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リアクション
●ローラ・ブラウアヒメル
「始まったね……」
ローラ・ブラウアヒメル(クランジ ロー(くらんじ・ろー))は身を竦ませた。
島の南北――そう、南もだ――で戦闘が開始されたのだ。ローラはこの日、シャンバラ勢の一員として魍魎島の地を踏んでいた。
ぽつぽつと小雨が降る中、先を急がんとする彼女にアルテッツァ・ゾディアック(あるてっつぁ・ぞでぃあっく)が問いかけた。どうしても、明らかにしておきたいことがあるという。
「ブラウアヒメル君、よろしいですか? 機晶姫について少々聞いておきたいことがあります」
アルテッツァが落ち着いた口調なのは、現在の同行者に教導団員がまるでいないためであろうか。
彼は、眼鏡の奥から切れ長の目を光らせて言った。
「ボクの知り合いに、機晶姫をパートナーに持つ人がいましてね。その機晶姫、とても素直に感情表現をするんです……ブラウアヒメル君のように」
「う、うん。ワタシ、変人ね」大きな目をぱちくりさせてローラは応えた。
「そういうことが言いたいのではありません。知りたいのは、ブラウアヒメル君の心についてです」
アルテッツァの口調に詰問するような様子はない。優しく、安心させてくれるような色彩があった。彼は感じの良い人間なのだ……教導団員以外には。
ローラを中心として彼らは行軍を開始している。同行者の一人、桐ヶ谷 煉(きりがや・れん)は目を皿のようにして地を探っていた。
「何か見つかりそう? 煉?」
エリス・クロフォード(えりす・くろふぉーど)が問う。
「今のところは……何も」
煉は首を振る。しかし『今のところは』という発言からわかるように、彼は何かが見つかることを確信していた。
つまり、クランジΠ(パイ)の足跡を。
同様にパピリオ・マグダレーナ(ぱぴりお・まぐだれえな)と親不孝通 夜鷹(おやふこうどおり・よたか)とも懸命な捜索を続けている。
「ちょーっと地祇! ちゃんと探しなさいよ!」
パピリオが声を上げると、
「パピ! オメーもうるせーんだぎゃ! ワシに文句ゆーなら、オメーもちっちゃい所探すぎゃ!」
負けじと夜鷹も言い返した。
「分かってるわよ! 草の倒れ具合とか土の様子とかしっかり見てるわよぉ!」
「ワシだってビーフジャーキーの食いカス探したり足跡探したりしてるぎゃ!」
とまあ仲良く(?)喧嘩しつつ、それぞれきっちりと協力して職務を果たしているところが彼ららしい。
(「ま、今回は地祇の出番はないかもね。一応外だから、ぱぴちゃんの野生の勘もアゲアゲになってよく働くはず……ヒトが歩く道も決まってくると思うしぃ。すぐパイちゃん見つけて、悪かったらおしおき〜! そして連れ帰る! 簡単!」)
ふふん、とパピリオはニヤリとしたが、それもつかの間、
「ぎゃぎゃ?」
空を見上げ夜鷹がうなった。
落ちてきたのは水滴、いや……雨。灰色の空が崩れ始めたのだ。
それでも動じず、心理学の知識を総動員しつつアルテッツァはローラに問いかけていた。会話は、核心に近づいたり遠ざかったりを繰り返しながら進んでいる。
「ブラウアヒメル君は、普段どのようなことを考えているのですか? 他の機晶姫は、どんなことに拘りを持っているんですか?」
「普段? あー、ワタシ、あまり深いこと、考えない。毎日楽しい、好き。あとこだわりか? こだわりこだわり……ワタシ、難しい」
それはアルテッツァの期待した返答ではなかったが、彼は落胆しなかった。
「そうですな……なるほど……」
ある程度は予想していたものの、こういった結論を出すほかなさそうだ。
つまり、機晶姫といってもそれぞれであり、人間同様個性的なのである。
(「思考回路の指向性があるか否かを探ったのですがねえ。ブラウアヒメル君一人であっても、集中して考えられるときがあったり分散気味であったり……一定ではなく相当なぶれがあり複雑なものがあります。まあ、これは彼女が人間の中で暮らしていることでその影響を受けつつあるのかもしれませんが」)
そのとき、
「……ゾディ、アンタ何がしたいわけ?」
アルテッツァの耳元に唇を寄せ、ヴェルディー作曲 レクイエム(う゛ぇるでぃさっきょく・れくいえむ)がそっと小声で告げた。
「機晶姫に共通する特徴を探していただけのことです。なさそうだ、という乱暴な仮説ができあがりつつありますが」
アルテッツァは冷静に告げるも、レクイエムは彼の言葉の裏に隠れた真実をとうに見抜いている。
「あらそう? ……アンタの思考回路は『彼女』を中心に回っていることはわかってるわ……だから、ローラちゃんの護衛に出たんでしょ? それで、参考にするため機晶姫のデータを取ろうとしてる」
雨足は強まり、レクイエムの長い髪もしっとりと濡れはじめた。
「図星?」
レクイエムが問うも、アルテッツァは「さてどうでしょう?」と言うにとどめた。
ローラは雨をものともせず、ちらちらと北岸からあがる煙を見ている。現在彼らは東に進行しているため、煙は徐々に遠ざかっているのだ。
「Ρ(ロー)、気になるか?」
グラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)が問うた。炎のように赤い彼の髪は、雨に濡れたことでつややかになり、却ってその燃え上がるような色彩を強めている。するとローラは、猫が飼い主の膝に飛び乗るような様子で溌剌とこたえた。
「うん、気になる。みんな戦ってるから」ここで少し、声を落とした。「でもあそこは主戦場、ワタシ、パイなら別の所に来る、思う」
みんな戦ってる、というローラの言葉を聞き、アルテッツァは不快そうに眉を曇らせた。
「『みんな』といってもそのほどんどが教導団員でしょうに……正直、彼らは敵勢と相討ちになって全員すみやかに死んで頂きたいものです」
幸いアルテッツァの言葉を耳にしたのはレクイエムだけのようである。彼は、
「ゾディ、アンタらしい発言ではあるけど、あの純真なローラちゃんにそういう物騒な発言聞かせると傷つけちゃうわよ」
と袖を引いてアルテッツァをたしなめた。
「傷つける? それなら……まあ控えてはおきます。でもそれはブラウアヒメル君だからであって、仮にこれが教導団のユウヅキ君だったらそういう配慮は一切……」
「わかった。わかったから、今はちょっとお口にチャックしておいてもらえるかしら〜?」
視点をローラとグラキエスに戻そう。
ローラと彼とは浅からぬ縁だ。浅からぬどころか、彼女にとってグラキエスは命の恩人である(参照)。ゆえにグラキエスと再会できたローラの喜びはひとかたならずで、今も、彼を尊敬のまなざしで見ていた。
「ところでグラキエス。ワタシ、Ρ(ロー)て呼ぶ、どうして?」
「ああ、『ローラ』と呼ばれているのは知っているが……なぜだろうな、何となくこの呼び名のほうが親近感がある。嫌か?」
「嫌? ちがう。グラキエスなら、どう呼ばれてもワタシ、オッケーね」
ローラは嬉しそうだが、その斜め後ろを歩くゴルガイス・アラバンディット(ごるがいす・あらばんでぃっと)はあまりいい顔をしていない。
(「グラキエスが他者を気に掛けるようになったのは、喜ばしい事ではあるが……」)
ゴルガイスの鱗に、冷たい雨が当たり跳ね返った。彼は、グラキエスに対するローラの言葉や表情に、単なる命の恩人に示す敬意以上のものを読み取っていた。とくに視線は嘘をつかない。熱っぽいものがあるではないか――ローラ自身がまだ、そのことを自覚していないであろうことが幸いではある。ゴルガイスの見立てでは、彼女の精神はそれほどに幼い。
クランジΡことローラと、グラキエスが親しくなることが悪いわけではない。しかし、
(「わかっているのか、グラキエス。『クランジ』は塵殺寺院製なのだぞ……!」)
グラキエスにとって塵殺寺院とは、単なるテロリスト集団以上の意味がある。それをグラキエスが完全には理解していないと思われることも心苦しかった。できることならグラキエスを塵殺寺院には近づけたくない。あの忌まわしい過去とは……。
その考えを察知したらしい、ロア・キープセイク(ろあ・きーぷせいく)がゴルガイスに告げた。
「……アラバンディット。きっと大丈夫ですよ」
だが竜人(ドラゴニュート)の口調が軽くなることはなかった。
「しかし……下手をすれば鏖殺寺院と相対する事になる」
シャンバラ勢の一人としてただ戦うだけならばまだ、いい。しかしこの戦闘で塵殺寺院が、『グラキエス・エンドロア』という個人を認識してしまうことはどうしても避けたい。
「それに、グラキエスが『Ρ』のコードネームに親近感を感じるところも危うい。忌まわしき記憶に直結しているのではないか……」
ゴルガイスはそれ以上触れなかったが、ローラが『Ρ』であったように、エンドロアは『end』なのである。シンプルだが恐ろしい事実だ。
されどロアは涼やかな目をしている。
「私は、ブラウアヒメル君が彼に与えるプラスの影響のほうを大事にしたいと思います」
「言うは易いぞ」
「根拠なく言っているわけではありませんよ。現に……」
「どうした、二人とも?」
ここでだしぬけにグラキエスが振り返ったのでロアは口を閉ざした。
「い、いや、グラキエス……いずれ敵襲が予想される。雨足が強まればそれだけ視界も狭まる。離れるでないぞ」
腹芸の苦手なゴルガイスである。懸命にごまかそうとしたが、ごまかそうとしていること自体がありありと浮かび上がってしまった。
「ゴルガイス? 一体どうしたんだ? そんなに心配しなくとも、無理はしない」
「そうだ。無理はいかん。我々の目的は戦闘そのものではなく、彼女の護衛であることを忘れるな。キース、お前も気をつけるのだぞ」
安堵が見えるゴルガイスの口調に、ロアは少々苦笑しつつ、
「ええ。用心しましょう。エンド、バイタルは安定してますが、消耗には気を付けて」
そのロアの言葉に被せるように、
「何かが接近してきます。……一体や二体じゃない!」
桐ヶ谷 真琴(きりがや・まこと)が声を上げた。真が腰から抜いたのはタクティカルアームズ、未知なる技術が組み込まれた未来兵器であり、現代の常識からすれば異様なほど軽量なれど頑丈で、ビームを放つのみならず医療器具にもなるという多機能銃だ。
おり悪く雨が、決壊が崩れたかのようにどっと降り始めた。
これまでのそぼ降る雨が序曲とすれば、いよいよ組曲は本展開に入ったといえようか。
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