リアクション
牛皮消 アルコリア(いけま・あるこりあ)は、市場をふらりと歩いていた。 * (会場から逃げてこっちに来た、か……) 桐生 円(きりゅう・まどか)がテレパシーを受け取ったのは、病院内の事だった。 (うん、あたしたちも今病院に入ったよ。目撃情報などから、内科の病棟っていうのは判ったんだ) (分かったよ。こっちももう病棟の中にいるんだ。捕まえる前に間に合うといいんだけどね) 円は歩とのテレパシーを打ちきると、さあ急がなきゃと足を速めた。 彼女の片手には、綺麗な一輪の花。 もう片手には、携帯の画面に表示させ乙女百合の画像。インターネットとは便利なものだ。大抵のものなら画像が手に入るのだから。 それを病院付近に住んでいるだろう住民に見せて、ここまでたどり着いたのだ。 円は受付に、何十度目かの質問をする。 「これを持っている子を知らない? これくらいの年齢で、背丈で服装は……」 説明すれば、守護天使のナースはあっさり頷いた。 「ああ、その子ならさっき来たわよ」 「本当?」 「ええ、内科の病棟に入院しているお母さんのお見舞いに、毎日来てるの。お花を持ってね」 その頃円の友人・ロザリンド・セリナ(ろざりんど・せりな)もまた、花束を持って聞き込みをしていた。 それは奇妙な花束だった。一輪一輪は珍しかったり、見事に咲いた花だったりしたけれど、色も大きさもまちまちで、花束としての統一性は取れてない。 ただ一点共通点があるとしたら、それは今まで盗難の被害に遭った花と、同じものだったということだ。 ロザリンドは被害者たちから分けてもらい、また市場で同じものを買って、その奇妙な花束をつくり上げていた。 「お見舞いの方はこちらの方に名前と病室の番号をお願いします」 受付の守護天使の質問に、ロザリンドは緩く首を振った。 「すみません、詳しくは判らないんです。 ──あの、これこれこういう子供がお見舞いに来るか、この花々を飾られた入院患者の方はいませんでしょうか? 毎日花が送られていると思うのですが。少し手違いがありまして代わりの花を持ってきたのですが、確かこの病院だったと思いまして」 「お知り合いの方ですか? そうですね、その子ならまだ病棟内にいると思いますから、ここで待っていれば会えると思いますが……」 この病棟に入る入口は一つだと教えられて、ロザリンドは礼を言うと携帯電話を取り出した。中に入っている間に抜けられては困るから、応援を呼ぼうと思ったのだ。 その時彼女にゆっくりと近寄ってくる人影があった。 「あらあらまあまぁ、知り合い? それとも花屋さん?」 「え?」 ロザリンドが振り向けば、人のよさそうなおばあちゃんがにこにこと笑っている。パジャマにスリッパ姿でいるところを見ると、入院患者なのだろう。 「いえね、私の入院している部屋のすぐ近くなんだけどね。真位置に綺麗なお花をね、持ってくる男の子がいるのよー。 そりゃもう、毎日親孝行だって病院の中じゃ有名なんだから」 「ご存じなんですか?」 「ええ、毎日洗濯物を届けに来てるし、買い物もね。何でもお母さんの具合が悪いからって、最近こっちに引っ越して来たみたいなのよ。お父さんは単身赴任になってね……」 それからおばあちゃんは五分くらい話を続けた。どうも話し出すと止まらないタイプらしい。 ロザリンドは何度か口を挟もうとして、ようやく一言だけ言えた。 「それでその子は、どちらなんですか?」 「毎日決まった時間に大体来るから、待ってれば会えるわよ。もう来たのかしら? 一緒に行きたいところなんだけど、もうすぐ孫がお見舞いに来てくれるのよ。だから一緒に行けないんだけど……残念だわ。 ──ほら、あそこに案内板があるでしょう。呼吸器内科の6階に付いたら右に曲がって三番目の部屋よ」 それじゃあね、おばあちゃんは行ってしまう。 (……これで判明しましたね) ロザリンドは今度こそ携帯電話を友人たちにかけ始めた。 三分後、ロザリンドは円と合流し、目的の部屋の前にいた。 「ロザリン先輩、さすがですねー」 「円さん、先輩ってなんですかー」 「あーあ、それにしたって盗まれたオトメユリの花。実は花言葉は純潔とか、私の心の姿とか非常にロマンチックなんだ。犯人は知ってるのかな? って思ったんだけどなぁ」 「ロマンスとは違うみたいですね、親子のようですから」 その病室は、入院患者の出入りが多いのか、扉は開いたままだった。 扉の側にはプレートが掲げられている。四人用の病室なのだろう、そのうち二つに名前が書いてあった。 二人が一歩、足を踏み入れると、気持ちの良い風が窓から吹き込んできた。 カーテンがさらりと揺れ、窓辺に置かれた花瓶に活けられた、大輪の薔薇が目に入った。白薔薇と赤薔薇。その横には、ピンク色の乙女百合の鉢。 側のベッドには、一人の女性がベッドから半身を起して本を読んでいた。 「──この花を届けにきました」 * 屋上から見える景色は、いつにもまして華やかだった。 屋上で育てられている花も、いつにもまして綺麗に咲いていた。 少年はぼんやりと景色を眺めているだけだった。 だがその首根っこが突如捕まえられて、彼は素っ頓狂な声をあげた。 「うぎゃあっ!?」 「──さあ、イタズラ少年も、このわたくしが訪れた今日が、年貢のおさめどきですわよ。お仕置きのフェイスロックをお見舞いして差し上げますわ!」 白鳥 麗(しらとり・れい)は首根っこを掴んだまま、ぐいっと彼を引き寄せる。 「お嬢様、落ち着かれてください。皆さんもいることですから」 麗があまりに嬉しそうなので、アグラヴェインが慌てて制止する。 「……そうですの?」 「そうですわ。……多勢に無勢ですもの、平和的に解決いたしましょう」 答えたのは、アナスタシアだった。 彼女の隣には円やロザリンド、そして守護天使の青年や他の生徒達も集まっている。 麗が手を放すと、少年は怯えたように二、三歩後ずさった。彼は年上の少年少女たちに混じって園芸部の女生徒がいるのを見付けて、顔を引きつらせる。 アナスタシアはそれを見て得心したように、 「私たちはシャンバラ王国というところからここに来ましたの。貴方が盗んだ百合の花は、私たちが大事に育てた花でしたのよ。フラワーショーに出品することになっていましたの」 「……」 黙りこくる彼に、アナスタシアは続けた。 「返してくだされば、私たちも大事にする気はありませんわ。──時間がありませんの。花を楽しみに待っていて下さる方がいらっしゃいますのよ」 「……でも、あれは」 顔を上げた少年の顔には強い逡巡がある。ロザリンドは一呼吸置くと、なるべく優しい声で話しかけた。 「事情は聞きました。お母さんのためにお見舞いのお花を届けに来たんですよね? 肺が悪くて、より環境の良いこちらに引っ越してきたとか。 大変だったんですよね。慣れないところに来て、一人で毎日洗濯物取りに来て、洗って、買い物して、家事して。大変だったんですよね」 ロザリンドに続けて円も、 「お母さん言ってたよ。『苦労を掛けて悪いことをしていると思っているの。これからも良かったら気にかけてやってくださいね』って。……信じてたんだよ」 「……お母さんに、話したの? 俺が盗んだって」 「話していませんよ」 「──それでも、少年が盗ったもの。盗品なのですからきちんと話すべきだと思いますわ」 優しく言ったロザリンドとは対照的に、そう言い放ったのは喪服をまとった一人の女性──キュべリエ・ハイドン(きゅべりえ・はいどん)だった。 彼女は病室に言っていなかったが、特定できたならそれを母親に告げるつもりでいた。 「少年は罪人であり、法と正義に照らして処分されるべきです。そこには犯人側のどんな理由があろうと関係ありませんわ。花はすべて没収して、元の持ち主にお返しします」 もしここで曖昧にして甘い処分にしては、少年の将来の為にも良い事ではないだろうと、彼女は考えていた。 大多数の契約者は、甘い処分や寛大な措置にしようと動くと予想して、実際その通りになった。 そしてまた予想通り、他の契約者から苦言が呈される。 「……それはあんまりではありませんの? 私たちは神でも警察ではありませんのよ。いいえ、誰であろうと一方的に断罪する権利なんてありませんわ」 甘いことを言うアナスタシアに、キュベリエは首を振る。 「善意からであっても罪は罪ですわ」 とはいえ、彼女とてそれが通るとは思っていない。 (それはそれで良いのですわ。世の中は甘くは無いというメッセージが伝われば。世の中の全ての大人達がもの分かりが良い善人ばかりではありません) 「……他にご意見は?」 アナスタシアに、麗が手を挙げる。 「イタズラでも悪い事は悪いとキッチリ誰かが教えてあげなければいけませんわ。それは警察に突き出すという方法ではなくて。ちょっとキツくお灸を据えてさしあげたいと思いますけれど」 ──そして、突如。 少年は大声で泣き出した。 「ご、ご……ごめんなさい……うわあああああん!」 泣き出して、泣いて、泣き続けた。けれどそれは恐怖からではなかった。 「……俺、……ひと……ひとりで……だ、誰も……」 「誰も助けてくれないと、思ってしまったのですわね?」 アナスタシアが言葉を引き取れば、少年は何度も頷いた。 彼は一人だった。だから、こんなに、自分のために多くの人が真剣に考えて動いてくれるとは思ってもみなかったのだ。 「……お母さん……いつもごめんなさいって……でも、俺、何も……できなくて、花を持ってったら……よ、喜んで……あ、お、お母さん!」 少年は声をあげたかと思うと、走っていった。 生徒たちが振り向くと、そこには彼の母親が立っていた。生徒達が急に訪れたものだから、何事かあったのかと、感付いたのだろう。 「お母さんと一緒にあやまりに行きましょうね」 「ご、ご、ごめんなさい……」 ぐずぐずと鼻をすすり、ぼろぼろとこぼれる涙をぐしぐしと拭きながら、少年はお母さんに抱きついてしばらくの間泣き続けた。 それを見届けてから、アナスタシアは時計を見てあっと息を呑んだ。 「それでは、私はもう行きますわ。病室、教えて下さる?」 「何処に行くんですか?」 「勿論、会場ですわ。走れば間に合うはずですわ、後はお任せしますわね」 アナスタシアは突然走り出した。 そして、三十分後、午後5時ごろ。 フラワーショーの会場では、閉会の時間を迎えようとしていた。 司会のタンポポ花妖精が、スタッフから事情を聞いて登場時間を引き延ばしていたが、彼女たちが到着したと聞いてぱっと顔を明るくする。 「それでは審査の間、遥か遠い地球の日本で生まれたという、珍しい花をお持ちいただきました。、百合園女学院さんを──拍手でお迎えください!」 「──お待たせいたしましたわ!」 アナスタシアと百合園女学院の生徒達は、会場の入口から走ってくると、そのまま檀上へと上がった。 「これが、乙女百合ですわ!」 弾む息を整え、乱れたスカートを整えて、突き出されたその鉢は、盗まれる前と同じく美しい姿で咲いている──。 |
||