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【ニルヴァーナへの道】ツミスクイ 脱ノ章

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【ニルヴァーナへの道】ツミスクイ 脱ノ章

リアクション


chapter.8 螺旋 


 お華たちが晴明らの集団と合流しようという道中、閃崎 静麻(せんざき・しずま)はお華に話しかけていた。
「今晴明たちは、本当に大変なことになってる」
 別々の場所にいた晴明とお華は互いの状況を知らないだろうと思った静麻は、お華にその説明をしているようだ。
「大変なことって?」
「……崩落を起こしたヤツについて、新しく情報が入ったりしてな」
 お華の問いに、あえて静麻は言葉を濁して答えた。ローザマリアがしたことに近いものだろう。
「え? 本当?」
 お華はその言葉に食いついた。ただ、一瞬声を発するまで間が空いた気がして、静麻は引っ掛かりを覚えた。
 彼は、説明をしつつも探っていた。お華がもし本来知らないはずのことを知っていたり、不自然な点が見つかれば、それだけで充分に疑惑を増す材料となる。そう、静麻はこれまでの生徒より、お華を信じてはいなかった。
「ああ、ただまだ不確定だから詳しくは話せないがな」
 千住の言葉を出してはやり過ぎかと判断し、静麻はそれだけで言葉を留める。大きく踏み込んで追求していくことも不可能ではないだろうが、嘘で濁される可能性もある。故に、静麻はここで会話を打ち切った。代わりにお華の前に出てきたのは、パートナーの服部 保長(はっとり・やすなが)だった。
「お華殿、先程は脱ぐ脱がないと興味深い話でござったな」
「聞いてたの!? いや、脱がないけどね!」
「まあまあ、そう言わずに遊ぶも一興でござるよ」
 両手を広げ、いやらしい手つきをしてお華ににじり寄る保長。表向きはそのようにふざけて振舞っている保長だったが、彼女もまた静麻同様、お華に注意を向けていた。それを証明するように、保長が着ている衣服にはあるものが仕込まれていた。保長はその仕込みが勘づかれていないことを察すると、お華の前にすっと歩み出た。
「冗談でござる。さすがの拙者も、この状況でこんなことはしないでござるよ」
 言って、お華に背中を向けたままスタスタと歩き出す。
「……」
 その背をお華がじっと見ていると、ミミ・マリー(みみ・まりー)が声をかけてきた。
「僕、壮太とはぐれちゃって心細かったんだ。お華さんと会えて良かった」
 横に並び、お華にそう告げたミミ。その視線に映るお華はにこりと笑っていたが、「壮太は大丈夫なの?」という言葉がなかったのが少し淋しかった。しかしミミは深く触れないことにし、似たような歩幅で先へ進む。

 ミミには、お華に聞きたいことがあった。そのため、お華の近くにいる必要があった。そしてもうひとつ、ミミの契約者瀬島 壮太(せじま・そうた)のことを深く触れなかったのは、本当にはぐれたわけではなかったからだ。
 ミミとお華が並んで歩くそのやや後方、お華からは視認できないその場所に、壮太は隠れ身で姿を隠しながら立っていた。一体なぜ彼は、このような行動に出たのか。
 そもそもミミをお華に絡ませたことは、壮太の提案によるものだった。
 パートナーであるミミに質問させることで、お華の反応を確認しようとしたのだ。そのためには、自分は姿を隠していた方が都合が良い。つまり壮太は、お華に疑念を持っていた。そして同時に、異なる感情も。
「そういえばお華さんってさ」
 壮太との打ち合わせ通り、ミミが彼女に質問を切り出す。
「ん?」
「お華以外で呼ばれたことない、って言ってたけど、それって陰陽科がある明倫館に来る前からそう呼ばれてたってことでいいんだよね?」
「うん、そうだけど。どうしたの?」
「なんていうか、地球にいた頃もそう呼ばれてたのかなって思って。お父さんとかお母さんとか。だとしたら、地球にいた時からくノ一の修行をしてたの?」
「えー、それ答えてもいいけど、面白くないよ? 知りたい?」
「あ、どうしてもじゃないんだけど、僕、地球の学校のことってあまり知らないから、どうなのかなって思ったんだ」
 ミミがお華にそう返事をすると、お華は少し間を置いた後答えた。
「んーと、あたしお父さんとかお母さんとか分かんないんだよね。あたしが物心ついた頃にはもういなかったから。くノ一の修行はしてたけど」
「そうなんだ……ごめんね、なんだか変なこと聞いちゃって」
 あっけらかんと話すお華に、ミミは謝った。しかしお華は特に気にもしていないようだった。
「……」
 そんな彼女の様子を見て、ミミは僅かに親指をすっと立てた。あまりに小さなその仕草はお華にも気づかれることなく、やり過ごされた。しかし壮太は、しっかりとそれに気づいていた。ふたりの間で決めておいた、サインだったからだ。
 お華とのやり取りの中で、彼女が動揺したりするようなら人差し指を。そうでないなら親指を。それが、ふたりが打ち合わせで決めたことだった。お華が動揺し、敵だと判断したなら急襲もやむを得ないとさえ考えていた壮太だったが、ミミの親指を見て彼は大人しく姿を現すことを選んだ。
 ところが、す、と壮太が隠れ身を解こようとした時である。
「そういえば、この辺だったねー。忍と戦ったの」
 お華が話題を切り出したことで、壮太は機を失った。ミミや静麻、保長らなど近くにいた者が相槌を打つと、お華は四方に目を向けた。
「一応警戒した方いいかも。復活したヤツとかいるかもしれないしね」
 その言葉に一同は「確かに」と頷く。晴明ら本隊と別れている彼らは十数名という少人数で、敵が襲うとすれば絶好の機会だ。
「あたしが後ろの方警戒しとくから、横からの襲撃に備えてて」
 お華が各自に指示を出す。一同がそれに従い、それぞれが警戒を強める。集団の最後尾にいるお華から見えるのは、背中を向けている保長だった。
 瞬間、お華は音もなく笑った。そこに表れていたのは今までの朗らかな笑みではなく、それと対極のものだった。
 お華は懐からクナイを取り出した。滲み出そうな殺意をそのクナイに封じ込め、彼女はそれを前方に投げる。刃の先は、保長に向かっていた。
 ざくり、と刃が保長の心の臓を突き、鮮血が溢れ出る……その光景を予想していたお華だったが、現実は違っていた。
「……」
 金属音を響かせたクナイは弾かれ、保長の足元に落ちた。無言で保長が振り向くと、その音に反応した他の生徒も振り向いた。視線を集めたお華は一瞬言葉を失ったが、すぐに声を発した。
「だ、大丈夫!?」
「大丈夫でござるよ。これのお陰でござる」
 言って、保長が衣服の中から取り出したのは薄い鉄板であった。万が一を警戒し、あらかじめ仕込んでいたものだ。からん、とへこみの生まれた鉄板を床に落とし、保長はお華をじっと見据える。その視線が、語っていた。
 ――やはり、敵であったか、と。
 ミミや静麻もお華に疑いの目を向ける中、カレンやクド、ローザマリアらはそれでもお華の仕業とは思いたくない様子だった。
 床に今落ちているクナイは確かに、お華が戦闘中使っていたものとは違う。加えて、戦った寺院の忍も、全員を殺したわけではない。闇に紛れて再度不意打ちをかけてきたとしても、違和感はない。
 が、実際に攻撃を仕掛けたのは、紛れもなくお華である。彼女はクナイを投げた時、何を思っていたのか。
 一言で言うならば、危機感であった。
 お華は、紛れもなく敵意を持っていた。それは何もここにいる生徒だけではなく、探索隊すべてにである。
 今この場にいる生徒は十数名。それが本隊と合流すれば、何倍という数になる。お華が自力で戦力を減らそうとした場合、合流前のこの時期しかなかったのだ。
 生徒たちとのやり取りの中で、お華は自分にも疑いの目が向けられていることに気付いた。となれば、より多くの生徒が加わった時、疑念も増すだろう。そうなってからでは手遅れなのだと、お華は感じていたのだ。
 幸いにも三階で忍との戦闘があったため、それにかこつければ誤魔化せるのではという楽観的見方もあった。
 さらに言えば、万が一。攻撃がバレても、彼女には勝算があった。
「お華殿、このクナイはお華殿が……」
 もう分かりかけている答えを、保長が確かめようとする。お華は大きく首を横に振るが、すぐに嘘は見抜かれた。
「いや、それを投げたのはこいつだ。間違いねえ」
 そう言って現れたのは、壮太だった。彼だけは唯一、隠れ身でお華から見えない位置で観察をしていたため、一連の行動を目撃していたのだ。
「オレはずっと死角から見てた。だから見てたよ。おまえがクナイを投げるとこもな」
 このやり取りに関して言えば、壮太に軍配が上がった勝負だろう。彼は初めから、お華に疑いの目を向けていたのだから。
 そもそも寺院の忍との戦闘中にも、腑に落ちない点はあった。
 彼女が縄で吊るされた時、無防備な姿にも関わらず相手は攻撃していなかった。さらに、生徒たちがとどめを刺そうとした忍を、彼女は気絶させて倒していた。結果としてその忍は命を失っていない。
 それらを根拠に疑いを持っていた壮太の目は、誤魔化すことが容易ではないとお華に感じさせるのに充分なものだった。
 普段よりも真剣な、いや、正確に言えば真剣味があるというより険しさのようなものを漂わせ、壮太が話す。
「オレは、お前のことを寺院の手先なんじゃねえかって思ってた」
 壮太の拳は、固く握られていた。彼も、疑いたくて疑っていたわけではないのだ。
「そなた……突然そのような発言、無礼ではないか」
 話を聞いていたグロリアーナが、割って入った。しかし壮太は、話を止めることはしない。
「オレはおまえと会ったばかりだから、正直敵だの味方だの言われてもピンとこねえ。だから、オレの予想が外れて疑いをかけられたおまえとの関係にヒビが入っても、何とも思わねえ」
 グロリアーナが、我慢出来ないといった様子で壮太の肩を掴もうとする。その隣で、ローザマリアは俯き、黙っていた。
 壮太とローザマリア、ふたりのお華に対する思いは、そうかけ離れたものでもなかった。それは壮太の表情や、握った拳に現れている。
 疑いを持ちつつも、どこかで信じたかった壮太。
 信じようとしても、どこかで疑いの気持ちを持ってしまっていたローザマリア。
 ふたりの僅かな違いに、正誤も優越もない。
「でも、晴明は違うだろ」
 一層強い語調で、壮太が言う。
「あいつはおまえのダチだ。ダチを裏切るようなことは、あっちゃいけねえ。なあ、ホントは寺院の手先なんかじゃねえよな……?」
 言葉尻は、段々と弱くなっていた。壮太の顔は、悲哀が混じっている。問いかける壮太自身が、その問いの無意味さを薄々感じていた。しかしどうしても、真実を聞き出したかった。
「総奉行に頼まれて、ダブルスパイみたいなのをやってるだけなんだろ? そうだって言えよ……!」
 がしっと壮太がお華の両肩を掴んだ。思わず目を丸くしたお華だったが、少しの沈黙の後、彼女は冷たく壮太の手を払いのけた。
「うざい。勝手に色々想像して、何熱くなってんの?」
 とても同一人物とは思えぬほど冷徹な目で壮太を睨んだお華は、周囲の生徒を見回した。
「あんたらも。あれこれ絡んできて、ほんと気持ち悪かった。ほら、本性出してあげたよ? これで満足?」
 馬鹿にするようなその言い方に、生徒たちが憤りを見せようとした時だった。
「あたしのことがバレるにしろバレないにしろ、詰んでんのよ、あんたたち」
 お華が言うと同時に、周囲に殺気が立ち込めた。目を凝らすと、薄暗がりをまとった影が自分たちを囲んでいるのが見えた。
「これは……もしかして……」
「そう、来る途中あんたたちと戦った忍。でもあんたたちも残酷だよね。まさかこんなに数減らされるとは思わなかったよ。まあそれでも、今のあんたたちを倒すには充分か」
 言って、お華がクナイを投げた。それが引き金となり、忍たちは再び彼らに刃を向けた。
 彼女が抱いていた勝算とはつまり、これのことであった。
 本隊との合流前に自分がバレないように数減らしを行えれば良し、仮にバレても忍に囲ませれば良しという二段構えの策である。思えば最初に自らの影をのぞかせたのも、隊を分け、少数側を取り囲むためだったのかもしれない。
 そして寺院の忍たちがお華と共に――いや、お華の指示を受けているようにして攻撃せんとしているこの状況は、もうひとつの可能性を示唆していた。
 お華はただの敵ではなく、寺院の者なのでは、ということだ。無論今彼らに、それを確かめる余裕はない。
「凍てつく炎よ、どうか加護を……!」
 菊が広範囲に攻撃を放ったことで初撃は免れる。しかしざっと見ただけでも十数名はいるであろう忍との戦いは、決して楽なものではないと各々が肌で感じていた。その様子を見てお華は、くつくつと笑っている。
「信頼ってのは言葉じゃなくて、行動で得るもんだと思ってたんだがな……」
 お華を信用していたアキュート・クリッパー(あきゅーと・くりっぱー)が、ぽつりと呟いた。何があっても彼女だけは信じると決めていたアキュートは、どう動くべきか、躊躇っていた。
「オレはお華のねーちゃんを……」
 攻撃するのか、それとも。
 お華が敵だと判断するには充分な材料が揃っているにも関わらず、アキュートを含めた数人はお華と戦えないでいた。
 もしかしたら。そんな希望が彼らの手を止めていたのだ。しかしそうしている間にも忍たちは容赦なく斬りかかってくる。
「ウーマ、怪我人をお願いします。アキュートは怪我人回復の援護を!」
 そんな中でアキュートのパートナークリビア・ソウル(くりびあ・そうる)は、防衛のため青い光を放つ片鎌、リヒトズィッヘルを構えた。
「大丈夫だ、すぐにでも救援できる」
 名を呼ばれたウーマ・ンボー(うーま・んぼー)も、闇と同化したまま声だけを返す。どうやら光学モザイクを使用しているようだ。
 彼らの奮闘を見て、アキュートは迷っている心を決める。
 もしかしたら、お華が操られていたり、誰かの命令を受けているだけかもしれない。
 それを確かめるために、アキュートは周りの忍と戦うことを決めた。
「お手合わせ、願いましょうか」
 それに呼応するように、クリビアも近くの忍と切っ先をぶつけ合う。数度目の攻防でクリビアは距離を置き、光術を放った。
「っ!」
 不意の目眩ましを食らった忍に出来た一瞬の隙。それを彼女は見逃さない。
「これで終わりですね」
 バーストダッシュで相手の懐に潜り込み、直後、クリビアの鎌が忍の胴体を斬り裂いた。赤い裂け目から血が噴き上がる。
 クリビアが忍を倒したのを皮切りに、他の生徒たちも力を発揮し、忍たちを追い詰めていた。
「うわ、しぶといなあ……」
 戦況を見つめていたお華が、自らも戦いに加わろうと進めようとする。元より、忍だけで倒せるとは思っていなかったのだろう。彼らが注意を逸らしている隙に自分が仕留める算段だ。
 しかし、それは思わぬ方向から阻まれた。
「罪深い人ですね」
「!?」
 突如聞こえた声。お華が声の方を向くと、魔鎧である蝕装帯 バイアセート(しょくそうたい・ばいあせーと)を身につけた秋葉 つかさ(あきば・つかさ)が自分に迫ってくるのが見えた。
「なに、あんた!?」
 お華の問いにつかさは答えない。ただ黙って、その手に真空を生んだ。
 彼女――つかさは、機会を窺っていた。
 ブライドオブハルパーを手に入れる、その機会を。深守閣への道中、ずっと生徒たちの様子を見ていたつかさは、最初から晴明以外の四人を疑っていた。特にその中でも、お華に関しては強い疑念を持っていた。むしろ、彼女が頭目……すべてを裏で仕切っているのでは、とすら。
 崩落後、バイアセートの持つスキルによって空中へと脱し、ディテクトエビルで害の少ないルートを辿って彼女はここまで来ていたのだ。
「大方、孤独を恐れた晴明様に取り行ったのでしょう……まぁ、私には関係ないことですけれどね。晴明様が友達をなくそうが何をしようが」
 つかさは生み出した真空をお華に向けて放つ。鋭利な空気の刃は、躊躇わずお華の首に向かっていった。すんでのところでそれを回避したお華だが、つかさの攻撃は止まない。
「どうせ最後は全員利用するだけ利用して、捨てるのでしょう?」
「ちょっとあんた、何さっきから訳の分かんないこと……」
 お華に話す隙も与えず、つかさは立て続けに真空波を打ち込む。何発目かの刃が、お華の肩口をかすめていった。じわり、とそこから血が滲み出す。
「くっ……」
 不意打ちを仕掛けた自分が不意打ちを食らうとは思っていなかったのだろう。お華は片膝をついた。それを見下ろして、つかさは言う。
「知っています? 裏切りは罪なんですよ? あなたの罪、私が救って差し上げましょう……」
 彼女の喉元目がけ、つかさが最後の真空を放とうとする。と、そこにアキュートが割って入った。
「ちょっと待ちな。俺はまだ、このねーちゃんを信じてるんだ」
 何も持たず、無防備な姿でつかさの前に立ちはだかったアキュート。つかさは「邪魔」と告げるのも面倒とばかりに、空気の刃で斬りかかった。同時に、アキュートが叫ぶ。
「テツオ!」
 そう彼が告げると、つかさの刃は空気中で何かにぶつかり、遮断されてしまった。驚くつかさだったが、タネは簡単であった。アキュートは自らのフラワシを呼び出すことで、攻撃を防いだ。それだけのことだ。
「……知り合いですか?」
 駆けつけたクリビアがアキュートに不思議そうな顔で尋ねると、アキュートは口元を緩ませて言った。
「いや、こいつの名前じゃねえよ? しょっちゅう使うフワラシなんでな、名前をつけてみただけさ。鉄のオオカミ、略してテツオ、ってな」
「あなたのネーミングセンスは、良くも悪くもそのまんまですよね……」
 そう話すアキュートとクリビアだったが、目の前で悠長に会話をされたことに血が上ったのか、つかさは再度腕をかざした。
「ハルパーを奪うのですから、余計なことをしないでいただけますか?」
「ハルパーを……?」
 アキュートが思わず反芻した。そう、つかさの狙いはあくまでブライドオブハルパーの奪取であり、お華を殺すことや各人の思惑などは二の次、三の次なのである。
 シャンバラに渡らなければ何だっていい。極端にいえば彼女の思想は、そのようなものだった。
 
 しかしつかさには、ひとつ誤算があった。
 お華が敵側の人間、それは正確な予測だ。だが、肝心のハルパーを、お華は持っていなかった。それはカレンとのやり取りの中で証明されている。
「ていうか、あたしハルパー持ってないし。何してくれてんの?」
 お華もつかさが最優先としている目的を察し、そう告げた。瞬間、つかさの手が止まる。
「持って……いない? ふ、ふふ……そうですか、早計だったというわけですね」
 こうなっては逆に窮地なのが、つかさである。
 目論見が外れ、残るのはお華にも、生徒にも牙を向けたという事実。それはどこにも彼女が属せないことを現していた。このままでは危うい。そう彼女が思った時、つかさの前に進み出た者がいた。
「人に殺意を持って挑んだからには、覚悟してもらうからな?」
 それは、如月 正悟(きさらぎ・しょうご)の言葉だった。彼は、ロイヤルガードとして見過ごせない、と言う。
「おかしなことを言いますね。私は、ハルパーを手にしていないんですよ? 国の為を思えば、ハルパーの確保が最優先では?」
「……言い訳は聞きたくない」
 そんな会話の後、正悟は飛び出した。その腕には、既にチャージブレイクで力が溜められている。
「はっ!」
 真上から振り下ろした拳。それがつかさに命中することはなかったが、代わりに床板が破壊され、粉塵が舞った。ただでさえ視認性の低い暗闇の中で、その粉塵はふたりの姿を隠した。
 周囲の生徒の視界が戻った時、そこにつかさの姿はなかった。いたのは、ただ立ったままの正悟だけである。
「これは……?」
「すまない、逃がしてしまったようだ」
 自分の攻撃を逆に目眩ましとして利用され、上手く逃げられたと正悟は説明する。
 再び襲ってくるかもしれないことを考えるとこの場で捕まえておきたかったが、深追いするのも躊躇われた。それよりも先にすべきことがあるからだ。そう判断した一行は、この場でつかさを追跡することを断念した。
 そしてそう決まった時、正悟は人知れず、溜め息を吐いていた。
 失敗による落胆の息ではなく、それは安堵の溜め息だった。

 深守閣で崩落が起きた直後。
 宙へと逃げ延びたつかさは、先ほど自分と刃を交えたばかりの正悟と会っていた。その時は暗闇の中だったため互いの存在を確認するのが遅れたが、姿を認め合った時からは、腐れ縁という関係がものを言った。
「シャンバラにハルパーが渡るのは避けたいのです」
 そう正悟に告げたつかさは、あっさりと彼の同意を得ることとなる。
「……俺は正直、最初はきちんと回収して、ニルヴァーナへ行くためシャンバラに渡すべきだと思ってた。だが、ハルパーの危うさを知ったこの状況では、それが物凄く拙い行為に見えてしまうんだ」
 ハルパーが罪を生む武器であるということを知った正悟の頭には、この地下城だけでは収まらない、騒乱の絵が浮かんでいたのだろう。
「それなら、やることはひとつですね」
 つかさが微笑んだ。つまり彼らの間に、「ハルパーを探索隊にも、寺院側にも渡らないようにする」という一緒の目的が生まれたのだ。言わば第三の勢力である。

 そのやりとりを経て、ふたりは先程を攻防を繰り広げた。
 否、攻防ではなく正確には芝居である。
 本来ならばつかさがお華からハルパーを奪取し、機を測って正悟が出ていき、一悶着起こしたと見せかけ正悟にハルパーを預けていく段取りであった。そうすればつかさは逃走でき、正悟は非物質化のスキルを使いハルパーを持っていないことを装ったまま、地上へ出る。これで作戦の成功となる。
 が、予想に反しお華がハルパーを持っていなかったため、作戦は頓挫した。そこで正悟は最悪の事態を避けるため、つかさを逃がす芝居だけは続行したというわけだ。
 結果正悟はつかさを逃がすことに成功するが、ここで問題が発生した。逃げたのは、つかさだけではなかったのだ。
「あれ……?」
 忍を倒し終えた生徒たちが、異変に気付く。さっきまであったはずのお華の姿が、なくなっていた。
 ――もしや、このどさくさに紛れてつかさのように逃げたのだろうか?
 その疑問に答えられる者はいなかった。
 不安と疑問が残る中、ウーマが生徒たちが忍たちとの戦いで消耗した体力を回復する。
「我が吐息 その香り増し 我が衣 弾き輝き 傷を癒さん」
 呪文めいたものを唱えたウーマの鱗が辺りに散ると、周囲の者たちに光が付着し、傷や疲れを癒した。しかし頭が追いつけないほどの速度で展開していく現状に心は疲弊し、独特なウーマの外見に茶々を入れる余裕すら、今の彼らにはなかった。