|
|
リアクション
■ニルヴァーナの石の防衛
伝統パビリオン、『ニルヴァーナの石』展示場。
新天地ニルヴァーナ。
ポータラカ人たちの麗しき故郷ニルヴァーナ。
展示場は、ニルヴァーナへ向けられた希望を表すように明るく爽やかな造りとなっていた。
全体的に壁は空をイメージしたブルーで、背の低い草に覆われた草原のような床は、屋内なのにまるで丘のようなゆったりとした緩急が設けられている。
そして、広い天井へ存分に枝葉を伸ばす木々。
明かりは温かな太陽の日差しを思わせる柔らかさに調整されており、空調からは自然の風を模した微風が吹いているため、夜なのに昼寝がしたくなってしまう。
その中央の細い円筒状の透明な展示ケースの中に、ニルヴァーナの石は置かれていた。
「っと、こんなもんだろ」
ケースの周辺に罠を仕掛け終え、姫宮 和希(ひめみや・かずき)はトントンと自身の腰を叩いた。
「終わったか」
ガイウス・バーンハート(がいうす・ばーんはーと)に問いかけられて、和希は軽く笑みやった。
ガイウスの顔には黒い塗料が塗りたくられていた。
展示物近くの影に潜むためだ。
「開園前には、また解除するけどな」
「難儀なことだ」
「大したことねーよ。
というか……おまえの方が毎日大変な気もする」
ガイウスの真っ黒顔をまじまじと見て、つい、クスクスと笑ってしまう。
そんな二人の後方では、クローラ・テレスコピウム(くろーら・てれすこぴうむ)がニルヴァーナの石へサイコメトリを行っていた。
「――ふむ」
「どうだった?」
セリオス・ヒューレー(せりおす・ひゅーれー)に問われて、クローラが石を丁重にケースの中へ返しながら。
「おそらくニルヴァーナだと思われる風景が見えた。
有り触れたような草原の景色だったが、不思議と、パラミタとは違うと確信できるものだ。
それと、もう一つ」
「もう一つ?」
「シャンバラから見た月の風景」
「シャンバラから見た月?
なんでまた……」
「分からない。
だが、その月の風景で感じた感情は、まぎれもなく……恐怖だった」
■
「――ここで、あえてニルヴァーナの石狙いたな」
白津 竜造(しらつ・りゅうぞう)は、天井付近から展示場全体を覗き込みながらボヤいた。
「一番、警備が厳重じゃねぇか。
それだけ誰もがあの石には何かしら想うとこがあるってことか?」
「…………」
彼の傍で同じように様子を伺う松岡 徹雄(まつおか・てつお)からの言葉は無い。
そんな事はとうの昔から分かりきっていることで、竜造は一人続けた。
「さて……ここまで来んのは案外簡単なんだ。
問題はこっから。
昼間の内に十分下見はしたが、石に手ぇ出したが最後、万全の逃走経路なんて何処にもねぇからな。
リスクは高ぇぞ」
竜造の言葉を横に、徹雄はさざれ石の短刀を引き抜いていた。
竜造は海神の刀を引き抜き、
「まあ……だからこそ俺がここに居るってとこもあんだが」
下方へと飛び出し、着地と共に煙幕ファンデーションを撒き散らした。
「来たな――
いや、聞いていた手口と違う……別口か」
超感覚を働かせた犬耳をピンっと立てて、マイト・レストレイド(まいと・れすとれいど)は突如として展示場に侵入してきた不審者の方へと駆け出していた。
(しかし、捨て置くわけにはいくまい)
煙幕の中へと飛び込む。
そして、マイトは気配を頼りに戦闘用手錠を放った。
ボッと煙幕の粒子を掻き切って手錠が飛んだ先――
煙る視界の先で一刃が閃き、手錠の弾かれた高い音と竜造の強く笑ったような声が響く。
「ハッ、甘ったるいもん使ってんじゃねえよ。
真剣で来い。目ぇ血走らせて、本気出して、身体張って止めに来いって」
そんな嘲笑めいた調子の方へと、コントラクターたちが次々に立ち向かっていったようだった。
時折り、霞む視界の向こうで切り結ぶ影と影。
コントラクターらしき者の方が打ち倒されていく。
マイトは一筋縄ではいかない相手だと確信した。
(昼間楽しませてもらった分、きっちりとやりきって返せってことだろうな)
昼間、ターリア・ローザカニナ(たーりあ・ろーざかにな)と共に万博を見学したことをチラリと思い出しながら、彼はスタンスタッフを手に構えた。
他のコントラクターが距離を詰めていくのに合わせ、身を滑らせる。
一方、竜造が展示場に乱入した直後、徹雄はニルヴァーナの石へと向かっていた。
彗星のアンクレットによる加速を得て、誰にも気づかれぬように展示ケース付近へと近づいた――瞬間。
パン、と足元で何かが弾けたような音がした。
己の思考が危険な状況だと把握するより早く、徹雄はその場から逃れようと上半身を空に投げていた。
紐状の物が床を素早く這いずった気配が聞こえ、徹雄の足先をそれが掠める。
彼の足を捕らえる筈だった紐が虚空を踊って落ちたのを背に、徹雄は体勢を立て直し、ニルヴァーナの石の展示ケースに手を掛けた。
と――
「『見えて』たよ、泥棒さん」
酒杜 陽一(さかもり・よういち)の声と共に展示ケースに対電フィールドが張られた。
展示ケースの向こう側。
油断なく竜造たちの方を睨み続ける陽一の、その額に在った大帝の目がギョロリと徹雄を見据えていた。
そして、視界を巡らせた徹雄は、雷気を迸らせているフリーレ・ヴァイスリート(ふりーれ・ばいすりーと)の姿を見つけたのだった。
「分かっておるだろう?
無謀にも、この警備の中に突っ込んできたのだ――覚悟を決めろ!!」
放たれたサンダーブラストが対電フィールドに護られたケースごと徹雄へと降り注ぐ。
陽一らに阻まれた徹雄が離れていった展示ケース付近。
「こ、ここで下手に動いたら負け、だよね……?」
皆川 陽(みなかわ・よう)は、二人の乱入者によって混乱を極めていく展示場の様子を見ながら、誰ともなく呟いた。
「ええ、本命は未だ現れてはおりませんゆえ」
沢渡 隆寛(さわたり・りゅうかん)が言って、視線だけを薄く陽の方へと向ける。
「うん……」
陽は自然、メガネのふちに指先を触れながら、喉を鳴らした。
隣、テディ・アルタヴィスタ(てでぃ・あるたう゛ぃすた)が油断無く周囲を伺いながら。
「例えば、僕が件の賊だったら、この状況は千載一遇の好機として――」
言いかけた、その時。
シュンッ、と展示場の端を走った影を、陽は見逃さなかった。
「き、来た……テディ!!」
「イエス、マイロード」
凄まじい速度で迫る影へ向かって、テディが床を蹴る。
流れるように構えた片手の黄金銃で一発――。
弾丸は影を捉えきれず床を叩いた。
一方、テディの身体は銃の反動を利用して、しなやかに回転しながら影の逃れた方へと飛んでいた。
彼のもう一方の手にあった黒曜石の覇剣が振り出される。
しかし、切っ先は空を切り。
刹那。
陽の肩を掠めた影によって展示ケースが開かれた。
目にも止まらぬ速さで、石が姿を消す。
この至近距離で、陽はあることを確信した。
(やっぱり、少なくとも獣人じゃない)
陽の持つ召喚者の知識から感じるものが何も無かったのだ。
「って――に、逃さないから……!」
ハッと我に返り、陽は己のメガネに手を掛けた。
「てい! 必殺・メガネフラッシュ!!」
シッパーーーーンッとメガネから打ち放たれた光術の大光量が影を飲み込む。
まともに目眩ましを食らったらしい影が、光の中で動きに精細を欠き、
「ナイス・メガネです!」
近くの展示棚の上に身を潜めていた沢渡 真言(さわたり・まこと)が影の方へ、ベルフラマントをはためかせながら身を馳せた。
「というわけで、石を返しなさい!」
真言の体当たりが影を掠める。
そして、その衝撃で影の手を離れたらしい石が、ッコーンと床に落ちた。
それをすぐさまモードレット・ロットドラゴン(もーどれっと・ろっとどらごん)が拾い上げる。
モードレットが石を確保したのを確認し、隆寛が安堵の息を漏らした。
「これで石は一先ず安全でございますね。
陽殿、賊はテディ殿と真言殿たちに任せ、私たちは石を持つモードレット卿の護りにあたりましょう」
「え……あ、うん」
と、石を覗き込んだモードレットの表情に、かすかな変化があった。
それに気づいたのか、隆寛が薄く片目を細める。
「……モードレット卿?」
「で、どうするんですか?」
誰よりも早くモードレットの元へ近づいて来た久我内 椋(くがうち・りょう)が、耳打ちをするように、モードレットのみに聞こえる程度の小声で口早に訊いてくる。
モードレットは石を確かめていた視線を、未だ真言らと交戦中の影の方へと向けた。
「賊の動きが予想以上に早過ぎる。
こっちから追って交渉するのは無理だな」
「しかし、石はここにあります。
十分に交渉可能なのでは?」
「奴は、もう手に入れている。用意周到な奴だ」
モードレットの言葉に、椋がわずかな沈黙を挟んでから。
「なるほど。つまり、今、その手にあるのは――」
「偽物だ!」
椋の言葉尻へ重なるように、クローラの鋭い声が響いた。
石を指す彼の言葉が、モードレットの漏らした小さな舌打ちをかき消す。
「先ほどまで確かに在った『問答無用でニルヴァーナの石』だと思わせる気配がない!
本物は賊が持ったままだ! 逃がすな!」
勘付くのが早過ぎる。
おそらく、初めから石のすり替えに警戒していたのだろう。
そういえば、もう一息のところで採用はされなかったものの、彼は石のすり替えに似た囮作戦での防衛案を提案していた。
ならば当然、敵がそれを行うだろう想定も頭にあったか。
影が展示場の外へと逃れていく。
その後を追うコントラクターたちの数は少なかった。
すでに竜造と徹雄は捕らえれられていたものの、彼らによってシバき倒されていたコントラクターが多かったためだ。
モードレットは他人に悟られぬように薄く舌打ちして。
「クローラ、だったか……勘の良い野郎だ。
おかげで賊に恩も売れやしない――椋、俺たちも賊を追うぞ」
「チャンスがあれば賊の手助け、ですか。
そんなに賊の成そうとしていることに興味が?」
「『何か』があるのなら、こんな所でただただ見世物になっているより、よっぽど良いと思わないか?
その何かに立ち会えれば、最高なんだがな」
正直、賊の手助けを出来るタイミングは無さそうだったが、万が一にでもチャンスがあるかもしれない。
ひとまず賊を追うフリをすることにして、モードレットは椋と共に展示場を後にしたのだった。
その後、コントラクター達はパビリオン内で賊を見失うこととなる。
――ニルヴァーナの石――
防衛 失敗……!
竜造と徹雄はコントラクターたちに捕らえられ、万博運営本部により、
万博期間中24時間トイレ清掃という熾烈な強制労働を命じられた。
徹雄にとって何より地獄だったのは、強制労働執行中(休憩中も含む)の喫煙を禁じられたことだった。