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一会→十会 —終わりの無い輪舞曲—

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一会→十会 —終わりの無い輪舞曲—

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【仮面舞踏会・8】


 望んだものが現れる。
 食べ物も、飲み物も、部屋も。ならば、曲ならどうなのか。
 弦楽器の長い出だしに気づき、メシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)は目を細めた。
 見るからに怪しい招待状や使用人の出迎えのない会場、それ以前に最初から乗り気ではなかったメシエは、流れてきた曲を耳し、光と音楽の幻想に心踊らせている人生のパートナーを眺め、逡巡の後、この茶番に付き合うことにした。
 メシエは今会場内に流れている音楽を知っている。
 遙かなる昔、祝いの日に皆がこの曲の下、踊っていた。
「リリア」
「なぁに、メシエ」
「一曲、私といかがかな?」
 どうせならマスカレードを楽しみたく、会場の出入り口を潜ればまたドレスチェンジが出来るのか試してみたいと想像を膨らませていたリリア・オーランソート(りりあ・おーらんそーと)は、メシエの突然の誘いに、きょとんとした。
 エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)と二人、ただごとではないと睨んで警戒して終わりかと思っていたのだ。
「どうせなら、本当の舞踏会の片鱗でも見せてあげようと思ってね」
 メシエの思惑がわかり、リリアは少しだけ悪戯っけに微笑むと、差し出された手に自分の手を乗せた。
 古王国時代の意匠を纏い、フロアの中心に躍り出てきたペアに周囲の仮面達がスペースを明け渡す。
 長身のカップルだ。色白い肌に金の髪、男性の冷徹な性格が滲み出ているのだろうか、周囲へと振り撒く空気は冷ややかで近寄り難い、対して、女性の赤髪の情熱的な事。白百合が咲き誇る事で尚一層赤々と燃えるようだ。冷たさを感じさせ、また、熱を孕む。互いを食い合いなし崩しに混ざることなく、凛として在り、また、華麗だ。
 そして、生まれゆく秩序。
 ワルツに乗せるは、厳かなる優美。
 音楽にリンクするステップが二人を更なる高みへと導き、周りの木偶達の足を止めさせる。
 見つめ合ったままの視線を僅かに外し、フロアを占領しているのが自分達だけと気づいたリリアはメシエと再び視線を交えて、微笑んだ。
「シャンバラ王国王宮での舞踏会を見せ付けられたかしら?」
 前に一度、今手を重ねている男性から教えられたステップを完璧に会得し言外に「褒めて♪」と愛らしくねだるリリアに、メシエは満足気な頷きで以って答えた。

 マスクをしてても髪の色や質、体格や声で大体は誰が誰だか判ってしまうもので、久方ぶりに舞踏会へ参加することになるエース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)は、会場内で一際目立つ一団を見つけて、歩みを進めた。
「シェリー」
 言葉を交わしていた相手――ハインリヒに見惚れていたシェリーには、エースの呼び掛けは突然のものだったらしく、彼女は弾けるように彼に振り返った。
「エース?」
「こんにちはかな、こんばんはかな?」
「エースも来てたの!? ハインツさん、エースとお話しても良い?」
「構わないよ。ただし破名さんを困らせない様に余り――」
 腕を広げて言うハインリヒの保護者じみた言葉をシェリーは遮った。
「勿論目の届かない所には行かないわ」
 そう言って腕からするりと抜けると、シェリーは挨拶を返そうと慌てて自分の仮面を外そうとするのでエースは彼女の左手を取りやんわりとその行為を押し留めるようにやめさせる。
 そして掴んだ左手を手繰り寄せて、掌を広げ上向かせた。慈しみの所作で優しく扱われて、シェリーが、ほぅと熱っぽく溜息を吐く。
「どうぞ、素敵なお嬢さん。ドレスがとっても似合うね」
 言ってシェリーの開かれた掌にエースが乗せるのはピンクローズ。
「素敵ね」
 物語のお姫様はこんな気分なのだろうかと想像が膨らんで、一段とマスカレードの熱気に飲まれていくのをシェリーは感じた。
「じゃぁ、もっと素敵になってもらおうかな」
 一度渡した花をエースは断りを入れて返してもらうともう数本同じ花を加え器用に、即席のコサージュを作る。エースが器用なのは過去に贈り物を貰っているシェリーは知っていたが、ここまで卒なくこなすとは想像しておらず、出来上がったコサージュを髪に飾られて、頬を染めるほど照れてしまった。
「どうかしら、変かしら?」
「シェリー、俺がどうして君を変な風にするの? 大丈夫。君は可愛いよ」
 鏡で確認しないととおたおたするシェリーの手をエースは取った。
 引き寄せるようにシェリーの目を、エースは自分に向けさせ、淑女に一礼を送る。
「お嬢さん、一曲踊っていただけますか?」

 曲が終わった。同時に、ワルツもそこで終了する。
「シェリー?」
 エースに身を任せたままのシェリーは、名前を呼ばれてそこで初めて曲が終わった事に気づいた。ハインリヒとはまた違うリードの仕方に時間の経過を忘れてしまっていた。
「今日はずっと緊張してるの?」
「嫌よ、エース、からかわないで!」
 仮面に隠れててもシェリーが慌てているのがわかり微笑んだエースは、女性として扱うに相応しい彼女を、それでも保護者の元に送り、返した。美しいと思えたからこそ、顔も名前も知らない男に翻弄されるよりは一番安全な人物の元に届けるのがベストだろう。
「楽しかったわ、ありがとう」
「こちらこそどう致しまして」
 自分の手から破名の方にシェリーを見送り、エースはその場にハルカが来ていた事に気づいた。此処に集まる一団は目立つから会場に戻ってきた時に目印代わりになる。それを頼りに来たのだろう。
「ハルカちゃん」
「どちらさまなのです?」
 仮面をつけているからだろうか、ハルカはエースが解らないようで、くすりと微笑んでエースは軽く仮面を外して顔を見せる。
「今日はハルカちゃんいつにも増して可愛いから、そうだね、受け取って欲しいんだけどいいかな?」
 言って取り出したのはハルカの髪の色に映える色の薔薇だった。エースはそれを先ほどと同じように器用に纏め、二つの飾り花を即席で作る。
「ありがとうなのです!」
 髪を飾る花に、ハルカは嬉しそうに微笑む。その笑顔を見て、エースもひとつ頷いて満足した。似合っている、とても。
「曲が変わったね」
 ワルツよりも出だしが緩やかにな曲に、エースはハルカに向かって右手を、掌を上にして差し出した。
「お嬢さん、一曲どうでしょう?」
「ハルカは、あまりダンスを知らないのです」
「教えてあげるよ。それに、こういうのは、楽しめばいい」
 エースの言葉に頷いて、よろしくお願いします、と、ハルカはエースの掌の上に手を乗せた。
 一曲を楽しみ、ハルカとの別れ際「迷子にならない様に気をつけてね」と送り出したが、それでも彼女はまた上手に迷うんだろうなと、エースは思う。

「踊れるんだね」
 一曲目をメシエと、二曲目はお喋りの相手を兼ねてと指名したリリアを、彼女のパートナーの元に送り届け帰ってきた破名にエースは首を傾げる。
 彼が踊れた事ではなく、リリアの申し出に応えた事がなんだか不思議だった。
 シェリーの前でデキルトコを見せ付けてやりましょう、なんてリリアは挑発気味に戯けたが、それに乗るような性格でもないはず。
 聞かれて、破名は緩く首を左右に振った。
「リリアが上手くて助かった」
「え?」
「男の背が低いと女は踊り辛いものだからな。それにメシエの次だ。同じダンスはつまらないだろう」
 破名の身長は男性としてはやや低く、女性としてはやや高い中途半端さで、背の高いリリアと並ぶと一目瞭然だった。更に彼女がヒールを履いていれば尚の事その差は開く。
「良く受けたね」
「何故此処の楽団が知っているかはわからないが、曲を聴けば昨日の事の様に思い出す。
 物語、歌と来れば次に求められる娯楽は踊りだ。
 ……だから、むしろ、俺の我が儘だろう」
 音曲に、メシエ達のワルツ、思い出に懐かしんでいたところでのリリアの誘いに、彼女を退屈させるかもしれないとわかっていて、応えた。
 故に、色んな意味でリリアには助けられたと、破名は零す。
「なんならエース、俺と踊るか?」
「え?」
「俺はどちらもこなせる」
 娯楽を求められていた時代があった。男女共に応えられるように破名は覚えたものである。
「勿論、冗談だ」
「本当、センスが無いよ」
 悪魔的な笑みで言われてもエースは苦笑するばかりだ。
 たまに破名は唐突な発言をするなと思い、給仕から果実酒を受け取って口をつけたエースは首を傾げた。
「変だね」
「どうした?」
 聞かれて、エースは破名にも見えるようにグラスを向ける。
「このリモンチェッロ、実家の物と同じ味がする。このちょっと工夫してある所も同じ……」
 同じ工夫をされているからこそ、おかしい。
「わかった。連絡を取ろう」
 誰に、とはエースは聞かなかった。
 破名が名を伏せて指示を煽ぐ相手は現代では限られている。



 水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)が今日この仮面舞踏会を訪れたのは、マリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)にどうしてもと強請られたからだ。
 気付けば彼女に似合いの楚々としたドレスを纏っている状態で、隣を見ればマリエッタが花の妖精を思わせるような可憐なドレス姿になっていた。ドレスと揃いのマスクを楽しげにつけたり外したり、時には天井の光りにかざしたりしながら、マリエッタはこの突然の展開すら受け入れ楽しんでいるようだ。
「いいんでしょうか……」
 ゆかりの呟く声に、マリエッタは人差し指を否定にチッチッと横に振る。
「もちろん、答えはいいに決まってるわ。
 四の五の理屈こねるほうがよっぽどつまらないもの!」
 こうしてダンスをしたり料理をつまんだりと、まるで自分のホームグラウンドであるかのように楽しみ始めたマリエッタに、ゆかりが悩みつつも、なるようにしかならないと思い始めた時だった――。
 マスク越しにも判断出来る程輝くばかりに美しい青年に、ゆかりの視線が止まってしまう。
 おまけに今彼はフリーらしい。視線が追っている先を見ればパートナーが居る事は分かったが、あのワルツが終わるまでは暫くかかるだろう。
 つまり、今がチャンスだ。
 さながら蝶が花に惹かれるように――か、どうかは分からないが、気付けばゆかりはハインリヒにダンスを逆に申し込んでいた。
 ゆかりとてそれなりに経験を積んでいるという自負はあったが、ハインリヒは挨拶からエスコートから、ダンスに至る迄一切隙が存在しない。引き寄せる様に抱かれたまま右に左にと誘導されて、少しもしない間に二人はホール中の注目を浴びるカップルになっていた。
(これは結構な場数を踏んでいるのかしらね――)
 ついつい不躾なくらいに見つめてしまうと、ハインリヒがふっと微笑んで口を開いた。
「素敵なドレスですね。良くお似合いです」
 月並みな言葉だが、褒められて悪い気はしない。ゆかりが感謝で返すと、ハインリヒは彼女はしっかりとホールドしたまま会話を続けた。
「仮面で隠していても、とても洗練された女性だと分かりますよ。
 僕の方はこういう場は苦手で……、ステップを間違えない様にと祈るだけで精一杯ですよ」
 まともな女性ならばきゅんとしてしまうような告白に、ゆかりは今手を握っている相手が違う意味でも場数を踏んでいそうだと思ってしまう。
「けれど美しい薔薇を握っていたら、こんな僕でも羨まれるみたいですね」
 言葉の途中でぐっと姿勢を低くしてゆかりに覆い被さる様な体勢になると、ハインリヒは故意に彼女の目を外側へ誘導した。そこからはゆかりを見つめる男達の、無数の恋する視線が飛んでくる。
 褒めて、秘密を共有し、プライドを満たして――、さて次に彼が使ってくるのはどのカードか。ゆかりがそれを見極めようとした時、俄に彼の胸元がもぞもぞと蠢いた。
「え?」
 と、ゆかりが驚きの声を上げると、ハインリヒの服の間からぽんっと縫いぐるみのようなものが現れた。
「駄目じゃないかスヴェントヴィト。大人しくしてる約束だろ?」
「あの……」
「ああ、驚かせてしまってすみません。この子山羊、僕の大事なパートナーなんです。
 不思議な舞踏会ですからね……、万が一を考えて人に預けようと思ったんですが、寂しがって着いてきてしまって――。
 本当はここで隠れている約束だったんですけど。こいつ砂糖菓子が大好きで」
 急に話題が変わった事に、ゆかりが首を傾げる。と、ハインリヒの銀のように明るい双眸が――まるで太陽でも見る様に――目を眇めて、ゆかりの全てを求める様に見つめた。
あなたの甘い香りに誘われて、つい出てきてしまったみたいだ
 小動物、決め台詞。
 ハインリヒが持てるカードの全て――では実際無いのだが――を切り終えた瞬間、丁度曲が終わったらしい。次の瞬間には、ゆかりの手を取り甲に口付けて別れの挨拶をし、ハインリヒはけろりとその場から消えてしまった。
 果たしてあれは天然なのか、徹頭徹尾計算されたものなのか、ゆかりには彼の存在の全てが計りかねたのだが、代わりに全身の生気を吸い取られたようにどっと疲労が押し寄せてくる。
 くたくたになりながらパートナーの方に足を向け顔をあげると、マリエッタが何故かしょんぼりしている様に映ってゆかりはハテと思った。
(さっきまであんなに元気だったのに――)
 何かあったのかとゆかりは思い当たる全てを考えてみるが、彼女にその理由は永遠に分からないままだろう。
 ゆかりとハインリヒ――絵画から飛び出した様な、本当に絵になる二人を見ていて見蕩れていた頃は良かった。
 冷静になってみると自分はゆかりと違い、まるで子供の様な体形で…………。と気付いてしまった時、マリエッタの中に虚しい気持ちが訪れた事を。
 マリエッタの様子にはてなと首を傾げていたゆかりは、ふと自分の背中に飛んできていた視線に気付きそちらを振り返る。
 女性――否、ゆかりより幾つも年下だろう少女が羨望がありありと浮かんだ瞳でじっと見つめている。
(えぇっと……?)
 と、その少女の前に舞い戻ってきたのは、先程のゆかりのダンスのパートナーだ。
 少女は再び彼に手を取られた事に安堵し、蕾が綻ぶように艶やかに微笑んだ。
「おかえりなさい、ハインツさん」
 星を散りばめた瞳。耳に飛び込んできたその愛らしい言葉。乙女の憧憬の全てが、ゆかりにとっては最早微笑ましい産物だ。そう自覚した瞬間、ゆかりは酸いも甘いも噛み分けてきた年月を感じてしまい、溜め息をつくのだった。



(今何処にいるんですの?)
 テレパシーでハルカに訊ねると、今、廊下を歩いているのです。という返答が返る。
「廊下って、何処の廊下ですか?」
 エリシアと舞花は手分けして、迷子のハルカを探しながら、
(今、何処にいますか?)
 とテレパシーを送ると、ダンスがとってもすごい人がいるのです。という返答が返った。
 いつの間に会場に戻って来ていたのかと、二人も会場に戻りつつ、
(今、何処にいるのです?)
 とテレパシーを送ると、ダンスを習っているのです、と言う。
 二人はようやく、ハルカを見つけ出した。
 丁度曲が終わって、戻って来たハルカを見て、エリシアと舞花は安堵する。
「……とりあえず、何事もなかったようでよかったですわ」
「カボチャプリンを食べていなかったのです」
「わたくしもですわ。とても好きなお茶ですのに。ハルカ、リトライいたしますわよ」
 エリシアはハルカに手を差し出し、二人は手を繋いで、もう一度立食コーナーへと向かった。