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【ニルヴァーナへの道】ツミスクイ 脱ノ章

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【ニルヴァーナへの道】ツミスクイ 脱ノ章

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chapter.2 在り方 


 一部の生徒が「まだ深守閣に残る」と言いその場に留まったが、それ以外の生徒たちのほとんどは晴明と共に地上へ向け出発していた。
 四階に上がる階段に着くまでには細長い通路があり、彼らは今そこを歩いている。晴明の横には、桐生 円(きりゅう・まどか)とパートナーのエレクトラ・ウォルコット(えれくとら・うぉるこっと)がいた。来る時は魔鎧だったエレクトラも、今は人の姿になっている。
「ねーねー八景くん、服汚れてるね。拭いてあげるよ」
 円はそう言うと、ハンカチを取り出した。
「いいよ、自分でやるから」
 無闇に触られたくないのだろう、晴明は円の申し出を断った。
「ちぇー、せっかく綺麗にしてあげようと思ったのに。それで代わりにおぶってもらおうと思ったのに」
「なんで俺がおぶんなきゃいけないんだよ」
「歩くの疲れちゃったから、とーかこーかんってことで背負ってくれるかなって」
 あっけらかんとした円の物言いに、晴明は、はあ、と息を吐いた。が、円はそんな様子も気にせず次なるおねだりをする。
「じゃあ手繋いでひいてー」
「だからなんで俺がリードする役目なんだよ。しないからな」
 差し出された円の手から目を逸らし、晴明が答える。同時に、彼は思った。
 なぜこの少女は、やたらと自分に絡んでくるのだろう、と。そして同様に思い返す。そういえば、来た時もこの道で、話しかけられたなと。
 なんとはなしに、晴明は円の方をちらりと見た。その視線から何を感じ取ったのかは分からないが、円もまた往路を思い出したのだろうか、その口を開いた。
「八景くん、きれいなひとになりなさい、って言われたんだよね? それってご両親とかから言われたの?」
 それは、晴明の潔癖症を疑問に思った彼女の問いかけに対して、晴明が答えた言葉だった。
「え?」
 確かに、円に答えた時彼の心に浮かんでいたのは母だった。しかしそれを口にはしていない。晴明から漏れた短い声は、心中を当てられたことへの驚嘆の現れだろう。
「……誰だっていいだろ。ていうか、自然に八景って呼ぶなよ。俺晴明だし」
「えー、いい名前だと思うよ? ほら、八って幸運の数字だし、広がっていくって意味もあるし。景だって本来の意味は光だしー。みんなを明るく照らしてくれる、素敵な人になってほしいって意味なんじゃない?」
「名前の由来はどうだっていいだろ! とにかく……俺は晴明なんだよ」
 声を荒らげそうになって、晴明は咄嗟にトーンダウンした。
 名前へのこだわり、そして質問への返答を濁したこと。それらの事柄から円は、おそらく自分の考えが間違っていないと察する。そこで円は、彼の親についてさらに尋ねた。
「それはそうとさ、どんなご両親だったの? ご両親のこと好き?」
「……まあ、嫌いじゃないけどさ。なんでそんなこと聞きたがるんだ?」
「だって知りたいんだもん。教えてくれないなら背負ってー」
 円の言葉に晴明は眉をひそめたが、それは決して負の感情からではなかった。人から強い関心を向けられることを、往々にして人はどこかで望んでいる。晴明とて、例外ではなかった。
「今はもういないから、そんなに色々は憶えてない。ただ、真っ直ぐな人だったのは憶えてる」
 ぶっきらぼうに、晴明が答えた。彼の心と背景を読み取るには、あまりに少ない言葉だった。円はそこから、どうにか彼を知ろうとする。
「真っ直ぐな人だったんだ。てことは、そんなご両親が言った言葉だとしたら、きっと意味が違うんだと思うよー?」
「意味が違う?」
 聞き返す晴明に、円は自分の考えを話した。
「うん。単純に汚れるな、人に触るなってことじゃないと思う。だって、ご両親も素敵な恋人とか友達とかつくってほしかったんじゃないかな? 綺麗な生き方をしなさい、って意味だとボクは思うけど」
 そう言って、円は笑った。しかし晴明の表情は、円のそれとは逆だった。
「だとしても、俺にはその言葉しか……」
 晴明は、言葉尻を濁した。その様子から、彼がひょっとしたら親の存在に囚われているのではないか、と思ったエレクトラが会話に混じった。
「八景さん、あなた、もしかしてご両親のこと、自分の責任だと感じているのかしら」
 周囲の警戒は怠らないままそう言ったエレクトラに、晴明が聞き返す。
「なんで、そう思ったんだ?」
 おそらく彼のデリケートな部分だったのだろう。晴明の口調が、若干厳しくなった。
「お気に障ったのなら失礼しましたわ。ただ、普通のこだわり方ではない気がしましたの」
 晴明は、深いところに何かを抱えている。円やエレクトラはそう感じ、そしてそれを開放してあげたかった。
「もし、よろしければ。お話を聞かせてほしいんですが……楽になるかもしれませんわよ」
 丁寧に、エレクトラが話す。晴明の記憶は、彼女らとの会話によってある場面を想起させていた。それは古い記憶の奥にあった、母の死の際。
 無骨に刻まれた切り傷と、小さくなっていく呼吸の中でその女性は幼い晴明に言った。
 きれいなひとになりなさい。
「……人に話すようなことじゃない。ただ」
「ただ?」
「せっかく遺してくれた言葉くらいは、守らなくちゃいけないんだ」
 そう話した晴明からは、揺るぎない決心のようなものが感じられた。同時に円は、先ほど抱いた思いをより強めた。
「でも、ボクだったら、自分の言葉で子供が頑張るのは嬉しいけど、苦しむのは悲しいと思う」
「苦しんでなんかねーって。それよりほら、いつまでも喋ってないで早くハルパーを届けないと」
 強引に会話を打ち切り、晴明が本来の目的へと意識を向けさせる。それは強がりのようにも思えるし、単なる責任感の現れにも思える。ただいずれにせよ感じられるのは、晴明の信頼しようという意識である。
 ハルパーを「探す」ではなく「届ける」としたのは、既に他の四人の誰かがハルパーを手にしていてくれているという期待からだろう。それも、良い意味で。
 まだ少し話し足りないような円とあえて間を空けるように、歩幅を大きく取る晴明。その彼の後ろ姿に、円の近くにいた樹月 刀真(きづき・とうま)が声をかけた。
「その通りですね。俺たちは、ハルパーを手にしなければならない。ただ、それは俺たちの都合です」
「何だって?」
 晴明が歩みを止め、振り返る。刀真は晴明の顔を見据え、ゆっくりと話した。
「ハルパーは使い手のツミを、周りの勝手な行動から生まれたツミを、元々ハルパーに込められた思いを無視して押し付けられているように思えてならないんです。もしハルパー自身に思いや、望まれた在り方があるなら、俺たちがそれを成さなければいけないでしょう」
「ハルパー自身に望まれた在り方があるっていうのは、想像だろ?」
「これだけ人を動かすほど凄い武器が、何の思いも込められず生み出されたってことはないと思うんですよ。俺たちが頑張ったら、それも知ることができるかもしれないでしょ?」
 刀真の話を聞いた時、晴明は単純に「ハルパーに対する思いの違いか」くらいにしか思っていなかった。しかし刀真の真意は、他にあった。
「何もそれは、ハルパーだけの話じゃないと思いますよ、八景」
「え?」
「君にも、両親から『安倍晴明』ではなく『安倍八景』として望まれている在り方があるんじゃないですか?」
「……」
 そう、刀真もまた円のように、晴明の抱えているものを解放してやりたいと思っていたのだ。しかし晴明は、そう簡単に同調を示さなかった。
「そんなにお節介焼かなくて大丈夫だって。あと、何度も言うけど俺晴明だからな?」
 なぜこうも揃って八景の名を呼ぶのか、疑問を感じつつも晴明は答えた。直後、その疑問を解いたのは、刀真のパートナー、漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)だった。
「刀真は、名前や呼び方にこだわるところがあるの。地位とか役割とか関係なく、あなた自身を見ていると伝えるために」
「俺自身……?」
 聞き返す晴明に、月夜は続ける。
「そう、だから刀真はあなたを安倍晴明とは呼ばない。あなた自身の名前があるのにそれを呼ばないのは、それ以外の何かを含めてあなたを見ている気がするから」
 それ以外の何か。その言葉から、月夜や刀真は生い立ちや身分など関係なく「八景」と呼びたいのだと察することができる。
「安倍八景という名前があなたそのものを指していると思うから、私たちはそう呼ぶよ。一緒に命懸けで戦っている仲間自身を見ないのは駄目だと思うから」
「仲間……」
 晴明が反芻する。彼にとってその言葉は、久しく聞いていないものだった。晴明は得体のしれないむず痒さに、思わず眉をひそめた。その表情をマイナスに捉えたのか、月夜は慌てて声をあげた。
「あっ、でも八景は嫌だよね!? 私たちみたいに血で汚れている人間から『仲間』だって思われるのは……」
「嫌っていうか何ていうか……」
「嫌なら言ってね……って、きゃっ!?」
「ふふ、月夜は相変わらずだな」
「た、玉ちゃん?」
 月夜が急に声を上擦らせた原因は、背後から突然もうひとりのパートナー、玉藻 前(たまもの・まえ)が抱きついてきたからだった。玉藻は月夜を抱きしめたまま、月夜がしていた話の続きを晴明に語りだした。
「我らは我らの邪魔をする者、仇をなす者を殺してきた……互いが刃を持って相対するなら相応の覚悟を決めている。その覚悟をもって挑む者を殺したと気に病むのは、覚悟を貶めることになるだろう。だがそれでも、きれいと感じる者たちに出会い、その者を見て思うこともある」
「何の話だよ」
 晴明が意図が掴めないという様子で真意を聞き出そうとすると、玉藻は「まあ待て」といった仕草をしてからまた話を始めた。
「今まで殺し続けた自分がひどく汚れていると思ったり、その者と関わることで相手を汚してしまうのではと思ったりするのだ。先ほどの月夜の言葉は、それ故のことだ」
 そう言ってから玉藻は、話を晴明のことへと転換させた。
「覚悟を決めても、命を奪うという自分たちの行為が己を汚すことに変わりはない。お前の母親が言った、『きれいなひと』というのは、物理的なことではなく在り方のことだろう。今のお前を望んだのは両親か? それとも違う誰かか?」
 玉藻の問いに、晴明は少しの沈黙の後答えた。
「母さんだって、俺にこうなってほしかったはずなんだ。それに、こんな俺だからこそ、あいつらだって一緒にいてくれたんだ」
 彼の言うあいつらとは、もちろん宗吾たち四人のことだろう。その言葉から彼の拠り所が伺える。
 今彼の心中は、その中のひとり、千住に疑いの気持ちを持ってしまったこと以上に、それでも信じようと決めたことの方が大きく占めていた。それを察してか、刀真が言う。
「信じているんですね、彼らを」
「ああ、当たり前だろ」
 真っ直ぐ刀真を見て晴明が答えると、刀真もそれに言葉を返した。
「信じたいと思ったなら、そうやってそのまま進めばいいんです。大切なのは、自分が信じるその思いにどれだけ己を預けられるか、でしょう。それがもし周りから違うと否定されても……己が選んで動いた結果ならまた先へ進めるんですから」
 三人の話に、晴明が「そんなの分かってるよ」とぶっきらぼうな返事をする。すると彼らは笑った。
 いくつも言葉を交わした刀真や円らは、もうその態度が嫌悪から来ているものではないことを知っていた。だからこそ、彼らは揃って口元を緩ませたのだ。

 しかし、晴明に対し、興味や好意以外の感情を向けている者もいた。
「……やっぱり、怪しいな」
 誰にも聞こえないよう、小さな声で武神 牙竜(たけがみ・がりゅう)は呟いていた。パートナーの龍ヶ崎 灯(りゅうがさき・あかり)を魔鎧としてまとい、その灯のスキルである隠形の術によって姿を隠している。牙竜は、晴明が救出されて以降、この状態のまま、晴明を監視していた。その理由は、晴明の性格にあった。
「潔癖症っていっても、あそこまで激しいのはすごいですね……あれじゃあ、晴明さんの代で安倍家は跡継ぎが生まれなくて断絶してしまう可能性が」
「どういう思考でそこに辿り着いたんだ……」
「え、だって子作りは女性に触れないといけないんですよ? あんなことやこんなことをしたり……潔癖症の彼にとっては苦痛では? 最悪せっかく相手が出来ても離婚なんてことも……彼の人生に幸があらんことを」
 南無南無、と冗談混じりに言う灯に、牙竜は溜め息を吐いた。とはいえ、牙竜が気がかりだったのも、まさにその性格である。
「潔癖症が身体的な面だけならいいが、精神面までそれに犯されていたら、危険じゃないとは言い切れないな」
 もう一度呟く牙竜。彼は、晴明の潔癖症を危険視していた。その根底にあるのは、シャンバラの現状を憂う気持ちである。
 牙竜は思っていた。
 今のシャンバラは、政府機能が良好ではないだろうと。方々で血や涙が流れており、シャンバラが綺麗な国とは断言できないと。
 自分ですらそうなのだから、潔癖症の晴明がこの国を「汚れている」と判断してもおかしくはない。そう考えていたのだ。
「それに、どうもさっきから会話を聞いていると、潔癖症になった理由が腑に落ちないな」
 聞く限り、彼は「きれいなひとになりなさい」と言われたからその通りに生きたのだと言う。しかし、親にそう言われただけで、果たしてそこまで潔癖になるだろうか? 彼は、その理由にかこつけて、ただこの汚れたシャンバラを洗いたいのではないだろうか?
 様々な推測が、彼の中で交錯する。それはやがて、ある仮定を生んだ。
「もしかしたら、晴明といたあの四人は……」
 晴明の監視役として、意図的に配されたものでは?
 言葉には出さなかったが、牙竜は晴明を怪しく思う気持ちからそう予想した。となれば、いずれタイミングを見て彼の前に現れるだろう。
 そう思った牙竜は、今しばらく監視を続けることにした。多くの生徒たちの中に気配を紛れさせた彼のその行動を、晴明は知る由もない。



 一方で、深守閣に残った「一部の生徒」は何をしていたのだろうか。
 依然沙幸や隼人らが救護活動を続けている中、緋柱 透乃(ひばしら・とうの)は無造作に積まれた瓦礫を片っ端から隅の方へとどかす作業をしていた。片手でぽいぽいと瓦礫を放り投げるその様は、外見からは想像も出来ないほどの怪力っぷりであった。
「透乃ちゃん、さすがですね」
 パートナーの緋柱 陽子(ひばしら・ようこ)が、感心しきった声をあげた。透乃は崩落前にここで戦った異形の余熱に浸っているのだろうか、どこか嬉しそうに力を奮っている。
「せっかく地下にもうひとつ使える城を見つけたからには、ぜひ何かに使いたいからね!」
 その言葉が示す通り、どうやら透乃はこの城を有効活用しようと考えているようだった。確かにこれだけの広さと深さを持つ城ならば、今後様々な目的のため使えるかもしれない。
 透乃はその準備として、瓦礫の撤去作業を行っていた。
 彼女によって次々と瓦礫が片付けられていくと、次第に深守閣の床面が露になりだし、それは結果として救助隊の活動を捗らせた。
 もっとも、この時点で既に生き埋めになっている生徒は全員救出されたようで、人の姿は見当たらなかった。ということはやはり、宗吾やお華、神海らは上階にいるのだろう。
 そして透乃が瓦礫をどかしたことによる産物がもうひとつ。それは、この地下五階にハルパーが見当たらなかったという事実であった。即ち、誰かが持ち去った確率が極めて高いということになる。
 その傍らでは、陽子が撤去された瓦礫に手を当て、何かに集中していた。彼女は、崩落箇所の記憶をサイコメトリで知ろうとしているようだった。その陽子が、短く声をあげる。
「これは……」
「陽子ちゃん、なにか分かったの?」
 その様子を見て尋ねた透乃に、陽子は一呼吸置いてから答えた。
「なにか、鉄線のようなもので刻まれた記憶と、爆発の記憶が残っていました」
「鉄線と爆発かあ……」
 透乃はただそう呟いて、ぽっかり穴の開いた天井を見上げた。それが何を指し示しているのか、ハルパーはどこで、誰が持っているのか。透乃は、それらのことにさして興味はない。ただ何とはなしに彼女は、少し先の未来を思い描いた。
 きっと、ハルパーを巡って激しい戦いが繰り広げられるのだろう。
 そう思うと透乃は、少し笑みをこぼしながら口にした。
「それにしても妙だよね。戦うことが好きで争いのない世界なんてこなくていいと思ってる私よりも、無駄に戦いたくなかったり、平和を望んでいるだろう人たちの方が、武器を奪いあって戦おうとしてるっていうのがね」
 ともすれば、ある種の皮肉のようにも取れる発言はしかし、そう外れてもいない予言にもなるだろう。
「ま、そういう人たちがいるから争いがなくならないわけで、私としてはありがたく受け取らないといけないね」
 透乃はそう言った後、再び深守閣の整理に戻った。