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リアクション
●魂の救済
北に向け海辺をΚは走った。
放たれた矢のように、ただひたすらに走った。ぴったりと肢体にフィットしたライダースーツで疾走する姿は、黒い疾風を思わせる。
このときΚは。ここまで出会ってきた人間たちのことを回想していた。
Κにはわからない。人間、とりわけ契約者という人種は、目にするたびΚに混乱を引き起こす。調子は狂いっぱなしだ。先月はクランジΗの発見に失敗し、ついさっきも、クランジΙを目にしたにもかかわらず何の手出しもできなかった。このままでは寺院に処断されるのも時間の問題だろう。
しかし、彼女の脳裏にはΘ側に寝返るという発想は微塵もない。あれに加わるくらいならシャンバラの虜囚になるほうがずっとましだとすら思える。Κ自身理由ははっきりとわからなかった。ただ、Θは正しくないという確信だけはあった。
「……!」
思考に頭を奪われていたためかΚは対処が遅れた。腕に電磁鞭が巻き付いている。ふりほどこうとするも、新たに別の鞭が反対側の腕の自由を奪った。
「貴様ら……!」
Κをとらえたのはクランジだ。ただし、思考能力を持たぬ量産型と呼ばれる機体だ。量産型のことはΚももちろん知っているが、こうして改めて近くで見ると心底不気味感じられた。『彼女』らは一言で言えば動く灰色のマネキンで、髪はおろか眼球すら入っていない。口はぴったりと閉じられており、そもそも開くことはできないようだ。当然、一言も発さない。自分に近しい存在だとはわかってはいるが、どうしてもこれが、自分の同類とは思えなかった。
マネキンが次々と姿を見せた。シータの手の者であるのは明白、北岸を抜けてきた一部隊だろうか。犬や蜘蛛のマシンを引き連れ、じわじわと包囲を狭めてくる。彼女らにとってはΚもターゲットなのである。
「貴様らなんかに……!」
鞭から流れる電流に苦しみながら、Κは己の腰に手を伸ばそうとする。されど彼女の腕に新たな鞭が何本も巻き付き、両膝、足首、さらに首……無数の鞭が彼女を磔にした。
そしてこれら量産型から一斉に、強烈な電流が流れ込んだ。
Κは悲鳴を上げた。視界が真っ白になる。みずからの目と口から放電しているのがわかった。
「こんな……こんな……」
Κが自爆を決意した瞬間、電流が止んだ。
「え〜っと……ぶらっでぃ、なんとか……じゃないですよね?」
鋼の肉体がゆらりと身を起こした。
鍛え上げられたボディ、たっぷりプロテインを摂取して育った無敵の筋肉だ。この肉体の主こそ、ルイ・フリード(るい・ふりーど)その人である。
テカテカニッカニカ、宣言通り筋肉美と笑顔、その両方を振りまきながらルイは大暴れするのだ。
「Κさんたちの情報はなんとか手に入れられたようで……まぁ、過程の説明は省きますがこうしてまた、Κさんとお会いできたというわけですな!」
「ふははははっ、雨にも負けずの魔王軍、推参!」
ジークフリート・ベルンハルト(じーくふりーと・べるんはると)の、無限の宇宙を感じさせる哄笑も轟いていた。
「Kめ、腹が減ったからといってブラッディ何とかと手を組むとは馬鹿な真似を! こうやって追われているのがその方法が誤っていた証拠だろう。まったく、魔王軍の資金が困窮を極めているといっても遠慮することなどなかったというのに……いじらしい乙女心という奴だな!」
「なんの……話だ……」
電流のダメージが残っているのだろう、Κは地面に尻を落として座り込んでいた。
「ふむ、皆まで言うな! Κの気持ちはわかっている。その意を汲んで魔王軍が迎えに来てやったのだ。ありがたく受け入れるがいい!」
さっとジークフリートが腕を振るとΚの周囲に暗黒の闇が生じた。
「ジークさんのおっしゃる通りですな」ルイはΚに短くも熱い視線を送ると、「さて、私はこの、何やら危険なマネキンさんたちを懲らしめるとしましょう! はははは! かかってきなさい!」
あとは同行者に任せるとして眼前の的に集中するのだった。
「Κさんに仇なす者を吹き飛ばすのが私の使命。ぶらっでぃナントカであろうと何であろうと、マッスル&スマイル全開で立ち回らせていただきますよぉ!」
こんもり分厚いルイの筋肉が、雨に当てられ湯気を上げている。ふるうはまさにハンマーパンチ、ルイが両手を組んで叩き落とすだけで、蜘蛛機械程度なら一撃でひしゃげて動きを止める。しかも彼は、そのひしゃげたヤツの足を持ってぐるぐる風車のようにブン回し、近づいてくる犬や量産型をバンバン薙ぎ倒すのだ。
一方、ノール・ガジェット(のーる・がじぇっと)はΚの傍に立ち彼女を守る。
「ふぅむ、近くで見ればますますのボインちゃん」
そもそも今回、Κの足跡を発見しこの島に上陸することをつきとめたのはノールなのだった。ノールは、自身が加盟する謎の紳士ネットワーク(別名『美少女の画像を愛でる会。エロじゃありませんよ』)より彼女の情報を得たのである。
雨の中うなだれるΚの姿は、ジークが生じた闇のせいもあってか肌が白く、なまめかしい印象があった。ぴったりと体のラインが出るライダースーツもそれをますます高めている。
「しかし……セ〜クスィ〜」
思わずぽっと頬を紅くするノールなのである。
「我輩の燃えたぎるパトスはもう赤信号無視状態であるよっ!」
などと宣言すると突然、ノールはパトスの塊(?)たる煙幕弾を投じた。ぽんぽん破裂する玉は煙を吐き散らし、ただでさえ雨で悪化した視界を広範囲の濃霧空間に変える。その合間を縫って、
「やっと会えたね♪」
Κの前でしゃがみこみ、顔を見せてシュリュズベリィ著・セラエノ断章(しゅりゅずべりぃちょ・せらえのだんしょう)が言った。
「言ったよね『Κみたいな面白そうな子放って置くわけない』って」
セラはくすくすと微笑して言った。
「ただの好奇心? 違う。気軽な友達感覚? 違う。……セラの魂の琴線に触れたからっ!」
「知ったことか」
Κは吐き捨てるように言ってセラを突き飛ばそうとした。しかしそれくらいセラはとっくに読み切っており、
「まずはその堅い性格を叩き、心をへし折らせて貰おうか♪」
ひょいとかわしてΚに告げる。
「そもそも前にジークが言ってたみたいに、塵殺寺院に作られたから自分の生きる道はそれしかないとか決めるのはどうなのかな? 親は親、自分は自分だってどうして思えないのかな?」
「そのように身勝手な考え方は好かん」
「身勝手? 甘いな!」
ジークフリートが割り込んできた。
「ふははははっ! 貴様は魔王軍に入るのだ! 身勝手魔王の俺は『はい』か『YES』しか聞かんからそう思え!」
「またそれか……なぜ貴様は自分に固執する……」
「美人が死ぬのは世界の不幸! うだうだとくだらん面子に拘らず魔王軍の為に生きろ! ああ、俺の為でも構わんぞ? ふーはははははっ」
「なんと身勝手な……」思わずΚは口走り、これこそジークフリートが言わせたかった台詞だと思って口をつぐんだ。
「そして俺とラーメンを食いに行くのだ! これは命令だ! そして俺は言う! 『こいつにラーメンを食わしてやりたいんですが、かまいませんね!!』」
「どういう意味……だ……」
そこにするするとセラが戻って、
「ま、そんなこと気にしない気にしない。しがらみはほら、こうやって断ち切ってあげるから」
何やら布で巻いたものを置く。
「これ? 身代わり機晶姫。大丈夫、本当に機晶姫の腕で作ったものだから。これを爆発させて『Κは死んだ』ってことに……」
「断る!」
「言うと思った。けど、よってたかって捕まえちゃうぞ♪」
セラが手を伸ばしたところで、ふっとΚの姿が浮いた。
「探しましたよ」
翼の生えた姿が、Κの肩をつかんで浮き上がっていた。
緋桜 遙遠(ひざくら・ようえん)であった。地獄の天使を発動し、背に翼を生やしている。こうやって、鷲が羊の仔を掠うようにしてΚを捕らえたのだ。彼はΚにだけ聞こえるような声で身を明かした。
「遙遠は彼らの味方をするつもりはありません。魔王軍……ですか? そういうものにも賛同も反対もしない」
と言う彼は現在、ちぎのたくらみを用いて十五歳前後の姿をとっていた。顔もマスクで隠しているので、名乗りを聞いたΚ以外はその正体に気がつかないだろう。
「と言っても、彼ら魔王軍と目的がまるで違うというわけではありませんね。遙遠の目的は一つにして絶対です。『あなたを救うこと』です」
奇妙な縁があったからか、Κはつい、彼の前では気を許したような表情になる。眼下で繰り広げられている戦いを、まるでテレビの向こうの光景であるように見つめながら彼女は言った。
「救いたいのなら目的を遂げさせろ。自分は、シータを仕留めたい。それを達成することが最大の救いだ」
「そうではなくて……あなた自身が生きる楽しみを見いだすという考え方にはたどり着けませんか」
「無理だな……シータがいる限りはな。自分が塵殺寺院ということを無視して考えても、あれは誤っている。正さねばならない」
「シータ一派の企みに遙遠は賛同できません。敵となるなら戦います。けれどそれを、あなたがやる必要はないでしょう?」
「……下ろしてくれないか。貴様と自分は考え方が違う。これでも頼んでいるつもりだ。剣を使って無理に下りるという手段も取れるのだぞ」
「……頑固ですね」
ただ、己もまた頑固であるといった主旨のことを遙遠は言った。
「シータとの戦い、遙遠がお供しましょう。やり遂げるまで守ります。それがあなたを救うことであるのなら」
影から編まれた黒い翼が降下の軌道ではためいた。遙遠とΚ、両者が地上に戻った頃には、すでにシータ一派の量産型クランジは全滅していた。Κの姿を追って、わっと集まってきたのはすべて『魔王軍』の面々であった。
「おおうー! ボインちゃん! 逃走したかと思って我が輩心配したであるよ!」
ギコギコと鋼鉄のボディをきしませてノールが追ってくる。
「Κさん、素直に戻ってきたというのは、私たちと手を取り合う気になったということですか」
ルイが素敵なスマイルで迎えてくれた。
「正確にはそういうわけでは……」
とΚは言いかけたところで、仮面が落ちそうなほど動揺した。
「何を……!」
「大したことじゃあない」
直立姿勢でジークフリートが言ったのである。彼はΚの斜め後ろに立っていた。彼からの接触にΚは声を上げたのだ。
「ラーメン屋への礼儀だな! 物騒だから自爆装置をとっぱらおうとしただけだ。その右肩のパネルがそうであろう? 痛いようにはしない。それこそ、肉の芽を摘出するようなスピードと精密さ、そして攻撃に屈したりうろたえたりしないだけの精神力で簡単に……」
「簡単なものか!」
Κが大声を出したので、ジークはもちろん、ルイも遙遠も動きを止めた。
「いつまでも殴殺寺院が、欠点のあるシステムをそのままにすると思ったのか」
奴(シータ)が裏切る前に残した置きみやげがこれだ、とΚは言った。
「貴様が触れた自爆装置はダミーだ。これを無理に外そうとすると、本物が自動起動するように改造されている。自分……いや、塵殺寺院の勝ちだな」
よろよろとΚは海を背にして後退した。半仮面の下の眼が怯えている。顔色は蒼白だった。
「すぐ爆発するわけではないのだな!? ならば今からでも……」
事態の重さを悟って、ジークフリートも真剣な顔になるが、
「もう間に合わん」
きっぱりとΚは告げた。解除するには尺が足りず、たっぷりと死の恐怖を味わわせるには存分の時間が与えられているのだ。いかにもクランジΘの考えそうなことだった。
「頼みがある。大黒美空……と貴様らに呼ばれている『あれ』を救ってやってくれ。『あれ』の恩人に化けた途端、やつは手出しを躊躇った」
事実である。倉庫街での戦いの末、Κは美空にとっての恩人に姿を変えた。すると美空は苦悩の声を上げて退散したのだ。
「……もう『あれ』は自分のような殺人機械ではない。塵殺寺院もシータも、もう『あれ』を必要とはしていないだろう……近寄るんじゃない! 死にたいのか!」
手を伸ばそうとした遙遠を一喝すると、クランジΚは寂しげに笑った。
「最期くらい迷惑をかけさせないでくれ……礼だけは言わせてもらう」
言い終えるや身を踊らせ、クランジΚは海に飛び込んだ。
巨大な水柱がひとつ、上がった。
何分待っても、誰も浮いてこなかった。
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