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リアクション
第3章 宿敵
ドッペルゲンガーをめぐる喜悲劇は、はじまったばかりである。
自分の分身を前にして、一雫 悲哀(ひとしずく・ひあい)が憂鬱そうにつぶやいた。
「ドッペルゲンガー。そして半透明のギア……。まるで、芥川龍之介の『歯車』みたい」
「芥川龍之介って、ボクの名前の由来になった人?」
「そう。蜘蛛の糸を書いた作家よ」
カン陀多 酸塊(かんだた・すぐり)の質問に応えた悲哀。彼女が抱くのは、まさに『ぼんやりした不安』としか言いようのないものであった。
「キミさー、私のオリジナルなんでしょ。仲良くしようよ!」
悲哀のドッペルゲンガーが笑顔で近づいてくる。だが、視界に酸塊が映ったとたん、彼女は顔をしかめた。
「きゃー! 蜘蛛じゃんっ。気持ち悪い!」
「ひ、悲哀に嫌われたー!?」
顔を覆って泣き崩れる酸塊。彼の頭を撫でながら、悲哀が慰める。
「安心して……。あの人は私であって、私じゃないから……」
ドッペルゲンガーに向き直り、彼女は告げた。
「貴女は自信に溢れていて、自分が大好きなのがよく判ります。……本当、私と正反対。嫌になるわ」
「そんなこと言わないで。わたしは、あなたが好きよ」
「私は私が嫌い。だから貴女も嫌い。――すぐりを苛めた貴女を、殺します」
悲哀は【ミルキーウェイリボン】を乱舞させた。星屑の放物線が、ドッペルゲンガーの足を封じる。
だが、相手も同じようにミルキーウェイリボンを放っていた。ふたつの天の川が混ざり合い、互いの動きが食い止められる。
「ボクに任せて!」
敵の背後に回り込んだ酸塊が【狂科学者の銃】を撃つ。マッドサイエンティストの歪んだ科学力が、裏悲哀の体を貫いていく。
穿たれた腹部から、紅の体液が溢れ出る。幻影とはいえ、彼女の中に流れるのは、紛れも無い人の血だった。
「ま、まさか……わたしが蜘蛛にやられるなんて……」
跪くドッペルゲンガー。致死量のダメージをうけた彼女は、神を恨むように、血に濡れた掌を天に掲げた。
「死にたくない……まだ死にたくないぃぃぃ!」
未練を金切り声に変えた後、ドッペルゲンガーは跡形もなく消失した。
「か、勝ったぁ!」
無邪気にはしゃぐ酸塊に、悲哀はわずかな笑みを浮かべる。ふたりで手にした勝利の余韻。
だがそれは、ある者のすすり泣きで中断された。
「駄目なんだ……。僕は、生きていちゃいけない……」
泣き声の主は、酸塊のドッペルゲンガーだった。彼には戦う気力すらないようだ。ただ、霏々として涙を流すだけである。
自分の分身に近づきながら、酸塊は優しく告げた。
「もしかしたら。ボクは、キミだったのかもしれない」
先ほど悲哀がしたように、酸塊はドッペルゲンガーの頭を撫でる。
「だからね。キミが泣く理由はわかるよ。悲哀に嫌われていたら、ボクには信じられるものがなかったから」
「僕は……生きていてもいいの?」
「うん。少しだけかもしれないけど。時間が許すかぎりはね」
「……ありがとう」
ドッペルゲンガーの理解者。
それは、共存が許されていない自分の片割れ。
「ありがとう……。ありがとう……」
彼らの間にあるのは、約束された別れ故に築かれる、悲しい絆だった。
☆ ☆ ☆
「みつけたわよ、私のドッペルゲンガー!」
仁科 姫月(にしな・ひめき)が、自分の分身を指さして叫ぶ。彼女の隣に立つのは、成田 樹彦(なりた・たつひこ)によく似た男性。
彼らはすっかり本物気取りで街を歩いていた。
すれ違う知人たちから、「姫月ちゃん、穏やかになったね」「樹彦、明るくなったな!」などと話しかけられている。
「あなたを生かしておくわけにいかないわ! ドッペルゲンガーがいれば私は死ぬことになる――」
憤懣やるかたない表情で、彼女はつづけた。
「でもその前に。あなたの優しそうな性格が許せないのよ!」
ドッペルゲンガーに食ってかかる姫月。
彼女の心境は、
(なんなのよ――。彼女、兄貴の好みにぴったりじゃない!)
という、嫉妬と怒りに満ちていた。
「まあ、怖いですわ」
上品なしぐさで、裏姫月が隣の男性に寄り添う。しかし、裏樹彦はそげない態度で彼女を引き離した。
彼の反応をみて、樹彦の表情が険しくなる。
「不愉快だな。偽物とはいえ、姫月を悪しざまに扱う奴は、見るに耐えない」
すかさず臨戦態勢に入る。
だが、狙いは自分のドッペルゲンガーではない。裏姫月だった。
「本物を守るため、君たちには消えてもらう」
相手の不仲。そこに隙があると樹彦は読んだ。
一人ずつ確実に倒すため、妹の偽物へ『光術』を放つ。閃光が裏姫月の体を横切る。
まさに明暗を分けた樹彦の攻撃。
豊満な胸部が揺らめき、裏姫月は地面へと伏した。
「くっ……」
あどけない唇から、消え入りそうな呼気が漏れる。瀕死だった。
それでも裏樹彦には、パートナーを援助する気配がない。
すかさず姫月が【轟雷閃】を放つ。彼女の咆哮が、輝く雷光へと変わる時――。
自身を模した幻影の姿は、跡形もなく消えていた。
「本物が偽物に負けるわけないでしょう!」
二発目の雷撃に向け、体勢を整える姫月。
この時点で、すでに勝敗は決していた。
(皮肉なもんだな。喧嘩の絶えない俺たちが、信頼によって勝利を得るとは)
樹彦が苦笑を浮かべたのと、姫月の轟雷閃が敵を貫いたのは、ほぼ同時であった。
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