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リアクション
呪われた手紙を届けましょ(3)
試合終了の時とは、一体いつのことだろう。残り時間が無くなったとき、終了のブザーが鳴ったとき、はたまた諦めたときだろうか。
ネージュ・フロゥ(ねーじゅ・ふろう)にとっての試合終了の時は漏らしたときのようだ。
「くぅ……うぅぅうううう……」
走れば走るだけ催してくる。体を動かせば動かしただけ膀胱は圧迫されて「出し」たくなってくる。
「おしっこ……漏れちゃう……」
果たしてこれが「手紙」の呪いなのか、それとも自分の超頻尿体質によるものなのか。問題はそこがはっきりしない事だった。
呪いの効果だとしたならば、手紙を手放せばそれで済むだろう。しかし本当に催していたならば……きっと呪いから開放されたという安心感で気が緩み、お股も緩んで、はいそれまでよ。お漏らし魔法少女の誕生である。
「あっ……やっぱりダメぇ……」
走らなければ良いのではないか? そう思うだろう、そうお思いの方も多いことでしょう。しかし彼女は良い子なのです、たとえ自分が漏らしそうでも託された襷を破り捨てて投げ出すなんて事は考えもしない考えつかない子なのですよ。
それに―――
「ねじゅおねえちゃん、がんばって」
隣でパストライミ・パンチェッタ(ぱすとらいみ・ぱんちぇった)が応援してくれているから、純真無垢な瞳に見つめられていたなら誰だって途中棄権なんて出来ないでしょう。
「あぅっ……あぁ、もぅ……」
誰よりも切実に「快楽に耐えている」のは彼女かもしれない。これ以上催すまいと水も飲まずにただひたすらに街道を駆けている。
そんな彼女に都会の町並みが追い打ちをかける。
「ぅ……うぅ……どうしてコンビニや公衆トイレが多いのよー!!」
彼女が抱えるは「尿意を耐える」という癖なのだろう。
もう間もなく、いや近い将来、彼女は「出す悦び」を知ってしまうかもしれない……。
何をバカ正直に走っているのか。
口にはしないものの、七尾 蒼也(ななお・そうや)は「手紙」を受け取るや否やレーゲンボーゲンの背に乗り、飛び立った。
「そんなこと言うもんじゃないですよ」ペルディータ・マイナ(ぺるでぃーた・まいな)が言った。彼女も同じにワイバーンの背に乗っている。
「言ってないだろ。思っただけだ」
「そうでしたか? 失礼しました」
手紙を受け取った場所が太平洋上だったからレーゲンボーゲンを使えるに過ぎない。列島上であればどう足掻いてもこの巨体は隠しきれない。
「おっ。来たか、な」
早くも「手紙の呪い」が襲いきたようだ。蒼也は想い人から貰ったチョコレートを手に快楽に耐えようとした。
快楽に負ければワイバーンの背から真っ逆様、さすがに助かりはしないだろう。そんな恐怖と想い人との思い出を胸に快楽と戦うつもりでいたのだが―――
「おぅ。これはこれは……」
思った以上に体がムズ痒い。火照ってゆく感覚も手に取るように分かった。
「蒼也、頑張って……あたしも、頑張ります!」
そう言ってペルディータは『メモリープロジェクター』で青い髪の少女の映像を眼前に投影した。
しばらくの間、蒼也は体を奮わせて快楽と戦っていたが、遂には縋るように投影された映像に手を伸ばして―――
「必ず、俺が守ります、から……」
「蒼也の根性なし!」
ちょっと早い、鬼のようなタイミングでペルディータは『鬼眼』で強く睨みつけた。
「おっ! おぉ……」
一発で目が覚めたようだが、それでもすぐに快楽の虜に。想い人の姿が目の前にあって、体は快楽に包まれているとなれば……我慢しろと言う方が酷だ。
「ここまでか………………うわ!? ペル、なんて目で俺を見るんだっ!?」
蒼也が諦めたと同時にペルディータも諦めたようだった。諦めというよりも「コイツはダメだ」といった失望や軽蔑に近いだろうか。ゴミを見るような目で蒼也を見つめていた。
「いや、待て、まだ行くぞ、行きますよ」
信頼の失墜は幻であったのだよ、と取り繕うように。蒼也は気丈に振るまって、でもすぐに快楽に負けて、軽蔑の目を感じて我に返って……。
負けられない戦いはレーゲンボーゲンの背上でも行われていたのだった。
海を渡った「呪いの手紙」は遂に―――
「ふんふんふーん、ふんふんふーん」
海京の天沼矛まで辿り着き、キャンディス・ブルーバーグ(きゃんでぃす・ぶるーばーぐ)の手に渡された。パートナーの茅ヶ崎 清音(ちがさき・きよね)は今回も百合園女学院にてお留守番なのでキャンディスはエレベーターにひとりぼっちだった。
「いや、違うネ。今日はワタシ、一人じゃないネ」
自分のことを親のように慕ってくれる。「スーパー鳥人型ギフト」が一緒だった。手紙はギフトの先端に両面テープで張り付けている。しかもエレベーターの壁に立てかけているから呪いの快感にも襲われない。
「楽勝ネ、実に簡単な仕事だヨ」
直接触るわけではないので快感が押し寄せてくるのも遅いのだろう。受け取った直後に聖火の如くに掲げてみたが、快楽を感じることはなかった。
もしかして不感症? いやいやまさか……。
聖火ランナーの達人、世界の旅人は上昇するエレベーターの中で平穏と不安を一度に感じ得たのであった。
馬はなぜ走るのでしょう。目の前にニンジンがぶら下げられているからよ。
ではハイコド・ジーバルス(はいこど・じーばるす)はなぜ走るのでしょう。それは虫を持った藍華 信(あいか・しん)が追いかけて来るからですのよ。
「ん゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛〜〜〜〜!!!」
それはもう全速力で。頬の肉を振り切ってしまうのではないかと思えるような顔になっていようとも気にも止めずに。
「虫はい゛やあああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
プリップリの海老のような芋虫が背後から迫ってくる。たかが芋虫、されどハイコドにとっては何よりも芋虫だった。フォルムも動きも肌質さえもその何もかもが気持ち悪い! 気持ち悪い! 気持ち悪い! 気持ち悪い! 気持ち悪いぃ!!!
「ほーれ走れはしれー、さもないとうなじに虫くっつけるぞー」
「ぎ゛やぁああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
連続して『神速』を発動して駆け逃げる。恐怖からの逃亡にペース配分などありはしない。ハイコドは咽が掻き切れてしまうかのような叫び声を上げながらに全力で駆けた。
「いいぞ、いいペースだ」
信が一人ほくそ笑む。気持ちいいのを耐える……ということはつまり「気持ち悪く」すればよい。虫で追い回す作戦は見事にハマった、それはもう面白いほどに。
ニルヴァーナの崩壊、最終決戦の時までもう時間がない。ハイコドにはこのまま脇目も振らずに走れるだけ走って貰うとしよう。
そうだろうとは思っていたが、やはりそうか。
「くそっ……やはりクるか……」
アルビレオのパイロット席で瑞江 響(みずえ・ひびき)が唇を噛んだ。イコンに乗っていても「手紙の呪い」は襲い来るらしい。
「気をしっかり持て!」
アイザック・スコット(あいざっく・すこっと)が隣で語気を荒げた。「その手紙を届けられなきゃ世界は滅びるんだ!」
「……そうだな。あぁ、そうだった」
響は先程からずっとムズ痒い背筋を伸ばして胸を張った。確かにこんな所で立ち止まるわけにはいかない、快楽に負けるわけにはいかないのだ。
正確には「手紙さえ届けられれば世界が救える」というわけではない。それでゲルバッキー(吉井 ゲルバッキー(よしい・げるばっきー))の憎しみが消えるとも限らない。愛する者を失う悲しみは、経験した者にしか分からない。
「俺様がゲルバッキーと同じ立場になったら……同じように復讐に走るかもしれない」
それは響も同じだ。自分の力の及ばない所で突然にアイザックを失ったなら。その怒りをぶつける相手を無理にでも見つけて定めることだろう。
それでもこの手紙を届けたら……彼も自分を取り戻すのではないだろうか。
「一人では難しくても皆で繋げば届くはず。絆の力でこの手紙をゲルバッキーに届ければきっと―――」
「あぁ。俺様もそう思うぜ」
手紙は今こうしてパラミタ大陸まで繋がれた。そして、今度はニルヴァーナへと向かう。自分たちが力尽きても志を同じに持つ者たちがきっと繋いでくれる、そう信じている。
速く! 一刻も早く!
想いを繋いで、手紙を乗せて。アルビレオはワッシワッシとパラミタの大地を駆けゆくのだった。