リアクション
● ● ● 飛空艇には、執務室がある。 艦長用なのか参謀用なのかはたまた趣味の一環に過ぎないのか、判然とはしないが―― いずれにせよ実に整った部屋である。見事なまでの木目調美しい執務机に、左右には数々の資料と書類を置いておける棚が並ぶ。無論、はじめこそは随分と損傷し、風化が激しかったが、シャンバラ教導団に所属する掃除のプロたちがしっかりと磨きあげ、新しい棚も用意し、見事なまでに万事整った。 その机に、いま一人の女性が座っている。 「はぁ……」 ため息を禁じ得ないその者の名は、ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)。 教導団所属の契約者である。バージニア州リトルクリーク海軍基地出身。14歳から特殊部隊訓練を受け、海軍下士官兵を経てアメリカ海軍横須賀基地へ配属。グルカナイフを用いた近接戦闘と特殊仕様の狙撃銃による超遠距離射撃に秀でた――元、軍人。 教導団に籍を置いている限り、今も軍の所属であることに変わりはないが…… 20歳という若さでそこまでの経歴を持っている者はそうはいまい。 見た目の、洗練されながらも元気を忘れない麗しき少女の名残からは考えられないはずである。今も、少女は少女なりの思想と願望を抱いてはいるが、思考の切り替えが出来るのは軍人ゆえの特性か。 そのローザマリアはいま、年相応の顔を難しく歪め、口を尖らせるように頭を抱えていた。 そのとき、ドアがノックされた。 「ローザマリアさん。実はユーベルさんのほうから手順書と人員配置の申請書類が届いて――」 言いながら入ってきたのは、ローザマリアよりも一歳だけ若いトマス・ファーニナル(とます・ふぁーになる)だった。 が、ローザマリアを見た途端、その眉がぐにゃっとひそめられた。 「………………って、なんですか、これ」 トマスが呆れたのは、ローザマリアの目の前の悲惨な状況を見てだった。 執務机には無数の書類とファイルの山が積まれていた。それこそ、ローザマリアを囲むように、床にまで。真ん中にいるローザマリアは、徹夜続きですっかり滅入っているのか、クマの出来た悲壮感漂う顔で、 「あぁ…………トマス…………」 とだけ、つぶやいた。 「だ、大丈夫ですか? 目に見えて疲れてますけど」 トマスが心配そうにたずねる。ローザマリアはため息と一緒に答えた。 「まあ……ね。なにせこれだけの数の改修案だもの。全部が全部を採用ってわけにはいかないし、纏めるのも苦労するのよ……」 そのときである。トマスの後ろから入ってきた別の女性が、ローザマリアに言った。 「中間管理職、というものだろうかな。机上の仕事も大変だな」 「ライザ……っ! どうして、ここに……?」 艦外の護衛を任せていたグロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)を見て、ローザマリアは半ばうろたえた。あまり見られたくない姿でもあったのだろう。唐突な訪問に対し、慌てて身なりを整えた。 気丈な己が契約者を見て、ライザは肩をすくめた。 「なに、忙しそうな我が契約者には休憩も必要かと思ってな」 そう言って、カタンとテーブルに置いたのは紅茶を淹れたティーポットとカップ一式だった。ちょうど三人分。トマスとローザマリア、それにライザの分もある。 「――ローズヒップティーだ。飲まれるか?」 疲れも、寝不足も、全て見透かされていたのか。ローザマリアはすっかり諦めたような気分になり、息をついた。 「……ええ、お願い」 「トマス殿はいかがなされる?」 「あ、それじゃあ……僕もお願いします」 トマスも席に着いたのを見て、ライザは三人分のカップに紅茶を淹れ、それぞれの席に差し出した。 「それで? 進展はいかがかな?」 「まあまあ」 「ベルネッサ殿に連絡は?」 「いくつかの改修案は転送しておいたわ。と言っても――この作業を始める前だから、ほんの触りだけだけど」 音もなく紅茶を飲んで、一緒に皿に乗っていたスコーンをさくっとつまむ。 それからローザマリアは、口にスコーンを挟みながら、改めて作業を再開した。紅茶を飲んだことで、少しは元気が取り戻せた。先端テクノロジーを使った端末を操作し、空中にモニタを映し出す。 飛空艇の立体映像を表示させてから、改修案を組み込むシミュレートを開始した。 「トマス、そこの資料を取って。それから、キーコード入力。急いでね」 「り、了解……!」 ローザマリアは飛空艇の立体映像をタッチして回転させたり動かしたりしながら、思案にのめり込んでいる。 トマスもそれを手伝いながら、資料を運んだり元の棚に戻したりと、半ば雑用みたいなことをさせられたりもした。ユーベルが渡してくれた手順書と人員の配置書もこれに組み込まれる予定だ。空賊たちが仕事を手伝ってくれるおかげで、幸いにも人材には困ることはなさそうだった。 銃型HC・Sの通信機能を使って、ローザマリアはベルネッサに連絡を取る。改修案について、意見を聞きたいこともあったからだ。 「もしもし、ベル? 実は飛空艇の乗組員用の部屋のことなんだけど――」 声音にはもう、平静たる響きしかない。 すっかり元の調子を取りもどしたローザマリアを見て、ライザは静かにほほ笑む。それから彼女は、トマスにも気づかれないように、そっと部屋を出て行った。 パタン、と閉じられた扉の奥から、ローザマリアがベルネッサと相談し合う声が聞こえてくる。 (そうでなくては……らしくないな……) 誰もいない廊下を、ライザは悠然と歩み去っていった。 |
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