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【第一章 黒い津波】
がやがやと生徒たちが立ち去った大広間で、数人の生徒だけがことさら時間を掛けて食事を続けていた。
「……ごちそうさま」
背の高い黒髪の青年、ギルベルト・アークウェイ(ぎるべると・あーくうぇい)が立ち上がろうとしたのを、隣に座った少女、東雲 いちる(しののめ・いちる)がズボンを引っ張って止める。
「ギルさん、お味噌汁が残ってますよ! 折角温めなおしてもらったのにもう! 飲んでください、じゃないと力でないですよ。腹がへってはなんとやらですよ。いいですか、味噌汁は体にいいんです。飲み干してください、いいですね? 大仏様は守る! お味噌汁は飲むです!」
「だが、さっさと行かないと校長より先に東大寺に着かないではないか」
「我が君、おそらくギルベルトは味噌汁が苦手なのでは?」
斜めに座った涼やかな青い瞳の青年、クー・フーリン(くー・ふーりん)の言葉に続き、その隣のソプラノ・レコーダー(そぷらの・れこーだー)も冷たい声で言い放つ。
「まあギルベルト、まだお味噌汁を飲んでいないのですか? いい加減にしやがれでございます。マスターのお手を煩わせるとは何事です。マスターの国の料理を僕である我らが食せなくてどうしますか。……マスターはイギリスも好きだが、日本も好きだと以前おっしゃったではありませんか。早く飲みやがりなさい」
「貴様らはどうなのだ!」
ギルベルトの叫びに、二人はそろって空っぽの碗を見せ付ける。
「クッ……!」
「さあ、早く」
いちるの大きな緑色の瞳に見つめられてはもう逃げ場がなく、ギルベルトは冷めかけた碗いっぱいの茶色の液体を一気に喉に流し込んだ。
「かはあっ!」
(クーめ、今日こそは犬をけしかけてゲッシュを破らせてやるから見ていろ!)
とりあえず涙目で宿敵クー・フーリンをにらみつけ、固く誓うギルベルトであった。
「全く、何をやっているんだか」
少し離れたところで食事をしていたヤジロ アイリ(やじろ・あいり)が情けなさそうに呟いた。「完全にいちるのペースじゃないか。ギルの未来が見えたな」
そして隣で親指をぐっと立てて目を細めているセス・テヴァン(せす・てう゛ぁん)をちらりと見、
「お前も何をやってるんだ?」
「友情ですよ、友情」
再び米粒をしっかりとかみ締めながら、セスは米に宿るという仏に祈りを捧げる。
(ギルのツンデレが直ったらつまらないのでこじらせますように。そして、いちるちゃんがギルのデレに早く気づきますように)
「さあ、そろそろ出発だぞ。ユピーナもちゃんと全部食えよ」
「もちろんだ。アイリ、大仏とは、とても大きいのであるな?」
「ああ」
「素晴らしい! おお、ぞくぞくする!」
ユピーナ・エフランナ(ゆぴーな・えふらんな)は赤い目をきらきら輝かせて宙に視線をさまよわせる。巨大な物が大好きなのだ。
それを見ながら、アイリはもしも校長のゴーレムのほうが大きかったらどうなのだろう、と一抹の不安を感じるのであった。
七人の生徒は、食事を終えると頷きあい、足音をひそめてもうすっかり暗くなった旅館の庭を出た。そして密かに箒を使い、他の生徒たちよりも先に東大寺へ向かった。
昇り始めた満月が、境内に向かう石畳を煌々と照らしている。
一足先に東大寺へ入り、参拝を済ませて校長たちから仏像を守る、というのが彼らの作戦だった。先回りは上手くいき、周りには誰の姿もない。だが、鹿が放し飼いにされている奈良公園を通り抜けながら、七人はなんとなく不穏な空気を感じた。
「なんだか、変だな」
アイリは周りを取り囲む森に目をやり、何か黒く長い影が木々の間を動くのを見た。
「いちる、今の見たか」
「はい。何か、走りましたね。奈良公園に住んでいる鹿さんでしょうか」
「おい吸血鬼、お前の目ならこの闇の向こうが見えないか」
まだ味噌汁のダメージから立ち直っていないギルベルトがふてくされたように「分からん」と返す。
「鹿だ、鹿だ。とにかく東大寺に急ごうではないか。おお、なんと勇壮な門だ! ソプラノよ、よく見るのだ!」
ユピーナは妹分のソプラノの肩に手を置き、月光に照らされて浮かび上がる東大寺をびしっと指差した。
「とにかく、急いだほうがいいですね。十九時が近づいています」
セスの言葉に、アイリといちるは顔を見合わせて頷きあい、先を急いだ。大仏殿に続く大きな門、国宝の南大門をくぐる。門の左右には、名高い金剛力士像、右に口を閉じた吽形(うんぎょう)、左に口を大きく開いた阿形(あぎょう)の巨大な木像が、明るい照明に浮かび上がって、生徒たちを睥睨する。
「すごい迫力ですねえ」
いちるの言葉に、アイリも頷く。
「しかしこれが動くなんて、本当にありうるのか?」
その時、背後から近づく何者かの気配を、七人全員が感じた。一斉に振り向いた一同がみたものは、奈良公園の森から湧き出て急速に近づいてくる、巨大な黒い津波であった。
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