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第7章 オルコット氏のブティック

 
「葵ちゃん、葵ちゃん」
「うん? どうしたの?」
 秋月 葵(あきづき・あおい)は恋人の顔を、疑問符を浮かべて見る。
 ──ボランティアという名目の、デートの最中。はばたき広場を通って、時計塔を見物して、これから二人お揃いのコーディネートをしてもらいに、ブティックに行くところだったから。
「疲れてなければ、ちょっと寄ってていきませんか?」 
 エレンディラ・ノイマン(えれんでぃら・のいまん)が腕を組んでいない方の右手で指を差したのは、調理器具を販売している店の並びだった。
「鍋が欲しいの?」
「その隣です」
「……フライパン?」
「その間ですよ、ほら」
 エレンに手を引かれ、葵が連れて行かれたのは、両隣の店に埋もれるように建っている間口一間ほどのごく小さな店だ。木の引き戸は格子状で中はよく見えないが、小さな看板が掛かっていて、そこに見覚えのある漢字が書かれていた。
「ここには包丁作る職人さんの工房があるんです。私も使ってますけど、とっても切れ味が良くって使いやすいのですよ。貴族の中にもファンがいるそうです」
「包丁かぁ。こんなところにあるんだね。懐かしいなぁ」
「葵ちゃんも料理の腕も上達してきましたし、そろそろ専用の包丁をそこで作って貰いませんか?」
「うん、入ってみる!」
 扉を開けると、店は外観よりも一層狭く感じられた。壁の両側に作りつけてある棚のせいだ。棚のガラス扉の向こうには、包丁が規則正しく並べられている。包丁もスタンダードなものだけでなく、細いもの、穴空きのもの、砥石もある。
「済みません、包丁を作っていただきたいのですが……」
 エレンディラが声をかけると、店の奥から若いヴァルキリーの女性が顔を出した。
「あらいらっしゃい、ノイマンさん。今日は何の御用ですか?」
「こちらは私のパートナーです。彼女に包丁を作っていただきたいのですが……」
「あら日本の方ね。それならタカアキも喜ぶわ。ああ、タカアキっていうのは包丁の職人で、私のパートナーの日本人よ。……ちょっとごめんね」
 彼女は葵に笑いかけると、葵の手を取ってしげしげと見つめる。
「そうね、小三徳を一本作りましょう。三徳包丁は肉も魚も野菜もこれ一本でっていう包丁だけど、これを小さくした包丁で、小さい手でも使いやすいのよ」
「はい、じゃあ砥石もセットでお願いします」
 好奇心旺盛な葵はすっかり乗り気のようだ。また一週間後に引き取りにくる約束をして、二人は腕を組んでブティックに向かった。青を基調としたトータルコーディネートを提案する、新進デザイナー・オルコット氏のブティックである。

 職人街の中で衣料品店が集まる一角の中でも、高級店が集まる通りに彼のブティックはあった。
 外観は三階建てのアール・ヌーヴォー風建築で、ちょっとしたお屋敷の風情が漂っている。
 鉄の門を抜け、作品の飾られている小さな庭を通り、一階が一般が利用できる店になっている。逆に二階以上は会員制、予約制になっていた。オルコット氏は多くの貴族女性やお嬢様を顧客に持っていることでも有名で、パーティや劇場、デートに向かう彼女らの為に、ヘアメイクや衣装の貸し出しなどを行っているのだ。勿論オルコット氏はデザイナーだから、オーダーメイドで服を仕立てたりすることもある。
 そんな店だから、服のお値段は高額である。ヴァイシャリーの女の子のいくらかはここの服に憧れるが、庶民が買うには食費を切りつめる必要がある。
 ……葵とエレンディラが一階ショップの樫の扉を開くと、既に先客がいた。彼女たちと同じお嬢様学校・百合園女学院の生徒だ。
「この春のお勧めはございますか?」
 冬山 小夜子(ふゆやま・さよこ)は少年に尋ねた。
 まだ十五、六歳にしか見えない、短い黒髪に黒縁眼鏡に黒服の男の子──慎重も小夜子とそう変わらない彼が、ヴァイシャリーにその名を知られるデザイナー・オルコット氏だと言われたときは少し驚いた。
「そうですねぇ、今年のヴァイシャリーの流行は柔らかくてふんわりした袖や裾ですね」
「肌があまり露出しない服が宜しいのですけれど」
「ではこちらはどうでしょう? この靴と合わせまして……」
 小夜子は試着室で着替え、用意された靴に履き替えて鏡の前に立った。
 くるりと回ると、リバティ・プリントのブラウジングワンピースの裾がふんわりと広がる。裾が短いから、下にはレギンスを履いて、足元はワンピースと同柄の布を編み上げた、ジュートのウェッジソールサンダル。
「このワンピースには裾が少し長いタイプも有りますが、その場合はペチコートを重ねて、ブーツに靴下はこちらを」
「……どう思われますか?」
 小夜子は意見を求めるようにデート相手の神倶鎚 エレン(かぐづち・えれん)に視線を向ける。
 同じく試着をしていたアトラ・テュランヌス(あとら・てゅらんぬす)から小夜子に振り向いたエレンは、
「よくお似合いですわ」
 にこりと笑った。
「けれど、すこし地球風過ぎるような気がいたしますわね。地球風のものであれば空京で手に入りますし、もう少しクラシックなものも見たいですわ。それから、」
 今度はボーイフレンドデニムを履いているアトラを一瞥して、オルコットに視線を当てる。
「小夜子さんは勿論、アトラの別の魅力を引き出していただきたいですわね」
 エレンはオルコットの腕を品定めするつもりでいる。彼は眼鏡の位置を直すと、
「貴方は如何ですか?」
「私は青ではなく黒の服が欲しいのですけれど」
「では、黒に合うようにリデザインしましょう。皆様の分も今お持ちしますから、少々お待ち下さい」
 オルコット氏が戻ってきてから、再び小さなファッションショーが始まった。小夜子やアトラが服を着替える度、エレンがあれこれ注文を付ける。特にアトラの分は厳しい。
 アトラは男の子にしか見えない。赤いシャギーの単髪はデニムには合っても、ふりふりふわふわのレースやシフォンには似合わない。彼女自身普段はジーンズを履いている。けれど彼女が隠れて可愛い服を試着しているのを、エレンは知っていた。 
「あ、あのねエレン、ちょっと恥ずかしいよ」
 口ではそう言いながらも嬉しそうなのだ。
「オーソドックスではありますが、今お召しになっているデニムジャケットをそのままに、下をシフォンワンピに変えました。大分抵抗無く着やすくなったと思いますが、如何でしょう」
「もう少し丈が短い方が……」
 意地悪を言いながら、エレンはピンクの膝丈スカートを摘む。小夜子もアトラに、似合っていますわ、と声をかける。
 小夜子の方は、今度は棒鉤針編みの、薄いコットンレースチュニックを着ている。
 エレン自身は、試しに白黒二色のセットワンピースだ。ワンピースの上半身部分はカットソー、スカート部分はタイトめなスカートになっていて、上からセットのブラウスを着ればパーティーフォーマルにもなるものだ。
「観光振興として、パリコレみたいに定期的なファッションショーなどを開催すれば、情報と流通が集中しやすいですね……流行の発信地というのも素敵ですわね」
 エレンは自身の姿を鏡に映しながらも、ぼんやりと別のことを考えていた。