校長室
【カナン再生記】緑を取り戻しゆく大地と蝕む者
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●カナンの民との交流(07):魂鎖蛙斗穂織屡、伝説の幕開け(後) ステージ背景を入れ替える間、幕間が演じられる。 飄々と舞台に上がり、今坂 朝子(いまさか・あさこ)が名乗りを上げた。「ども〜、地球から来た朝子で〜す」 「女神イナンナでーす」外見年齢十歳前後、褐色の肌の今坂 イナンナ(いまさか・いなんな)が朝子を追いかけてきた。会場から温かい拍手が飛んだ。カナンの民にとっての女神イナンナは、二十歳過ぎの本来の姿である。この姿だと、女神イナンナに扮したマスコットキャラクターのように認識されるのだ。 「ではではご覧あれ、幕間コント、スタート!」 朝子はさっと付けヒゲとカツラ、それっぽい衣装でネルガルに扮した。政治コントなのだった。ネルガル役の朝子がつまらない悪事をたくらむものの、何をやってもイナンナ役のイナンナ(ややこしい)にコテンパンにやられてしまうのである。際どいギャグではあるのだが、客席にはそれを笑うたくましさがあった。ネルガルの暴走によって暗く沈んでいた観客にとって、どれほど胸のすく舞台であったことか。 「ぎゃー! もうしません!」ハリセンを持ったイナンナに追い回され、ネルガル朝子は逃げ惑った。 ステージは爆笑の渦に包まれ、二人は喝采を受けてステージから去った。 このとき、 「急いで急いでっ、パンフパンフっ」茅野瀬 衿栖(ちのせ・えりす)が息切らし、音響係のレオン・カシミール(れおん・かしみーる)の元へやってきた。 「どうしました。突然?」ミキシングボードを操作していたレオンが、驚いて顔を上げた。 「うんっ、お客さんどんどん増えててね。立ち見まで出てるんだよっ」入場者全員に配っていたパンフレットが、魂鎖蛙斗穂織屡入口で用意していた分を上回ってしまい足りなくなったのだ。「まさか予備のパンフレットまで必要になるなんて……」 「あの有名な846プロのコンサートですものね、盛況は予想してしかるべきでしたか」レオンが、音響ルームに置いてあった予備のパンフ入りの段ボールを衿栖に手渡すと、 「急いで配ってくるね!」ひゃー忙しい、と声を上げ、衿栖は入口に駆け戻っていった。 衿栖が再びパンフレットを配り始めたあたりで、本日のメインイベント『846プロ主催・アイドルコンサート』が幕を開けたのである。 トップバッターを飾るは、正統派にして歌唱力抜群、ガールポップシンガー赤城 花音(あかぎ・かのん)だ。 (「社社長と輝さんは企画を立ててくれて、ありがとう! ボクも心を篭めて歌うね♪」) 心の中で感謝を唱え、カナンの人々のために花音は名曲『大地を潤す願い』を歌った。 「巡り行く季節の中 断ち切られた時間 降り積もる現実 あまたの魂へ真実の声 零れ落ちる雫に 舟を浮かべて 精霊は歌う 枯れ果てた大地を潤す願い 乾いた心 あなたは何を感じますか? 失えない想い 悲しみに抱かれて聞こえる かざした手の平 広げて受け止めて 大切な人へ贈る 言葉のカケラを集めて 生まれる 輝ける希望の光 出逢える 愛という名の 暖かな祈り」 会場は静かだ。咳一つ聞こえない。それは誰もが、花音のメッセージに聴き惚れていたからだ。それほどに力強く、聴く者の心を揺さぶるような歌声だった。かつてアメイアに語りかけたこの歌は、カナンの人々の心も捉えたのだった。何度も耳にしているはずなのに、リュート・アコーディア(りゅーと・あこーでぃあ)もつい、裏方作業の手を止めて聴き入ってしまった。 次に舞台を盛り上げたのは、生活感のある衣装でやってきた多比良 幽那(たひら・ゆうな)である。 「農家が歌って踊ってアイドルしても何も問題ないはず! ちょっと便乗させてもらって、世にも珍しい農家系アイドル……略して農ドルとして一曲歌わせてもらうわね♪」 幽那は歌う。 「カモン、アコニトム! カモン、ヴィスカシア! ディルフィナ、ラディアータ出ておいで ナルキススも揃ってアラウルネ 私の可愛いアルラウネ アラウルネはマンドレイク亜種、つまりその声は致死性……らしいけど私の子らは大丈夫だから! 特別綺麗な衣装もない、土臭い私だけれども、みんなと一緒なら輝ける だからあなたも輝いて 樹木人 樹木人 アラウルネ」 なんとも奇妙なポップスなのだが、やけに親しみやすいメロディが好評を博した。本当にアラウルネたちをバックコーラスに使って、分厚いハーモニーを作り出しているのも魅力だ。このまま幽那、本格アイドルデビューとなるか? 「お兄ちゃん、ステージコスチュームはバッチリだよ♪」衣装係の神崎 瑠奈(かんざき・るな)に太鼓判を押され、続いて登場するは846プロの最終兵器、男の娘アイドル神崎 輝(かんざき・ひかる)だ。 「辛いことがあっても 挫けそうになっても 諦めないで もう一度やってみよう 少しずつでいいから 前へ進んでいこう」 当初、輝は貝殻を模したステージで、バニースーツを着たダンサー葦原 めい(あしわら・めい)&八薙 かりん(やなぎ・かりん)と共に歌い踊っていたのだが、いつしか感極まったのか、ステージを降りて客席を巡った。 「わわっ、下に降りるのっ!? それリハーサルではやらなかったよね!?」めいは焦るもさすがに彼女は、百戦錬磨のラビット隊員、すぐに合わせてステージから飛び降り、しかも即興のウサちゃんダンスまで披露した。一方、かりんはといえば戸惑いを隠せない。 「ええっ!? こんな格好でステージに上がっているだけでも恥ずかしいのに、客席で皆様の間近で観られることになるのですか……」本来は巫女のかりんなのだから、躊躇するのも当然といえよう。 ところが、めいが振り返って「ね、かりんちゃん、カナンの皆さんのためなんだから……お願いっ!」と声をかけてきたので、かりんも心を決めざるを得なかった。 「わかりました……めいがそこまでお願いするなら」パートナーのお願いは断れないかりんなのだ。ひらりと飛び降り、見事なダンスを見せつけた。 かくて輝の歌は続いた。 「全力を出して 諦めずにやり続ければ 出来ないことは 何もないから 皆で一緒に 頑張っていこう」 歌が終わったとき、会場から拍手喝采が飛び交ったのは言うまでもない。 再びステージに花音、幽那が戻り、輝との三人が脚光を浴びた。 「今日、本当に楽しいコンサートになったね……いつまでもこうしていたいけど……次が最後の曲なんだ」花音が告げると、これを惜しむ声が会場から聞こえた。「ごめんなさ〜い。でも、ラストまで楽しんでいってね」 「次は新曲なんですよ。この会場で初披露となります」そして輝は、幽那に曲の紹介を頼んだ。 「まだアレンジが未完成でタイトルも変更があるかもしれないけれど、仮題、ってことで」と幽那は会場の期待感を高めて宣言した。「聞いて下さい。『愛と夢、希望の未来』!」 それは、ピアノのイントロから始まる、あまりにも美しい旋律をもった歌だった。 三人がワンフレーズを歌ったところで、カナンの人々は会場が揺れるほどの大きな反応を示した。なぜならカナンの民は、ほぼ例外なくこの曲を知っていたからだ。カナンに伝統的に伝わる歌のない弦楽曲に、オリジナルの歌詞を乗せたものだったのだ。この歌詞も未完成の段階とはいえ、一通り歌い終えることのできる状態にはなっている。 「みんな、ここでパンフレットを開いてみてほしいんだ☆」花音が言った。 「最後のページに、この曲の歌詞が載っているよ」幽那が続け、 「ですのでボクたちと一緒に……歌って下さい!」輝が大きな声で呼びかけた。 衿栖がパンフレットを配ることに尽力したのも、この理由があってのことだ。 無意識のうちに、多くの民が立ち上がっていた。両手を挙げたり拳をつきあげたり、思い思いにこの曲に唱和したのだ。渾然一体となった歌声は魂鎖蛙斗穂織屡に満ち、爆発し、外に溢れて天まで届くかのようだった。 歌声は、愛と夢に満ちた希望の明日を、カナンの地に招き寄せてくれるかのように思えた。 この日、魂鎖蛙斗穂織屡の伝説が幕開けたのだ。