リアクション
▽ ▽ クシャナがジャグディナに呼ばれて彼女の執務室に行った時、部屋の中から会話が聞こえていたので、そのままドアの外で待つことにした。 「彼女の能力は保証するとお伝え願おう。 私の下で遊ばせておくのは惜しいと」 ドアの向こうから、微かに会話する声が聞こえ、その後扉が開いて誰かが出てくる。 廊下にいたクシャナに一礼すると、その者は出て行き、入れ替わりにクシャナはジャグディナの部屋に入った。 「今のは、誰かの使者?」 「ああ。お前の話をしていたところだ」 「私の?」 「次の作戦で、私は最前線で指揮を執る。 戦いは熾烈を極めるだろう。有事の時の後任に、お前を推薦しておいた」 「――え?」 クシャナは耳を疑う。 「……お情けで与えられた出世を、喜ぶと思ってるの? それに私は今……」 言いかけて、屈辱的な思いに、クシャナは口を噤む。 大怪我を負って死に掛けたあの日以来、クシャナは満足に魔法を扱うことができなくなっていた。 あの一戦以来、あまり前線にも出ていない。 恐らくは精神的なものであるのだろう。周囲を焼き尽くす、強力な炎の魔法を得意としていたクシャナだったが、一切の攻撃魔法は使えず、まともに使えるのは治癒魔法くらいだった。 治癒魔法! この私が! 何て滑稽なことかといっそ笑えた。 ジャグディナは、このことを知っているはずだ。 「どんな機会も逃さず掴んで、私はここまで上り詰めた」 だが、ジャグディナはクシャナの魔法については触れなかった。 「私と同じようにしろとは言わん。私の意思を継げとも。 ただ、これだけは言っておく。 己の信じた道を、前だけを向いて進め。 兵も、民も、お前の前には居ない。お前の守るべきものは、いつもお前の背の向こう側にある」 「遺言のように聞こえるわ」 言うと、ジャグディナは肩を竦めた。 「無論、この戦いを終えた後のことも考えている。 事を成す時は、お前にも手伝って貰いたい。これは、その時に言う」 「ふ。それは楽しみね」 クシャナは笑みを見せた。 △ △ 仲間達に遅れてルーナサズに到着した途端、とんぼ返りする形で白鯨に向かうことになった黒崎 天音(くろさき・あまね)は、見送りに出てきたイルダーナを見かけて、やあ、と声をかけた。 一年前とは随分違うそのいでたちを、面白そうに見る。 「エリュシオンに戻って領主様、なんてちゃんとやっていけるのかと思っていたけど、結構立派に務めてるみたいだね。その格好似合ってるよ」 笑う天音に、イルダーナは、小さく肩を竦めた。 「俺も無理だと思ったぜ。イルヴがやれと言ったんだがな」 十年間、シャンバラの田舎で安穏と過ごしていた自分とは違い、彼はその十年、ルーナサズの為に動き、かつての臣下達を率い、民の為に戦って、テウタテスを討った。 民にも慕われている。どう考えても、選帝神にはイルヴリーヒの方が相応しかった。儀式はやり直せる。 しかし、イルヴリーヒの方に、全くその気はなかったのだった。 「泣き落とされて仕方なく、だ」 「ふうん。それにしては、随分板についてると思うけれどね」 天音はくすりと笑ってから、傍らで護衛に立つ女性型のゴーレムを見る。 それは約十年程前に、オリヴィエ博士によって作られたものだ。 「ブリジットさんも元気そうで。という言い方は変かな」 「なー、俺もう行くけど」 トゥレンが声をかけて来る。 龍に騎乗して行くトゥレンは、一足早くシャンバラに到着するだろう。 まずはオリヴィエ博士の元を訪れた少女と合流する為に、天音達と、合流場所は既に話がつけてあった。 オリハルコンと白鯨の島について、知る限りのことを、天音はトゥレンに説明してある。 さっさと行け、と、イルダーナは追い払うように手を払った。 「言っても無駄だとは思うが、一応あいつには気をつけておけよ」 「どういうこと?」 街の外に待たせてある龍の方へ歩いて行くトゥレンを見送るイルダーナが、声をひそめてそう言い、後に続きかけた鬼院 尋人(きいん・ひろと)が、立ち止まって首を傾げた。 「今は普通に戻っていますが、彼がこの街に来た時は、割と荒れていましたよ」 イルヴリーヒが口を開いた。 「信頼する仲間であった友人達が、突然目の前で別の人間に変貌し、お前は誰だと言い放ち、立ち去って行った衝撃は、強靭な精神を持つ龍騎士とて、相当のものであったでしょう。 ましてや、彼等は死んだと言われた今、その内心はどうなのか」 「……まあ、あいつも考えて、一番自分がキレなさそうな場所に行くことにしたみたいだからな。 心配することは無いと思うが」 ふ、とイルダーナは溜め息を吐く。 つまり、トゥレンが暴走しないように気をつけていろということか。 天音と尋人は顔を見合わせる。 「一応、っていうのは?」 天音の問いに、イルダーナは肩を竦めた。 「龍騎士が本気でキレたら、俺なら逃げる」 ▽ ▽ 伽の後、纏うものなくそのままイデアと閨を共にしたシュヤーマは、気配に目を覚ました。 傍らのイデアが起き上がっている。 この部屋には外に面した壁がなく、アーチのある廊下の向こうは中庭になっていた。 寝台を降りたイデアは、中庭に出て行く。 背を向けて立ち、見上げる月光に照らされている翼が見えた。 「どうした?」 イデアの声に振り向いた、中性的な顔立ちの少年が、イデアと、その向こうにある部屋に見えるベッドに気付き、しまった、と気まずい顔をした。 「気にすることはない」 立ち去ろうとしたイスラフィールは、イデアに止められて、睨む。イデアは肩を竦めた。 「……あんた、俺に何をさせたいんだ」 イスラフィールは、イデアに縛られている。 館全体に張ってある結界のせいで、こうして空が見えていても、飛んで逃げることもできない。 同じく捕らわれている者は他にもいて、中には更に幽閉されている者もいた。 イデアは笑った。 「世界が滅びる、と言われたら、君は信じるか?」 突然の言葉に、イスラフィールはぽかんと彼を見る。 「そしてどうする? 逃げるか、受け入れるか、一思いに死ぬか、それとも滅びを止めようとするか、或いは、いっそ滅びる側に回るか」 「……あんたはどうなの」 イスラフィールは眉をひそめる。 「そうだな。君次第か」 「俺にそんな力は無いし、それだけの力を、あんたが植え付けられるとも思えない」 「勿論、世界を生かし滅ぼすほどの力を、一人の人間が持っているわけも、持たせられるわけもない。 この世界は滅ぶ。世界樹は朽ちる。もうそれは、変えようの無い運命だ。 それでもその運命に抗いたいと思うなら、何をどうすればいい?」 「答えるのは、俺じゃなくてあんただよ」 「君は故郷に捨てられた。観念して俺に従うことだ」 「……あんた、さっき言ったじゃないか」 「ん?」 「そしてどうする、って。 ……マユリ先生は、世界を救いたかったんだ、きっと……」 イスラフィールは月を見上げる。 フラリと歩き出して、中庭を出て行った。 横たわったまま、シュヤーマは全ての会話を聞いていた。 イデアはベッドには戻らず、イスラフィールとはまた別の方向へ去って行く。 世界樹が朽ちる? シュヤーマは耳を疑っていた。 伝説の世界樹が、実際に存在するかのように話されているのも驚いたが、それが朽ちるとはどういうことか。 世界が滅ぶとは。 イデアは、それに関わっているのか? 考えた末、シュヤーマはきょうだいと共に、イデアの元を逃亡し、世界樹を目指すことにした。 彼の側に仕え、結界を抜ける方法は知っていた。 だが、その途中で、最愛のきょうだいを失うことになり、失意のまま、シュヤーマはひとり、そこに伝わる死者の国の伝承を支えに、世界樹を探し続けることとなる。 △ △ これまで、前世を思い出すことで、現世の自分に特に影響はなかったし、前世の記憶に囚われるつもりも無いが、それでも尋人は、思い出す記憶が増えるにつれ、テュールのことを考える。 『守るべきものを守りたい』そう思う気持ちは、共感できた。 だが、感じられる感情は、それだけではない。 それは悲しみのような気がした。 「守れなかったのか? 守りたかったものを……」 自分達の攻撃は、イデアの手の者には通用しなかった。 それを知った後には更に、テュールの悲しみ、負の感情が、まるで自分に身体を明け渡すことを迫って来ているような気がする。 けれど、それは決してできなかった。 そうすることで攻撃が届くのかもしれないと思う誘惑を、尋人は懸命に退けた。 「オレは、現世で、今のこの時間で守るべきものを守る。――なあ、テュール」 前世の自分に、今の自分は見えているのだろうか。 そう思いつつ、呼びかける。 前世の記憶に誘惑をされたりしているけれども、何故か悲壮感がなかった。 憎しみや悲しみとは別の、もっと淡々とした感情を感じるのだ。 かの世界は滅びた。けれどそれは決して世界の最後ではないという直感。 「決して世界は消えていない。こうしてオレ達は生きている」 言葉は、届くだろうか。 |
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