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第2章 <はばたき広場>にて


「うわぁあ、人がいっぱいだねー」
 手をおでこに当てて、周囲をぐるりと見回しながら、神和 綺人(かんなぎ・あやと)が声を上げる。
 休日だけあって、<はばたき広場>は行き交う人々でにぎわっていた。友人同士に恋人達、親子連れにお年寄り。格好も様々で、タンクトップに短パンといった出で立ちの地元民もいれば、首からカメラを提げたいかにもな観光客もいる。
「みんなやっぱりここに来るのかな? 名所っていうくらいだもんね」
 白百合会作成の、ボランティア用のしおりをぺらりと開く。しおりの最後のページはヴァイシャリーの地図だ。切り取って地図として使うのは勿論、ここに各々メモを書き込んで、最後に白百合会提出することになっていた。
「ここをぐーっと通ってきて……」
 飛空挺発着所を示した指先が、一本の通りを滑って広場で止まる。
「ここに来たんだよね」
「ああ、それではばたき広場と呼ぶのですね」
 彼の横から地図を覗き込んだクリス・ローゼン(くりす・ろーぜん)が感心したように頷く。
 地図で見れば一目瞭然。はばたき広場の名の由来は、広場がまるで羽を広げたような形をしているところから付いている。広場に敷き詰められた白い石畳も羽の白さを現しているのだろう。
「ツァンダとはまた違って、いつ来ても綺麗な街だよね……ん、なに? ユーリ?」
「そうですね……え? 瀬織、何ですか?」
 仲良く一つの地図を覗き込む二人の肩を、ユーリ・ウィルトゥス(ゆーり・うぃるとぅす)神和 瀬織(かんなぎ・せお)がそれぞれつつき、二人はそれぞれに首を向ける。
「真面目にボランティアするつもりだったんだな……」
 ユーリは声に呆れたような感情を滲ませる。
「そうだけど、何で? 広場を見たら露店に行こうね」
「……育て方、間違えたか? こういうのは、クリスと二人きりの方が良かったんじゃないか?」
 一方瀬織も。
「わたくし、ヴァイシャリーに来るのは初めてで、とても綺麗な街なので、嬉しいのですけれど……」
 何も気付いていないようなクリスの顔を、微妙な表情で見上げる。
「このようなところには、綺人と二人きりでいらした方が宜しいのでは? 魔道書のわたくしより無知な綺人です。クリスから誘わねば、余計なおまけが付いてきてしまいますよ」
「今回はボランティアメインです。それに、瀬織やユーリさんとこうやって遊びに行く機会、あまりないじゃないですか。……次回は二人きりで行く予定です」
 だめだこりゃ、とユーリと瀬織は顔を見合わせる。
 何というか、地球人の契約者とパラミタ人三人、ではなく。恋人とその友人、でもなく。
 ユーリお兄さんと妹の瀬織ちゃんと、次男の綺人に長女のクリス。一家で仲良く観光に来ましたという雰囲気がどうも抜けない。
「ああ、そっか。そうだね。……今度来た時は、二人きりで行こっか」
 ようやく気付いた綺人がクリスに言うが、ワンテンポどころか数テンポ遅い。
 それでもクリスは満足したようで、早速瀬織を引っ張って、指輪などのアクセサリーを売る露店に歩いていった。装飾品には興味のない瀬織に、これが似合うかと、あれこれ付けてみせる。
 はばたき広場には、装飾品だけでなく様々な露店がある。
 広場中央にある時計塔の置物やペナントを売る店、飲食物の屋台。似顔絵描きに大道芸人まで。まるでお祭りでもあるようだ。しかし本当のお祭りがある時は、仮装用の仮面やマントから獣耳バンドに発光する猫じゃらしまで、露店が立ち並んで通路をつくってしまうくらいになる。
 その露店の一つに、レキ・フォートアウフ(れき・ふぉーとあうふ)カムイ・マギ(かむい・まぎ)が並んでいた。
 露店のおじさんが鉄板にクリーム色の生地を流し込むと、甘い香りがふんわり漂う。パレットナイフで慣れた手つきでひっくり返すと、カスタードクリームとバナナを乗せてくるくるくるんで、紙の持ち手に入れてできあがり。おじさんが自分の前のお客さんに渡すとすかさずレキは、
「ボクはアーモンドチョコ。……カムイは何が食べたい?」
 並んでいる間中、メニューとにらめっこしていたカムイは意を決したように、
「苺……クリーム増量で」
「あ、いいなー」
「後で一口ずつ分け合いましょうね」
「うん」
 二人はクレープを受け取ると、食べながら露店を見て回った。
「街のお店より、こっちの方が安くて独創的で好きなんだよ」
 レキはカムイの先に立って案内する。今日カムイを誘ったのは、自分の暮らすこの街を知ってもらいたいからだ。
「あ、あれ、あの服カムイに似合いそうだよね」
「……今日は僕の観光の為に来たわけではないのですよ? というより、さっきからフリフリの服ばっかり勧めてくるのはどうしてです? レキは着ないのですか?」
「地図にはもう印付けてあるもん。それに、ボクはどっちかっていうと、動きやすい服の方が好きだよ」
 レキはクレープを平らげると、露店から、縁にフリルが付いた、黒いサテンリボンを取り上げる。
「おじさんコレちょうだい。……ほら、似合う。黒なら目立たないから恥ずかしくないよ」
 カムイの長い黒髪をリボンできゅっと結ぶ。
「あ……ありがとう……?」
「じゃあ、あっち行って一休みしよう」
 二人は、左翼の真ん中にある、大きな噴水の縁に腰掛けた。
「ここはね、広場中央にある時計塔の次に有名な噴水なんだよ。一定時間で水の流れが変わるし、夜にはライトアップされて綺麗なんだ」
 カムイはレキの言葉を漏らさずマップに書き留めていく。レキは真面目なのか遊びなのか微妙だけど、頑張っているから、聞き手としても頑張ろうと思ったのだ。
「中央にある像はね、ヴァイシャリーの有名な昔話を表しているんだよ」
 白い石で造られた像の中央には花束を抱えた女性が立ち、その足元に沢山の花が咲いている。花芯から流れる水が流れや水量を変えることで、彫刻の人目に触れる部分が変わり、朝昼夜と物語を進めていく。
 物語の筋は、ヴァイシャリーに水害が起こり疫病が流行った時、万病に効くという花を求めて人々が争った。それを一人の女性が調停したというもので、女性はヴァイシャリー家に連なる人物だったと言われている。
 ちなみに噴水の水は飲めない。近くを通る大運河の水をそのまま利用しているからだ。
 その大運河の上流、繁華街の隅っこには水遊び場もある。別名プールと呼ばれていて、浅いのから深いのまで、よりどりみどりだ。
「夏だったらプール、泳げるんだけどねぇ」
 時計塔の足元で、マップに書き足しながらミルディア・ディスティン(みるでぃあ・でぃすてぃん)が呟く。
 彼女もまた、今日のボランティアに参加した一人だ。
「……んー、結構難しいなぁ」
 いつも彼女が通っている道は、大通りどころか裏道で、とても観光マップで紹介できるような道ではない。たとえば、民家と民家の間の、人一人通れるかどうかという道や、私有地と見分けが付かない茨のトンネル、破れたフェンスの間……なんてものまである。
 誰もが行けて、彼女にとってのホントの一番はあるけれど、これも表だっては言えない。
 それは、ヴァイシャリー外の高台だ。
 街が一望できるから、はばたき広場の白い翼もばっちり見える。特に夜は街灯の明かりが街全体を浮かび上がらせ、湖面に光が反射して、まるで都市が湖に浮いているように見えるのだ。
 仕方なく、ミルディアは時計塔についてメモを取ることにした。
 薄ベージュの石を組み上げて造られた時計塔は、地上五階にも及びそうな大きさだ。小さな塔の上部にネジ巻き式の時計がついている。
 時計は街のシンボル兼観光名所とはいえ、きちんと正確な時間を刻み続けており、まだまだ現役。そのため時計塔の中は残念ながら一般公開はされていないが、技術の程はゼロ時から三時間ごとに知ることができる。
「九時だね」
 ミルディアは時計塔を見上げた。
 シンプルな文字盤の上に施された彫刻の扉。その扉がゆっくりと開いて、鎧を着込み馬にまたがった騎士達が現れ、くるくるとメリーゴーラウンドのように回り始める。広場を行き交う人々も足を止めて見上げる。これも時計塔の人気の秘密だ。
 ふと彼女は、周囲の人々が全員時計塔を見上げているのに気付いて、マップに書き足した。
「そうそう、スリに注意……っと」
 見上げるのに集中して、手元がお留守になっている人が多かったから。

 その頃、夜住 彩蓮(やずみ・さいれん)もまた時計塔を見上げていた。
「ここでいいかしら」
 彼女は見上げながらカニ歩きをしていたが、満足のゆく場所を見付けて、折りたたみ椅子に腰を下ろした。
 彼女の肩には、珍しく、医療鞄のかわりに画材を収めた鞄がある。
 目の前に小型イーゼルを立て、スケッチブックのページをめくった。広場の様子や、広場から見える運河、仲良くクレープを食べている百合園生……と繰り、白紙を見付けてイーゼルに立てかける。
 鞄から鉛筆を取り出すと、彼女は時計塔をスケッチし始めた。
「こういうのもいいわね。この前はお仕事で来てたから……」
 彩蓮は誰もいない空間に向かって話しかける。
「ふふ、骨格の下書きのために始めたスケッチが、観光マップの役に立つなんてね」
 誰もいない空間は、シャッター音で彼女の独り言に相づちを返す。
「それにしても盗撮よね、それって」
 シャッター音が止む。
「主が手書きに拘るからであろう。時間がかかって仕方ない」
 光学迷彩常時発動中のデュランダル・ウォルボルフ(でゅらんだる・うぉるぼるふ)が、インスタントカメラの枚数を確認しながら(これも彩蓮には見えなかったが)答える。
 デュランダルの返答に、彼女はまた微笑んだ。
「時間はかかるけど……いいものよ」
「……まあな」
 彩蓮の微笑みが本心からのものであることに気付いて、デュランダルの声も若干優しさを帯びる。……彩蓮くらいしか気付かない程度のものだったが。
 デュランダルは今日写真撮影をしながら、彼女がむしろこのままヴァイシャリーに住んでしまえばいいのではないかと思い始めていた。戦いの中にある人生よりも、こんな穏やかな日々に身を置く方が、彼女のためになるのではないかと。
 彩蓮はナラカ城戦から帰還した後、負傷者が助かったのは百合園生のおかげだと口にするようになったし、さっきスケッチしたように、百合園生が仲良くしている姿にどこか憧れているようにも見える。
「いいものだ」
 デュランダルは、そっと後ずさりした。
 シャッターを切る。
 写真を撮り終わったカメラは、白百合会に提出する予定だが。
 最後の一枚──パートナーが微笑みながらスケッチしている姿は、彼女のために焼き増しされるだろう。

 広場から横道に入った商店街を、いかにもおっとりとしたお嬢様風の少女が三人、連れだって歩いている。
 先頭を歩くメイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)の腕には紙袋が抱えられていた。紙袋の中からは、山ほどのパンや果物や、いくつものまた別のリボンのついた紙袋が顔を覗かせている。
「あの……全部食べるおつもりですか……?」
 おそるおそるフィリッパ・アヴェーヌ(ふぃりっぱ・あべーぬ)が疑問をぶつけた。
「時間もお金も有限ですからぁ」
 答えになっているのかいないのかメイベルが答える。
「それは確かに、持ち帰りの方が安いですけど……。……まだ帰らないおつもりですか?」
「まだお昼にもなってないよ?」
 今度はセシリア・ライト(せしりあ・らいと)が疑問符を付けて答える。
「……朝から食べ歩きのし通しで、もうお腹がいっぱいですわ……」
 フィリッパは二人に聞こえないように呟いてから、
「後で皆さんにも食べていただきましょうね?」
「そうだねー。一旦ここで区切って、メモしよっか」
 フィリッパはセシリアの言葉にほっと胸をなで下ろした。が。
「あそこで一休みしましょう〜」
 メイベルが指さしたのは、またもや飲食店だ。フィリッパは内心げっそりしながらも、二人に大人しく付いていくことにした。
 オープンテラスのジェラテリアでジェラートを頼み、席でマップを広げる。既にめぼしい場所には印が付けられていた。朝から見て回った店は数十件。そのうち食べたのは十数件。
 テーマは、「地元の人が知る隠れた名店」。有名なお店はみんな知っているから、あえて紹介し直すことはないだろうと思ってのことだ。
「そのいち、何と言っても安いことですぅ。そこそこのお値段で満足できることですぅ。お金があるから楽しめるのは当然ですしねぇ。……そのに、どんな人でも立ち寄りやすいことですぅ。一見さんお断り、ではせっかく旅行に来ても面白くないですよねぇ。……そのさん、女性でも安心して立ち寄れる雰囲気」
 メイベルは指を折りながら条件を数えていく。それにフィリッパが付け加える。
「観光客には同様にカロリー摂取に気をつける女性も多いでしょうから、低カロリーでヘルシー、そして安くて美味しいものなら、なお嬉しいものです。後で体重計にのるのが怖くなりますし」
 二人は話し合って幾つかの厳選した場所に新たに印を付けていった。パンからデザートまで並ぶセルフサービスのレストランや、地魚を仕入れた料理が自慢の家族経営のレストラン……。それに、今食べているジェラテリアも。
 一方セシリアは、紙を広げて何やら工作をしている。写真を貼って、その横に店から貰ったメモを書き写して……。
「それは何ですかぁ?」
「料理のレシピだよ。観光マップに載せたら、家に帰っても思い出してもらえるじゃない?」
 ぴらん、と書き上がった紙をメイベルとフィリッパに向ける。
「ああ、何か書いてもらってると思ってたら、レシピだったんですねぇ」
 お料理初心者用に簡単にしてください、という注文にも、店主達は快くレシピを書いてくれた。
 ヴァイシャリー湖で獲れた白身魚や貝を皮・殻付きのまま、トマトや好きな野菜を加え、オリーブオイルと水、白ワインで煮込んだ料理。
 角切りフルーツにお砂糖とレモンジュースとほんの少しのリキュールを加えて寝かせたデザート。
 クレープは野菜を包んだりして食事にも、リキュールをかけてフランベしてデザートにも。
「僕も料理が好きだから、後で作ってみるんだ」
 かくしてセシリア作のお料理レシピ集が、観光マップの巻末に付くことになった。