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リアクション
第3章 ゴンドラとお茶と段ボール
はばたき広場の人の流れをよく見ると、もう一つの面があるのが分かるだろう。それは観光名所というだけでなく、全ての観光の出発・終着点になっている、という面だ。
広場はヴァイシャリーの中央に位置し、大運河に面する。大運河はその名の通り、ヴァイシャリーで最も広い運河であり、水運の大動脈。水運の大動脈であることは、この街では交通の大動脈と言い換えられる。車が一般に普及していないこともあり、ヴァイシャリーには、車が何車線も行き交うような大通りはない。バイクや馬車が通れる道があるくらいで、しかし水路を通るには所々設けられている橋を渡るしかないのだった。
故に水上交通機関の発着所の多くがここに集結し、街を縦横に走る大小の運河・水路の要衝となっているのだ。
そしてその珍しい交通手段自体も、観光の目玉になっていた。
行き交うゴンドラ、渡し船(トラゲット)、機晶石を利用した水上バス(ヴァポレット)や水上タクシー……。今日も大運河には様々な大小の船が行き交っている。
が、その大運河に──今日この日、新たな観光名所が登場しようとしていた。
はばたき広場の石畳が、一段低くなった桟橋の上。
艶やかな黒色に金の縁飾りがされた観光客用ゴンドラが多数停泊している。その横には客待ちをして煙草をふかしているゴンドラ漕ぎの男達・ゴンドリーエがくつろいでいた。
そのうちの一人と交渉していたフェルナンが、生徒達の方にやって来る。
「一日貸し切りにいたしました。今日は水上の景色を存分に楽しみましょう」
「では早速乗り込むとするか」
真っ先に飛び乗ったのはエミリー・オルコット(えみりー・おるこっと)だ。続いてパートナーのエドガー・オルコット(えどがー・おるこっと)。二人とも、はるばるツァンダからやって来た疲れなど微塵も感じさせない。むしろ二人して船の両端に座り、体重を互い違いに掛けて、ゴンドラをゆらゆら揺らしている。
「わ、わ、やめてくださいです〜」
乗り込もうとして、泣きそうな声を上げたのはヴァーナー・ヴォネガット(う゛ぁーなー・う゛ぉねがっと)。
「ボクは泳げないから船はにがてなんです」
「それは済まなかったな」
エミリーはあっさり謝ると、今度はエドガーに水を掛けてはしゃいだ……はしゃいでいるったらはしゃいでいる。無表情だけど。
「そういえば、以前お会いしたのも船の上でしたね? 今日は水面が近いですが、大丈夫ですか?」
フェルナンはヴァーナーに手を差し出した。彼女はありがとうです、と手を借りて船に乗り込む。
「にがてですけど、やっぱりヴァイシャリーのすてきな風景を見てみたいです」
「ご気分が優れないようでしたら、すぐに仰ってくださいね」
「……私にも手を貸していだたけませんか?」
フェルナンが桟橋を向くと、タキシード姿の青年が立っていた。彼の名は朱 黎明(しゅ・れいめい)、微笑んでいるつもりの吊り目に宿る光は妖しく、オールバックの赤髪と相まって、ただならぬ雰囲気を漂わせている。
「いえ、冗談ですよ」
彼は笑ってゴンドラに乗り込んだ。
「では、お二人で最後ですね」
フェルナンは橘 舞(たちばな・まい)とブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)に手を貸した。
全員が乗り込むと、ゆっくりとゴンドラは桟橋を離れて大運河へとこぎ出していった。
大運河の景色は右手には色つきの、左手には白い建物が目立ち、両岸でまた別の趣が楽しめる。というのも、大運河はケーキのピースの形に、北東部を他区域と隔てている。北東部にはヴァイシャリー家の屋敷を始めとした高級住宅街、百合園女学院、議会所に商工会議所やゴンドラ協会といった政治経済の重要施設が集中しているからだ。
「しかしヴァイシャリーは美しいですね。あちらの橋も素晴らしい。やはり来て良かった。普段はキマクの殺風景な景色ばかり見ていますから」
黎明は身振り手振りを交え、大げさなくらいのリアクションで景色を褒め称える。
「ありがとうございます。私の手柄ではありませんが、生まれ育った街を褒められるのは嬉しいですね」
「いや本当に美しい。これだけの美しい町並みを維持してきたヴァイシャリーの人々の努力も素晴らしいものですよ」
彼はヴァイシャリーを訪れてからずっと、ずっと“粗暴なパラ実生”のイメージを払拭すべく、朗らかな笑顔を浮かべている。……浮かべながら、実のところはフェルナンのことを観察していた。彼が、ヴァイシャリー内での活動を円滑にするために利用できる人間か否か。ぱっと見爽やかな好青年に見えるフェルナンだが、実際のところはどうなのか。
──黎明は、帰りがけに電話番号が載った名刺を渡し、フェルナンも礼儀として名刺を差し出した。
「……ご丁寧にどうも」
彼は丁重に受け取りながら、名刺に目を通す。使い分けているものだと、黎明にはピンときた。
名前と携帯の電話番号が書かれているだけで、彼の実家の名はなく、紙質も商会の人間が使うにはやや悪い。相手との付き合いによって差し出す名刺を変えているのだろう。
「もし何か困ったことがあればいつでも連絡して下さい。出来る限りご協力しますよ」
黎明が差し出した手を、フェルナンは握り返す……手袋はしたまま。
「ええ。キマクに行く機会があれば、是非案内していただきたいと思います」
似ているな、と黎明は思った。つまり、腹に一物抱えているという点で、彼とフェルナンは似ていた。もし互いに利用価値があると認め、状況が合えば、協力し合うこともできるように思える。その時は、一緒にキマク観光をすることになるだろう。
ゴンドラはゆっくりと南下していく。
<騎士の橋>にさしかかったとき、エドガーが何かいいかける。
「ふぇ……しゃ……」
どうやらフェルナンの名前を言いたかったらしいが、あっさり諦めた。
「そこのガイドさん。何で騎士の橋って言うの?」
エドガーの手の中にある旅行ガイド(空京で入手した)にも一応書いてはあるが、観光客の礼儀&ジモティーの解説も聞くべきだろう。外から見たヴァイシャリーと、中から見たヴァイシャリーは違うだろうし、違うところは観光マップに記すつもりだ。
前方に見える騎士の橋は、大運河に架かった数少ない橋の一つだ。大理石で作られた屋根付きの橋で、古シャンバラ王国時代からの建造物だと言われている。橋の中央部分をフェルナンは指で示した。
「屋根を支える柱が、中央部だけ太くなっているのが分かるでしょうか? ここからは見えませんが、柱の内側に、騎士の姿が彫り込まれているのです。シャンバラ女王に仕えた六人の騎士──嘆きのファビオ、賢しきソフィア、 麗しきマリル、美しきマリザ、悲恋のカルロ、激昂のジュリオ」
彼らの名前に、ヴァーナーと舞の肩がぴくりと震える。ただの言い伝えどころか、既に騎士に会ったことがあるのだ。
「そうそう、あまり知られてはいませんが、もう一つの呼び名があるのですよ」
「え?」
「ピエトロ橋──この橋を建築したと言われる職人の名です。尤も、地元の人間でもそう呼ぶ人は少ないのですが」
ふむふむ、今時感心な若者だねぇと、中学生くらいの顔立ちで年寄り臭い台詞を言いながら、エドガーはマップにメモを取る。
その間にも、ゴンドラは橋の下をゆっくりと通り過ぎていく。橋を通ったところで、ゴンドラは急に道を折れ、細い水路に入った。ゴンドラが四艘も行き交えばいっぱいいっぱいになってしまう水路だ。
水路の両側には小道すらなく、水路の両壁は建物の連なりでできている。建物からは出窓やベランダがところどころ張り出し、所々横切る道はゴンドラ漕ぎが背中をかがめて通らなければならない。
「ここはヴァイシャリーでも古い部類に入る建物が集まっています。古くて改築が進んでいない代わりに、家賃が安い下宿が多いんですよ。そのため、この街に建築や芸術を学びに来る学生が多く住んでいます。……あちらの<ロベール商店>は、乳製品が美味しいことで有名なんですよ」
薄茶色の小さな建物の壁に、牛型の看板がぶら下がっていた。緑と白の太いストライプがまぶしい日よけ屋根の下にはカウンターがあり、置かれたケースの中にパンやピザ、牛乳らしきものの入った瓶が並んでいる。奥に店舗が見えるので、おそらくこちらが裏口なのだろう。
「あ、あの船の先のちょうこくはステキです♪ ……あれ? 露店です?」
ヴァーナーが声を上げる。一軒の建物の裏口に泊まっている、焦げ茶色のゴンドラ。先端に翼を広げた鳥の彫刻がついている。そのゴンドラから湯気が立っていた。
焦げ茶のゴンドラの横にへりを付ける。ゴンドラの上には蒸し器が載っていて、中年の女性がお茶とお菓子を売っていた。
「まだ三時には早いですが、いただきましょうか」
フェルナンが人数分のお茶とお菓子を頼むと、女性は銀色のポットから紙コップに、お茶をこぽこぽと注いでくれた。小さな茶色のパン菓子を割ると、たっぷり卵の黄金色が顔を出す。
「ありがとうございます」
フェルナンからお茶を受け取る舞を見て、ブリジットはつまんないわね、と口の中で呟く。その彼女にもお茶が差し出され、
「どうぞ、パウエル家のお嬢様」
む。とブリジットは微妙に不満顔になる。
「何よ、知ってたの?」
「お会いするのは初めてですね」
ブリジットの実家・パウエル商会は、ヴァイシャリーにある。つまりシャントルイユ家の商売敵にあたる。
パウエルの家名こそヴァイシャリーに使えた騎士の家柄だが、これも一代で商会を興したブリジットの父が、断絶していた家名を買い取ったものだ。
「そうね」
そのパウエル家の娘。フェルナンには面白くないと思われても当然だが。が、彼は不愉快な表情など一度もしなかった。
「どうして知ってるの?」
「一方的で申し訳ないのですが……見合い写真で拝見したことが」
「……あの強欲親父が」
ブリジットは口の中で呟いた。知らないところで写真が出回っていたのかも知れない。
厳しい表情のブリジットをまあまあ、と舞はなだめて、
「そういえば、フェルナンさんて、お好きな食べ物は何ですか?」
舞もブリジットもゴンドラには乗り慣れている。ゴンドラ観光など今更感があるのだが、それでも同行したのはむしろフェルナンが目的だった。観察というか、見物というか、女子校で男性が物珍しいからか……。
「そうですね……魚料理、特に白身魚が好きですよ。ヴァイシャリーで育ちましたから。それからチーズですね。残念ながらお酒は嗜む程度ですので、本当に好きな方から見ればもったいない食べ方かもしれませんが」
それから趣味や休日の過ごし方や趣味など、舞の質問に彼はひとつひとつ答えていく。
「趣味は絵を描くことですね。絵になる風景がたくさんありますから。休日は趣味に費やしたいところですが、人遣いの荒い家族がいますので、そうそう休んでもいられないのが悩みですね」
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