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第8章 桜井静香の決心
  

 職人街の通りを一本奥に入り、そのまた脇道にそれる。道の幅が、車が行き交えない程度になる。
「こちらです」
 しかし、生徒達は更に奥へ進んでいく。もう車は一台も通れないだろう。
「よく知ってるね?」
 桜井静香(さくらい・しずか)の質問に、
「ええ、メイドの嗜みですから」
 しごく真面目な顔で高務 野々(たかつかさ・のの)が答える。
 嗜みかどうかは別問題として。
 野々は休日になると街へ繰り出し、彷徨うメイドとして清掃活動や迷子案内をしている。その過程で自然に街に詳しくなった。
「ここヴァイシャリーではつい水路に目がいってしまいますが、歩きながらゴンドラを眺めてたら、いつのまにか裏路地に迷い込んでいた、なんてこともあるかもしれませんよね?」
 ──奥へ、奥へ。石畳の道は続く。
 壁に囲まれた細い階段を上がり、小さな店と店の間を抜ける。
「職人街は、迷い込むと出るのが大変ですが、迷い込まなければ出会えない、素敵な一品モノを扱うお店もたくさんありますよ」
 レースを閉じこめたような模様が特徴のレースガラスの食器や、サルヴィン川下流に生える葦で編まれた籠などなど。庭木に埋もれて見逃してしまいそうな小さなお店や、普通の家にしか見えないお店が迷路のように入り組んだ路地に点在している。
 ずっと右手に続いていた煉瓦の壁がぽっかりとアーチになっていて、その奥に両側に薔薇が生い茂る小道がある。僅か十数メートル四方の空間だったが、細い路地で殆ど見えなくなっていた空が開け、そこだけぽっかりと天井が開いたようになっていた。
 小道の先にはまた、入ってきたときと同じようなアーチがある。アーチをくぐれば──
「うわっ……!」
「素敵ですね」
 静香と村上 琴理(むらかみ・ことり)は思わず声を上げた。
 そこは、小さな展望台になっていた。おもちゃ箱のような職人街が一望できる。
 静香は手すりに片手を付き、片手で風になぶられる髪を押さえながら町並みに目をこらし、
「こんなところがあったんだね。よく見付けたね」
「実は、さっきの小道を、靴屋の看板を右に曲がって、青い屋根のお家と向かいの椿の間の道を通れば、すぐに通りに出るんですよ」
「そっか、知らなかったなぁ……」
「静香さんはどんな場所がお気に入りなの?」
 薔薇の学舎の男の娘嵯峨 詩音(さがの・しおん)が興味津々といった様子で静香の顔を覗き込む。尤も、場所よりも静香自身に興味があるようだ。先ほどからあれこれと静香の私生活や考え方について訊いていることからもそれが分かる。
 静香にひっつきすぎではないかと同行する真口 悠希(まぐち・ゆき)ロザリンド・セリナ(ろざりんど・せりな)は多少気を揉んだ。
 が、それは彼女たちの恋愛感情とは違って──薔薇の学舎の生徒の一定数がそうであるように、彼もボーイズラブが好きだから、ということらしい。
 きらきら目を輝かせる詩音。保護者役の嵯峨 奏音(さがの・かのん)は興奮しすぎて倒れるなよ、と言いながらいつでも背中を支えられるように控えている。病弱な詩音の専属医師だ。
「好きな場所かぁ。ここから見えるかな。あの辺りに薔薇が綺麗な庭園があるんだよね。そうだ、そろそろお昼にしようか? 僕、お弁当作ってきたんだよ」
 静香はトートバッグから、重箱と魔法瓶を取り出して見せた。ビニールシートを広げてお弁当を囲んでお昼にする。
 いつもお世話になってるからこれくらいはね、と言いながらも、静香には思うところがあるようだ。詩音の質問に答えはするものの、時々悲しそうな気配が瞳に宿る。
「……じゃあ、そろそろフェルナンさんのお姉さんのブティックに行こうか」

 そのブティックは、オルコット氏のブティックにほど近い場所にあった。
 ブティックの主はクロエ・シャントルイユ。シャントルイユ家の三人の娘のうち次女にあたり、服飾のみならず宝飾類までデザインするデザイナーである。シャントルイユ家と経営は独立しているが、その服はブティックで販売すると共に、妹ブランドをシャントルイユ家の販路を用いて販売することにより相互に利益を得ている。
 また、オルコット氏が地球の流行を取り入れようとしているのとは逆に、パラミタやヴァイシャリーに伝わる伝統的な衣装をベースに作成していることも特徴だ。
「話は弟から聞いてるわ、どうぞ」
 静香達が約束の時間に訪れると、クロエはにこやかに微笑みながら扉を開けてくれた。フェルナンと同じ金髪碧眼で、どことなく顔立ちも似ている。
「皆さんが今日いらっしゃるというから、貸し切りにしてあるのよ。心おきなく楽しんでね」
「失礼いたします。ヴァイシャリーの観光スポットのPRとして、撮影を行っているのですが、撮影させて頂いても宜しいでしょうか?」
 ビデオカメラを持った風森 望(かぜもり・のぞみ)が礼儀正しくクロエに訊ねる。
ラズィーヤ様とフェルナン様には既に了解をいただいています」
「ええ、いいわよ。……ただ、工房の中は今日は駄目よ。お仕事でデザインを請け負っているから」
「わかりました──さぁ、桜井校長。ご説明や見所などの説明をお願いいたします。お声とお姿はしっかり保存しますゆえ!」
「……え? やっぱり僕も撮るの……?」 
 いきなり話を振られて、静香が目をしばたたかせる。望は、ビデオカメラを静香に向けていた。
「今まで、お店の人に解説頼んでなかったっけ?」
「それはまた別に撮ります。こちらでは桜井校長の作品が使われていると聞きましたから、説明にはうってつけです!」
「うーん、そういえばそうだけど……今度は売らないでよね?」
 蒼空学園の風森望──静香にとっても忘れられない少女だ。かつて百合園演劇部に騒動が合った時もビデオカメラを回し、静香が演じた『オズの魔法使い』ドロシー役の小芝居や、『白雪姫』の一部始終を収めて売りさばいた人物である。
「ええ、ラズィーヤ様とフェルナン様にお渡しするだけですから」
 そのラズィーヤが一番厄介な気がするが……。
「うん、分かったよ、こっちだよ」
 静香はカメラを構えたままの望達を奥へと案内する。落ち着いた、西洋アンティークな雰囲気が漂う室内。コンソールテーブルの上には高価そうなネックレスが惜しげもなくディスプレイされている。
 静香はクロエにオーク材のクローゼットからドレスを一着出してもらう。胸元がスクエアに開き、袖が一旦肘の辺りで搾られたドレスだ。その搾られた袖にはスリットが入り、多段レースが手首までふわりと広がっている。
「産業革命の前まではね、レースはみんな手編みだったんだよ。糸の宝石っていうくらいなんだ。機械編みのレースができてから大量に作れるようになって、安価に手に入るようになって、廃れちゃったけど、今でもお裁縫の中でレース編みは一ジャンルを築いているんだ。編み方も素材も色々あって糸と針だけで作るものや、布から糸を抜いたりして作るものとかあって」
 ドレスのレース地を持ち上げてみせる。近くで見ると分かるが、通常の衣服に使われるレースよりも糸が太く、きらきらした糸が混じっている。
「これはクロエさんの依頼で作った鉤針編みのクロッシェレース。クロエさんが、歌劇場でやるオペラの衣装を頼まれたんだって。それからあそこのドレッサーに巻いてあるレースは納品したばっかりなんだけど、自由に使ってもらうつもりなんだ」
「校長、レースもいいですがお店の紹介もお願いします」
「そうだね、それじゃあ──」
 意外と乗り気で撮影に応じる静香。クロエも共に、店と工房部分の説明をする。
 一通りの説明が終わると、各々自由に服を着てみたり、レースを見てみたり、遊び始めた。
 そんな彼女たちを微笑ましく見守るクロエに、一人の百合園生が近づいてぺこりと頭を下げる。礼儀正しい挨拶は百合園の美徳。
「はじめまして、七瀬 歩(ななせ・あゆむ)です。いつもフェルナンさんと琴里さんにはお世話になってますー」
「いえ、私の方こそ七瀬さんにはお世話になってるんですよ。色々助けていただいたり、今日も誘っていただきましたし」
 慌てて琴理が訂正する。
「そんなことないですよー。……それで、ドレスについて質問があるんですけど、ドレスのデザインとかどういうところに気を遣ってるんですか?」
「最近はオペラの衣装の依頼が多くて、光る糸やビーズ等の素材を使ったものが多いわね。それから、古き良き基本のデザインはそのままに素材やリボンなどのディテールで今らしさを出せるように気をつけているわ」
 ふんふんと頷きながら、
「あのー……フェルナンさんって落ち着いてて素敵ですよねー。子供のころからしっかりしてたんですか?」
「ありがとう。弟のことをそんな風に言ってくれて嬉しいわ。でも……落ち着いてることは落ち着いてるかもしれないけど……素敵かしら?」
 あんまりな言いようかしらと彼女は少し笑ってからさらりと、
「しっかりなんてしてなかったわよ。私達姉妹がミルクで頼んだジェラートも、色が似ているからって岩塩味を買ってきたりね」
 歩が想像するに。フェルナン姉弟は年齢差がそのまま上下関係になり、あちこち用事を頼まれて、そのおかげで慎重な性格になったのだろう。
「……はぁ、そうなんですかー」
「……だから女性が苦手になるんですよ……」
 ぼそりと、歩にだけ聞こえる声で琴理が呟く。
「そうなんですか?」
「そう。あ、でも心配しないで。駆け引きとか強い女性が苦手なだけで、七瀬さんみたいな可愛らしい子なら問題ないですよ」
 それから指先をちょっと唇に当てて、声量を元に戻し、
「もし彼を上手いことコントロールしたいなら、お姉さんと仲良くなっておくって手はありますけど……」
 クロエは目を細めて嬉しそうに笑う。
「そうね、七瀬さんにドレスでも仕立ててあげようかしら。あまりの可愛さにびっくりしたフェルナンが、私の作だって知ったらきっと面白いかも。……もし気が向いたらいつでも遊びに来てね? すぐに採寸するわ」
 どう答えようか歩が少し困って、周囲に視線を巡らせて。
 そして気付く。
 彼女ら──いや、彼らがいないことに。