校長室
死いずる村(前編)
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■5――二日目――04:00 もうすぐ、朝が訪れようとしていた。 山場神社の境内からは、鴉が飛んでいく。 山場愛と山場敬に約束した通り、だが意図していた時間よりもずっと遅くに、アクリト・シーカー(あくりと・しーかー)はこの場所へと訪れた。 「悪いな――このような時間に」 「いえいえ」 アクリトの姿に微笑を返しつつも、あくびをしながら、神主である敬が出迎える。 二人の姉妹の他は、アクリトの姿しかない。 神様に不敬をとがめられないように、アクリトは単独で訪れたのである。別に神道を盲信しているというわけでは無かったが、このような事態である以上、存在するかも分からないとはいえ、神の不興など買いたくはない。 「私が案内するわね」 愛がそう告げると、本殿へと向かい歩き始めた。 暫しの間、二人は黙々と歩く。 それから、木の扉が軋む音が谺した。 しん、と、静まりかえった神社の中へと入ると、愛は本殿の中にある、様々な神具へと視線を向ける。妖艶な色気が、深夜の空気の中、際だっているようだった。 「これで、秘祭を迅速に執り行えるようにするのが、この神社代々の役割みたいよ」 愛の声に頷きながら、アクリトがその内の一つへと視線を向ける。 眼鏡の奥で疲労感が滲んでいる瞳に、不意に学者らしい、好奇心溢れる光を宿し、彼は静かに手を伸ばした。 そうしながら、アクリトは尋ねた。 「君は、死人ではないのかね?」 アクリトのもう一方の掌には、アンプルをはめこんだ注射器が握られている。 その瞬間――山場愛は、メンタルアサルトで隙をつき、物質化で黒薔薇の銃を作り出した。 そして、アクリトの足を狙撃する。 本殿から、銃声が響いてきた。 それを聞きつけたクレア・シュミット(くれあ・しゅみっと)が、本殿へと走ってきた。 彼女は、アクリトに気付かれぬよう、本人に通告していない場所でも、護衛をしていたのである。 「何事だ?」 険しい彼女の声に、愛が、狼狽えたような表情で顔を上げた。 「お前は死人だろうと言われて、アンプルと注射器のようなものを取り出されました! 貴方達はこの村を汚しにやって来たのですか? これ以上本殿に立ち入らないで!」 泣き叫ぶように愛が言った。動揺し、混乱している様子にも見える。 アクリトの前に立った彼女は、その後、横たわっている彼の掌から、アンプルと注射器を手に取る。 「この注射器使えば良いのですか? 何をしたいかは知りませんが、見せてあげます!」 愛は、着物を纏った袖で一度、自身の体を抱きしめる。 それから彼女は、裾を揺らし、静かにアンプルを高々と持ち上げた。 暗闇では、その中に浸る液体の色は、分からない。 愛は、自分自身の腕に、注射針を刺した。 ――何も変化は、起こらない。 静かにアンプルの中身が、彼女の腕へと吸い込まれていく。 その様子に、愛は生きているのだろうかと、クレアは推測する。だが、そうであるならば、何故アクリトはアンプルを取り出したのか。その疑問がつきることはない。 幾度もの厳しい経験をこなしてきた彼女は、努めて冷静になろうとして、短く吐息した。 クレアが思案していると、愛がおもむろに銃を取り出した。アクリトを狙撃したものと同一の品なのかは不明だ。愛はそれを、涙ながらに自身の口へと向けた。 「待て、何を――……」 ――銃口を銜えようとしている? 死ぬ気、か? 驚いたクレアが止めようとした正面で、愛が伏し目がちに呟いた。 「この場所は、血で汚してはいけないのです。私は神聖な場所を穢した……罪は、償います」 そして銃口を唇で覆い、彼女はその引き金を引いた。 呆然とその光景を眺めていたクレアは、横たわっているアクリトと、血が飛び散った愛の体の正面で、暫し言葉を失い、佇む。 「何かあったんですか?」 そこへ、山場敬がやってきた。 「姉さん――!」 そして彼は、目を見開いた。 「一体何があったんですか?」 クレアにつかみかかるようにして、敬が声を上げる。 「アクリトに死人だと疑われ、迎撃したらしい……だが、本殿を血で汚したからと言って、今自害なされた」 「そんな……」 呆然としたようにその場に座り込んだ敬は、それから、ふと思い至ったように立ち上がり、神具の並ぶ棚へと駆け寄った。そして二つの仮面を手に取り、横たわっているアクリトと愛の側へとしゃがみ込む。 「これも、村に生まれた者の宿命なのかも知れません――学者さんには、なんと言えばいいのか分かりませんが……」 「何をして居るんだ?」 「この村では、『誰かが死んだ時は決して死体に傷をつけず、面をつけ一晩本殿に一人になるよう安置し神と対峙させる』という掟があるんです。二人同時に亡くなったと有れば、今回は二人となりますが……」 アクリトと愛、それぞれに面をつけながら、敬は泣きそうな笑顔を浮かべた。 「せめて、その掟に、姉を従わせてあげたいんです……先生も。だから――ここから立ち去って下さい。村の掟には従ってもらいたい」 神主らしい凛としたその声に、クレアは息を飲んだ。 姉の死に動揺しているそぶりの神主だったが、此処は彼の育った村である。 生死を確かめるべきだと理性が喚いていたが、ここは、自分達の知る土地ではない。 「――まかせて、いいのか?」 彼女が尋ねると、敬が大きく頷いた。 「ええ……それに、いくら姉とはいえ、この場所を血で汚した……」 それに頷くようにして、クレアは踵を返す。 見守ってから、敬は、足音が遠ざかるのを確かめた。 そうして彼は、本殿を施錠する。 「ふぅ……どうなることかと思ったよ」 そして。 クレアの足音が消えた時、彼はそう呟いた。 「息絶えたフリなんて止めてくれるかな、愛」 姉さんと呼ぶべきか、名前で呼ぶべきか、思案しながら敬が言う。 すると仮面を外して、愛が起き上がった。 「助かったわ、有難う」 そう言って愛が笑った時、静かに神社の扉が、再度軋んだ。 「やはり、生きていたのか」 「!」 戻ってきたクレアの様子に、姉弟が揃って息を飲む。 今度は、エイミー・サンダース(えいみー・さんだーす)とパティ・パナシェ(ぱてぃ・ぱなしぇ)、そしてハンス・ティーレマン(はんす・てぃーれまん)も一緒だった。 「必ずしも信用できるとは思わないが、アクリトが何の考えもなく、生者にアンプルを注射しようとするとは思えなかったからな」 そう断言したクレアに対し、愛と敬が身構える。 ――だが。 「聡い人は好きだけれど、それは味方である場合だけ、ね」 不意に声がかかった。 クレアは気がついた時、肌に走った感触に、体を硬直させた。 天井から落下してきて、自分の首に囓りついている少女の姿に瞠目する。 「――な……?」 気配など、まるで無かった。 あったとすれば、能力あるクレアであれば、気付く事が出来ただろう。 犬歯が突き刺さる感触――何かを吸われる感覚。 クレアは突然襲ってきた目眩に、床へと膝をつく。 天井から落ちるようにして現れたのは、山場弥美だった。 「早く、こいつを――っ」 生気を吸われながらも弥美の手を取り、クレアは、エイミー達に指示を出す。 一人が死人になっても、他のパートナーが死人になるまでは、個体差なのか僅かなタイムラグがあるようだったから、最後の理性で彼女は叫んだ。 「その意気は尊敬するわ、だけど、無駄ね」 弥美がそう言って微笑んだ時、エイミーにもパティにもハンスにも、弥美が引き連れて訪れた死人が牙を剥いた。 四人全員が死人になり、床へと伏す。 それを見て取ってから、弥美が愛達に向き直った。 「有難うね、指示をこなしてくれて。成功して、本当に良かったわ。彼、邪魔だったんだもの」 弥美の声に、愛と敬は頷いた。 「まだ眠っているだけみたいだけど――後は頼んで良いかしら」 「任せて下さい。それに、人が死んだ時の処遇、皆に嘘を広めていただいて有難うございます」 弥美の声に、敬が頷く。 それを確認してから、彼女は死人達を引き連れて、神社を後にした。 ――アクリトは、弥美の言葉通り未だ生きていた。 黒薔薇の銃は、銃把に薔薇のレリーフが施された拳銃であり、闇黒属性を持っている。それで負傷させれば、相手を眠らせる事があるのだ。連日連夜の戦闘で、まともに睡眠をとっていなかったアクリトに対して、その効果は覿面だったようである。 先程愛が打ったアンプルは、裾に隠し持っていたダミーのアンプルで、途中ですり替えて、彼女が自身に注射したものである。 また、そもそも、『誰かが死んだ時は決して死体に傷をつけず、面をつけ一晩本殿に一人になるよう安置し神と対峙させる』という話自体も、愛と敬が、弥美に広めてくれるよう頼んだ嘘だった。――死人になっても、呼吸が止まるわけではないのである。 それは、血液の代わりに血管を、赤い粘液が巡回し、酸素を供給していることや、心臓を動かしているらしい事にも関係しているのかも知れなかった。その為、それを知られないようにと、すぐに敬は、仮面をかぶせたのである。 愛は、弥美に始めて会った時のこと、死人にされた時のことを思い出していた。 「二つお願いがあるの。まずは、『村で誰かが死んだ時は決して死体に傷をつけず、面をつけ一晩本殿に一人になるよう安置し神と対峙させる』事、それにもう一つは、『神殿を血で汚したものも同様に本殿に面をつけ一人一晩閉じ込め神に謝らせる』、そういう掟があるって、貴方の権限を使えるだけ使って、仲間の村人や訪問者達に信じ込ませて欲しいの」 「貴方は面白いことを考えるのね」 愛の言葉に、楽しそうに笑って、弥美は頷いたのだった。 本来、この村にその様な掟は一切無い。 愛は、未だ横たわっているアクリトを一瞥しながら呟いた。 「私は親戚には手を出したくないし、このアクリトって男が、こんなもの――アンプルなんて配っていたから見過ごせないの。……彼を仲間にしてあげるわ」 アクリトから奪ったアンプルを見据えながら、愛が嘆息する。 鬼眼で怯ませながら、彼女は、アクリトの生気を吸い取ろうと、銃痕へと手を伸ばす。 ――だが。 「死人になるくらいであれば、私は自ら地獄へ堕ちよう。天国に逝けるとは思わないからな」 「なっ、目が覚めていたの?」 尋常ならざる精神力を発揮し、気がついていたらしいアクリトが、体こそ自由にならない様子ながらも、手持ちの武器であるウルミを握りしめ、自身の首へとあてがっていた。 「死人になる前に命を絶てば、死人にはならない。それは例えパートナーの生気が吸われても、だ。僅かなタイムラグの間に、自分の手で命を絶てば、死人になる事なく、逝ける」 「その前に死人にしてやる」 「無駄だ、私に後悔は無い」 ――なぜならば、自分が伝え教えるまでもなく、真相に辿り着いている人間がこの村にはいるのだから。 ――きっと、山葉涼司に知識を与え、真実を知らしめ、秘祭を執り行わせてくれるだろう。 ――そして、黄泉への道を封じてくれる事だろう。 愛の毒牙にかかる直前、アクリトは、ウルミで自身の首を刎ねた。 途中で力尽きたのか、首半分程がもげた状態で、彼の体は、床に血を飛び散らせる。 けれど決意を証明するように、断絶された首からは、白い骨と、筋肉、そして数多の神経が覗いていた。 「まさか、自殺するだなんて――……」 しかし、それだけではなかった。 彼の鼓動が止まった時、爆破するように、決して死人にはならないようにと、生前からアクリトが意図して服の合間に設置していた爆弾が、十秒後、爆発した。 呆然とアクリトの死を見守っていた愛と敬の体ごと、山場神社の一角が吹き飛ぶ。 「――危なかったわね。アクリトを死人に出来なかったことは残念だけれど……」 霧散した体が集まり、再生していく。それから愛が呟いた。 「だけど、抹殺には成功したね。良かった、のかな」 敬が言った頃、明星が、次第に空で輝き始めた。