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リアクション
アッシュ・グロック(あっしゅ・ぐろっく)がイルミンスール魔法学校から旅立ち、仲間と共に魔法世界へ辿り着くより、少し前の事――。
【エリュシオン帝国 某所】
帝国はカンテミールのとある建物内、賓客用に宛てがわれた一室に契約者達が滞在していた。
その内装は地球の連合第四特殊任務旅団――通称『プラヴダ』の兵士達が懐かしさに息を吐いてしまった程、魔法文化の発達している国家エリュシオンとは思えない、酷く近代的な雰囲気だ。申し訳程度の観葉植物が部屋の隅に、大振りなソファが囲む中央には、茶器が並べられたテーブルが有る、地球でよく見る平均的な応接室である。
中でも――ここがエリュシオンだと思うと――異質に感じるのは、部屋の壁に設置されたモニターの存在だ。
このモニターはカンテミール選帝神代理エカテリーナによる合成音声のチャットが繋がっている状態だったが、今は彼女からの連絡は無いようで、代わりに『魔法石・アイギス』の現在の様子が映し出されていた。
数十分程前、プラヴダの輸送車にナージャ・カリーニン(なーじゃ・かりーにん)に頼まれた機材を詰んで、遅れてやってきたヨシュア・マーブルリング(よしゅあ・まーぶるりんぐ)が現れると、彼等はそのまま帝国の技術者達と所謂難しい話の為に別室へ流れて行った。馬口 魔穂香もパートナーを迎えに出ている。
だから今この部屋に居るのは、体力温存の為に待機を指示されているツライッツ・ディクス(つらいっつ・でぃくす)とジゼル・パルテノペー(じぜる・ぱるてのぺー)、そして二人の護衛にあたるプラヴダの兵が数名だけだ。
何時も「めーめー」と賑やかなスヴァローグ・トリグラフ(すゔぁろーぐ・とりぐらふ)らはツライッツとジゼルの膝で眠ってしまっているし、こと専門分野にかけては一番口数の多いナージャが居なくなってしまうと、部屋の中は静かなものだ。談笑が空気を何とか繋いでいるが、彼等もそれなりに緊張している為、言葉が途切れる事が多い。
そうして何度目かの会話の糸口を見つけたジゼルが顔を上げた時――、
合図も挨拶も無く、向こう側から扉を開けて部屋に入って来たのは、プラヴダ副旅団長ハインリヒ・ディーツゲン(はいんりひ・でぃーつげん)だった。
彼が片耳にあてたインカムの通信相手に別れの挨拶を済ませたのを見て、ジゼルの隣に座っていたツライッツが少し横にずれる。「有り難う」と微笑んだハインリヒがそこに腰掛ける前に、下官が端末……つまり新たな仕事を持ってきた。
プラヴダは通常思い浮かべるような戦争――兵器を持って戦場で戦う――を目的とした旅団では無く、特殊作戦を行う為の旅団だ。その本来の任務を果たすため、彼等の旅団長アレクサンダル四世・ミロシェヴィッチ(あれくさんだるちぇとゔるてぃ・みろしぇゔぃっち)は契約者――民事作戦の一貫として特別に協力関係が認められている――と共にディミトリアス・ディオン(でぃみとりあす・でぃおん)の魔術ゲートを利用して魔法世界へ向かう。(余談であるが、いよいよ魔法世界との全面戦争となれば、連合から出てくるのはまた別の部隊になる)ハインリヒは今、担当地域外で活動しているが、旅団長が連絡もつかない場所へ……そうなると現時点でプラヴダの指揮官は彼なのか。と、動きの忙しなさを見て二人は思い当たった。
「さっきの、馬宿さんだよ」
目は端末のモニターを見たまま、手もキーボードの上を忙しなく動いているが、切り出した声はジゼルとツライッツへ向いているらしい。先程の通信の相手が飛鳥 豊美(あすかの・とよみ)を代表にした魔法少女組織『豊浦宮』で、シャンバラの状況のとりまとめに動いている飛鳥馬宿だと教え、次いで向こうの状況を話す。
「シャンバラの各校で魔法世界の……瘴気絡みの事件が起こってる。丁度この間の空大と同じような」
ぴくり、と眉根を動かすツライッツの目に、彼にしては珍しい苛立ちか怒りのようなものが一瞬宿るのに気付いて、ハインリヒはそれを覗き込むようにしながら笑顔を見せた。
「もう動いてるよ。それと東カナンでも同じようなのが」
「東カナン……前に豊美ちゃんが魔法少女の皆とイベントをやったトコね!」
パートナーが領主の替玉になった事件の方は全く知らないジゼルが質問するのに、ハインリヒは「そうらしいね」と流した。
「運悪く、というよりは狙い澄ましていたんだろう。カナンの国家神や領主、要人が集まるところへ君臨する者が出現した。葦原島で二つ名の武器を作る時に、契約者にちょっかいかけてきたヤツの一人だって」
「ご無事なんですか?」
「瘴気の事なら緊急性は無いな。シャンバラの学校は校内に備品に偽装した状態で散撒かれてるみたいだけど、向こうは街中にそれと分かるものが置かれてるって。
だから一般市民は建物に閉じ篭る事で遣り過ごしているらしい。が、要人の方はあまり芳しく無い。君臨する者の魔法を直接受けたようだから」
ハインリヒが見せた端末のモニターには、偵察の撮影した映像や写真が表示されている。その隣には契約者の名簿があった。友人の名前を見てジゼルの表情が分かり易く曇る。
「この人達は?」
「内々に呼ばれた契約者」
「何かお手伝いしなくていいの? 他の国だと助けに行ったら駄目なの?」
袖を引っ張るように握るジゼルに、ハインリヒは表情の感じられない薄い笑顔で答えた。
「僕等がそれをやると、カナンは兵力を他の国家へ露呈する事になるね」
「兵力って、えっと…………兵隊さんの数とか、武器の数とかの事よね?」
正確に言えばその総合力であり戦闘力の事だが、話について行こうとするジゼルにハインリヒは噛み砕いて言い直した。
「はっきり言ってカナンは他国に比べて遅れている、それも様々な面で。
僕等や、教導団が彼等の戦いに介入すれば、現在のカナンが“どの規模の軍隊に対抗出来なかったか”を明確にしてしまう。その危険性は分かるね」
ジゼルが俯き頷くのに、ハインリヒは彼女の肩を叩いて頭を切り替えさせる。
「まあ、心配ないよ。しかし……前に聞いた“不幸中の幸い”って、こういうのを言うんだろうな。此処がカンテミールで良かった」
「何故です?」とツライッツは首を傾げる。
「うんー……此処の選定神とアレクがね、個人的に交流があるんだよ。ほら、あー……んー――」
適切な言葉を思い浮かばないのか片手を頭の横でヒラヒラさせるハインリヒの仕草に、ツライッツは何となく話しが通じたようだ。此処はそういう土地で、選定神もそういう世界の人で、アレクもそういう人物だった筈だ。
「ああ……はい。エリュシオンのアキバ……ですしね、ここは」
曖昧に笑うツライッツに、ハインリヒはそこからまた途切れ途切れで話を続ける。
「それで、そういうのもあるし。土地柄理解もある。あと何より――」
言いながらソファから立ち上がったハインリヒは
「端末が繋がる」と、インカムを人差し指で小突いて示し、微笑んだ。
「歌菜さんと美羽ちゃん達、着いたみたいだ」
迎えに行く旨を伝えて通話を切るハインリヒの横で、ジゼルが「フレイも?」と親友の名前を上げて目を輝かせるが、はしゃぐ妹の肩をやんわり押し返して、ハインリヒは一人扉へ向かった。
「ちょっと待ってて」
少し不満そうに「はーい」と返事が着たのを聞きながら、ドアノブに手を掛けたハインリヒは、そこで待機姿勢を取っている士官を見て動きを止めた。目が合った事で背中に棒を通したような形で敬礼する彼を、ハインリヒは何とも言えない顔で見ている。
「レフ・ニコラエヴィッチ・ストラヴィンスキー准尉。そういえば大佐から君宛に、特殊命令が出ているな」
旅団長から直接特別な指示を受けるような立場に無いレフは、副旅団長の言葉に顔を硬直させた。
「君は作戦後もカンテミールに残るように」
「え!?」
予想外の展開に思わず声を上げてしまうレフに、ハインリヒは淡々と続ける。
「“生意気系合法ショタが居るって話でティアラちゃんがすげー食いついてた。連合の地位向上の為に、精々取り入っておけよ”――だってさ」
にっこり笑ってレフの肩を景気付けのようにパンッと叩くと、ハインリヒは部屋を出て行ってしまった。彼では何の口も挟む事が出来ないような二人の話の種に使われ、弱り切った顔でどぎまぎしているレフを見て、部屋の中に居た兵士達とジゼルとツライッツは吹き出してしまう。
「アレクってば……」
ジゼルが漏らした声に、ツライッツは僅かに眉を寄せ
「……すいません」と申し訳なさそうに一言漏らした。
君臨する者に誘拐されたシェリー・ディエーチィ(しぇりー・でぃえーちぃ)、ハルカ・エドワーズ(はるか・えどわーず)や鵜野 讃良ら行方不明の契約者はジゼルの友人や知り合いが多かった。
本当は、パートナー達と共に行きたかっただろうと判っている。けれど、今回の作戦は彼女の協力無しには達成できないため、行っていいんですよ、とも言えないのだ。
それでもつい、大丈夫ですか、と視線だけが問うツライッツに、ジゼルは否定も肯定もせず、強い瞳を向けてこう答えた。
「皆必ず帰ってくるわ」
「ええ、そうですね……」
「――でも」
そこでツライッツを見上げていたジゼルの視線が、膝の上の子山羊へ向かった。
「アッシュはどうするのかな…………」
その言葉に、ツライッツは複雑な顔を浮かべた。魔法世界の人間であるアッシュは、あちらが故郷であり、こちらの世界に帰ってくる必要がない。なら、彼はどういう選択をするのか。ツライッツ自身は深い関係を持っていたわけではないが、シャンバラにはアッシュの仲間が沢山居るのだ。
その一人であるジゼルの呟きがどういう意味で漏らされたのか、心配の過ぎるツライッツの聴覚器官に威勢の良すぎる声が響く。その勢いで子山羊達が目を覚ました程だ。
「ばっちり休めた!?」
ナージャだ。普通に歩いているのに妙に輝いて見えるのは、カンテミールという土地で彼女が何時もより生き生きとしているからだろう。
「めめっめー!」
「めめっめーか、それはよかった! 二人はどうかなー、うん?」
ふんふんと鼻を鳴らして、ナージャは見開き過ぎた目で食い入るようにジゼルの青い虹彩を見つめる。
「強化人間の身体をベースにした複合体の有機存在。生物音響兵器セイレーン……知れば知る程興味深い。この特殊な機晶石の力を引き出す事が出来るのに、体内に機晶姫としての要素は殆ど無い。それどころか君自身、自分の有する能力を理解していない。ねえ、私のもとで君の可能性を試してみたくはない? 実験をするんだよ! 君の歌が放つ音波に特殊粒子が含まれているのを知っているかな。波動と粒子について詳しく知る事が出来れば新たな可能性が開けるかも知れない! ああそれにエラー君から聞いたよ、君のパートナーが兵器パルテノペーのスタビライザーの役割を果たしているって。その理由はなんだ? もしかしてまた愛とか言わないよね。ああッ、広がる、色んな、夢が!!」
「少し落ち着いてください!」
留めようと腰を浮かしていたツライッツと、ヨシュアの言葉がハモる。
「今はそういう場合ではないでしょう」
もがもがと何かを言っているナージャに構わず、ヨシュアはジゼルに頭を下げた。
「すみません、この人今ちょっとテンションが突き抜けていまして……」
悪気は無いので気にしないでください、と、申し訳なさそうに謝るヨシュアに、ジゼルは勢いにのまれた表情のまま、コクコクと首を振るのだった。
そんなやり取りを聞きながら、ツライッツは視線をモニターへとやり、思考を払うように首を振った。
考えるのは後でいい、今は――やるべきことを果さなければ、と、画面に映る魔法石を見つめる目を細めたのだった。
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