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一会→十会 —終わりの無い輪舞曲—

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一会→十会 —終わりの無い輪舞曲—

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【仮面舞踏会・1】


「拍子抜けする程、簡単に入れたな――」
 腕を組んだまま豪奢な会場を見渡して、アレクはそう呟いた。
 入り口で一戦交える事も考えて意気込んでいたと言うのに、どうやら敵はそのつもりはないらしい。
「わー、こんな素敵なドレス、見たことも着たこともないですー。なんだかうきうきしちゃいますねー」
 シェルピンクのオーガンジーが重ねられたバルーンスリーブとひざ下丈のスカートを翻した豊美ちゃん、その隣ではハルカがシアンブルーのボディスにデイジーの花があしらわれた鮮やかなイエローのクラシカル・チュチュでくるりと一周まわってみせる。
「可愛いドレスで嬉しいのです。夢みたいなのです」
「まさに夢のようだな!!」
 力一杯答えたアレクに、破名は目をぱちぱちをしぱたかせている。彼が絶賛している光景も、破名としてはただ一輪の花が集まり花束になったような感覚だった。
 まあ華やかさは決して悪いものではないのだろう、と乏しい価値観で朧気に思う。
「そう言えばシェリーは?」
 今や頭の90パーセントが『豊美ちゃんとハルカちゃん』という美ロリッ娘達に向いていた――残りの10パーセントは敵に対する警戒心だ――アレクが、ここで始めて少女の存在を思い出し口に出した。
「アレクさん、私ならここよ……」
 破名の後ろに隠れていたシェリーが小声で答えて、怖ず怖ずを仮面を外す。
 瞬間、空気の色が変わった。磨き込まれた大理石に似た材質の床を恐る恐る踏み進める足元から舞い上がるように立ち昇る色香は、16の少女が持つには過ぎた代物に思えるが、普段が荒野の色に溶け込みそうな色合いのロングワンピースから、ライトブルーのエレガントなドレスに変わり顕になったのは、女という存在感であった。
 それはシェリーの内なる二重螺旋が成す、繁栄を第一にする生き物として求められた、また彼女の体に宿る『系図』と呼ばれる古代文字が望む正しい姿でもある。
 健全でありながら、纏う洗練された純潔の襞の奥に淫靡さを覗かせて、この場の誰よりも仮面舞踏会という絢爛に満たされた色彩に塗れ、華飾に艶めいていた。
 しかし慣れないドレスはアメリカンスリーブで――更に黒髪がトップからサイドに流す様に纏められた状態で、背中がぱっくり空いている。女性の美しさを強調する為の露出というギミックはシェリーの緊張を煽ってしまうようだ。
「く、クロフォード」
「なんだ?」
「あ、あのね。背中がスースーするの。凄く、スースーするの! それにこんな大人っぽいドレス、私には何だか勿体なくて……」
 軽いメイクまで施されふっくらとして艶めく唇で訴える内容は、何時もの彼女らしく「テンパッてますよ」と自ら宣言するようなものである。
 自身自分がどれほど変わったのか気づいていない気後れした様子のシェリーに、豊美ちゃんとハルカは彼女の背中を押した。
「シェリーさん、素敵ですよ」
「お姫様みたいなのです」
「“体験”したいのだろう? 背を正せ」
 破名が、そんなに不満なら帰してもいいんだぞと、我が儘で付いて来た少女に脅しをかけた。綺羅びやかな異世界でも安定した態度の保護者と、優しい豊美ちゃんやハルカの言葉にシェリーは、きゅっと閉じた唇に力を入れ、両手で握り締める仮面を見下ろした。
「大丈夫だシェリー、似合ってる」
 アレクの何の面白みも無い賞賛に、少しだけ自信を取り戻したシェリーが仮面をかけると、覚悟を決めた彼女の手を軽く自分の腕に回してハインリヒが囁いた。
「フロイラインと呼んだ事を謝らなくてはいけないね」
 男性の腕に密着するその行為だけで、本でしか知らなかった物語の世界の実現に、シェリーは心臓を跳ね上げさせる。そして次にハインリヒの言葉が何を意味するのか遅れて理解し、顔を真っ赤にさせた。
(いつもの『お嬢さん』じゃないの?
 私、ハインツさんに女性として見られているの?)
 再び緊張に固まりつつも、そろ、とハインリヒを見上げる。
「あの、ずっと一緒に、居てくれるの?」
 シェリーの縋る様な瞳から意味を読み取って、ハインリヒは彼女に望まれたままの答えを微笑んで口に出す。
「君がそう望むなら。『雲雀が鳴いて』も――」
 ハインリヒの思いがけない返答――憧れていた物語の台詞の引用に、シェリーは目を丸くして驚いた。
「本当? 絶対よ!」
 今だけは、自分はいつものお嬢さんではないのだ。
 憧れの人の横に立っても相応しいと自信を持つシェリーの笑顔は輝きに満ちている。
(良かったですね、シェリーさん)
 心に呟きつつ、しかし豊美ちゃんがアレクに振り向いた時には、表情から笑みは消えていた。これが普通のダンスパーティーならまだしも、自分達は“敵”の作り出した空間のまっただ中に居るのだ。
「何か分かった?」
「いえ……見られている、ような気はするのですが……」
 すみません、と豊美ちゃんが顔を伏せる。そこにアレクの手が重なった。
「俺の方も特に感じるところは無いな。……と言う訳でまあ、豊美ちゃんでも分からないのなら、気にしても仕方ない。“その時”まではいっそノっておこうか。
 豊美ちゃん、舞踏会の経験は?」
「あはは……正直、全くダメです」
 頭を撫でられる嬉しさと、運動系はからっきしな事実を告白する恥ずかしさがごちゃ混ぜになった豊美ちゃんへ、アレクは微笑んで言った。
「なら、俺に任せてもらえないか」
 目の前へ差し出された手を、豊美ちゃんが取った。
「はいー、よろしくお願いします、アレクさん」
 敬愛する女性をエスコートする――しかし見た目の関係上、歳の離れた妹を引率する、とどうしても見えてしまう――アレクが心の中でガッツポーズをしてみせたのは、豊美ちゃんには知る由もなく。
「皆さんも、周りのものも、綺麗ですねー」
 率直な感想を呟いたのであった。


 これから幕が上がる、一夜の祭り。
 多くの食べ物と飲み物を以って、仮面一枚で現実と別れを告げて、会場内に流れる楽曲に踊り、華やかさを祝う。
 さて、
 望むものは何か。
 求めるものは何か。
 重なる手の温もり。
 反した、仮面の冷たさ。
 目の前に居るのは人か、はたまた、人形か。
 陽光よりも儚く、月光よりも眩しい、光を浴びて、
 今宵は、仮面舞踏会
 双子が手向ける、永続なる夢のひととき。
 さぁ、全てを忘れて楽しまれよ。