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死いずる村(前編)

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死いずる村(前編)
死いずる村(前編) 死いずる村(前編)

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■3――二日目――02:00


 閻羅穴から、アクリト・シーカー(あくりと・しーかー)達は、民宿へと戻ってきた。
 その教授を手招いたのは、宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)である。
 彼は暫し逡巡した後、彼女の部屋へと向かった。
 扉が軋む音がする。
 祥子は寝台に座っていた。
 指で梳けば、砂礫のように零れ落ちていくのだろう繊細で艶やかな漆黒の髪。
 同色の瞳は、黒曜石のように怜悧な光を放っている。
 長く整った睫毛が、白磁のかんばせに、影を落とす。
 祥子は、一見華奢なようで、その実端正に引き締まった二の腕に、美しい指先をあてがった。片腕で己の体を抱いた彼女は、短く吐息すると、アクリトを一瞥する。
「アクリト。貴方は、秘祭について、率直に言って、どう考えているの?」
「どう、という曖昧模糊とした問いでは、質問の意図をつかみかねる。確か君は教師を志していたと記憶しているが、私は良き教育者とは、正答と思しき己の持論を持った上で、質問者である生徒に模範解答を用意できる者であると聴いた事があるな。私自身が理想的な教育者であると自惚れるつもりはないが、仮にも空京大学の学徒である君には、相応の姿勢を持って欲しいものだ」
 視線を合わせずに続けたアクリトは、疲労がのぞく目の下を指で撫でた。僅かばかり赤みを帯びているのは、疲労ゆえの事だろう。ほとんど変化がみえない表情ではあったが、それでも多くの時を共にすれば、その眼鏡の奧に消耗した様子が少しは感じられる。
「それはアクリトが、何らかの回答を導出しているという意味かしら」
 祥子の声に、いつもよりも饒舌だったアクリトが、短く息を詰める。
「――否定はしない」
 漸く視線を向けた彼が、乾いた唇を静かに撫でていると、思案するように彼女が続けた。
「そして無論、私なりの推察もある」
 目を合わせると、祥子が続けた。
「『ヤマ』の『場』で――秘祭の後、村は『永遠』になる、か。そして『死』――幾つかの言葉から連想されるのは地獄の主であるヤマ……閻魔天」
 彼女がそう告げると、アクリトは左手で頬杖をつき、その内二本の指をこめかみへと宛がった。逆の手で唇を多う。彼の瞳の色が僅かばかり濃くなったように見えた。
「続けたまえ」
 アクリトの眼差しが鋭さを帯びる。
 しかしそれに気圧される事もなく、頷いて祥子は口を開いた。
「閻魔はアヴェスターの除魔書ウィーデーウ・ダートに登場する聖王イマと起源を同じくする」
 彼女はスキルの博識で、閻魔と聖王イマの――特に『死と永遠』に関する知識を想起しつつ述べた。
「閻魔はアヴェスターの除魔書ウィーデーウ・ダートに登場する聖王イマと起源を同じくするものと覚えています」
 ――ヤマはインド・イラン共通時代まで遡れる古い神格をもち多様な面を持っている……。
 ――イマの治世では人も獣も不老不死だった。そしてヤマは地獄の主とされる以前は天界に国を持っていた。
 そこまで考えた祥子は、美しい瞳でアクリトの顔を捉えなおした。
「何点か質問があります」
「聴こう」
「山場の秘祭の完成は不老不死による永遠でしょうか?」
「――死人は生きてはいない。既に死という現実をつきつけられた上では、更に言えば老化もない。永遠に『なる』――これは、未だ意図する者にとって、死人にとって不完全な理を完全とし、現状よりも影響範囲を広げるために、実態を持って――この土地において肉体を得て顕在する余地を生む事だと換言できる。個人的には『復活』と、断言しても過言ではないと考えている。だから、パルメーラは……いや」
「パルメーラが関連しているのかしら」
「……山場弥美本来の意思は再び山場を封印する事だった。あるいはここではない、仮に並行現実の世界があり得たとするならば、この山場村はダムの底に沈んでいたのだろう。山場弥美の本来の想いが叶って。だが、そうはならなかった。だからナラカを経由して、ナラカの世界樹であるアガスティアの、パルメーラの元へと本来の意思が届いたんだ。非科学的な話しかも知れないが、契約者である私にはそれが伝わった」
「何故山場弥美は、ダムにこの村を沈めようとしたのでしょうか」
「繰り返すが、史実では沈められているはずなのだ――理由は、あのアンプルを作成する為に採取した体液に由来する疫学的な理由もあるが、最たる者は『死人』に起因するのだと判断している。君が言うとおり、死人はヤマ――閻魔に関連する存在だ。山場村は古来からナラカとつながった特殊な場所らしい。過去においてそこから死人が出現する事件があったと資料から読み解く事が出来た。それを封印して守るために、この村を作ったのが山場一族――山葉君の親族だ。ナラカとの繋がりを物理的に絶ち、死人の顕現を無くす事を意図したのだろう」
「……それは推測ですか」
「いや。パルメーラからの情報を統合した上で、フィールドワークの過程で得た知識も含めた結論だ。1+1が3であるというような、詭弁ではなく、あり得ない事が起こっているのだという現実を含めた認識の範囲内で、Type II errorでは無い事も保障する。他の数値から判断しても、統計学的に有意だ」
 アクリトの言葉に、思案するように祥子が瞳を揺らす。
「他の質問は、なんだね?」
 少し掠れた声で、アクリトが言った。彼は、傍らにある麦茶の浸るグラスへと手を伸ばす。沈黙を良しとする村の状況に身を置いている為か、長く語ればそれだけ喉が痛んだ。
「では、『場』はイマの治世や天界にあるヤマの国が顕現する場所?」
「正解だ。ヤマは最初の人間にして死者である。ナラカに潜む死人の祖もヤマと呼ばれている。ただ、ヤマの本当の正体は分からない。山場一族が仏教の概念的にヤマと呼んでいるに過ぎない。山場一族は、山葉家の本家だ――だからこそ、血縁的には近しく、同時に山場家が持っていた力を、山葉君も持っているのだろう。ヤマは虎視眈々と地球への進出を狙っているらしい。山場弥美を死人とすることで悲願を果たそうとしているのだと聴いた。そもそも山場村をダムに沈めようとしたのは封印を完全にするためで、それを取り仕切っていたのが山場弥美だ。山場弥美は、ヤマの妹にして妻であるヤミーの血を引いていると考えられる。――だからこそヤマとの親和性も高かったのだろうが、彼女を死人にする事で、ヤマはこの村を掌握したのだ」
「だとしたら、この村が死に侵されているのは……現在山場村は地獄の主としてのヤマの支配にあるため?」
「正解だ。君以上に優秀な質問者を私は知らない。断片からの取捨選択一つとっても、君が空京大学の学生である事が誇りだと感じ得る程、優秀な判断だ。いつか宇都宮君の元で学ぶ事が出来る者は幸運だろう。このような状況でなかったのならば、argumentation的なディベートで君の見解を聞いてみたい所だ――ただし残念ながらその状況にはない。端緒となった君の問い、『永遠』にまつわる事象でもあるが、今の問いと最初の問いは表裏的な一つの回答を持つものなのだ……ヤマの支配を完全にする為には、一要素が欠落している。それは、憑依――依代だ」
「依り代?」
「秘祭の完成――それは『死人にとって』は、ヤマによるこの村の支配の永久化と、ナラカから現世への顕在化を意味する。しかしその為には、現れる為の肉体が必要となる。死人による汚染で、人々は真に死人になり得る。だが、既に死人と化している者は、なお言えば死人と化して肉体を失った存在は、何らかの肉体に憑依しない限り再度肉体を有する事は出来ない。簡単に言えば他者の肉体を乗っ取る事が出来るわけだ。思考もまた、操る事が可能となる。乗っ取らないまでも、憑依し思考を操る事も、力有る山場弥美のような死人であれば可能だ。むしろ山場弥美こそがその権化だと言える。山場弥美は、現在ヤマに取り憑かれている。だからこそパルメーラの元へと本来の意思が届いたのだ。しかし完全にヤマが顕在化する為には、山場弥美よりも適した、確固とした肉体が必須となる。誰もにヤマが乗り移る事が出来るわけではない。現在その条件を満たしているのは、山場家の血族であり、潜在的に大きな力がある山葉君ただ一人だ――要するに死人にとっての永遠は、山葉君の体を死人のものとし、ヤマを顕在化させる為の依代として使う事にある」
「山葉校長を依り代に? 死人にとっては、という事は、『生者』にとっては別の意味も?」
「私は、嘗て正常な思考を行っていた山場弥美自身がそうしたように、秘祭を利用して死者を封印しようと考えている。だが、死人の封印とヤマの召還は、表裏一体だ。最後の祝詞以外は、ほぼ同じ儀式だと言える――だから、私が無事に秘祭を利用して封印を行うか、山葉君が捕縛されて依代とされるかで、秘祭の意味は変わる。無論私が封印を行わなくても良い。閻羅穴に投げ込んだ死人達の真上で、山場の血を引く人間――それも色濃く能力を受け継いでいる山葉君こそが、本来ならば指揮を執るのに適切だ。私の役目は、山葉君がナラカへと通じる場所を封印するために、必要な手助けをする事や、知識をもたらす事に他ならないのだろう――だが、君のように、もう全ての解答に辿り着いた人間がいる以上、後は私は、死人に対抗し、三日目が訪れるのを待てばいい。死いずるこの村の封印が完全になる所を、私は見たいと願っている」
 その言葉を聴くと、思案するように祥子が頷いた。
 それを見て取りアクリトは立ち上がった。退室しようとしながら、ふと思い直したように、アクリトが振り返る。
「これから、君達はどのように行動するのだね?」
「山場弥美に依頼して借り受けた、関連文献の読書をさせてもらいます。その後の事は、これから考えようと思っているの」
 ――弥美……ヤミ……ヤマの妹で最初の人類を生んだ存在で死者の国の王、か。
「気をつけたまえ」
 一言だけだった。しかしそこに精一杯の安否を気遣う心を込めて言葉を吐くと、アクリトは部屋を後にしたのだった。


 近づく人間を、死人化する。
 そう、それは――蝶を誘う花や、蛾を誘う灯火のように……。
 民宿・ハナイカダの入り口では青白い誘蛾灯が、バチバチと音を立て、虫たちを手にかけている。
 だが、あるいは、それは虫に限らないのかも知れない。
 ――その先にあるのは、蜜か身を焦がす炎か。
 蜜の甘味に肢体を絡め取られた者達は、あるいはその青や赤の炎に身を焦がすことを、苦痛に思うとは限らないのかも知れない。
 虚ろな瞳で、民宿の廊下を黒崎 天音(くろさき・あまね)は歩いていた。
 その姿を、宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)の部屋から出てきた、アクリト・シーカー(あくりと・しーかー)が目にとめる。
「――……食事はしているのか?」
 青白い天音の顔を、心配そうにアクリトが見る。
「食事? 不思議と腹は減らないんだ。そう、あの日から……あの日? 何か忘れている気がするけど、思い出せないな」
 天音は自室へとアクリトを誘うと、ポットの前へと立った。
「ブルーズがいてくらたら、もう少し美味しいお茶を淹れてくれると思うんだけど」
 彼は、パートナーであるドラゴニュートの事を思い出しながら微笑んだ。
 その様子を、寝台に腰掛けながら、アクリトは見守っている。
「でもね――ブルーズがいないんだ」
 そう呟いた天音は、アンデッド猫の悪戯に見せかけて、アクリトの眼鏡を奪った。
 天音はそのままアクリトを寝具に押し倒し、揺れる瞳のまま呟いた。
「いないんだよ、どこにも」
 アクリトの衣を暴くように、天音は両手の指で彼の服をきつく握った。
 ――この男は、何かを知っている気がする。
 天音はそんな事を感じながら、アクリトの体に手を置いた。
 叡智に溢れるアクリトの黒い瞳を見つめ、指で体を弄りながら、傷をつけ口づけて生気を奪おうと試みる。
 必死な天音のその様子と眼差しに、アクリトは目を細めた。
 体を襲う、爪で切り傷をつけられた不快感には、唇を噛みしめて堪える。
 そして、アクリトは言った。

「ブルーズ・アッシュワースは君が喰った」

 その瞬間、天音が目を見開いた。
 端正な面持ちの中、緑の瞳が、何も理解できないといった様相で静かに揺れる。
「君が、喰ったんだ」
 口調を努めて冷静なものに戻しながら、アクリトが再度告げた。
 瞬間、天音は――曖昧だった記憶が、鮮明さを増したように思った。
 契約者のどちらか一方、人間あるいはそのパートナーが死人となれば、準じてもう一方も、あるいは他の仲間も死人となる。だが、その間には、僅かなタイムラグがあった。
 その上、死人になった直後、直接感染し死人になった者は、すぐに生気を求めるが、準じて変わるパートナーはその限りではない。それが生んだ不幸――それが、ほんの数日前にあった事を、天音は思い出した。
 ――だから、もう二度とこんな悲劇を生まないように、信頼し合っている契約者とパートナーの間で辛い事が起こらないように、自身の肉体から摂取したサンプルの提供をはじめとして、アクリトのアンプル作成に協力したのではなかったのか。
 不意に戻った理性が、天音に残酷な現実を突きつけた。

 そう、あれは――アクリトのフィールドワークに伴って、彼らがこの宿を訪れた最初の日の出来事である。

 村外からの来訪者を珍しいと口にして、山場弥美が、フィールドワークに来た面々が打診する前に直接、この民宿を訪れたのである。だが、丁度、アクリトと祥子は、外へと出ていたのだ。だから、天音とブルーズが、一足先に言葉を交わしたのである。
「よろしくね」
 愛らしい少女が差し出したその華奢な手を、天音は穏やかな笑みを浮かべて握り替えした。その手を握った瞬間、虫に刺されたような痛みを感じ、視線を落とした事を、彼は今でも覚えていた。
「どうかしたの? 大丈夫?」
 弥美に声をかけられ、見れば、掌に、虫さされのような小さな傷が出来ていた。心配そうに言葉を放っているにもかかわらず、弥美は微笑を浮かべながら、片手に針を持っていた。
「っ」
 対処しようと天音が考えるよりも一時早く、その傷口に弥美が唇を寄せた。血を吸い取るかのように、少女が傷口を舐めた。
 ――その瞬間からだった。
 全身を気怠さが襲い、意識が朦朧とし出したのは。

 ただ、確かだったのは、他者の『生気』を口にしたいという思いだけだった。

「ブルーズ、僕を殺してくれないかい?」
「何を言っているのだ、急に」
「……だけど、このままじゃ、僕は僕でいられなくなる」
 天音は、精一杯の虚勢をはって笑みを形作り、パートナーであるブルーズを見た。
 彼の赤い瞳を眺めている内に、しかし天音の理性は次第に崩れていく。
「――駄目なんだ、人の生気が吸いたいんだよ」
「天音」
「だけど僕は――人間を襲いたくない」
 死人は、死人になった直後にまず一回、その後も、日に最低一人の生気を吸わなければ、体を動かすことは叶わない。
 その事実を、誰に示唆されたわけでもなかったが、天音は理解していた。
「もう無理なんだよ――……飢えて乾いてる。その向こうには何もない。今にも誰かを襲いに行きそうなんだ」
「ならばそうすれば良いであろう」
 ブルーズが告げると、唇を噛んで天音が首を振った。
「そんな事、出来るわけがないだろう」
「だがそうしなければ――死んでしまうのだろう?」
「そもそも僕は今生きているのかな。呼吸こそしているみたいだけど、少しだけ寒気がするんだ、体から熱が逃げていくような感覚がする。それに生きているのだとしても、僕は嫌だ。誰かを殺めたいとは思わない」
「馬鹿かお前は! 普段はだらしないくせに、こんな所でばかり、道理を説いて何になる!」
「――はは、そうかもしれないな」
「他者を守って死ぬ事は正義であるのか? 我はそんな事は認めない」
「どうしたの。ブルーズらしくないよ」
「我らしいとは何だ。我は、一番天音を大切だと感じている。だから死ぬぐらいならば、誰だって良い、誰かを襲え」
「それは本心じゃないだろう? ブルーズが、そんな事、本気で言うとは思えないな」
「お前が助かるのであれば、我は――」
「……有難う。その言葉を聞けただけでも、嬉しいよ」
 微笑した天音の瞳には、夢でも見ているような朦朧とした光が差し込みはじめていた。あるいは狂気と換言しても良いのかも知れない。だがそこに現れた光を見て取り、ブルーズは、思わず天音の首に両手を伸ばした。人類に害なす者に、パートナーは成り下がってしまったのだから。そもそも、天音自身が、死を願っている事を、ブルーズは感じ取っていた。
 ――パートナーが死ぬというのであれば、自分も共に。
 そう考えた彼だったが、息を飲み呻いた天音の姿に、目を見開く。
「っ」
 ――そんな事は、出来るはずが無かったのだ。
 誰よりも大切な存在である、パートナーの天音を、自分の手にかけることなど、出来るわけがなかった。そのせいで仮に世界が滅ぼうが、滅ぶ未来を予見できようが、ブルーズに、天音の首をへし折ることなど出来るはずは無かった。
「生気とやらが必要なんだな……」
「そうだね。相手に傷をつけて、そこから吸い取るみたいなんだ、なんでだろう。誰に聴いたわけでもないのに、それが分かるんだ」
「ならば、少しでもお前の飢えを満たす為、我を食べてくれ」
「……――え?」
「我を食べてくれ」
「ブルーズ、一体何を――……」
 その直後、ブルーズは、天音の首から手を離した。
 そしてすぐ側にあった、壁に飾られていた斧を手に取る。
「我は、天音に生きていて欲しい――その生の概念が、現存する人間とは違っても。悲しまないでくれ、苦しまないで欲しい。我は、お前の苦痛に歪んだ顔など見たくはない」
「待っ――……ブルーズ?」
 天音の前で、ブルーズは、最後の理性で自らの首を落とした。
 彼は天音が躊躇し、とまどう事が無いように、己の首を切断したのである。


 ――嗚呼。
 ――嗚呼、嗚呼、あああああああ、世界はなんて残酷で、無慈悲なのだろう。
 世界は、優しくなど無い。
 それは、黒崎 天音(くろさき・あまね)にとっても、ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)にとっても、同様のことだったのだろうし、無論六角要にとってもそうだっただろうし、各務ルイスにした所で同じような気持ちだったはずだ。


 闇だ。
 この村に立ちこめているのは、暗闇と、死臭だった。
 掌から、指の合間から、肉片がこぼれ落ちていく。
 ――ぬちゃり。
 しめった水音が、床で潰れた内蔵の音色が、暗い周囲に響き渡った。
「――あ……」
 呟き、跪き、こぼれ落ちた臓物を両手で掴み挙げる。散らばっている腸をかき集め、貪りつくように、口をあてがう。
 じゅるじゅると、グチャグチャと、音を立て啜る。
 ――何をしているのだろう、何が起きたのだろう、此処は、コレは。
 錆ついた鉄の匂いが、床を汚し、黒にしか見えない血溜まりから薫ってくる。
 裂けて汚れてしまった自身の衣服の事にも、天音は気が回らない。
 何故頬が熱を帯びた水で濡れているのかも分からない。
 眼窩から零れる雫の名前が、涙である事を思い出せない。
 切り開かれた、既に生きてはいない愛しい相手の体。その中央では、今にも脈動を再開しそうな心臓が、艶めかしく光っている。利き手をのばし、触れれば、すぐに潰れてしまいそうな心臓。伸びる血管、傷口に溜まっていく赤とも黒ともつかない血。
「おい、しっかりしろ――おい」
 誰かの声が響いてくる。
 けれどその声が誰の者なのか、分からない。分からなかった。
 確かに知っているはずの声だというのに。
 ――その時、天音に声をかけたのは、アクリトだったのだ。

「おかしいな……ブルーズがいないんだ」

 天音がそう呟いた。
 周囲には、小骨こそ散らばっているものの、肉も臓器も何も無い。
 ブルーズの肉片全てを貪った天音の口は、血液等で汚れていた。
 ――死人と化してすぐに、生気を吸わなければ、力が出ずに、死人は頽れるらしい。
 同様に。
 ――契約者が死人になった後、僅かばかりのタイムラグがあるから、死人と化した契約者は、死人になるまでの間は生者であるパートナーから生気を得ることが出来るらしい。
 生気を得なければ苦痛にもだえるから、パートナーがその身を差し出すこともあるのだろう。どちらにしろ放置しておけば、仲間は皆死人になるのだから、そのタイムラグは、生者として眠りにつける、最後の機会でもあるのかもしれないが。

「僕が――……ブルーズを?」

 アクリトの体に馬乗りになった状態で、天音が呟いた。
「そうだ――覚えていないのか? 死人の体を瓦解させる為のアンプルを生成する時に、君が咥内粘膜の提供などをしてくれたんだ」
 天音自身は記憶していなかったが、その時に衣服が汚れたのであろう。
 だから彼は、女物じみた和装で徘徊していたのだ。
「手遅れの死人――それは、『死人を喰らった死人』の事だ」
 アクリトが、天音の体を押し返しながら、淡々と言う。
「死人を喰らうと、死人は、冷静な思考を保てなくなる。体を瓦解させても、弊害が出る。ただ、他の死者よりかは、理性を保持しているようだがな――その上、取り戻せるのは、日に数分といった所か、運が良くても」
 アクリトの声を聴いた天音は、ふらふらと立ち上がった。
「どこへいく?」
 だがアクリトのその問いには何も応えず、天音はその部屋を後にしたのだった。

「おかしいな……ブルーズがいないんだ」