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リアクション
●渦
あれほどの豪雨だったものが、すっかりその勢いを減じている。といっても老人の繰り言のように、尽きることはなさそうだが。
グレン・アディール(ぐれん・あでぃーる)は唐突に足を止めた。
「どうしたんですか……?」
グレンの顔に浮かんだ動揺を見て、ソニア・アディール(そにあ・あでぃーる)は声をかけた。
「何か……あったように思う……」
「何か、って……?」
「すまない……それは……判らない……」
ポートシャングリラで出逢ったクランジΚのことを、ふとグレンは思い出してた。虫の予感というものだろうか。Κの身が案じられた。
……いや、とグレンは首を振った。今、彼が考えているのは大黒美空ことクランジΟΞ(オングロンクス)のことだ。
死んだと聞いたクランジΟ(オミクロン)、それにクランジΞ(クシー)……その二人が融合した姿がオングロンクスだという。その話をソニアから聞いたときは耳を疑った。
(「正直驚いた……一部とはいえ……本当に七夕の願いが叶…………いや……まだだ……まだあの願いは一つも叶っていない……。ΟとΞ……いや今は大黒美空だったな……アイツが生きてくれないと……。アイツの心を救わない限り……叶ったなんていえない……もう……あの悪夢を見るのはごめんだ……!」)
繰り返し夢に見た光景、そのたび感じる無力感、そこから解き放たれるときがあるとすれば今だ。
グレンは美空を探した。
この場所、魍魎島に必ずいると信じた。
だから南北の戦場にも参加せず、三人のパートナーを連れて独自に西の地点を探ったのだ。何か情報があって来たのではない。ただ、大洋と直結している東岸と比べて、この付近には特に目立つものがないために気になった。
美空のことを明かすのにソニアは逡巡した。しかし、意を決して伝えて良かったと思っている。
グレンが思い悩むことより行動を選んだからだ。仮に最悪の結果になったとしても、行動しなかったという後悔よりは、行動したが無理だったというほうがずっといいだろう。無論、最悪の結果だけは避けたいが。
道中彼らは何度か、小規模な量産型の集団と遭遇した。彼らと戦うことが目的ではないので、蹴散らすにとどめ先を急いでいる。
このときもまた前方に、量産型の一隊がいるのが見えた。
「回避できればいいが……」と呟くグレンに、
「違うな。あれが目的のようだぜ」と首を振ったのは李 ナタ(り なた)である。
ナタは槍を払った。軽く一回転させて構える。
戦いが起こっているのだ。
量産型が鞭を放つ。その鞭を大黒美空が一颯する。鞭は空中で断ち切られ、同時に、クランジ量産型は首を水平に刎ね飛ばされていた。
今度の集団は量産型と機械獣ばかりではないらしい。黄金色の髪をした少女もそこに加わっていた。
「冗談じゃないわ! あんた……一体何が目的なの!」
クランジΠ(クランジ パイ(くらんじ・ぱい))が口を開く。そこから眼に見えるほど強い超音波が放たれ美空がいた場所を抉った。されど易々と美空はそれを避け、別のクランジ量産型の頭の上に着地している。かと思いきや、量産型はその頭頂に刀を突き立てられ火を噴いた。
「私の目的は、クランジすべての破壊、です……破壊だ」ざらついた質感の口調で美空は言った。
「あんただってクランジでしょうに!」対するパイの口調は、もっときっぱりとしている。
「だからすべてが終われば、私も自害し消滅するつもりです……つもり、だ」
「いかれてるわ! あんた、完璧にいかれてる!」
パイは口の端にビーフジャーキーをくわえたまま、膝のばねを活かして美空と距離を詰めた。弾丸のような急迫、しかしそれを待ち構えていたかのように、美空は上体を捻り片腕を一閃させた。その腕は肘の辺りから取り外されており、手があるべき位置には鋭い刃が一本、剥き身で真っ直ぐに伸びていた。
パイのくわえていたビーフジャーキーが、両断されて落ちた。パイは信じられないというような顔をして膝を付く。あと数センチ踏み込みすぎていたら、斬られたのはジャーキーにとどまらなかった。
パイと美空、二人のクランジは改めて向き合った。パイの側にはクランジ量産型の一群が、同じく機械製の蜘蛛怪物、犬怪物とともにある。
「その勝負、待った!」
槍を巡らせナタが渦中に飛び込んだ。彼女は強引にパイと美空の距離を開けさせる。
「聞いたぜ。クランジを滅ぼして自分も死ぬだとか、させないだとか」
きっ、とナタは美空を睨めて告げたのである。
「それが自分の存在理由だって話だったよな、美空! まったくどいつもコイツも、何で物事を難しい方に考えてんだか……そんな存在理由があってたまるか! 人生なんて、カッコつけるか恋するかで良いんだよ。俺みたいにな」
ナタの背にしがみついているのはレンカ・ブルーロータス(れんか・ぶるーろーたす)だ。レンカはそこから飛び降りると、足元を狙う蜘蛛怪物をかわして美空に抱きついた。
「お願い……レンカにできる事なら何でもするから……。だから……だから! グレンお兄ちゃんを悲しませるような事はもうしないで!」
「私……は」
あれほど猛威をふるった剣鬼美空が、レンカには何一つ手出しができず、その身を受け止めることしかできなかった。
「ちょっと、そこのちみっ子、どきなさいよ! そいつは危ない奴なんだからね! 殺されても責任持たないよ! それに……」
パイは眉を怒らせてレンカに叫んだ。
「あたしはこの怪物どもに命令する権限がないの! あんたまで巻き込まれるわ!」
実際、動きをとめた美空を見て、これ幸いとばかりに機械のケダモノや動くマネキンが、わらわらと彼女を取り囲みはじめたのである。
量産型の頭部に孔が開いた。犬機械が矢に射貫かれ、胴を地面に串刺しにされた。
「手出しは……させない……!」
銃を向けたままグレンが言った。その気迫に圧されたか、心持たぬ機械群の包囲は拡がった。
「他の方々から事情は聞いています……美空さん!」
弓を下ろしてソニアが言う。
「貴女の、人でありたい……同時に、機械でありたいという想い、迷う心は分かります……」
ソニアは美空に駆け寄り、彼女にだけ聞こえるように言ったのだ。
「信じられないかもしれませんが私も…そういう時がありますから……『心も機械だったら人に恋なんかしなかった…この胸、痛まなくても済んだ』と……」
ソニアが手を伸ばした。美空の右手を、しっかりと握った。冷たい手だった。
握った手を放して距離を取り、ソニアは頬に木漏れ日のような微笑を浮かべた。
「けれど……その人の為に苦悩してでも生きる事が、私の存在理由なんです……だから……!」
ソニアの言う『その人』が誰を指しているかは自明だ。
その人、つまりグレンが言った。
「大黒美空……あの雪山で言った台詞をもう一度言おう……
俺は……お前を助けたい……!」
「助け……なくていい……やめてください」
美空は首を振ると、グレンを振り切るようにして走った。追いつけない。
美空は姿を消してしまった。
そのときナタは、パイと向き合っている。
パイの言う通りなのだろう、量産型や殺戮機械は美空を追い、誰一人パイの溜めに居残ってはいなかった。
「おい! そこのガキ!」ナタが言った。
「誰がガキよ! あんたが相手になるっての!?」
「違う。ここは俺に免じて退け、って言いたいんだ」
「バカはよして、あいつ……オングロンクス(美空)はあたしを殺しに来てるのよ、見逃せっての?」
「頼む」
パイは目を丸くした。
口調も態度も尊大そのものと見えたナタが、自分に向かって頭を下げたのだ。
「判ってるの? あたしは……」
パイはナタになおも何か告げようとしたが、
「もういいわ。ただ、付いて来ないでよね」
グレンにソニア、レンカ、そしてナタクに向かってパイは宣言すると、美空とはまったく別の方向に走り出した。