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■第3章

 オペラ座の支配人はドビニーとポリエンヌからフィルマン・リシャールとアルマン・モンシャルマンに変わった。
 新支配人の2人はドビニーたちと違って、新人のクリスティーヌを起用しようとはしなかった。『オペラ座の怪人』を名乗り、彼らに命令の手紙を送りつけてくる謎の人物の言いなりになるのは腹立たしいことと考えたからだ。
 オペラ座を支配しているのは自分たちだ。

 彼らは手始めに、長年怪人との仲介役となっていたマダム・ジリーを解雇し、新たに別の女性を雇い入れた。
 怪人の指定席である5番のボックス席は年間予約を破棄され、チケットを売りに出す。
 オペラ座のプリマドンナは経験もあり名も知れ渡ったカルロッタで、それはこれからも変わらない―――

 それは、クリスティーヌを敵視しはじめたカルロッタの策でもあった。

 知り合いの有力者たちに頼んで、クリスティーヌにいい役が回らないように手を打ったのだ。
 新聞はカルロッタの成功記事ばかりを載せるようになり、クリスティーヌの名前は紙面から消えた。
 そしてそれに飽き足らず、舞台裏でもクリスティーヌの悪口を言いふらした。
 シャニィ子爵とのロマンスのうわさがさらにそれを悪化させ、愛人の力で役を手に入れたにすぎない、悪賢い女という評判が立つのは避けられなかった。
 もともとつながりの薄かった女優仲間たちは彼女から離れていき、ついにはスタッフも、だれも近づかなくなった。――それはクリスティーヌの望みでもあったが。
 クリスティーヌは再び村の若者役に戻り、コーラスとしてカルロッタを引き立てる歌を歌い、決してソロで歌うような機会は与えられなかった。


 そんな中、一通の手紙が支配人の元に届けられたのである。


『わたしはこの事態をとても由々しきものと考えている。
 これはオペラ座にとっても、聴衆にとっても、実に耐えがたき惨状だ。
 このままではそう遠くない未来に、オペラ座は消滅してしまいかねない。
 あなた方が今でも平和的解決と事態の収拾を望むのであれば、以下の4つを受け入れろ。
  1.5番のボックス席を永久会員予約席としてわたしに返すこと
  2.今夜の『マルガレーテ』をカルロッタでなくクリスティーヌ・ダーエに演らせること。
    カルロッタのことは気にしなくていい。
  3.マダム・ジリーを復職させること
  4.わたしに月給を支払うこと――』


「これがわたしからの最後通牒だ。さもないと、今夜あなた方は悪魔に呪われた劇場で『ファウスト』を上演することになるだろう。OのFより、と」
 ふむふむ、とルカルカ・ルー(るかるか・るー)扮するミフロワ警視は怪人からの手紙を読み上げた。

「この「OのF」って何ですか?」

「オペラ座の怪人(ファントム・ジ・オペラ)です。やつは、そう名乗っているんです。ばかばかしいことに」
 警視からの問いに、モンシャルマンは頬杖をついたまま答えた。

「なるほど。ではあなたは、これに応じる気はないと?」

「あたりまえだ! 脅迫に屈するばかがどこにいる!? まったく、どいつもこいつも……さっき「オペラ座の怪人が、あなたがわたしに用があると言付けてきまして」と、ジリーがやってきましてね! 蹴り出してやりましたよ!!」
 それっきり口を開こうとせず、ふてくされたような態度はいかにも非協力的だ。
 ルカルカは後ろについた助手の刑事――エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)と顔を見合わせ、肩をすくめた。
 どうやら彼の協力は得られそうにない。

「どうしよっか?」
「支配人はもう1人いるから、そっちは協力してくれるかもしれない。そちらをあたろう」
「そうね」

 2人は廊下に出て、そこで待機していた狩生 乱世(かりゅう・らんぜ)グレアム・ギャラガー(ぐれあむ・ぎゃらがー)刑事に脅迫状を見せた。

「――ふん。それで、ここの支配人には応じる気がないと」
 乱世は読み終わった脅迫状をグレアムに渡した。
 グレアムもそれを読んで眉根を寄せる。
「そうなの」
 当然だ、と乱世は腕を組んだ。
「脅迫には絶対屈するべきではない。それは鉄則だ」

「でも彼が頑固に応じなかったせいで、このカルロッタって人が被害をこうむるのは間違ってるわ」

 ルカルカの言葉ももっともだ。乱世は頷いた。
「でもこれだと意味がよく分からないよ。悪魔に呪われた劇場? ファウストを上演? 実際ここの劇場はファウストを上演しているし、それで何が脅迫なのか…」
 さっぱり分からない、とグレアムはもう一度読み直す。
 どこか、何か、見落としはないかと。
 カルロッタのことは気にしなくていい――この一文が、ひっかかるといえばひっかかるが、しかしこの書き方では、これが脅迫にあたるのかさえ分からなかった。

 単純に、無視すればいい、ということかもしれない。だが、気にしなくてもいい存在になる、ということだと、それは……かなり不穏だ。

「それで、あたいはどうしたらいい?」
「乱世とグレアムにはカルロッタの警護をお願いしたいの。ルカとエースはもう1人の支配人にあたってくるから」
「それと、ほかの出演者たちにも事情聴取だな。今までにもこういうことがあった可能性がある」
「分かった。行こう、グレアム」
「うん」
 乱世はきびすを返し、グレアムとともにプリマドンナの控え室へ向かった。

 現実であれ、本の世界であれ、悪党はいる。
 自らの欲望をかなえるためなら、他人を犠牲にしても平気な輩が。
 乱世の正義感はその存在を是と認めることを拒否した。

(ファントムは捕まえる。この手で、必ず)

 乱世は固く誓った。



 劇場は、怪人からの手紙のうわさ話でもちきりだった。
 美術スタッフ、大道具係、その助手たちにいたるまで、舞台準備をこなしつつそのことについて話している。
「うわさって、すごい勢いで広まるのね」
 ぐるっと周囲を見渡して、どこか感心した口調で頷くルカルカ。
 2人はまず、支配人のリシャールがいるというオペラ歌手のトレーニングルームに向かった。



 トレーニングルームでは、現在新しいプリマドンナ選出の真っ最中。

「そこ! 今半オクターブずれただろう!!」

 遊馬 シズ(あすま・しず)扮する声楽主任ガブリエルが、ずらりと並ぶ女性たちに向け、容赦なく檄を飛ばす。
 ずれた、テンポが悪い、ブレスができていない、感情表現が甘い――ガブリエルは次々と彼女たちのミスを見つけては切り捨てていく。
 まさに鬼教官だ。

 しかし彼女たちはひるまなかった。
 音楽院を卒業後、われこそが次代のプリマドンナとの意気でオペラ座に就職した彼女たちにとって、代役とはいえ舞台の主演を務めるのは大きなチャンスだったからだ。

「……代役にすることにしたんですか?」
 エースの問いかけに、プリマ・バレリーナのソレリが頷いた。
「リシャール支配人はそのつもりみたい。クリスティーヌじゃなくて別の人なら問題ないだろう、って」
 それって結局同じなんじゃ?
「手紙はクリスティーヌと名指しでしたよ?」
「カルロッタの手前、ねぇ…」
 困ったものね、と言いたげにソレリは首を振った。

「じゃっど、あの調子だと無理でねすか?」
 一般バレリーナに扮した奈月 真尋(なつき・まひろ)が小首をかしげながら言う。
 一体どこの言葉か、いろんな地方のなまりが混じったなぞの方言しゃべりだ。
 当然アクセントもおかしいので、聞いている方は、ええ? となるが、真尋は全く気づいていないらしい。
「全員落としよるきに、あん教官」
 そう言う間にも、ガブリエルは次から次へと難癖をつけ、審査の列からぽいぽい女の子たちを放り出していく。

「えー? でもそうしたらだれも演る人いなくなるよ?」
 とは、同じく一般バレリーナに扮した東雲 秋日子(しののめ・あきひこ)
 ちょっと声が大きすぎたかと、あわてて口元に手をあてる。

「そったら、男性歌手でもえいんでねす?」
 男性ソプラノ歌手が全くいないでもないし。この際、テノールのマルガレーテも斬新でいいかもしれない。
 真尋の大胆な提案に、秋日子はのけぞった。
「真尋ちゃん、マルガレーテは女性だよ?」

「舞台の役に、役者はんの性別って関係あっとですか?」

 ……う。
 それを言われると、ちょっと弱い。
 なにしろ、クリスティーヌだって村の若者役を演っているのだから。
 男性がマルガレーテ役を演ったって、無理はない……かな?

「――いや、あるよ! 大アリだよ!」
 やばい、流されるとこだった!
 秋日子はブルブルっと頭を振って、ドレスを着たいかつい男性歌手の妄想を消す。

「お客さん、絶対そういうの見たくないよ! 男装の麗人ならともかく!」
 男性版マルガレーテとファウストの愛の歌とか、ラブシーンなんて!
 身ごもってるシーンなんか、どうするの!? 枕をおなかに入れた男性が出てきたらギャグにしかなんないから!

「大体、オペラ座の怪人にそんなシーンあったっけ!?」
 ないでしょ!? 多分だけど!
 全然知らないけど! きっとないって!

「じゃっど、百合やBLが許されるんは二次元だけの特権じゃねぇですか」

「……三次元でも許されてると思う――って、はっ!? ま、また流されるとこだったっ」
 両手で頬を挟んで自分を叱りつける秋日子。

(――でもここは本の世界で、たしかに二次元だし。そうしたら、やっぱりアリなのかなぁ?)

 ファウストと男性版マルガレーテの禁断の愛の歌…。
 ついつい想像して、口元を緩ませてしまう秋日子だった。



「いやでも、真面目な話」
 こほ、とエースが空咳をして、秋日子たちの会話に興味津々耳をすませていたソレリたちの意識を自分に向ける。
「怪人は、要求に従わなかった場合、何かしでかすと思いますか?」

 そりゃあねぇ、と全員が声を揃えてため息をついた。

 ここだけの話、とジャンムが声をひそめる。
 エースは、それが「ここだけ」でないことは十分承知の上で、真剣に頷いて見せた。
「道具方主任のビュケ主任の自殺も、怪人の仕業だって言われてるの」
「怪人を見たって吹聴してたから」

「えっ? なになに?」
 耳聡く聞きつけた秋日子と真尋が割り込んでくる。
 エースを囲む女性の円は少し窮屈になったが、エースは全く気にせず――むしろ歓迎して、2人に説明をした。

「ほかにもいろいろと……その……壁の向こうから靴音がしたりとか、不自然な物音がしたりとか…」
「それに、この前のカルロッタの事故!」
「彼女が舞台袖の階段を下りていたら、ライトがいきなり消えて……だれもスイッチには触っていなかったのに」

「――ビュケの死は自殺ってことになってるわ」
 ルカルカが背後から近寄ってきて、こそっとエースに道具部屋から仕入れてきた情報を教える。
「舞台の地下で首を吊ってるところを発見されたそうよ」

 事件性はなし。だから警察も怪人については捜査をしなかった。
 だけどみんな、疑っている。ビュケは怪人を見たせいで殺され、カルロッタの事故も怪人が起こしたのだと。
 その怪人から手紙がきたわけだから、今度もまた何か起きるに違いないとおびえているのだ。
「支配人は、先日来たばかりだから……前の2人は、ちゃんと怪人に敬意を払っていたんだけど…」

「怪人はすでに殺人も犯している、か」
 なら、また起こすことも十分ありうる。

「やっぱり、クリスティーヌにするべきじゃないかなぁ。怪人からのメッセージだもん、無視するのはよくないと思う…」
 秋日子がここぞとばかりにソレリたちバレリーナにささやき、うんうんと同意をとったとき。

「全然駄目です。使い物になりゃしませんよ、支配人!」
 ガブリエルが声を張り上げた。
 あれだけ女の子たちがいたのに、真尋の予想通り、彼の前にはだれも残っていない。

 部屋の隅でバイオリンを演奏していた者にやめるよう合図したガブリエルは振り返り、そこでイスに掛けているリシャールに歩み寄った。
「よくあれで国立高等音楽院を卒業できたものだ。どいつもこいつもヒキガエル並の声しか出せやしない」
「……きみが、そんな怒り口調だから、みんな萎縮してしまって本力が出せなかったんじゃないかね?」
 リシャールは力なく反論した。
 1人も残らなかったことに、本気でがっかりしているようだ。
「この審査に通れば、彼女たちはオペラ座の舞台で満員の客の前で主演を演るんですよ? そんなノミの心臓では最初から無理です!」
 ガブリエルの言うことはもっともだった。
 皆、カルロッタを傲慢な自信家と言い、鼻持ちならない女王と評するが、ここぞというときの胆力が彼女にはあった。
 どれだけの客を前にしようとも、決してひるまない、舞台の上では絶対に音程をはずさない、プロとしての張りを持っていた。

「こうなればもうクリスティーヌを起用するしかないでしょう」
 観衆の中から進み出たエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)が進言した。
 白いタイツに緑のチョッキ――バレエダンサーの衣装だ。

 ぶぶっっ、と一部で吹き出す声が起きる。――スウィップ、グッジョブ!

 しかしエヴァルトはそんな反応にもひるまず、続けた。
「……クリスティーヌはほんの数カ月前まではただのコーラスガール、何のテクニックも持ち合わせてはいなかった。その彼女が急に実力をつけた原因がファントムにあると仮定すれば、この程度は受けるべきです。
 また、仮定が正しければ、クリスティーヌはファントムに心酔している可能性がある……要求が受け入れられない場合、ファントムは彼女を連れ去るおそれもあります」
「だから?」
「これは貴方自身のためにもなる。新しい役者が出ればファンも増え、興行収入も上がるはず。新支配人として実績を残せるとなれば、悪い条件ではありますまい」
 エヴァルトの言葉に、リシャールは一応考えてみた。
 クリスティーヌはたしかに技巧があり、才能もあった。客受けもよかった。
 しかし、いろいろな有力者からにらまれてもいた。――カルロッタのせいだが。
「……彼女を使うなというのがスポンサーたちからの指示でね…」
 興行収入だけではオペラ座はやっていけない。
 年間会員となって多額の費用をボックス席の予約に費やしてくれる貴族たちからにらまれれば、オペラ座は立ち行かなくなってしまう。

 ああ、しかし!

「これ以上〜怪異なことが起きるのも〜避けたいわ〜♪」

 いきなりリシャールが立ち上がり、裏声の高音で歌いながら片手を胸に、片手を宙に伸ばした。

(はあーーっ?)
 その唐突さとこれまでのギャップに、場にいる全員目がテンになる。

 ――ついに狂ったか、リシャール!?

 だがしかし、リストレイターたちにはそのナゾが分かった。いつの間にやらリシャールと二重写しになっている人物がいたからだ。
 それは、多比良 幽那(たひら・ゆうな)だった。

 彼女は「この場面、踊りながら要求を飲んだらオペラ・ミュージカルっぽくていいんじゃないかしら?」という思いつきで、リシャール支配人になることを選んだのである。

 そして当然、ミュージカルに必要なのは群舞!
 パチン! リシャールが虚空に向かって指を鳴らす。

 わ! とアルラウネ・アコニトムが足元にぴょこん。
 わ! わ! とアルラウネ・ヴィスカシアが後ろからひょこっ。
 わ! わ! わ! とアルラウネ・ディルフィナがさらにその後ろから。
 わ! わ! わ! わ〜! とアルラウネ・ラディアータ、アルラウネ・ナルキススがさらにさらに後ろから手――根っこ?――を伸ばしつつ、コーラスをする。

 かわいい5体のアルラウネをバックダンサーとし、リシャールは衆目の中、苦悩のダンスを踊った。

「また〜もし何かあーれば〜きっと〜いやなうわさが広まるもの〜♪」
    わっわわわっわわわっ♪

「でも〜〜チケの払いもどーーしはいや〜〜公演〜中止〜だけは避けたーーーいわーーーー♪」
    わっわわっわわっ♪

「そのため〜ならば〜〜〜ああーー その〜ためならば〜〜♪」
    どぅわっどぅわっどぅーーー♪

 バイオリストが奏でる中、キラキラ輝く粉と花がどこからともなく降りそそぎ、スポットライトが当たっている。
 一体どこから? などと言ってはいけない。
 彼女はリストレイター。クリエイター権限を持っているのだ!
 どんなシチュエーションも小道具も、思うがままに作り出せる。

「そう! そのため〜ならば〜〜 クリスティーーーーヌもやむをーーーえな〜〜ぁいわねえぇ〜〜♪」

 スチャ!! 舞い落ちる花を手で受けて、エヴァルトに突き出してポーズを決める。
「あ……ああ…」
 すっかり唖然としていたエヴァルトは、反射的に差し出された花を受け取った。
 超展開についていけてない彼の頭でも、リシャールが自分に賛同したのは分かる。

 とりあえず、それだけ分かってればいいだろう! うん!

「……ま、うまけりゃ俺はだれでもいいけど」
 ガブリエル――シズも、チカチカする目をこすりながら同意して、3人でモンシャルマンの部屋へ向かう。


 しかし、もうこの件にすっかり腹を立てきっていたモンシャルマンは、彼らの話を聞こうともしなかった。
 シャニィ伯爵は弟の愛人のクリスティーヌを重要な役に据えろと言うし!
 そのほかの貴族たちはクリスティーヌを追い出せと言うし!
 カルロッタは「これはクリスティーヌのわたしを貶めるための陰謀!」と朝からずっとわめきたててるし!

 ああ、どいつもこいつも!

「……わたしの前で、二度とその名を口にするなーーっ!!」

 3人は、ぽーーーんと部屋から蹴り出されてしまったのだった。