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第12章 倉庫街


 規則正しく並んだ倉庫の間を、藤原 優梨子(ふじわら・ゆりこ)は歩いていた。
 影、日向、影、日向。夕陽に照らされて、倉庫の影もまた規則正しく道にナナメの縞模様を作り出している。
 ヴァイシャリーの休日の夕方、倉庫街には人気がない。
 ここは大抵の住民にとっては平日の、昼間の職場。明るく正しい世界の場所。
 しかしひとたび夜が訪れれば、一変して闇の部分が顔を出す。 
 ……船乗りだ。
 人を見付けて、優梨子は建物の陰に立った。休日、この時間でもまだ働いている者もいるらしい。
「お仕事熱心なのはいいことですけど、少し困りますね」
 優梨子はこの日のためにわざわざ倉庫街について予習していた。今日も倉庫街をかたちだけ見て回った後すぐに、白百合会にダミーのレポートを提出した。
 そしてゆっくり観光を楽しむはずだったのに。終了後も再び百合園に集まって報告し合うという。戻らなければ怪しまれるだろう。
 面倒だ。彼女にとっての本当のレポートはこれからなのに。
 彼女は人気のない方向へ、陰になる方向へと進む。そして、倉庫の陰でうずくまっている男達の前をゆっくりゆっくり歩く。 
「さくらんぼ〜さくらんぼ〜。どなたか買ってくださいませんか〜。美味しいさくらんぼですよ〜」
 彼女の左手に提げた大きな籠には、布がかかっていて中は見えない。けれどもこもことした膨らみ具合から見れば、あの赤いさくらんぼが入っているとは思えない。ただ、大荒野の習俗に詳しい者なら、それが別のさくらんぼであることに気付くだろう。
「さくらんぼだけかい、お嬢ちゃん?」
 薄汚れたマントを羽織った男の一人が、ぎろりと目を向けた。
「さくらんぼの他に、日本酒や小麦粉もありますよ」
「それは誰の許可を貰って売ってんだい」
 ゆらりと男達が立ち上がる。ただの浮浪者とは思えぬ動きで彼女を取り囲んだ。
 だが殺気はない、と優梨子は判断する。
「それは失礼しました。この辺りを取り仕切る方がいらっしゃれば是非挨拶をしたいのですが」
「会いたいってぇなら、案内料を寄越してもらわねぇとな」
「……では日本酒はいかがですか?」
「小麦粉持ってるんだろ? そっちを寄越しな」
「──そうはいきませんわよ」
 よく通る女性の声がした。と同時にぴしり、と鞭の音が響いた。石畳に叩き付けられた鞭は、そのままひゅんと優梨子に向かって飛ぶ。
「……!」
 咄嗟に籠で顔を庇うが、代わりに彼女の手から籠がはじけ飛んだ。ふわりと舞う布。石畳にぶつかって横倒しになった籠から転げ出したのは──、日本酒の瓶と大量の干し首。勿論優梨子の自作品だ。
「殺気など感じませんでしたが」
 大事な干し首が埃にまみれて、優梨子は少し睨むように鞭の持ち主に目をやった。
「殺気じゃなくてSっ気ですもの」
 カツン、とハイヒールを鳴らして答えたのは崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)だった。
「何故百合園のお嬢様がこのような処に?」
「外見が場違いなのはお互い様ですわよ。質問に答えて差し上げるなら、将来のための勉強といったところかしら」
 亜璃珠ももう18歳になる。百合園女学院卒業後の進路について考えるのも当然だった。選択肢は大きく三つ、結婚・就職・進学。しかし百合園のお嬢様にありがちな結婚はするつもりはないし、就職も肌に合わない。
 残る選択肢は進学だけ。経済・経営学を学んで、可能ならヴァイシャリーで企業しようと考えていた。
「フェルナンさんに聞いたけれど、倉庫街は交易が主産業のヴァイシャリーにとって大事な区域のようね。そして密輸や密貿易も蔓延るっていう……」
 更にありがちなことに、それら犯罪にヴァイシャリー軍もなかなか手を出せずにいる。パラ実生とヴァイシャリーの商人、そして貴族の一部が密接に絡んでおり、準備を周到にしなければトカゲの尻尾切りで終わってしまうからだ。
「手を組もうかとも考えていましたけれど、ヴァイシャリーに麻薬を蔓延させるような方はいただけませんわね。将来の商売敵としても、白百合団所属としても、神楽崎分校の分校長の立場としても」
 亜璃珠は赤い舌で唇を舐める。本当はフェルナンに店舗の消費者層や労働力について聞こうと思ったのだが、流石に商人だからかはぐらかされてしまった。であれば丁度良い、裏のことも含めて、今ここで尋問してしまえばいいだろう。
「残念ですが、私のレポートはこれ以上提出できませんね。……いつかまた」
 優梨子は残念そうに干し首を一瞥すると、お辞儀をして身を翻した。
 亜璃珠は走り去る彼女の背中を見ながら、男達に対峙する。
 契約者と一般人、勝負は見えている。ただ彼らの処遇をどうするか……悩みどころだ。


「また白百合団か」
 舌打ちに、一人のパラ実女子が問いかける。
「どうしますかぁ?」
「どうするもこうするも、自警団を作る時がやってきたようです」
 乳白金の髪をかき上げ、パンツスーツの美女は立ち上がる。長身のため勢い見下ろすかたちになった。
 ──この日、四人の四天王がヴァイシャリーを訪れていた。
 【D級四天王】ガートルード・ハーレック(がーとるーど・はーれっく)と彼女のパートナーであるE級四天王三人である。
 倉庫街南端に集うカジノ、そのうちの一つがガートルードの職場だ。彼女は八ヶ月ほど前からカジノクラブでバニーガールのバイトを始めていた。それに従い、パートナー達もこの周辺を勤務地にしている。
 それはたった一つの目的を達成するため──パラ実女子の就職先である風俗産業をクリーンにし、ヴァイシャリーと協調するためである。
 風俗産業は、どうしてもトラブルが多い。裏社会でももめ事が起きる。しかしだからといって放っておいては、いつまでも危険でいかがわしいものと見なされるだろう。しかし自浄作用があればラスベガスのような自治も夢ではないと彼女は思っていた。
 ガートルードはシモーヌ・ウォルドロップ(しもーぬ・うぉるどろっぷ)と共にバニーガールの仕事の傍ら用心棒を務め、シルヴェスター・ウィッカー(しるう゛ぇすたー・うぃっかー)ネヴィル・ブレイロック(ねう゛ぃる・ぶれいろっく)は用心棒専門にバイトをしている。
 しかし、それでは手が回らない。
 彼女たちが最大の脅威と見なしているのは白百合団を始めとする百合園生だからだ。
「パラ実生を問答無用で殺戮する、暴力至上の百合園生からまっとうなパラ実生を守る必要があります」
 ガートルードの言葉に、シモーヌが頷く。
「話し合いなんてちっとも考えないもんね。秩序のあるヴァイシャリー軍やマフィアとは筋を通せば話し合えるのにね」
 こうして、パンツスーツの美女、振り袖美女のパイプを吹かした機晶姫、三メートル近い身長に隆々とした筋肉をブラックスーツに押し込めたドラゴニュート、セーラー服に身を包んだコギャル風パラ実女子の四人はカジノクラブを出て、挨拶回りを始める。


 カジノにほど近い、南倉庫街の一角。
 夕暮れに肌を染めたほとんど裸の女性が四人、休憩用に設けられた小さな公園のベンチに座っていた。
「あん時は秋だったっけ……もう春だもんなぁ、あっと言う間だよ」
 倉庫の一つを眺め、羽高 魅世瑠(はだか・みせる)は珍しく感慨深いため息を吐いた。
「何かあったんですの?」
 懐かしげに目を細める魅世瑠にアルダト・リリエンタール(あるだと・りりえんたーる)が小首を傾げる。
「ああ、アルダトはまだ契約してなかったっけ」
「あのときの料理はおいしかったねー。おさけはのんでないけど、大きいお友達はみんなウマイウマイっていってたよー」
 ラズ・ヴィシャ(らず・う゛ぃしゃ)が当時を思い出してよだれでも垂らしそうににんまりする。
「どういうことですの?」
「百合園でさ、パラ実四天王を入れた数千人の生徒が集会するって話があったんだよ」
 あの事件があったときは、百合園女学院中がぴりぴりしていた。戦力的には白百合団だけでは立ち向かえるものではなかった。軍を出動させられる状況でもなかった。
 だからパラ実生を分散させるためのハロウィン・パーティは、百合園を守る苦肉の策の一つだった。その筈だった。
「でもホントにパーティになったんだよ。百合園のお嬢さんがホステス役でね」
 それが可能になったのは、一人の青年と、彼女・魅世瑠がいたからだ。
 百合園女学院の正門で、四天王【陽炎の】ツイスダー率いる軍勢と神楽崎 優子(かぐらざき・ゆうこ)を指揮者と仰ぐ五十人の白百合団に有志が集まり刃を交えたとき。圧倒的に不利だった白百合団を救ったのは彼女と、フローレンス・モントゴメリー(ふろーれんす・もんとごめりー)だ。
 ちょっとした工夫のおかげで優子は勝利し、白百合団は百合園とヴァイシャリーを守ることができた。おかげで優子の元には本人も望んでいなかった四天王の座というおまけが転がり込んできたのだったが。
 目を閉じれば今でも瞼の裏に蘇る──ハロウィン・パーティの馬鹿騒ぎ。最後までいられなかったのは少し残念だったけれど。まぁ、もしかしたら来年や再来年もあるかもしれないし。
「ま、そういうわけでさ。今回の観光マップのテーマは」
「あいちゃく、だね」
「そそ。つうことで“ヴァイシャリーの街の懐の深さの象徴”っつうか何かそんな感じでここをプッシュしたいんだよ。何にもねぇ広場なら石碑とか建てればいいからな」
 でもよぉ、とフローレンスが口を挟む。
「過去の歴史の一つって感じで歴史に刻むくらいはあってもいいとは思う。けど、神楽崎分校発祥之地なら、優子が劇的な勝利を収めた百合園の校門前じゃねぇの?」
「そりゃそうなんだけどさ。タダでさえ校門前はごった返すだろ? そこを名所にしてパラ実生がうろちょろすんのはどうかと思ってよ。間違いでも起きたら折角の名所扱いが台無しじゃねぇか」
「うんうん。ヴァイシャリーの人たちとはなかよくやっていきたいから、ああいう楽しい思いでをカタチにして残しとくのはいいと思うよー」
 ──ふと。談笑しながら計画を練る彼女たちの顔にすうっと影が重なった。
「和解の象徴だなどと、本気ですか」
「ん? キミは……」
 立っていたのはガートルード達だ。周囲のカジノの店員に、自警団を作るべく協力を求めたのだが結果が思わしくなく、倉庫街の方までやってきたのだった。
 彼女たちは契約者であり店の用心棒ではあったが、パラ実生も商売を行っており、カジノ同士は売上を競い合う関係でもあるため、一枚岩ではない。それに今のところ、彼らにとって白百合団は脅威ではなかった。というのも、彼女らには逮捕権などないし、こちらから何かしないかぎり襲ってもこない。街で暮らしている限りは、抜き打ちで取り調べをしてくるヴァイシャリー軍の方が厄介なのだった。
「羽高は私と同じパラ実ですよね。白百合団は恐るべき敵だとは思わないのですか」
「パラ実ってんなら、神楽崎優子は白百合団副団長かつC級四天王だ。校長は百合園、生徒会長はパラ実のあたしって分担してるし、そこで横暴な目に遭ったことはねぇよ」
 シモーヌは咥えていたキャンディをすぽんと抜くと、口を尖らせた。
「殺人さえ厭わない、即暴力で叩き潰すっていう百合園生に白百合団がいるんだよ」
「もしそういう奴らに会ったら、百合園に投書でも何でも意見してみたらいいんじゃねぇかな」
 ガートルードの鋭い視線をかわすように、魅世瑠は足を組んで空を見上げる。
「パラ実生とか百合園生とか、細けぇことはいいんだよ」
 魅世瑠は嘘を吐いた。最近らしくないキャンペーン中なのでその一環として。
 神楽崎分校はパラ実と百合園の架け橋になる可能性がある。この芽を潰してはいけなかった。もし上手くいけば、その時こそ、細かいことはどうでも良くなるのだろう。