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リアクション
●神官軍の侵攻(08):Look into the Eyes of a Child
獣人が援護に駆けつけて以来、カナンの民の安全はほぼ守られていた。しかし敵の攻撃はやまなかった。
「逃げ惑う民に攻撃するなどと、わたくしには到底理解できないことです」明智 珠(あけち・たま)は肩を震わせていた。「あの神官の方々がどのような神を信じていらっしゃるのか分かりませんが、慈愛の心を持っていらっしゃらないのでしょうか……」
「かも、しれないわ」カトリーン・ファン・ダイク(かとりーん・ふぁんだいく)は応え、来し方に目をやった。アエーシュマの巨大な骸が見えた。「だからといって、私たちは失いたくないわね。慈愛の心を」
――たとえ神官軍が相手であっても、と告げ、カトリーンは声を上げた。
「見なさい。あなたたちが頼りにしていた巨人は死んだわ。逃げるなら今のうちよ」
その声に呼応するように、巨人の棍棒が神官軍の只中に投げ込まれた。これが効果大、軍の象徴たるアエーシュマが絶したことがたちまち伝わり、神官軍はにわかに浮き足だった。
小型飛空艇で神官軍の一隊の進路を妨害すると、朝倉 千歳(あさくら・ちとせ)は外部拡声器のスイッチを入れた。
「よりにもよって民を救済すべき神官が、圧制者に加担して民を虐げるとは何を考えているんだ。今からでも、遅くない。自らの過ちを正して民の側につくべきだ!」
ところが同じ飛空艇内で、イルマ・レスト(いるま・れすと)が呟いた。「千歳、気持ちはわかりますが……ここで降伏する者など、信念もなく、ただ己の地位の保身しか考えていない者に過ぎませんわ。気骨のある者ならば、とっくに民の側についているはずですもの」鋭い眼で彼女は言ったのである。「見た目は神官でも中身は役所の小役人と大差ありませんわ」
掃射して撃ち殺すべきだと、暗にイルマは言っているのだ。
(「イルマは……わざと相手を怒らせようとしているんだよな、最近分かってきたが……」)千歳は首を横に振り、マイクに向かって告げた。
「お前たちは、いったい何のため、何を志して神官になったんだ。故郷を荒廃させる為政者に協力するためか? 苦しむ民に拳を振り上げる為だったのか? 違うだろ。いいかげんに目を覚ましたらどうだ。武器を捨てて降伏しろ。そして、これからはカナンの民衆のために働くと誓うんだ!」
「甘い……ですわね」イルマは皮肉な口調だったが、その目はわずかに微笑んでいた。
このとき、多くの兵士が武器を捨て恭順の意を述べたのである。
同じく、別方面で説得にかかった夜住 彩蓮(やずみ・さいれん)の読みは正しかった。すべての神官兵が心からネルガルに従っているわけではなかったのだ。
「我々とて、好んでネルガルの下にいるわけではない」と、神官軍の一部隊の代表者が口を開いた。彼らは戦いにほとんど加わらず、避難民を追うこともなく、ただ参戦するふりをして傍観を貫いていたのだ。「だが我々の家族はネルガルの元にある。どうして逆らえよう」その神官は、土埃でまだらになった白髪頭を下げ、武器をかなぐり捨てた。その顔には、やりきれない表情が刻み込まれていた。
(「守るべきものがあり、その為に戦ったのであれば、何ら恥じ入る事はない」)デュランダル・ウォルボルフ(でゅらんだる・うぉるぼるふ)の鋭い眼光は、武器を捨てた神官とその従兵たちに嘘がないことを見抜いていた。(「だからこそ私は思う。彼らにとって必要なものは罰ではない、と」)
目でその意を語るデュランダルに、彩蓮は小さく頷いた。そして、彼らに向き直って述べたのだった。
「ですが傍観もまた、罪です。悔しくはありませんか? 女神を失い、国は荒れ、家族を盾にされて……。もし悔しいと思うなら、本当にそう思うなら、もう一度、国の為に立ち上がってみませんか」
厳しくも心を込めたその言に、彩蓮の前の兵士たちは落涙した。
かくて彩蓮は「建前として『捕虜となった貴方がたは無理矢理に病院等の施設で働かせられている』としておきます」と言い、その代わりに、彼らにカナンにある施設で働くよう提言したのだった。
一方、自陣が崩壊しだしたのを見ても猶、戦い続ける神官軍も少なくなかった。なかでもヘルハウンドは逆境にあろうと変わらず、闘争本能のままに向かってきた。
「まだやるってのか! しかし、戦神信仰者の俺は容赦はしない」
闇咲 阿童(やみさき・あどう)は、ハウンドの戦意にある種の敬意を抱きながら正々堂々渡り合った。顔に浴びせられた火炎をくぐって避け、後光 葉月(ごこう・はづき)のバックアップを受けつつ、ブライトグラディウスを水平に薙いだ。シッ、と空気を裂く音がした。素早い刃はハウンドの前脚を掠めるに留まったものの、攻撃はそれで終わりではない。アルティマ・トゥーレ――刃先の冷気が白い手のように伸び、ハウンドの体を氷結させたのだった。阿童が負ったダメージは、前髪が少々、焦げただけにとどまった。
「イナンナ様に敵対する人はぜ〜んぶ悪魔なんだよね? 悪魔は、殺しちゃっていいんだよね?」くすくすと、やや狂気じみた笑みを浮かべながら葉月が拳銃を抜くも、阿童は手を伸ばして彼女の銃口を塞いだ。
「忘れたのか? 俺は、殺生は好かない」
「でも……」
「もう一度同じことを言わせるな」阿童の鋭い一瞥は葉月を黙らせた。「こいつは、負けが判ってて、それでも一矢報いようという意地を見せたんだ。ヘルハウンドだが誇り高き戦士だ。その命には敬意を表すべきだ」
やがて氷結状態が溶けたヘルハウンドは事情を察したのだろうか、耳を垂れ尻尾も下げて、どこかへ逃げ奔っていった。
これでいい、と阿童は思った。今日は余りに多くの死を見過ぎた。もう、死は沢山だ。
(「死をも恐れぬ神官兵団? 聞いて呆れるわ」)唾棄したい気分で辿楼院 刹那(てんろういん・せつな)は神官軍の崩壊を見ていた。
刹那は神官軍に雇われてその一手を担っていた。無慈悲に護衛兵を殺し、民に手をかけていたのだが、アエーシュマが斃れるや味方勢はたちどころに四散してしまい、彼女はパートナーのアルミナ・シンフォーニル(あるみな・しんふぉーにる)と共に孤立してしまったのである。
「せっちゃん、も、もう逃げたほうがいいよね!?」アルミナが泣き顔を刹那に向けた。
ああ、と言いかけた刹那だが、
「形勢が悪くなった途端、尻尾を巻いて逃げるのかい?」
と声をかけられて足を止めた。
声の主は、駿馬に跨ったシルヴィオ・アンセルミ(しるう゛ぃお・あんせるみ)だった。口調こそくだけているが、その目には怒りがあった。
「他所の国だからって、仲間を裏切り好き放題。恥ずかしくないのか……と言いたいところだが、そもそも羞恥心なんてものがきみらにあるかは疑問だな。所詮、助けを求めてきた相手の傷口に塩塗り込むような真似する小者だもんな」シルヴィオは腰の剣を抜いていなかった。そればかりか刀に手をかけてすらいない。
「シャンバラの恥と思いますが、悲しい人たちとも言えますね……」一方、やや離れた位置にて同じく馬に乗り、アイシス・ゴーヴィンダ(あいしす・ごーう゛ぃんだ)は、刹那とアルミナの顔を脳裏に焼き付けていた。
「ここで恥の意識について議論するのはやめておこう」刹那は、やや前屈みの姿勢で眼を細めた。「仕事だからやった、それだけのことじゃ」こいつ、勝ち誇っているのか、武器も構えず他の仲間も連れずに――刹那は思った。だとしたら、隙を突いて殺せるかもしれない。
だが甘かった。飛びかかった刹那は、抜く手も見せぬシルヴィオの一太刀を浴び、唇から血を流して地面に転がることになったのだった。胸を突かれたらしく呼吸が止まった。だが切られてはいなかった。シルヴィオは刃を露わにせず、その鞘ごと刹那を打ち据えたのだ。
「きみは無力の民衆にしか『仕事』できないようだね」シルヴィオは馬上のままだった。刹那を、虫けらでも見るような視線で見下ろしていた。「侵略ごっこは楽しいかい? 悪いけど、命のやり取りは遊びじゃないんだぜ」
彼が鞘で殴ったのは意図してのことだ。斬り捨てててもいい、しかしそれをやるのなら神官軍と変わらないだろう。ゆえにシルヴィオは刹那を、連行し裁きを受けさせるつもりだった。
そのときアルミナが、シルヴィオの馬首に飛びついてわめいた。「せっちゃん、ここはボクが食い止めます。早く逃げて!」
「……!」シルヴィオは苦い顔をした。この短いタイミングで刹那が逃げ去ったからだ。「……もういい。次は容赦しないと、主に言っておくんだ」
シルヴィオが辟易したように手を振ると、アルミナは馬から滑り降り、用心しいしい刹那の後を追った。
あれだけ猛威をふるっていた神官軍も、所詮は見せかけの勢いだったということか。アエーシュマの死を境として、彼らはまたたくまに烏合の集へと堕していた。
「さあ、残存兵力を追い払いましょう」
高らかにユーフォリアの声が響き渡る。彼女は味方を糾合し神官軍の中央に突き込んだ。すると敵軍は完全に崩壊したのである。多くの兵が降伏し、より多くの兵が逃散した。
今、ユーフォリアの両脇を固めるは閃崎 静麻(せんざき・しずま)と道明寺 玲(どうみょうじ・れい)だ。
(「こうやって傍にいるだけで、威光というか偉力というか、なんとも誇り高い気分になるな。やはりロゼヴァイセ家……フリューネの先祖ってだけはある。大したカリスマ性だ」)静麻は思った。ユーフォリアが姿を見せるや、ほとんどの神官軍は完全に戦意を喪失したのである。
一方、味方にとってユーフォリアは勇気の象徴のようだった。静麻のパートナーたるレイナ・ライトフィード(れいな・らいとふぃーど)も、「憧れのフリューネさんの先祖、ユーフォリアさん。肩を並べて戦えるのは光栄の至りです」と全面的に彼女を尊敬していた。
静麻はここまで、ずっとユーフォリアを援護していた。一撃離脱を基本とする彼女のために、マシンピストルで敵を牽制していたのだ。驚くべきは、危うい場面も何度かあったにもかかわらず、ユーフォリアがまったくの無傷だったということだ。まるで敵兵の攻撃までもが、ユーフォリアの威光に怖れをなしたかのように外れたのだった。
玲もその攻撃を、敵を倒すことより追い散らす方針へと転換していた。玲は奏上する。「ユーフォリア様、大勢は決しました。捨て鉢になった兵が特攻をかけてくる怖れもあるでしょうな。もうこれ以上陣頭に立たずとも……」
「いえ、そうであっても、陣頭に姿をあらわすのはわたくしの義務です」認めていただきたいのです、とユーフォリアから伏し目がちに告げられると、玲にはそれ以上反論する言葉がなかった。
(「さすがユーフォリア様。ならばその名誉、決して汚さぬよう死命を尽くすとしましょうか」)玲はそう心に決めて、ユーフォリアのフォローを務めたのだ。
(「ふふ、玲とユーフォリア様、見た目だけではなく、相性のほうもよろしおすなぁ〜」)内心くすくすと笑って、玲のパートナーイルマ・スターリング(いるま・すたーりんぐ)は後に続いた。
かくて、避難民虐殺を目論む神官軍は潰走した。
避難民集団の先頭付近、クナイ・アヤシが抱いた赤ん坊は、泣き疲れ閉じかけた目をふと開いた。彼女――この赤子は女の子だった――はその始まったばかりの人生で、間違いなく初となる光景を目のあたりにしていた。
美しい、というのに近い概念が彼女の頭に浮かんだ。しかしそれをあらわすための言葉を、まだ彼女は持っていなかった。なのでか細く、「ァー」という声を洩らすにとどまった。
荘厳なるポート・オブ・ルミナスの姿が、彼女の瞳に映り込んでいた。
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