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【カナン再生記】緑を取り戻しゆく大地と蝕む者

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●神官軍の侵攻(02):Disturbed〜Land of Confusion

 重々しい進軍だった。がちゃり、がちゃり、と金属音が鳴り響いていた。鳴り止まぬ金属音の源は、神官兵の装備も勿論だが、その主たるは野太い鎖の立てるものだった。鎖は輪の一つ一つが大人の男性より大きく、連なったその先は金属製の首輪に繋がっていた。
 しっかり溶接された首輪は、山のような巨人の首に填められていた。巨人はアエーシュマ――呪われた存在であった。見上げる者の首が後ろに折れそうになるほどの身長、鉄錆じみた赤茶の毛にびっしりと覆われた体、腕も脚も筋肉が凝集し、破裂しそうなほど隆々としていた。伏せられた顔もやはり毛で隠され、表情はおろか鼻や耳の位置すら判らず、腐った肉のような臭気を全身から発していた。やや前屈み、口をだらりと開けたまま、十数頭ものヘルハウンドと、それ以上の数の神官戦士が引く木製の車に巨人は引っ張られていた。車には、血塗られた棍棒も置かれていた。戦いとなれば巨人は、これを手足のように使うことだろう。
 騒々しく進む本隊の進軍は、これだけの大軍にしては異様なほどの速度を伴っていた。避難民の虐殺という、これ以上ない愉悦に興奮しているのだろうか。この地にしては珍しく、いくらか残った灌木帯を踏みつぶすようにして神官軍は進んでいた。
 このときユーフォリア率いる救援部隊出現の報が入り、彼らは一様に色めきだった。恐れているのではなくむしろその正反対だった。まず、シャンバラ勢の少なさを知って、神官も戦士もその乏しさを嗤った。わずかだが敵軍を哀れむ者すらあった。されど大部分の兵は、空腹の狐がよく太った兎を見つけたときのような表情をした。シャンバラ軍の装備の華美さ、乙女の多さはよく知られるところである。彼らは負ける可能性など毫も考えず、自殺行為のような『援軍』を押し潰して武器を奪うなり人質にするなり、慰み者にするなりして欲望を満たすことばかり考えていたのだ。
 その気の緩みを待っていたかのように、突如として剽悍決死の奇襲部隊が神官軍を襲った。
(「正面から攻撃は無理だろうけど、不意を突くことなら俺にだって……」)
 灌木の一つが揺れると、そこから黒い影が飛び出した。敵の対応を待たず匿名 某(とくな・なにがし)は、
「おまえは次に『どうしてこうなった! どうしてこうなった!』というッ!」
 叫びざま強烈、ロケットパンチを打ち込んだのだ。中央付近にいた神官が横面を張り飛ばされ、神官戦士のハルバートに自分から串刺しにされに行った。
「あれ、言わなかったな、セリフ……って、それはともかく奇襲開始!
 某は結崎 綾耶(ゆうざき・あや)を背負って走り出した。吶喊だ。彼の背にあって綾耶は「了解、私は私のできることをします」と即座にアシッドミストを発動し、敵の目を眩ませた。
 大軍の只中に少数で飛び込むなどほとんど自殺行為、だがその自殺行為を好んで行う者は他にもいた。
「……鍬次郎が新しい刀で試し斬りしたいって言うの……ハツネも……久々の『お人形遊び』したいの」という声と共に、伏せていたワイルドペガサスが飛び上がった。
 馬上にあるは斎藤 ハツネ(さいとう・はつね)、それに大石 鍬次郎(おおいし・くわじろう)だ。駒が敵中に着地するなり、鍬次郎はそこから降りて駆け巡り、神官と言わず戦士と言わず、ヘルハウンドであっても無差別に、刀を抜いて次々、敵を撫で斬りにしていった。
「くく……新しい刀『黒刀・無限刃安定』の試運転だ……俺はどっちでもいいんだぜ? カナンの無辜の民だろうが神官だろうが……」だが、と鍬次郎は濡れた刃の如き笑みを見せた。「今回は奇襲案に乗ってやった。人斬りを楽しむには、数が多いほうがいいからなァ」
 浮き足立つ者に容赦せず、いや、むしろ浮き足立つ者ばかり選んで、その背後からハツネはナタで頭を割って回った。ぐしゃという感覚が腕を伝わるたび、生ぬるい返り血がべったりと彼女の衣装に付着し、紅い染みとなってひろがった。
「素敵な人形遊びなの……」まるで血を吸ったような、真っ赤な唇をハツネは歪めた。
 その頃には鍬次郎の剣が、人間の脂を帯びて燃え上がっていた。
(「彼らは殺しを楽しんでいる……? 僕にはその気持ちは判りません……」)ハツネたちを横目に、バロウズ・セインゲールマン(ばろうず・せいんげーるまん)は淡々と任務を果たすのだった。奇襲攻撃は彼の基本戦法、敵の虚を突き爆炎波で炎上させた。(「あの人、『お人形遊び』と言いましたね……?」)バロウズは、胸に冷たい鉄の杭が突き刺さったような気持ちになった。人形というのであれば、塵殺寺院製のクランジΩ(オメガ)である自分こそ、まさにそれではないか。
「バロウズ、また考えすぎる悪い癖が出ておらんか?」彼の頭上からする声は天ヶ崎 葛葉(あまがさき・くずは)、彼女は飛空艇を操縦し、銃撃で奇襲部隊を助けていた。「『奴』が何を考えてバロウズに参戦を命じたかは知らんが、これは力なき者を助けるための戦い、力を有益に使うせっかくの機会じゃ。無闇に悩まず存分になせ。さもなくば死んでしまうぞ」
「誰かを助ける……そうですね」バロウズは迷いを断ち切った。グレートソードを振り回し、敵を倒すことより混乱させることを目的に駆け回った。(「やはり、『父さん』は何を考えているか、良く分かりません」)それでも、と彼は思った――誰かを助けることになるのなら、悪い気はしなかった。
(「やり方は少し卑怯だけど、上手くいけば敵側もあまり傷つけることなく鎮圧できる」)そう信じて相田 なぶら(あいだ・なぶら)も、ペガサスに跨り決死の奇襲に加わっていた。なぶらの役割は味方のサポートだ。斬り込んだメンバーを守るべく、光術を駆使して撹乱を引き起こした。なぶらに神官軍を殲滅させるつもりはないし、そもそもこの人数では到底不可能だとわかっていた。だが、打撃を与え戦意を削ぐことはできるはずだ。
 自分の身長ほどもある大剣を、凄まじい勢いで水平に薙ぐ姿はフィアナ・コルト(ふぃあな・こると)だ。物々しい武装をした神官戦士たちを狙い、当たるを幸いと振り回す。剣はその切れ味もさることながら、信じられないほどの重量で敵の盾を弾き飛ばし、鎧を凹ませた。当然、戦士からの反撃もあるものの、フィアナはこれをものともしかなかった。「一切られても十切り返せば良い」そう呟いて有言実行した。彼女の進むところ、金属片も血も肉も、遠心分離器にでもかけられたように一緒くたのぐちゃぐちゃとなり、四方八方に飛散した。
 奇襲をかける飛空艇は、葛葉が駆る一機ではなかった。目を凝らして見てもわからぬほどの高度から、手が触れるほどの低空飛行へ、一気に高度を落とした飛空艇があった。
「せ〜ちゃん、頃合いなのだよ」助手席からオフィーリア・ペトレイアス(おふぃーりあ・ぺとれいあす)が促した。
 オフィーリアの顔には笑みがあった。このような死地にあっても、誠一の前では笑顔でいたいと彼女は思っており、そしてまた、彼の存在は自然に彼女の心を温めてくれるからだ。
「わかってる……よし、派手に咲いてほしいものだねぇ」
 八神 誠一(やがみ・せいいち)は操縦桿の中央、発射ボタンを押し込んだ。小型飛空艇ヴォルケーノの前部からミサイルが飛んだ。
 ミサイルは空中で砕け、白い軌跡を描いてまさに花が咲いたように、五方向に別れ敵に降り注いだ。神官にとっても戦士にとっても、決してありがたい『花』ではなかったろう、ただでさえ混乱していたものが、これでますます酷くなった。ごうと熱波が巻き上がり、誠一の頬を焼けるような舌で撫でた。
 自動操縦でホバリングさせたヴォルケーノから、オフィーリアは颯爽と飛び降りた。「えらそーに威張り散らしてるだけの騎士や神官なんて、百害有って一利なしなのだよ」言うそばから彼女は、輜重隊とおぼしき列に全力の火術を叩き込んでいた。業火と爆炎が、赤いオブジェのように突き立った。
 やはり飛び降りた誠一に某が合流した。「数はあっちのほうが圧倒的に有利だ。計画通り、ほどほどにしてずらかろうか」某は、綾耶を背負ったままだった。
「ああ、敵がこちらの全容を悟らないうちに撤退する。ただ……」誠一は口元を緩めた。「大至急撤退する必要はなさそうだ。敵さん、よほど慌てたと見え、同士討ちまではじめてるからねぇ」
 誠一の言葉通りだ。まさか奇襲部隊がわずか十人とは知らず、各所から起こる爆撃や光術、アシッドミストで混乱した敵兵は、味方同士ぶつかり合っている有様だった。味方を殺してその死体を乗り越える者があるかと思えば、こそこそと頭を抱えて逃げ出す者もあった。
 やがて神官軍はアエーシュマの縛めを解き、総攻撃に加わるべく先頭集団との合流を目指すことになったが、そのときにはもう、シャンバラ勢の奇襲部隊はそれぞれの飛空艇やペガサスに乗り、あるいは脱走兵に紛れて、風のように姿を眩ませていたのである。

「致命的なダメージを与えたとは言わないが、なかなかの戦果だったんじゃないか?」
 綾耶を背負ったまま岩陰で息をつき、某は会心の笑みを洩らした。
 これで終わりではない。これからも折を見て、何度も後方から奇襲をかける手筈だ。
「あの……」そのとき綾耶が小さな声で言った。「そろそろ降ろしてくれてもいいんですけど……」
「ずっとこのままでもいいぞ。背中にあたる感触、悪くない」
「なに言ってるんですか、もう!」綾耶は顔を赤らめ、彼の首筋に歯を立てた。
 あーっ、という某の声は痛みによるものか、それとも謎の快感が産み落としたものか。