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第9章 ラズィーヤと青い薔薇


 ヴァイシャリー屋敷を始めとする島北部一帯は、貴族達の邸宅が集う高級住宅街となっている。
 当然のように豪邸が多いのだが、貴族とはつまり古代シャンバラ王国時代から続く血筋ということになり、豪邸も多区域より年代物が見られる。住みやすく改築する貴族もそれなりにいるのだが、外観はそのままにリフォームする者が多いためだ。これは血筋を誇るという点の他にも、かつてのヴァイシャリーの風景を保ちたいという愛郷心やノスタルジックな思いからだろう。
 観光マップを作成するにあたり、ここにも一応触れておいた方が良いだろうとラズィーヤが判断したのは、そうした歴史的建造物が多く集まっているからであった。
「ラズィーヤ様、ラズィーヤ様。私、ラズィーヤ様のお気に入りの場所やご趣味を是非お伺いしたいですわ」
 閑静な住宅街を優雅に闊歩するラズィーヤにはイルマ・レスト(いるま・れすと)が仔猫のようにまとわりついている。
「ラズィーヤ様とご一緒できるなど、身に余る光栄ですわ……ラズィーヤ様あちらは何でしょうか、ラズィーヤ様……ラズィーヤ様ラズィーヤ様ラズィーヤ様」
 イルマのメイド服に付いた腰のリボンを、くいくい朝倉 千歳(あさくら・ちとせ)が引っ張る。何ですの、と眉をひそめるイルマに、
「ねぇ、ここって奉公先があるところじゃなかったっけ? 見慣れてるんじゃないの?」
 こそっと耳打ちする。
「あら、この際それは関係ありませんわ」
「んー、なら、いいか。ごめん」
 千歳は苦笑して謝ると、イルマより一歩引いた位置で彼女の嬉しそうな横顔を眺めることにした。
 今日一日、ラズィーヤの追っかけになることは覚悟の上だ。パートナーのイルマは、「ラズィーヤ様ファンクラブ」を運営──何故だか運営される会員の数には触れない方がいいのだが──するくらいのファンだ。
 イルマがラズィーヤに日傘を差し掛けたり、ラズィーヤに近づく虫を追い払ったり、甲斐甲斐しく世話をする表情は幸せいっぱいだ。
 彼女が発行する会報の材料にすべく、千歳は「パラミタがくしゅうちょう」にラズィーヤ語録をメモしていく。
「趣味……ふふ、可愛いものを眺めたり集めることかしら? ……では、お気に入りの場所にご案内しましょうか。以前どこかでお話したことがありますけれど、私は薔薇、それも特に青い薔薇を好みますの」
 彼女はそう言って、ヴァイシャリー屋敷の方へ歩いていく。歩いていくのだが、直線ではなく、道をまっすぐ行っては妙なところで折れながら進む。
「あら、ここはパウエル家の……あれは誰かしら?」
 イルマがふと首を傾げた。彼女が仕えるブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)の生家の裏口を通り過ぎたのだ。高く張り巡らされた塀に、鉄の装飾門。門の向こうに、見慣れぬ赤髪の少年の姿があった。少年は、こちらは勿論見知った顔の執事の一人に何やら指導されているようだ。


 赤髪の少年スレヴィ・ユシライネン(すれう゛ぃ・ゆしらいねん)がヴァイシャリーを訪れるのは、二度目になる。普段は遠いタシガンで暮らしているし、男子校の生徒に女子校の生徒は縁遠いから、滅多に訪れないのだ。しかも一度目に訪れた時は十二精華のせいで緊迫した情勢で、街もどこかぴりぴりしていたから、今日のように自由に行動できるのは初めてだった。
 そんなスレヴィは、目の前の人物をぴりぴりさせていた。
「だから、何故屋敷に入り込もうと思ったのだね」
「お屋敷の柱に、珍しい翼の意匠が見えたからつい近寄ってみたら、執事さんがいたので、勉強させてもらおうと」
「…………」
 白髪をオールバックにした初老の男性は額に手を当てて難しい顔をしながらうめいた。
「……それで書いていたのかね」
 スレヴィの手の中にはメモ帳がある。庭から見える執事の姿を事細かにメモしていた。
「そうです。ごめんなさい。でも、今日だけ傍について勉強させてもらえませんか?」
「見せてみなさい。それから、名前と身分、出身は?」
 彼は幾つかの質問に答えさせた後、メモ帳を取り上げると、パラパラとめくった。それからスレヴィの掌にぽんと返し、
「残念だが、執事とは主人の前に出ることが多々あるし、お屋敷の土地や使用人を管理することもある大事な仕事だ。部外者を奥に連れ込むわけにはいかないよ」
「そうですか……」
「だがそんなに熱心にメモを取るんだ、使用人部屋(サーヴァンツ・ホールで)の仕事を見てみるといい。お屋敷の執事になるには様々な経験を積む必要があるんだよ」
 男主人を頂点とする男性使用人ヒエラルキーの中でも、しばしば執事(バトラー)はトップ──スチュワード(家令)がいることもある──になる。
 スレヴィは執事に連れられて、一階の使用人入り口から屋内に入った。使用人部屋の扉を開ければ、時間的には丁度昼食が始まるところだった。お屋敷にもよるが、使用人にも上級使用人と下級使用人があるし、仕事によって立場も権限もがらっと変わる。
 その序列は食事時に如実に表れる。席順はあらかじめ決められ、給仕もどの立場の人間がするか決まっている。食事後別の部屋でお茶を飲む使用人達もいれば、キッチンを預かる使用人達は食事をキッチンで済ませてしまうのだ。
 スレヴィは末席を貰って彼らの流れを見ながら、こと細かに仕事をメモしていくのだった。