空京

校長室

ニルヴァーナの夏休み

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ニルヴァーナの夏休み
ニルヴァーナの夏休み ニルヴァーナの夏休み

リアクション

『とうとうともに大将騎とほか1騎ずつとなりました! はたして勝利の栄冠はどちらのチームに!?』
「へっ。ちまちまとハチマキ取るなんてやってられるかよ」
 汗で額にはりつきだした前髪を払うと、藤原 忍(ふじわら・しのぶ)は目つきの悪い三白眼でウサギチーム大将騎ラクシュミを見た。
 騎馬の上から意気込んだ目でこちらを見ているが、威圧感はまるでなく、かわいらしい子猫(いや、彼女の場合子ウサギか?)が一生懸命トラを真似て威嚇しているようにしか見えない。
 自分をトラに見せようとしている子猫。
 その懸命さがどこかいじらしくて、忍はふと口元を緩ませる。
 だが勝負は勝負だ。
「行くぜ、鳥人ども。今までのように前進全速。体当たりだ」
 忍の指示に従って、鳥人たちはラクシュミ騎へ一直線に向かって行こうとする。そのとき、ふと忍の耳に小さな子どものような高い声がかすかに届いた。
「しのむー! しのむー!」
 それは忍のパートナー龍造寺 こま(りゅうぞうじ・こま)の声だった。
 こまは今、オオカミチームの側の観客席の1つに腰かけて、わっと盛り上がっている周りの声にかき消されないよう口元に手を添えて、必死に声を張り上げている。
「しのむー! がんばるにゅー!」
 水がこんなにも苦手でなければ、今ごろ忍と一緒にあそこにいて、自分でも何かお手伝いができたかもしれないのに。そう思うとつくづく残念に思えてならなかったが、どうしようもないことは考えても仕方ない。
 だからこまは、自分にできる精一杯のことをすることに決めて、こうして忍を全力で応援しているのだった。
 ラクシュミ騎へ向かおうとする直前、肩越しにこちらを見た忍と目が合った気がする。自分の声援が忍の耳に届いたのかもしれない。それだけでこまの胸には熱いものがじんわりと広がって、こまは大満足だった。
「……へっ。あんな応援受けたからには、全力を出し切らねえとな。
 やぁぁぁっっってやるぜ!!

 闘志を沸き立たせてラクシュミ騎へ突貫していく藤原騎を見て、
「させるか!」
 すかさず前をふさぎに行こうとしたコウを、マリザが止めた。
「私たちが向かうのはあちら」
 指の先にいるのはメルヴィア騎だ。
「なに? ……そうか、大将騎を先に落とした方が勝ちというわけだな。
 分かった! 行こうマリザ」
 コウは納得してうんうんうなずきメルヴィア騎へ突貫をかけるが、実は違った。
(なんかこう……彼女を見ていると、少し暗い気持ちが……湧き上がらないこともない…)
 もやもやとしたこの変な気持ちの芽生えは、思い起こしてみると試合が始まる前、プールに入ったときからだったような気がする。
(そう、あの少女が例の言葉を口にしたとき……はからずも胸が沸き立ったというか……胸のもやっとしたものがすうっと晴れていったというか…)
 あれは、魔法の言葉のようだった。ああこれは、そういうことだったのか、と。
 あの少女は、あのとき何と言った?
「……胸で影のできる女、死すべし」
 ぽつり、つぶやく。
「え? マリザ、何か言った?」
「きょぬーとでっぱいは、死すべし!!」
「マリザ!?」
 ぎょっとなるコウの上で、マリザは叫んだ。
「メルヴィアのあの胸は、少しばかり……いや絶対に許さないよ! 絶対にだ!!」
 突撃ー! って、ああもう突撃してましたか。
 


「来たわね」
 ラクシュミはみるみるうちに迫り来る藤原騎を、少し緊張した面持ちで見据えた。
「一気呵成にやるつもりだな」
 ラクシュミ騎、先頭騎馬を務めるリョージュ・ムテン(りょーじゅ・むてん)が冷静に判断する。
「システルース騎が先にメルヴィア騎を落とすならよし。でなかったら2騎を相手に戦うことになるなぁ。相手は教導団のメルヴィア大尉だから、そうなるとこっちに勝ち目はほぼねーかも」
「えっ?」
 ラクシュミの不安げな声に、リョージュは首を回して彼女を見上げると、にっこり笑って見せた。
「まあ人間万事塞翁が馬ってね。たとえそうなったとしても、その不利な状況が案外こっちに有利に働くかもよ?」
「そう、なの?」
 その言葉を知らないラクシュミは、ぴんとこないといった表情で小首を傾げる。
「おーよ。立ち回りなら任しとけ! こちとらこーいうのには慣れてるからな! もし負けるにしたって、無様な負け方だけはしてやんねーよ。
 俺たちの力、見せてやろうぜ!」
「……はいっ」
(私はどうでもいいです……はぁ)
 意気投合する2人を横目に、同じくラクシュミ騎の馬役をしている白石 忍(しろいし・しのぶ)は、そっと心のなかでため息をついた。
 自分はこういう体育会系イベント事には絶対向いてない、と忍は自覚している。観客席でジュース片手にみんなの活躍を見ているか、屋台の食べ物でもつまみながら友達とプールサイドでおしゃべりしている方が、まだ性に合っていた。
 引っ込み思案で会話は苦手な方だが、少なくともここでこうしてみんなに注視されながら水着姿でプールを走り回っているのよりは合ってる。絶対。
 というか、一番合っているのはイコンを使っての探索なのに、なぜかリョージュに押し切られ、気付いたらこんなことになっていた。
 よりによって大将騎。会場じゅうの注目を浴びている。
(今はもう、とにかく早く終わってくれることを望むしか…)
 目を閉じて、あれは潮騒、風の音、人の歓声なんかじゃないとぶつぶつ現実逃避をしていたら、いきなり腕を引っ張られた。
「きゃっ」
「何ぼーっとしてる! 行くぞ忍!」
「は、はいっ! リョージュくん!」
 リョージュは自ら藤原騎へ突撃した。
 その視界の隅では、すでにメルヴィアとマリザが丁々発止の接戦を繰り広げている。
 マリザの意気込みはすごいが、やはり勝ち目は薄そうだ。メルヴィアの方が駆け引き、騙し合いに長けている。
(メルヴィア騎が体勢整えてこっちへ来る前にやっちまわねーとな!)
「おらよ!!」
 先頭騎馬の鳥人に荒々しく肩をぶつけていく。衝撃に揺れたところで藤原騎騎手の忍とラクシュミのハチマキの奪い合いが始まった。
「がんばれよ、ラクシュミちゃん! それはあんたにしかできねーぜ!」
「うんっ!」
 ラクシュミは伸びてくる手に手を掴ませないように避け、払いながら、積極的に自らもハチマキをねらっていく。
 だがやはり時間がかかりすぎた。
(ち。もうか)
 わっと沸き上がった歓声から、メルヴィア騎が勝利したことを知る。それからそう時を開けず、メルヴィア騎が彼らの元へやってくる気配を感じて、リョージュは次の策に移った。藤原騎を常に間に挟むようにして、メルヴィアの動きに合わせて鏡のような動きをとったのだ。いわば、藤原騎は盾だった。
「ええいくそっ…!」
 藤原騎に邪魔をされ、思うように手を伸ばせずにいるメルヴィアが、焦れた声を発する。
(いまだ!)
「やれ! 忍!」
「えっ?」
「えっ?」
 一瞬自分のことかと藤原忍がきょとんとなるが、リョージュが命じたのはパートナーの忍の方だった。
「……えーと……あ、あれをですか…? で、でも、あのぅ……もしかして失格になるんじゃ…」
「いいからやれ!」
「は、はいっ! ごめんなさいっ」
 騎上の藤原忍にひと言あやまってから、忍はフラワシを召喚した。
「うおっ!?」
 突然顔のすぐ横で燃え上がった炎に驚き、反射的、忍は体を大きく横にずらす。炎は現れたときと同じく一瞬で消えた。
「今だラクシュミちゃん! 俺の頭を使え!」
「はいっ!!」
 言われたとおりリョージュの頭にひざを乗せ、さらには傾いた忍の体に片手をついて、ラクシュミは懸命に忍の後ろから現れたメルヴィアに手を伸ばす。
「! ちいッ!」
 不意を突かれたメルヴィアは身をよじるも、ラクシュミの指先が触れるのが早かった。
 しゅるっと衣擦れの音がして、メルヴィアの額からハチマキがはずれる。
「取れた! 取ったよ、リョー――きゃあっっ!!」
「ラクシュミちゃん!?」
 バシャンッ!! 
 もともとが不安定な足場、無理すぎる体勢だった。伸ばした手にハチマキを握りしめたまますべり落ちたラクシュミは、派手な水しぶきを上げてプールに落水する。
「……い、いたたたた…」
「大丈夫か?」
 すかさずメルヴィアが引き起こす。
「うん……ありがと、メルヴィア」
「いや。しかし思い切った手を使ったものだ。まさかあの並びで真正面から来るとは思ってもみなかった」
「うん。へへっ、リョージュくんのおかげだねっ。背中を押されたみたいに、つい体が動いちゃったんだよ」
 横に立つリョージュを笑顔で見上げる。
 と、握り締めているハチマキを見て、それから自分がまだ巻いたままだったハチマキのことを思い出した。
「リョージュくん、しゃがんでしゃがんで」
 しゃがませたリョージュの頭に、自分のハチマキを巻く。
「今日の記念に、よかったらもらってね」
 そして一方で忍は。
「あの……だ、大丈夫、だったでしょうか…?」
 おそるおそる、藤原忍に話しかけていた。
「――ああ。あんた、消すと同時に慈悲のフラワシも使っただろ。熱を感じる暇もなかったよ」
「よかった…」
 ほっと胸をなでおろす。
「ああそれと、あんた、失格になるか気にしてたみたいだけど、あの程度なら問題ないんじゃねーの。魔法使ってたやつはちょこちょこいたし。あれくらいなら何のおとがめもないさ。あれはただ単に、俺が驚いただけだ」
 実際はそうでもないかもしれない。藤原忍が異議を申し立てたら。あれはルール違反だと申告すれば、もしかしたら。
 だが藤原忍にそうする気はなかった。勝負は勝負。第一、結果に難癖つけて上に言いつけるなんざガラじゃない。
「……ありがとう…」
 ほっとして、忍はやわらかなほほ笑みを浮かべてみせる。

『勝利が確定しました! 騎馬戦を制したのはウサギチーム!! ラクシュミ校長率いるウサギチームです!!』
 彼らの頭上はるか上で、実況のアナウンスが流れていた。