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【Tears of Fate】part2: Heaven & Hell

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【Tears of Fate】part2: Heaven & Hell

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●決闘の行き先

「あなた、死ぬ気!?」
 吹雪を押し倒したのはローザマリアである。彼女自身も泥と雨に汚れ、顔のペイントが落ちかかっていた。彼女は光学迷彩をかけていたのだが、この行動で解けてしまっている。
 吹雪の眼前に穴が開いている。銃弾が地面を掘ったのだ。あのままだったら確実に額を撃ち抜かれていただろう。
「イオタ! あなたの相手は私よ」
 一瞬、ローザは頭上を睨んだ。もうスコープの反射は見えない。今ので倒せたとは思えなかった。イオタは狙撃地点を移動したのだろう。あの距離だ。おそらく声は届いていまい。しかし動きで、大体のところは伝わっていると信じたい。
 ローザは吹雪を立たせると、
「もう無茶はしないで。私とイオタの決闘の邪魔をするなとは、言わない。けれどもうこれ以上はあなたのことを気にかけている余裕がない。あなたも教導団員なら自分の身は自分で守って。いいわね?」
 それだけ言い残して走った。もしあのとき、吹雪を見殺しにしていたら、獲物を倒し油断したイオタを撃てただろう。けれどそれは、ローザの好むところではない。
 ローザの頭の中で、コンピュータ並みの速度による計算が行われていた。
 吹雪の行動による地点割り出しは有効だった。あれで、ローザは自分の予想と計算が間違っていないことを知った。クランジが機械である以上、やはり彼女は同様のポジショニングをしてくるはずだ。
 ローザのブーツを銃弾が掠めた。ローザマリアは振り向かないが、もうこれで大体の狙撃ポイントを割り出している。
 得たりとローザは狂血の黒影爪を発動、同時に滑り込み、倒木の影に身を伏せる。この位置、この伏せ方なら、イオタは自分を見失ったはずだ。
 雨はローザに利している。なぜならこれで匂いが消えるからだ。風下からの接近にこだわる必要はなくなった。
 泥を舐めるようにして、じりじりと体勢を変える。
 イオタは動くまい。いや、動けまい。下手をうてば自身も危ういと知っているはずだ。
 ローザマリアは顔はもちろん、首から垂れた黄金の髪も、肌も、胸の先まで泥につかっている。
 顔を伏せているから当然、泥水が遠慮なく鼻に入ってくる。背は雨に打たれっぱなしだし、口の中は砂利でざらざらする。
 緊張で胃は痛いくらいだ。彼女を女性たらしめている部分が、きりきりと狭まる感覚まであった。
 けれどローザは充実していた。
 願わくば、顔を知らぬ狙撃手、イオタにも同じ充実を感じていてほしい。
 いや、感じているはずだ。それが、狙撃手という生き様なのだから。
 一度も会ったことがないにもかかわらず、ローザはイオタを親友のように思う。もっといえば恋人のようにも。この瞬間、たしかに彼女はイオタに恋をしていた。愛しきっていた。
 その恋人にプレゼントするのが鉛玉というのは、普通の人間の感覚からすれば異様かもしれない。けれどよく考えてみればいい。愛し愛されるというのは、生殺与奪の権を握り合うということと同じではないか。恋人と愛を交わしその隣で眠るのは、いつ相手に殺されてもいいという意味ではないか。
 この状態と、どう違うというのだ。
 何時間にも思える十秒が過ぎた。正確には十とコンマ七一秒。
 突然、ローザマリアは立った。片膝を立てて座射の姿勢。
 撃った。
 ぱっ、と頭上から枝が落ちるのが判った。イオタの銃が落としたものだ。
 イオタはまた跳弾を使おうとしたのだろう。そう、イオタの隠れ場所からではその撃ち方しかできないようにローザは計算していた。もし伏射が可能なら直線射撃ができたかもしれないが、この森の木の枝に乗っての伏射はできない。
 対するローザは、直線射撃だった。
 どちらが早いかは言うまでもない。それを悟ったため、イオタの銃弾は狂った。
 ローザは彫像のように硬直したまま動かない。彼女が覗くスコープの向こうに、
「貴方は、あの時の……やっぱり、そうだったのね」
 木の枝に腰掛けていた少女が、胸を押さえずり落ちていくのが見えた。
 クランジΙだった。
 すぐに姿は視界から消えたが、それが少年のような姿であるのがわかった。まだ十歳にも届かないような子どもだ。郵便配達人のような服は、防水着として適切だったのだろう。
 ポートシャングリラで出逢った不思議な少女……彼女がイオタであったのだ。
「私の、勝ちよ」
 立ち上がろうとしてローザは激痛を感じ、ふたたび膝を付いてしまった。
 左膝が撃ち抜かれている。ふくらはぎのあたりが、綺麗に貫通していた。ブーツを銃弾が掠めたというのは間違いだ。ローザの強烈な戦闘本能が痛みを麻痺させていただけだったのだ。血があふれて流れ出し、雨に混じって赤い水溜まりを作っていた。

 ローザは軍服の袖で足を縛り、銃を杖のようにしてよたよたと走った。
 熱が出てきたらしい頭がぼうとする。左膝の痛みは強烈で、意識が飛びそうになる。ぬかるんだ道は落ち葉もあって酷く滑った。何度か転倒もした。それでもローザは立ち上がって走った。
 グロリアーナたちを呼ぼうという考えは思い浮かばなかった。彼女の想いは一つだ。
「イオタ……まさか死んではいないわよね……?」
 木から滑り落ちるイオタが、右胸を押さえていたのをローザは確かに見た。クランジならば心臓を撃ち抜いても生きている可能性があるが、首だけの状態から蘇生して暴走した大黒美空のことを思うとあまり歓迎したい状況ではない。心臓に当たらなかったのは幸いといえよう。
「死んだりしたら許さない……私は、あなたに話したいことがある……死ぬなんて認めない……」
 大黒澪――美空ではなく、澪の穏やかな笑みがローザの脳裏をかすめていた。
 もう、あんな想いはしたくない。あの日、澪を放したことをローザは激しく後悔している。
 イオタの言い訳など聞くまい。どんなに抗おうとも、自爆装置を取り除いて連れて帰る。
 そのとき、
「カイサ……?」
 ローザの眼前に、彼女のパートナーが出現した。
 行方不明だった彼女だ。名は、カイサ・マルケッタ・フェルトンヘイム(かいさまるけった・ふぇるとんへいむ)
「やっと、分かった――自分の存在証明の方法が」
 ローザを認識しているのかいないのか、カイサは一人で得心がいったように話した。しかし、雨に濡れているが異様に活き活きとしており、かつてローザが見たどんなカイサよりも血色が良かった。
 カイサは、クランジである。クランジといっても、シータやイオタのようにネームが与えられているものではない。ネームドクランジのいわば予備、『ロストナンバー』なのだという。発見者のローザもカイサには判らないことが多い。けれど確かに、カイサはローザマリアの家族であった。今も、そのはずだ。
「帰りましょう。カイサ。あなたの姉妹(シスター)、イオタを連れて……」
「違う」
 しかしカイサはローザが杖にしていた銃を蹴りつけて外した。
「何を……!」
「グロリアーナたちは呼んでおく。そこで休んでいるんだ」
 カイサはローザマリアを抱き上げ、大きな樹の根本に置いた。
「あなた……乱暴なのか親切なのか………ちゃんとした教育をしてなかったから……」
 ローザマリアは掠れ声で言った。
「私は休むわけにはいかない。イオタを」
「イオタのことなら心配ない」
 カイサは頷いて言った。
「私が『イオタ』になる」
「どういう意味……?」
「ロストナンバーは元々、個を持たない。簡単な話だ……私が、イオタになればいい。イオタの全てを吸収し、私はΙになる」
 普段のローザマリアであれば簡単に止められた一撃だ。
 しかしこのとき彼女は、首過ぎに叩き落とされたカイサの手刀をかわす術はなかった。
「そこで休むといい。目が覚めたとき、私はイオタになっている……」
 カイサの言葉と足音を聞きながら、ローザマリアの意識は底無し沼に落ちるようにして消えていった。