シャンバラ教導団へ

百合園女学院

校長室

薔薇の学舎へ

ヴァイシャリー観光マップ

リアクション公開中!

ヴァイシャリー観光マップ

リアクション

「先ほど拝見しましたヴァイシャリー家のお屋敷、入ったことはありますけれど、外から眺めますとまた新鮮で、違った趣がありましたわね」
 イルマとラズィーヤを挟むように歩いていたジュリエット・デスリンク(じゅりえっと・ですりんく)が、道の両脇に並ぶ屋敷に視線を巡らせる。
「こちらのお庭は美しいですわね」
 ヴァイシャリーには高い塀を巡らせ広大でよく手入れされた庭の奥中央に大きな屋敷、といった様式の建物は少ない。彼らも別荘では広い庭が手に入るのだが、ここでは島に水路を張り巡らせ土地が少ないのだ。けれどそれぞれ小さな庭に工夫を凝らして植物を植えてあった。
 そして建物の方は、土地が狭いという鬱憤を晴らすかのように、細かい装飾が施されている。窓の縁は石材をまるで布をカットワークしたかのような模様があり、柱や屋根の上には、今にも動き出しそうなくらなめらかな肌と躍動感を持つ彫像が立つ。よく白い建物を見かけたが、よく考えれば黒ずんでいてもおかしくないのに、長い年月を経てもまだ輝くような白さを保っていた。
「この辺りは庭の手入れが行き届いていて、季節が巡る度に通るのが楽しみですのよ」
「あら、この彫刻は見事ですわ……古王国以来の街、さぞかし由緒あるお屋敷なのでしょうね」
 ジュリエットは、今度は右手の建物に視線を送って、感嘆のため息をつく。
 その屋敷は地球でいうバロック建築に似ていたが、壁面には平らなところが一つもなく、掘り出した模様で飾り尽くされている。
「古王国時代から続く貴族、名門バルトリ家のお屋敷ですわ。当時の当主が花嫁に貰ったときに新築したと伝えられていますわ。壁面の模様は花嫁の名前でもあるヴェロニカの花を象徴としたものですのよ」
「それはよい観光地になりそうですわね」
「でもお姉様、ここは上流の方々が住まう、静謐を旨とするお屋敷町ですわよ。私有地を勝手に観光地にするのはいけませんわ」
 ジュスティーヌ・デスリンク(じゅすてぃーぬ・ですりんく)がジュリエットを諫める。
「あらせっかく最良の“ガイド”──こほん、失礼──が案内して下さっているのに」
「ええ、ですからガイドに注意事項を記載したいと思いますの。見学者がマナーを守らなければ散歩することも許されなくなってしまうかも。……ラズィーヤ様、オーナー側としましては“招きたくなる客”“招かれざる客”とはどのようなものですか?」
「お招きしたいのは、ヴァイシャリーを愛される方でしたら、どなたでも。招かれざる客は……騒がないこと、ですかしら。皆様ここで暮らしていらっしゃるのですから、その点を理解されていない方は困りますわね。もっとも、思いやりをもたれる方でしたらそんなことにはならないと思いますわ」
 ラズィーヤの返答に、ジュスティーヌは感じ入ったというようにええ、と頷く。
「そうですわね、マナーというものは思いやりから生まれますものね」
「はいはーい、あたしも聞きたいことがあるじゃん」
 アンドレ・マッセナ(あんどれ・まっせな)が手を上げる。
「歴女っぽいあたしとしちゃ……」
「歴……女?」
「歴史が好きな女ってことじゃん。戦争(と色事)限定だけど」
 首を傾げるジュリエットに、出鼻を挫かれたアンドレが咳払いをする。
 ジュリエットが言いたかったのは、興味があるっていうか元フランス軍人じゃない、ということなのだが。
「んんっ。前から疑問だったんだけど、威光と伝統と外交折衝だけで五千年以上も街が保つってのがどうも信じられないじゃん。威光なんてあると挑戦したくなる奴もいるじゃん」
 それはあなたでしてよ、と今度はジュスティーヌから突っ込みが入る。
「そうかもじゃん。……で、ヴァイシャリー軍にだってきっと名将がいた筈じゃん? そういう家系って残ってないのかな、どんな扱いなのかなって思ってたじゃん」
「一般的には、“名将と呼ばれるような人物は、元々貴族・騎士の家柄で将軍になったか、実力を認められて叙せられた”とお答えすれば宜しいかしら? そうなれば、扱いについては貴族と有る意味同じですわね。ここでヴァイシャリーの政治形態についてお話ししておきましょうか」
 ラズィーヤは少しだけ言葉を選んでいるように、口調を遅めた。


「皆さんは二院制ってご存じかしら? ヴァイシャリーを治めているのはヴァイシャリー家ですけれど、全部が全部自分たちで決めているわけではありませんのよ。手が回りませんし、何より市井のことは市井の皆様が良くご存じですもの。ヴァイシャリーは部分的に、上院・下院の二院制を採っていますの」
 これについては百合園の生徒も初耳だ。
上院はヴァイシャリー家を含めた貴族、下院は選挙で選ばれた市民の方達で構成されていますのよ。決めるのは、道や上下水道をどう引くかとか、生活に密着したことですわね。最終的な決定権はヴァイシャリー家にございますけれど、上院なら上院の皆様で平等ですわ」
「意外と平等で紳士的じゃん? 今はどんな家が騎士なんじゃん?」
 文民統制とか軍に乗っ取られるとかそういうのはないのかー、とアンドレが感心する。主軍はヴァイシャリー家の私軍だから、そんな心配はないのかもしれないが。
 ラズィーヤは続く質問にそうですわねえ、と思い出すように目を彷徨わせてから。
「王国が滅びてから、シャンバラは混乱しましたでしょ? その時ヴァイシャリー湖にも、魔物が現れたのですわ。彼らがヴァイシャリーに押し寄せたとき、軍の指揮を執って湖上で戦い、追い返した将軍がいますのよ。今も将軍の血筋を引かれる方が、軍に仕えてくださっていますわ。……あら、着きましたわ」
 彼女は歩みを留めた。
 岸辺 湖畔(きしべ・こはん)が目をぱちくりさせる。
「んー、ここは……? 逢い引きにはうってつけっぽいけど」
 住宅街をどうやって歩いてきたのか。気付いたときには周囲はお屋敷もまばらになっていた。ぽつぽつと見えるお屋敷の壁面も、どこかすすけた印象を受ける。目の前にあるのはそんなお屋敷の一つだった。子どもの背丈ほどの塀が張り巡らされており、人はもう住んでいないのだろう、荒れ果てた庭木が見える。
「……確か、ここに」
 ラズィーヤは塀に歩み寄ると、生い茂っている草を押しのけた。そこには子どもが通れるくらいの大きさの穴がぽっかりと空いていた。
「私たちはもう大人ですから、もっと良い方法がありますわ」
 塀を左手にしてくるっと回れば、屋敷の裏庭が見える。
「──あ、思い出したよ!」
 湖畔がこぶしで掌をぽんと叩いた。
「ン十年前に、ここのご主人様が花狂いで、ヴァイシャリー一の名花をめぐって決闘して死んじゃったんだ。花好きだけあってあっちの花売りも好きで激しくってもーあの時は興奮したね。んで、死ぬ間際に花の下に埋めてくれって言われて、ここの温室に埋められたんだ。栽培の腕は確かだったみたいだね」
「まだ私が幼い頃、この辺りを通ったときに、使用人とはぐれて迷い込んだことがありましたのよ。次第に雨も降ってきて……」
 ラズィーヤは、彼女にしては珍しく懐かしそうな表情を見せた。視線の先、塀の向こうには荒れたガラスの小さな温室がある。
「それで、あそこで雨宿りをしましたの。次第に日も暮れてきて、心細かったのを覚えていますわ。ですけれど、あそこで薔薇を──青い薔薇を見付けたときには、救われたような気がしましたの。……でも、思い出は美化されるものですわね」
 ラズィーヤはふふ、と小さく笑うと、湖畔にいたずらっ子を見付けたときのような顔を向けた。
「ねえ、もっと面白いお話を聞かせてくださらないかしら」
「うん、それじゃあね、湖に浮かぶグロッタの話でも。一島まるまる貴族の別荘だったんだけど、あそこにはえろーすな彫像がいっぱいあってね……」
「それは是非聞きたいですわ。ねえ皆さん?」
 それから、しばらくラズィーヤ達はは湖畔の思い出(出歯亀)話を聞かされることになるのだった。