校長室
【Tears of Fate】part1: Lost in Memories
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まだ牢獄の中にいる。 魂はそこに捕らわれている。 すでに鍵はあるというのに。 手に、牢の鍵を握っているというのに。 樹月 刀真(きづき・とうま)はまだ囚われの身だった。己の、心に。 (「御神楽環菜の為に……」) 赤い瞳にほんの僅かでも情熱が残っているのは、今もなおその思いを断ち切れないから。 (「未だその理由で動くのか、俺は」) 剣を振るう。剣尖は孤を描き敵の腕を両断した。 (「既に御神楽環菜に樹月刀真は不要。逆もまた然り……のはずなんだ」) なのに。 刀真が戦っているのは量産型クランジの集団ではない。彼が刃にかけているのは、斬り伏せているのは自身の迷いだ。 頭の中に赤く燃える石炭があり、ちりちりと焦げているような気がした。 「月夜、さっさと終らせるぞ……イライラする」 これがたった一人の剣士が成したものか。刀真を中心とした円があるかのように、周囲は開けていた。 残骸となったクランジが、死にきれずギチギチと蠢いている。 一見、無謀とも言える刀真の吶喊だった。狭い通路で塊になっているクランジを見つけるや抜刀、飛び込んで次々と敵に斬りつけたのだから。 しかし実際は正しい選択であった。。 まず、敵が密集しており動きが取りづらいところに襲いかかったという点で。 次に、敵が実際は別方向――エリザベート一行目がけて行動しようとしていた時点を狙ったという点で。 本能的に彼は勝算を得てこの挙に出たのだ。 背後を突かれる格好となり、集団の敵軍は乱れに乱れた。 一体一体であればそれなりに強敵であったろうに、背後から、しかも身動きのとりづらい状況で挑みかかられ、むしろその大量の戦力こそがクランジを縛った。 刀真は修羅の如く、四方に殺意の目を向けて肩で息をする。 魂なきクランジらに畏れがあるのかは不明だが、すぐに近づこうとする量産機はなかった。 そのとき、 「刀真、落ち着いて……」 白い両手が刀真の頬に伸びた。しっかりと彼の頭をとらえると、漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)はコツンと、額と額を会わせたのである。 「月夜ありがとう、もう大丈夫……」 見る間に、彼の眼光は血の紅から夕陽の朱に転じた。 しかし、 「……!」 彼は行く手に小山内南の姿を見たのである。瞬時だが、見間違いではない。 前方では南を含む集団と契約者たちが戦闘になっているようだ。無論、刀真の活躍で前線は浮き足立っている。 波間漂う浮きの如く、敵集団の大海に、黒髪、白い肌の少女を彼は見出したのである。 再び刀真の目に狂気じみた鮮血色が宿り始めていた。 「俺は殺す者だ。俺が俺の都合で小山内南、いや、クランジΣを殺す……俺は怨まれ、呪われるだろう……多くの者に」 「本気? ……いいえ、質問した私が間違っていた」 月夜は瞳を伏せる。刀真は、嘘や冗談で『殺す』という言葉を口にする男ではない。 「俺を止めるか」 「止めない。私は刀真と共に在る剣で花嫁……刀真のものだもん」 月夜は閑かに微笑した。彼女は彼の一部、たとえ彼の心が、未だ別の女性に捕らわれていようとも。 刀真の援軍が挟撃に出たことを知り、にわかにエリザベート一行は活気づいた。 だがその中から、黒い影が躍りかかる。 刀真自身だ。 量産機を乗り越え、左手の剣で心臓を狙う。無論、小山内南の。 「殺すと決めたものを殺す、それを成せない俺に俺は価値を認めない!」 己を鼓舞するべく告げたこの一言が、逆に刀真を妨げた。刀真の声に、 「彼女はクランジではない!」 アルツール・ライヘンベルガー(あるつーる・らいへんべるがー)の言葉を、介在させる時間を作ったのだから。 わずかな迷いが刀真の右手を鈍らせた。 左の剣はフェイント、右手の光条兵器で南の首を刎ねることこそが目的だったが、一の太刀こそ狙い通り南の動きを止めたものの、右の光条兵器を繰り出すには至らなかった。 戦闘機が急速旋空するようにして刀真は着地した。その瞬間左の剣で一体の量産期を唐竹割にしていた。 「間一髪、間に合ったか」 アルツールはネクタイを弛める。ここまで全力疾走してきたのだ。いささか酸欠気味だった。 刀真は改めて問うた。 「どういう意味だ」 「言った通りの意味だ」 アルツールもたちまち戦闘に巻き込まれながらも、はっきりと述べた。 「そもそも俺は、『小山内南=クランジΣと』言う話自体あまり信用していなかった。教師として小山内のことは知っている。『騙され易い』彼女に暗示をかければ簡単に『小山内南の記憶を持ったクランジ』に仕立て上げることも可能だ。 俺は過去の記録を徹底して洗った。本物の小山内南だったとされている『クランジΨ(サイ)』の行動があまりに機械的だったことについては、信用に足目撃報告がある。また、南が特殊能力による暗殺を試みず、正体をバラした上でのナイフ投げという、クランジにしては随分と『平凡な』行動しかとれなかったことからもそれが疑われる」 ここに、エヴァ・ブラッケ(えう゛ぁ・ぶらっけ)が言葉を加えた。 「空大で発見された資料というものが信用できるのですか? オーソン博士の調査対象に、いずこかで入手した小山内さんの皮膚の一部を混ぜておけば偽装できそうなものです。ほんの小さな嘘が大きな嘘を成立させてしまう……よくある話ではありませんか」 エヴァは、戦闘者としての力量は刀真に大きく劣るかもしれない。されど決して、刀真の視線に怖れをなした様子はなかった。 「すべて推測だ。そんなものが」 なおも言い張る刀真の眼前に一冊の本が落ちた。図書室内のものではなかった。アルツールがとっさに投げたものだ。 その本が突然人に化けた。いや、本来の姿に復したのか。 「まあ、状況証拠に過ぎないことは否定せぬがな」 本は現在、端正な顔立ちの女性の姿である。名は、ソロモン著 『レメゲトン』(そろもんちょ・れめげとん)。蜂蜜色の髪を束ね、彼女は刀真の眼前に立ちふさがった。 「『それを成せない俺に俺は価値を認めない』……か。貴公の言、実に勇ましいところには好印象だが、余計なお世話を承知で言うと、どうも力が入りすぎているようにも思えてしまう」 口ぶりはやや軽やかだが、真摯な目をしてレメゲトンは告げたのである。 「『自分はこういう存在だから』とか決め付けても、堅苦しいだけでちっとも人生面白くない。我も二百年ほど前まで『魔導書らしく』生きてみたが、実につまらんと気がついたぞ」 その間に、シグルズ・ヴォルスング(しぐるず・う゛ぉるすんぐ)が南と退治していた。 「来ないで!」 小山内南はナイフを投じる。ところがシグルズはこれをグレートソードで払いのけていた。 「足りないねぇ、実戦経験って奴が全く足りてない。君……まともに『殺し合い』をしたことないだろう」 実際のところ『なかなかいい』攻撃だとは思ったが、苛立たせるのが目的だから褒めたりはしない。むしろシグルズは挑発気味に言った。 「基礎能力が高いだけの、教科書通り以下の素人の攻撃じゃあ傷つける事はできても人間は殺せないんだよ」 暗殺者失格だ、と言い捨ててシグルズは南の足を狙った。 予想的中だ。実に人間らしく『頭に血の上った』南は、 「よくも!」 などと言って回避に失敗し、したたかに撲たれて地に手を付いた。 南の額は汗でびっしょりである。切れた部分から血がしたたっていた。 「やっぱり……南さんは人間なんですね」 覚えていますか、ワタシのことを――その声の方向に南はナイフを放つが、もう勢いらしい勢いはない。虚しく盾に弾かれていた。レジーヌ・ベルナディス(れじーぬ・べるなでぃす)の盾に。 「道々、南さんの情報を集めながら来ました」 レジーヌは盾を持つだけで、武器は構えていない。もう必要ないとわかっているのだ。 「悩みました、本当に。『小山内南』さんはとうに亡くなっていて、あなたはその影、模して作られた存在という話があったものですから……」 ですけれど、とレジーヌは言った。彼女の顔に優しい、心からの笑みがあった。 「だからまず、おかえりなさい、と言わせて下さい。小山内さんとしてのご自分は、これから少しずつ取り戻していけばいいのではないかと思います」 噛んで含めるように伝えるようレジーヌは心がけていた。無闇に刺激したりはしないし、したくなかった。自分が彼女の立場だったら――そう考えると、厳しい表現は出てこなかった。 レジーヌとともに、エリーズ・バスティード(えりーず・ばすてぃーど)の姿があった。 「塵殺寺院って本当に酷いよね……きっとあなたは、捕まったときにでも洗脳されていたんだろうね」 エリーズは我知らず、自身に欠けているとされた『喜怒哀楽』の『哀』、これに近い口調と表情で南に手をさしのべていた。 だから、とエリーズは思う。 だから寺院は許せない。一人の人間の記憶や心を、ここまで玩ぶ権利はどのような団体にもあるはずはない。ましてや、テロリストに許されていいはずはないのだ。 知ってしまえば真実は単純だった。踊らされていたのだ。誰も彼も。 レジーヌにもエリーズにも、南に対して攻撃の意図はなかった。 しかしそのことが、むしろ南を傷つけていた。 「やめて下さい! そんな目で私を見ないで……!」 南は力の限りエリーズの手を叩いた。 「私はクランジです! 殺人兵器です! 誰が何と言っても! 誰が何と……!」 後半は感情が言葉を飲み込んで、南は噎せ返るようにして元来た道を走った。 南の周囲にもう量産型はいない。すべて倒されるか蹴散らされるかしていた。 「……現実を認めるのが辛いのだろう」 アルツールは敢えて追わず、駆け出そうとするエヴァを止めた。 同感だ、とシグルズが応じた。 「もう小山内は脅威ではない。敵は他にいる。あの少女に、混沌の世などという馬鹿げた与太を吹き込んだ者がな」 「塵殺寺院め。あの娘の人生を滅茶滅茶にしおって……あの心の傷は永遠に消えんぞ。人の心をなんだと思っておるッ!」 レメゲトンは目を怒らせながら、 「のう貴公? 刀真と申したな。貴公もそう思わぬか?」 と、刀真に同意を求めようとしたが、すでに彼の姿はなかった。 「やれやれ……貴公も行き急ぐか……刀真」 ミーミル、とアルツールは愛娘を呼んだ。 彼の大切な娘は、幸い怪我一つせず、元気な姿を見せている。 「憎むべきは小山内を操っていた者だ。とりあえず、うちの娘に危害を加える者は死ねばいいと思うんだ。それにしてもミーミル、よく無事で……」 いくらか、相好を崩すアルツールだった。