校長室
地球に帰らせていただきますっ!
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埠頭の雛菊 寂れた埠頭に吹く風は、潮を含んで生温かい。 「ディーちゃん、ただいま」 牛皮消 アルコリア(いけま・あるこりあ)が投げ捨てた雛菊の花は、頼りなく風に煽られながら水面に落ちていった。 「ねぇアーちゃん」 雛菊の名を持つデイジーの腕が、アルコリアに差し伸べられる。 アルコリアの総て、アルコリアに総てをくれた、大好きな恋人の腕が。 抱きしめてくれた、愛してくれた、そしてアルコリアも愛したその人は、いつになく真剣な表情で一緒に逃げようと言った。 これで一緒に暮らそうと、店から持ち出した金を見せて。 母の元から逃げるのは悪いことだと知っていた。 けれど、抱きしめてくれたその腕のぬくもりが忘れられなくて、その腕を失いたくなくて。 肯いてその手を取った。 ……だけど。 その頃のアルコリアは、あまりにも幼すぎ、弱すぎた。 必死に走ってこの埠頭まで逃げてきたけれど、出来たのはそこまで。 無様に囲まれ、無残に張り倒された。 そこに悠然と、アルコリアの母牛皮消 アルベルティーヌが現れる。 「アタシゃ、忙しいんだよ。こんなことで手を煩わさないで欲しいねぇ」 「オカミサン……」 黒服に囲まれたアルベルティーヌの姿を認めたデイジーの顔から、はっきりと血の気が引いた。自分が何をしてしまったのか、そしてこれからどうなるのか、やっと本当の意味で理解したかのように。 アルコリアは最初からそんなこと理解していた。 分かりきっていて、なおデイジーの手を取ったのだから。 何も出来ない、殺されるしか出来ない。ならば。 (ここで永遠になろう。ディーちゃんの) デイジーが自分を忘れないでくれるならそれで良い。 静かな気分で『その時』を待っていたアルコリアだったけれど、その静寂はデイジーによって破られた。 「ねぇ!」 いつもはきちんと結わえている金色のツインテールがほつれ、デイジーの顔にかかっている。髪を振り乱したデイジーは必死の形相でアルコリアに呼びかけた。 「『オカミサン』の娘なんでしょ? 私たちを許してくれるようにお願いしてっ!」 「ママンの娘……?」 アルコリアはゆっくりと瞬いた。 そうだったんだ。デイジーが見ていたのは『わたし』としてのアルコリアではなくて、『ママンの娘』。 デイジーがそう思っているのなら、そう振舞わなくては。自分の心を置き去りにしてでも。 だってデイジーは最愛の人だから。 「さあ、選びな馬鹿娘」 アルベルティーヌが拳銃を差し出す。 「これでソイツを撃ち殺せば何もなかったことにしてやろう。それが嫌だってんなら、アンタもソイツもアタシが撃ち殺す」 どうすれば良い? デイジーが望む『オカミサンの娘』ならどうするだろう。 目をいっぱいに見開いてこちらを見ているデイジーに微笑みかけると、アルコリアはアルベルティーナを見据えながら近づいていった。 受け取った拳銃は幼いアルコリアの手にはずっしりと重かった。 それをぶれないようにしっかりと構える。デイジーに向けて。 「裏切り者……っ! …………っ! ……っ!」 喉が裂けんばかりにデイジーは罵声を浴びせかけてくる。 それにアルコリアはありったけの思いをこめて答えた。 「大好きだよ、バイバイ」 笑顔で引いた引き金。発射された弾丸はデイジーの眉間を撃ち抜いた――。 思い出にひたっていたアルコリアは、背後からの気配に振り向いた。 此処に寄るなんて言っていないのに、流石つきとめるのが早い。 「ただいま、ママン」 ご機嫌麗しゅう、小さな町の支配者様。 ご機嫌麗しゅう、小さな檻の囚われ人。 支配するということは支配されるということ。だからアルコリアはもう、この檻には戻れない。 「相変わらず寄る辺無い者が大好きなご様子で」 アルベルティーヌが引き連れている強面のドラゴニュートやゆる族の護衛を一瞥する。恐らく、契約競争に敗れた者たちを雇っているのだろうとあたりをつけて。 「フン、都合が良いからだよ。慈善事業やってるんじゃあないんだ」 護衛を下がらせると、アルベルティーヌは観察の目をアルコリアに走らせた。 「生きて帰ってくるとはねぇ。まあここは喜んでおくとするかね」 車を待たせてある、と踵を返したアルベルティーヌについてアルコリアは埠頭を後にした。振り返ることもせずに。 防弾使用の車ではアルコリアの父、牛皮消 蓮十朗が待っていた。 「ただいま、パパン」 「お帰り。誰かのお墓参りかい?」 「まあそんなとこ」 詳しくは話さずにアルコリアは車に乗りこんだが、蓮十朗はまだ楽しそうに話を続けている。 「いい思い出があるといいなぁ。ここはボクと妻との思い出の場所でもあるんだよ」 足をコンクリで固められたのは驚いたなぁと、穏やかに笑う蓮十朗は48歳。歳の割りには髪は黒々しているけれど、身体は見るからに弱そうだ。蓮十朗に家事を任せて自分は仕事に専念するアルベルティーヌは79歳。31歳の歳の差より何より、周囲に与える印象の違いに、何故この2人が夫婦なのかと首を傾げるむきも多いことだろう。 「今日はササミのチーズ焼きを作るからね」 運転しながらも、蓮十朗の楽しそうなおしゃべりはやまない。 「ササミチーズかぁ、久しぶりにいいかも」 カレー粉が隠し味になったササミのチーズ焼きは、父親の得意料理でもありアルコリアの好物でもある。 「海入も帰って来られたら良かったのになぁ。地球にいてもパラミタにいても遠くて寂しいよ」 「あら、カイリお兄様は帰れないんだ。またウイルスとか何か?」 「どうなんだろうねぇ。詳しいことは教えてくれないから心配だよ。けど、地元の祭にはきっと帰ってくると思うよ」 「そういうとこ、日本人よねぇ」 父親につられて、アルコリアものんびりとした返事をかえす。 まるで一般家庭のような日常の会話をしながら、ふとアルコリアは思う。 パラミタでの生活と地球での生活。なぜか地球の方が現実離れしているように感じるのはなぜなのだろうかと――。