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リアクション
ドージェをぶん殴りに行く 前
北ニルヴァーナ大地の一画。
「わっ」
魔威破魔 三二一(まいはま・みにい)は突然の突風に髪とスカートを抑えた。
吹き抜けていった風は自然のものではなく、争う二者の間で巻き起こったものだ。本物の自然は、この争いに怖気づいたかのように静かになってしまっている。
「もう!」
風が収まってから、三二一は元凶に抗議の視線を向けた。
ここからでは遠く、元凶は点ぐらいにしか見えない。
「これ以上近づくのは危険ですわ……」
マレーナ・サエフ(まれーな・さえふ)の言葉に、誰もが言葉なく頷いた。決意の程は、言葉にしなくてもそれぞれの目に確かに宿っている。
「皆さん、どうか、どうかドージェ様を止めてください」
ドージェ・カイラス(どーじぇ・かいらす)へと近づくにつれ、周囲の石が突然浮かび上がったり、雷雲が無いのに雷が落ちるなどの異常な風景が現れるようになってきた。
「これが、戦いの余波とは信じられねーな」
浦安 三鬼(うらやす・みつき)は周囲の異常現象に何度も目を奪われていた。
「全く規格外にも程があるだろ。つっても、そいつを殴りに行こうって俺らも、頭のネジが飛んじゃってんだろうな」
ポケットに突っ込んだ手が、自分の意思とは関係なく強く握り締められている。恐怖なのか武者震いなのか、自分でもよくわからない。
「……ここが、最終安全ラインです」
マレーナが立ち止まる。特に何か目印があるようには見えず、彼女だからこそわかるドージェとの間合いなのだろう。契約が途切れたとはいえ、それまでの全てが失われたわけではないのだ。
ここに来て、ここまで自らの意思で向かってきた契約者達に、初めて二人のドージェが姿を現す。
「二人ってどういう事よ?」
三二一が最もな疑問をマレーナに投げかける。
「一方は本物のドージェ、一方は滅びを望む者が用意した『地上最強の生命体』……でしょ?」
夏來 香菜(なつき・かな)の言葉に、マレーナは頷いた。
「覚えている人も居るかもしれませんが、黒い月でドージェ様が表れた事がありました」
「それなら覚えてるぜ、でも結局は偽者だった」
姫宮 和希(ひめみや・かずき)が当時参加した作戦を思い出す。最後は黒い肉片となって崩れ落ちた、偽者だ。
「おそらく、それの、完成版ですわ」
「完成……か」
偽者の記憶がある故に、和希は首を捻った。あれが完成したとして、それが本物のドージェとやり合えるだろうか、という疑念である。
「それでも、やるしかない」
アイン・ペンブローク(あいん・ぺんぶろーく)の言葉に、マレーナは頷き、皆に戦いを観察させた。
その戦いは、思わず見とれてしまうぐらいに美しく、そして不可思議なものだった。
ドージェとドージェは、全く同じタイミングで動き、全く同じ技を打ち合うのだ。ドージェが右拳を振るえば、それを一方のドージェは全く同じタイミングで振った右拳が打ち合う。
蹴りも同じく、同じ蹴りがお互いの同じ部位に打ち込まれる。
互いの拳は決して交差することなく、拳と拳、蹴り足と蹴り足がぶつかり、弾かれる。
まるで鏡に映る己を殴ろうとしているかのようだ。決して鏡に打ち込んだ拳は、鏡の向こうの顔には当たらない。
「見てからは、あんな完璧には合わせられねぇ……けっ、そういう事か」
戦いの嗅覚に鋭い白津 竜造(しらつ・りゅうぞう)がまず納得した。
「どういうなのです?」
リリウム・ホワイト(りりうむ・ほわいと)の質問に答えを返したのは、竜造ではなくキロス・コンモドゥス(きろす・こんもどぅす)だった。
「次の一手が全く同じタイミングになる。そいつは、お互いの相性がいいか、全く同じ事を考えてるかって事だよ、お嬢ちゃん」
キロスはその戦いから目が離せない。
「けどな、同じ人間をコピーしたって、こう綺麗にはならない……。本人は考えてなんていないんだろうが、互いに最高の一撃を撃ち合っているんだとしたら、殴って止めるってのは、正しく唯一の方法ってことか」
キロスの言葉通り、全く同じ人間を向かい合わせにして戦わせたとして、全く同じ攻撃をぶつけ合うだろうか。恐らくそうはならないだろう。
全く同じ人間同士だとしても、二人の地面の高さや周囲の風景は必ずしも同じにはならない。環境が違えば、結果に影響が出るだろう。まして人間同士ならば、性能が同じならば自分をどう出し抜くか、誰だってそういう思考に傾くだろう。
ドージェがそうはならないのは、まず環境程度ではドージェ・カイラスという存在に影響を与える事ができないからだ。例えここが海の底でも、宇宙空間でも、あれは構わず戦う事ができるだろう。
そしてあの戦いには、思考を巡らすような暇は存在しない。互いの喉にぴったりとナイフを押し当てているような、それほどまでに危うい攻防が、否、攻攻が繰り広げられているのだ。刹那では多すぎる、涅槃寂静の迷いがこの勝負に決着を付ける事になるだろう。
「キロスさん……君も……このままで終わる……人では、ないはず……違い…ますか……?」
キロスは菊花 みのり(きくばな・みのり)に振り返る。
彼の躊躇うような一瞬に気づけた人間はほとんど居なかっただろう。
「誰が、いつ終わったというのかな? そんな事より、少し確認しときたい事がある」
あの戦いに気圧されていた事を悟られぬように、キロスはみのりに指示を出した。
「みのりさんが先陣を切らせるの?」
指示を聞いていたアルマー・ジェフェリア(あるまー・じぇふぇりあ)が思わず口を挟んだ。
「じゃあ、二人でやろうぜ。それに先陣じゃねぇ、あくまで確認だ。俺達のな」
真剣な様子のキロスに、アルマーはそれ以上口出しできなかった。言われた通り、二人のドージェの頭上高くに、アルマーとみのりは氷術で氷の拳を作り出す。二人分のでっかい拳は、躊躇うことなく振り下ろされた。
巨大な氷の塊はドージェに届く遥か手前で、溶けて蒸発し消え去った。二人の戦いの余波が、どれほどのものかというのが、その場に居る全員に端的に伝わる。
「これでわかったろ。少しでも足手まといになるかもしれない、なんて考えてる奴はここまでにしとけ。はっきり言うが、何もできずに死ぬ。邪魔だ」
「大丈夫ッス! ピンクモヒカン兄貴なら絶対いけるっすよ!」
バーバーモヒカン シャンバラ大荒野店(ばーばーもひかん・しゃんばらだいこうやてん)は全幅の信頼を寄せた笑顔をゲブー・オブイン(げぶー・おぶいん)に向けている。
「おうよ!」
ゲブーはゲブーで、当然と言った様子で拳を握ってみせた。
そんな様子を横目でちらりと見てから、ガイウス・バーンハート(がいうす・ばーんはーと)は和希に向き直った。
「申し訳ないが、俺はあそこまでお気楽には考えられんのだ」
「無茶苦茶やばいのぐらい、俺でもわかるさ。けど、俺は行くぜ」
「……」
「どうした?」
「いや、信じているぞ。ドージェの目を覚ましてこい」
「ああ!」
二人から少し離れたところで、ミューレリア・ラングウェイ(みゅーれりあ・らんぐうぇい)は手の内のボールの感触を確かめていた。
「小型飛空艇じゃ近づくのは難しいのです」
リリウムがすまなそうに目を伏せる。ドージェの周りはわけのわからない風と力の濁流があり、空から近づくのは難しい。
地面を歩いていくのが一番安全で、確かな方法だ。
「ああ、わかってる。ここからは先は、私の事を応援しててくれ」
ミューレリアはリリウムの顔あげさせる。
「やっぱり、観客がいないと燃えないしな!」
キロスの確認よって、ドージェへ向かう者、そうでない者が自然と分かれていった。立ち向かうのに覚悟が必要であれば、残るのもまた覚悟が必要だった。
「わしは残りますぞ」
アインはそう結論した。
「わかったぜ」
アインの判断に対して、吉永 竜司(よしなが・りゅうじ)はそう頷くだけだった。キロスが死を提示するぐらいの危険なのだ、降りる事は悪い事ではない。
そのキロスは、マリカ・ヘーシンク(まりか・へーしんく)に声をかけられていた。
「キロスさんなら……できると思います」
「そうだと、いいがな。あいつ、あの最中にどれだけ力量をあげたんだか」
テレサ・カーライル(てれさ・かーらいる)はキロスがピリピリしているのを感じ取った。マリカもテレサも、居残り組みだ。だからこそだろうか、ドージェの恐ろしさを肌で感じる事のできる人とそうでない人の違いというものを見てなんとなく感じる事ができた。
「……どういう事なのでしょうか?」
あまりマリカの邪魔はしたくなかったが、テレサはキロスに尋ねた。
「ドージェは今、戦いながら成長している、どれだけ伸び代があるんだか……放っておけば、本当に手に負えなくなるな」
ドージェの強さは、以前から規格外だ。だが、それが自分と全く同じ力量の好敵手とぶつかる事で、さらに成長していっている。今この瞬間も成長していっているのだ。
「俺、本当、何やってるんだろうなぁ……」
それぞれに決意を固めたりしている中、一人宙波 蕪之進(ちゅぱ・かぶらのしん)はいそいそと労働に勤しんでいた。巨大天秤を設置し、急ごしらえの射出装置を準備する。
ドージェから発せられる闘気だけでも、肌がピリピリと焼かれるように痛いのに、さらに藤原 優梨子(ふじわら・ゆりこ)の視線が痛いほど突き刺さる。
「ぜひー、ぜひー」
息を切らしながら全速力で設置を完了させた。
「皆の物、準備はよろしいか?」
コアトル・スネークアヴァターラ(こあとる・すねーくあう゛ぁたーら)が、誰も口にしないでいた言葉を口にする。時間の余裕は無い事は、コアトルだけでなく誰しもがわかっていた事だ。
「……行きましょう、ドージェを止めに」
誰も答えられなかった言葉に、マレーナが最初に答えた。