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【カナン再生記】緑を取り戻しゆく大地と蝕む者

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【カナン再生記】緑を取り戻しゆく大地と蝕む者
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●龍の逝く穴(04):探索に王道無し

 ただでさえ冷たい空気が、この一角ではとりわけ厳しかった。空気に、粒状にした氷が混ぜられているのではないかとゲドー・ジャドウ(げどー・じゃどう)は思った。(「ネルガル軍に与するってのも楽じゃねぇなあ……気持ちのいい場所じゃねぇしよ」)腕組みしながらゲドーは歩いた。
 彼が今いるこの付近は、雰囲気は真っ暗、環境は最悪、腰まである水をかき分けながら進まなければならないのも厳しい。とにかく、陰気で不自由な場所なのである。
 自分がこんな不幸な目に遭っているのも誰かのせいではないだろうか――こういうとき、こう考えるのがゲドーの持論である。しかし、そうなると(「誰か、ってやっぱりそりゃネルガルの野郎ってことになんのか?」)という結論になってしまうのは致し方ない。ネルガル軍所属だというのに。
 この辺りに不穏なものを感じるのにも理由がある。ゲドーはいつしか、龍の墓場たる一角に入り込んでいたのだ。白骨化した龍の骨は、それだけで畏敬の念を抱かせるものであった。
 ゲドーには、機晶石採取やイコン捜索の妨害をするつもりはなかった。そういう『あからさまな悪事』は、人とは違うことを無駄にアピールすることでしか自己のアイデンティティを感じられない、悪人志望の幼稚な連中にでもやらせておけばいい。彼はネクロマンサーとして龍の亡骸を調べ、可能なら持ち帰らんとしてここに来たのだ。
「にしても、弱ったドラゴンはこんなところに押し込められちまうって決まりにでもなってるんだろうか。んな薄情なことしてると死んでから化けて出ちゃうぞ〜」
 龍族の『風習』に疑問を差し挟みつつ、ゲドーはドラゴンの頭蓋骨を手に取った。「ま……しかし……」骨に語りかけるように言った。「もう死んじまった連中の死体を砕くなり奪うなりしてやっても、不幸になるやつなんざいねぇよな」
 ゲドーが不幸にしたいのは、幸福に酔いしれてふんぞり返っている連中だ。あくまで自分が支配者様だと、偉ぶっている奴らだ。とっくに死んでしまって『幸福争奪戦』から脱落した者たちではない。「ま、サンプルだけはいただいておくがね……」
 彼は死者に敬意を表し、いくつかの骨を削ってサンプルを持ち帰るに止めた。

 クレア・シュミット(くれあ・しゅみっと)の探索も一風変わっていた。彼女は龍の逝く穴各地で機晶石採掘に関するデータを取り、機晶石の含有量と可能産出量を試算していた。そこから、機晶石を産業化する場合の展望と試案を導き出そうと頭を悩ませていた。いくら頭を使おうと、歩みを止めぬのが軍人、実際クレアは軍属らしいきびきびとした動作で、歩いては測定を繰り返していた。
「機晶石ありきの技術が日常化すれば、カナンでも現在想定している以上の機晶石の需要が生まれるかもしれない。となると、重要なのは未来の見通しだ」というクレアに、ハンス・ティーレマン(はんす・てぃーれまん)が同意した。
「見通しのないまま乱開発すれば、かつて地球で繰り返された悲劇がここでも発生することになりかねませんからね」ハンスは銃型HCに、作りかけの分布図を表示させた。それは、将来予測を含めた、この地に棲息するドラゴンの分布図であった。この地から継続的に機晶石を採掘することになった場合、カナンの民が歩むべくルートの試案を作成している。
「しかし」ハンスの示した図を見つつクレアは言った。「仮に機晶石の需要が増大したとしても、龍の逝く穴を荒らしてしまうのは危険だな。感傷的な問題でなく、住処を奪われた龍が各地に拡散するというリスクも高い」
 ゆえに慎重を期さねばなるまい。この作業は、地上に戻ってからも長く続きそうだ。

 イナンナの頭上が落盤した。崩れかけた一角を、怒り狂った老龍が叩いたのだ。
「ここにも龍が!」ドン・マルドゥークが咄嗟に飛び出したが間に合わなかった。女神の姿は落ちてきた瓦礫の下に埋もれてしまった。落盤による埋もれ具合は激しく、撤退するも進むも難しい。
「お願いだから話を聞いて……っていうふうには行かないみたいだね」真白 雪白(ましろ・ゆきしろ)がレーザーガトリングを取り、威嚇射撃を行った。「これでドラゴンが拳を下ろしてくれればいいけど……」だが実際、雪白はそれを過度に期待してはいなかった。弾をバラ撒きながら後退する。
 それと入れ替わるようにしてアルハザード ギュスターブ(あるはざーど・ぎゅすたーぶ)が進んだ。彼は瓦礫の背後に隠れつつ、気弾をハンドキャノンから放つ。エネルギーの塊が龍の顔面を直撃した。
 その龍はひどく老いて歯の大半が抜け落ち、眼もかすんでいるようだ。攻撃の精度は最悪に近い。ゆえに龍の攻撃はほとんど当たらないが、それは良いことばかりとはいえなかった。狙いを誤った攻撃が天井や壁面を破壊し、龍もろとも通路を埋めてしまう可能性があったからだ。
「強いドラゴンじゃないみたい……ひどく弱ってる。けれど……」という雪白に、
「わかってる。絶対に殺すな、って言うんだろう。俺だって殺すつもりはない」と言い残すと、アルハザードは龍の目の前に飛び出した。「聞いてくれ! 大先輩よ!」
 不可思議な表現に、老いたドラゴンは眼をしばたいた。
「オレはギュスターブ、ドラゴニュートだ。あんたの同族だ! ドラゴニュートなぞそちらにとっちゃガキだが、親戚筋であるのは間違いないだろう」
「……たしかに、ニュート、な」老龍は歯が少ないので、濁音の発音がうまくできないようだった。「幼い者、何の用?」
 龍が怒りを収めたので(「子供叱るな来た道じゃ、年寄り嫌うな行く道じゃ……ってな」)ギュスターブは内心安堵しつつ、自分たちの事情を明らかにした。龍は理解力も落ちており、やや説明には時間がかかったが、少なくとも敵対する関係ではないと理解して、ゆっくりと後退し道を空けてくれた。
「大丈夫か?」その間にマルドゥーク卿が、瓦礫の山をどけて手を差し伸べる。「さ、手につかまれ。引っ張り出す」
 ガラガラと岩山の下から、少女が姿を見せた。褐色の肌、銀の髪、動きやすい服装に緋のマント、そして紅玉の瞳……女神イナンナにそっくりだが別人だ。そもそもイナンナは青い目である。彼女は鬼崎 朔(きざき・さく)、今は理由あってちぎのたくらみを使い幼年化し『朔・アーティフ・アル=ムンタキム』と名乗っていた。そして彼女は、イナンナの影武者を務めていた。「こういうとき、石頭で良かったと思うよ」引っ張り出されて朔は笑った。龍の囮となるべく護衛役が減ったことを危惧し、朔はイナンナの身を案じてその影武者を志願したのだ。マルドゥークとともにあれば、事情を知らない者は見間違うことは確実だろう。イナンナはまさしく探検隊の旗印、欠くべからざる身の上だ。危険にさらすわけにはいかない。
「無事で何よりだ。さて、瓦礫をどけて進もうか、『女神様』?」マルドゥークは口髭を捻りながら言った。
「ちょっと待って」しかし朔は断りを入れて、超感覚を発動させた。周囲に、信用ならない人間の存在はないようだ。朔はそれを確認してから手元の携帯電話を開いた。スカサハ・オイフェウス(すかさは・おいふぇうす)が連絡を送ってきたのだ。
「すごい落盤が見えたであります! ご無事でありますか!?」スカサハは一行の後方、本物のイナンナと共にある。これに対し、朔は自分が無事であることとこれまでの経緯を伝えた。「ほっとしたであります!」
 朔と数十秒やりとりをしたのち、スカサハは通信を切断した。
 今回、スカサハがこの探索に同行したのは、今は亡き友人――ファイス・G・クルーンという名の機晶姫――のためだった。ファイスのように寺院などに利用される機晶姫をこれ以上増やしたくない、その想いが、機晶石採取および強大な力(イコン)確保に向けスカサハを動かしたのだ。
(「哀しい目に遭う機晶姫をもう増やさない。彼女たちの居場所を探す、それこそがスカサハと、ファイス様との約束でありますから……」)

 本物のイナンナ一行に視点を移そう。女神のもとに、二つの影が近づいてきた。
「……」
 影に呼応するように、沖田 聡司(おきた・さとし)が音もなく動いた。涼やかな眼、整った眉、すうっ、と流れるように真っ直ぐな鼻筋に凛然たる口元――端麗なる容貌の彼だが、その表情は幽かに険しい。聡司は無意識のうちに、腰に佩いた雅刀の握りに手をかけ、構えを取らぬままするりと鯉口を切っていた。剣術の心得がないものならば、いや、剣を手にしていてもよほどの達人でなければ、聡司が警戒態勢に入ったことを見抜けまい。様々な流派の剣術を学び、その技を取得している聡司の構えは無構え自然体なのだ。無論イナンナの前に立ったりもせず、彼はあくまで、変事あらばすぐにでも飛び出せる位置まで進んだ。(「相手が何者かは判らない。味方ならば良し、だが狼藉者なら……容赦はしない」)味方のふりをしながらネルガルに通じ、イナンナを害せんとする不義者がシャンバラ勢に暗躍していることを聡司は知っていた。
 聡司の肩に乗るエリス・ヴァイシャリー(えりす・う゛ぁいしゃりー)が、彼の顔に身を寄せて耳打ちした。「大丈夫、味方のようですわ」
「……そうか」聡司は剣を戻した。卓越たる剣士たる聡司の五感も、相手が殺気を持っていないことを判別していた。進んだとき同様、聡司は音もなく退った。
 二つの影は女性だった神代 明日香(かみしろ・あすか)ノルニル 『運命の書』(のるにる・うんめいのしょ)が馳せ参じたのだ。女神はフード付のマントを頭から被り、本人とはすぐに気取られぬようにしていたもののの、引き寄せられるような力を感じて明日香は彼女を見出していた。
「女神様、初めてお目にかかりますぅ〜」
 自己紹介して二人がお辞儀すると、褐色の肌の女神は、おや、というような顔をした。そして彼女は「あなたたち、コントラクターの中でも特にアーデの匂いが濃いね。あの人の近くにいることが多いのかな?」と言って明日香の肩に手を置いたのだ。
「アーデ……?」それを人名と考えるならば、すぐに思い至る人物は一人だ。明日香は言った。「それは、アーデルハイト・ワルプルギス様のことでしょうか?」
 うん、と返答するイナンナの顔つきを見て、ノルニルはある想像に至った。「間違いだったら許してください。イナンナ様は……アーデルハイト様と親戚関係にあるのではありませんか?」アーデルハイトとイナンナが、どことなく似ているように思えたのだ。
「ええ、そう」女神は返答した。「あたしたちは姉妹……アーデルハイトが姉、イナンナが妹になるんだ。もう久しく会っていないけれど、姉、つまりアーデの匂いは覚えているから懐かしい気持ちになったんだよ」
 明日香は顔を輝かせ、「私たち、よくエリザベートちゃんのそばにいるんですぅ。だからそのご先祖のアーデルハイト様にも接することが多くて〜」と言いながらふと思った。(「『アーデ』かぁ……、これからはアーデルハイト様のことを、『アーデ様』か『アーデちゃん』って呼ばせてもらおうかな?」)
「ただ、さっきも言ったようにあたしは、割と長い間アーデには会ってない。……5000年前、シャンバラ王国の崩壊したときからずっとね。あのとき、カナンの世界樹セフィロトが息絶えようとし、あたしは樹と同化して国家神になったから」あまりそのあたりの事情は詮索されたくないらしい、イナンナはここで話を打ち切ると、さっとマントを翻して歩みを再開した。「さあ、探索を続けよう。二人とも、来てくれるんでしょ?」
「はい」
「もちろんですぅ」
 ノルニルと明日香は即座に、女神の両側に控えた。