リアクション
 
第5章 本当の自分
 
 
 エース・ラグランツが渡したブーケを持っていないそのトゥプシマティは、落ち着いた表情で笑いかけた。
 二人いたんだったら、ブーケをもう一つ持ってく来るべきだったな。
 そう思ったエースに、トゥプシマティは微笑む。
「ありがとう。けれど必要ありません」
「キミが、『覚りの巫女』?
 じゃあ、一緒に来たトゥプシマティさんは……」
 清泉北都の問いに、トゥプシマティは頷いた。
「あれも私自身です。
 私はかつて、後のリューリク帝により破壊されました。
 砕かれた私は、重要な部分が欠けたまま、ずっと、元に戻る日を切望していました。
 ようやく、願いが叶います」
 破壊され、砕かれた。
 その言葉に北都ははっとする。
「『石版』……礼拝堂の奥に納められているという?」
「はい。私の本体は石版です。
 皆さんがご存知の私は、リューリクに奪われた、その欠片」
「リューリク帝は、何故トゥプシマティを狙ったのだ?」
メシエ・ヒューヴェリアルが訊ねる。
 トゥプシマティは、少し躊躇ったが、答えた。
「私の力は、人の思いを覚り導くこと、と認識されていますが、実はもうひとつあります。
 悪用されないよう、それはなるべく秘していました。
 上手く説明できないのですが……“その持ち主に、大いなる運命を授ける力”、というのが一番近いでしょうか」
「つまりリューリクさんは、皇帝になる運命を得る為に、トゥプシマティさんの力を利用した……」
 北都が確認するように言った。
「はい。私は抵抗した為に砕かれました。
 リューリクの力の強大さ故に、神殿は半分巻き込まれて破壊され、砕かれた石版は瓦礫に紛れ、リューリクは石版の全てを持ち帰ることはできなかったのです。
 けれど、最も重要な、必要な部分を得ることができたのですから、問題はなかったでしょう。
 むしろ好都合だったかもしれません」
 そうして、欠けたトゥプシマティは記憶と力に分かれ、記憶を失ったトゥプシマティの力は、以来長い間リューリクに仕えることとなった。
「長い、長い間、私は待っていました。けれどようやく、元に戻れる」
 首を巡らせた視線の先。
 北都も、彼女と同じ方を見る。
 エースのブーケを手に持ったトゥプシマティが、ようやく、礼拝堂に現れた。
「トゥプシマティさん……」
 ボロボロに泣きながら、彼女は、迎える自分の姿を見て、更に表情を崩す。
 それを見た小鳥遊美羽が、広げていたシートから立ち上がった。
 迎えるトゥプシマティは、両手を広げて自分に歩み寄る。
「待っていた。
 さあ、一人の私に戻りましょう」
「ちょっと待って!」
 美羽が叫んだ。
 どうして、現れたトゥプシマティはあんなにも悲しそうに泣いているのだろう。
 一人に戻ったら、二人の精神はどうなるのだろう?
 咄嗟、止めようと叫び、迎える方のトゥプシマティが美羽を振り向いて、微笑む。
 彼女は止まらなかった。
 どちらがどちらに吸い込まれたのか。
 二人のトゥプシマティは、ふわりと合わさって、一人になった。
 エースのブーケを手にした彼女は、最早泣いてはいなかった。
「……どうなったの?」
 北都が訊ねる。
「皆さん、私を此処まで連れて来て感謝します。ありがとう」
「記憶は? 戻ったの? キミはどっち?」
「そうですね。
 私は、此処で皆さんに事情を説明していました私です。
 記憶を失い、二人に分かれていた時間が長すぎて、別の人格のようになってしまいましたので、もう一人の精神は封印しました。
 その間の記憶は、記憶というより、記録として、私の中に残されています」
「それじゃ、キミは、これからどうするの」
「勿論、イナンナに仕える、この神殿の巫女に戻ります」
 今は一人に戻った自分の力で、かつての神殿の姿を具現化させているだけだが、自分が巫女として此処に戻れば、神殿は復興される。
 神殿が復興されれば、やがて町も元の姿に戻って行くだろう。
 トゥプシマティは、壁際に立つトゥレンの方、彼の肩のヴリドラを見た。
「出来ればヴリドラ様には、これからも私と共に、此処でカナンとイナンナ様をお護りいただけないでしょうか?」
「ソレハ出来ヌ」
 ヴリドラの答えは簡潔だった。
「そうですか……残念です」
 別れ際、トゥプシマティに歩み寄ったトゥレンが、はい、とメロンパンを差し出した。
「これは?」
「んー、……餞別、ってとこかな。
 ま、受け取っておきなよ」
 リイムは、ヴリドラから渡してやって欲しいと言ったが、ヴリドラは、じっとトゥレンのすることを見ているだけで、動かない。
「ありがとうございます」
 受け取ったトゥプシマティに頷いて、それじゃ、とトゥレンは踵を返した。
◇ ◇ ◇
「デハ我ハ帰ル」
 神殿を出たヴリドラは、トゥレンに短く別れの言葉を述べた。
 トゥプシマティがリューリクの臣下で無くなった今、ヴリドラには、パラミタに留まっている理由は無い。
「あー、此処からナラカに行くなら、フマナの大穴が近いかもね」
 驚く一同を余所に、トゥレンはあっさりそう答える。
「ナラカに行くの?」
 その会話に、シキに抱えられていた
ぱらみいが反応した。
「ナラカに行くなら、わたしも連れて行って」
「はあ!?」
 
トオルがぎょっとする。
「ちょっと待て待て。一人で!?」
「ヴリドラちゃん、小さいけど、わたしひとりくらいなら、無理かなあ?
 これ持ってるから、ナラカでも大丈夫だよ」
 ごそ、と首から提げていたデスプルーフリングを取り出して見せる。
 ぱらみいは、ドージェに会う為にナラカに行くことを目的としていた。
 その術を探すトオルは、勿論自分達も一緒に、と考えていたのだが。
 ヴリドラは頷いた。
「ソノ小サイノ一人ナラバ可能ダロウ」
「うわ、咥えて行くのかよ」
 トゥレンがにやにや笑っている。
「デハ行クゾ」
「ちょっと待てっ! 行くにしても待て! 本当にナラカまで咥えられて行く気か!」
 ぱらみいの襟足を咥えようとしたヴリドラを何とか留めて、問題ないと言うヴリドラに、もうちょっとこう、準備をさせろと説得したのだった。
「驚いた。とんだオチだぜ」
 経堂
倫太郎は、ヴリドラとぱらみいのやり取りを呆然と見届けた後、水原
ゆかりを見た。
「えーと、とりあえず報告書はヒラニプラに帰還後翌日迄に作成して上げときますんで、チェックして上に報告よろしくお願いします」
 最後まで、仕事をソツなくこなす倫太郎に、ゆかりの内心を表したかのようにマリエッタが忌々しく舌打ちする。
 結局最後まで「仕事できない奴は帰れ」と言うことも出来なかったし、全く、ストレスが溜まるといったらない。
「……お願いするわ」
 何とか気持ちを鎮めて、ゆかりはそう答えた。
 後日、ゆかりを通じて、
ルカルカ・ルーに幾つかの品が届けられた。
 それは、ウラノスドラゴンの居た天空の神殿で、ルカルカがぱらみいに渡した物だった。
「別に、返してくれなくてもよかったのに」
「『おねえさんが貰ったものだから、おねえさんが大事にしてね』とのことです」
 ゆかりは、ぱらみいの伝言をルカルカに届ける。
 受け取って、ルカルカはぱらみいのことを思い出した。
「そっか、ナラカに行ったのか……。会えるといいね、ぱらみい」
 トゥプシマティは、じっと手の中のものを見つめていた。
 最後に渡された、メロンパンだ。
 透明なパックを破り、中のパンを取り出す。
 食べてみると、さくさくとして甘かった。
「美味しい」
 呟いたトゥプシマティは、何故今、自分の目が一粒の涙を零したのか解らなかった。