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■第8章

「さあっ、いよいよ俺の出番やで〜!」
 右腕をぐるぐる振り回し、日下部 社(くさかべ・やしろ)はリストレイターの待機場所、真っ暗な闇の中から躍り出た。

 怪人をやるのではない。
 社として怪人をやるのだ。

 ――あー、ややこしいっ!

(ふっふっふ……すまんがファントムには眠ってもらったわ…。
 ま、安心せぇ。クリスティーヌくん、きみのことはこの俺がバッチリ特訓して、立派なアイドルにっ! ――ごほん。
 いや、立派なプリマドンナにしたるから、俺に任せておきたまえ…)

 はやる気持ちの表れか、前方に向けて両手の指を無意味ににぎにぎさせながら練習室へと入る。
 そこにはクリスティーヌとアキラ、紫音がいて、基礎練習をしているところだった。
「待たせたなぁ」
「エリック」
 クリスティーヌは歓迎の笑みを浮かべるが、その後ろのアキラと紫音が、怪訝そうに眉を寄せる。二重写しになってすらいない。どう見てもリストレイターの社が怪人の格好をしているだけだ。
 だが彼らだって文句は言えない。その他大勢という役回りにしろ、リストレイター自身で参加しているのだから。
 社はそこまでも読んでいた!

 こほん、と社は空咳をして、ハープの前に立つ。しかしこんなもの、社に演奏できるはずがない。
 というか、最初からする気もない。
 固定されたハープに肘をもたせかけ、余裕ある男っぽくちょっとかっこつけて見せたかっただけだったりする。
 そしてできる限り真面目に聞こえるよう、低音の作り声で話しかけた。

「クリスティーヌくん、きみにはこれまで数々の技を伝授してきた」
「はい、すべてエリックのおかげです」
 クリスティーヌは素直に頷く。
 ――いや、それおまえじゃないだろ。
 アキラと紫音はツッコミを入れたかったがそうもいかず、引きつった笑顔で見るだけだ。

「俺の与えた厳しい特訓にも耐え、きみは見事プリマドンナにふさわしい歌唱力、演技力を身につけた!」
 目を閉じ、フッと無意味に首を振る社。どうやら本人はかっこいいポーズのつもりらしい。
「エリック…! ありがとうございます!!」
「だがしかしッ!!」
 ――カッ!!
 社の目が見開いたそのとき、まるで星のごとき輝きがその双眸から放たれた!

「ううっ……まぶしい…!!」
「なんだ!? このマンガ的表現は!?」
 思わず手で影を作る2人。
 社の背中からは、ずももももも〜〜〜といった効果音まで入りそうな、暗黒オーラが放たれている。それが、強風のようにアキラと紫音に吹きつけた。

「ア・プリマドンナ・イン・ザ・プリマドンナ!! 真実のプリマドンナになるためには、それよりももっともっと大事なものがある! それが何か分かるか!? クリスティーヌくんッ!!」
「ぜひ……ぜひご教授ください、エリック!!」
 なんだか分からないけど妙に力説するエリックの勢いに押されるまま、その場に膝をつくクリスティーヌ。
 このときの彼女は、エリックに全幅の信頼を寄せていた。
 彼女にとってエリックは神と同じ存在――いいや、彼は<音楽の天使>なのだ!
 彼の言うことに間違いがあるはずがない!!

 信じきったきらきらの眼差しで自分を見るクリスティーヌに
「それは、『萌え』や!!」
 社は言い切った!

「萌え…?」
「そう! 萌え! それもただの萌えとちゃう! 何人舞台に立とうとも観客全ての視線を自分1人に釘付けにするほどに強力な萌えや!!」
 ザパーーーーン!
 社の後ろには、岩にぶつかる荒波の様子まで見えた。

 さっきから、なんという無駄なクリエイター権限発動!
 しかも言葉づかい、地に戻ってるし!
 もう『オペラ座の怪人』のことなんか頭にないだろ、おまえ!

「萌え……それがあればわたしはオペラ座のプリマドンナになれるんですね!!」
「なれる!」
――え?

「間違いなく、きみがクイーン・オブ・ザ・プリマドンナやで!」
――ええっ?

「さあ! そんなきみにこれを渡そう。萌えの三種の神器! ネコ耳・メイド服や!!!」
――3つめはどうした? 社! シッポか鈴首輪が必須だろう!!

「今すぐこれをつけて「今日もがんばるニャン♪」と言ってみるんやっ!「お膝でなでなでしてほしいニャン♪」でもいいぞ!!」

 アキラと紫音が脱力している隙にクリスティーヌはいそいそと着替え、ネコ耳メイド服姿で言った。
「きょ……今日も、がんばる、ニャン…?」
 やっぱり意味がよく分かってないせいか、声に力がない。
「あかん! もっと強く! もっとかわいらしく! 手は指を内側に折り曲げてこう! これは東洋でラッキーを招くポーズなんや! そして目線は少し上向きで、相手を覗き上げる感じで!!
 さあもういっぺん!」

「今日もがんばるニャンっ♪」

 愛らしいクリスティーヌの姿に、社は感動の嵐に襲われ滝の涙を流した。
「カンペキや! クリスティーヌくん、カンペキなネコ耳メイドやで!!」
 鼻をおおった手の下から、たらりと血の筋が垂れる。
「これでわたしは真実のプリマドンナになれるんですね!」
「もちろんや!『846プロダクション』社長兼プロデューサーであるこの俺に任せとけ〜♪(キラリ〜ン☆」

「――いいかげんにしろ、このあほう!!」

 アキラと紫音の攻撃技炸裂!!


 ウルクの剣を突き刺され、瀕死状態で転がっているところを使い魔のネコにサックサックと引っかかれている社。
 それでも彼は幸せだった。
 クリスティーヌの萌え姿が見られたのだから…。