、ツインテールに結んだ金色の髪が、鈴蘭の飾りと一緒に揺れた。 顔を上げたセイニィは、牙竜の想いを受け止めるように真面目なものになっていた。 「……考えは良く分かったわ。 でもさ、あたしが権力を嫌いなのにも、理由があるの。……あんたには今更言うまでもないだろうけど……十二星華が生まれた理由は知ってるわよね? 十二星華は、元々女王の……スペアとして作られた、って」 歴史の闇に葬られた理由。十二星華それぞれが現在まで辿ってきた、バラバラの道……。 「でも権力なんてなくても人は幸せに生きられる。だからさ、それだけに盲目的にならないで欲しいのよね」 権力者が嫌いだって知っているか、と言った当時、牙竜にその危うさがあったように、セイニィには見えたのだ。 それから牙竜がセイニィの言葉に返事をしたように、彼女もまた、返事をすることを決めた。 「今まで……返事、伸ばしてきたけど、パラミタも、だいぶ落ち着いたし。 約束だったもんね、もうそろそろ決めなきゃいけないのよね。……あんたも覚悟を言ってくれたわけだし」 「ああ」 「……だから、もうちょっとだけ待ってくれない? ちゃんと整理して、二人に話したいからさ。今度会う時までには、まとめとく」 その時には、どんな返事であっても、受け止めなければならない。頭では分かっていたが、わざわざ考えようとしなくても、牙竜の思考は不安と期待に揺れ動く。 セイニィは視線を自然に逸らして、再び空を見上げた。 牙竜もつられて星空を見上げた。 満天の星空。ともすれば空から零れ落ちてきそうなほどたくさんの輝き。 だが、どんな結果になろうとも、今はただ、このひとときを――共に星空を眺めているひとときを大事にしようと、彼は思った。 |
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