校長室
【カナン再生記】緑を取り戻しゆく大地と蝕む者
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●龍の逝く穴(09):帰還 整備班がアンズーの応急手当を行うのを眺めつつ、桐生 景勝(きりゅう・かげかつ)はカナン難民のその後について考えていた。ふと、思いついたことを口にする。「ちょっと考えたんだが……今のカナンの難民って住居割り振ってるだけだよな? これだと不味いんじゃねーかな? 何処かで仕事を与えねーと……それもシャンバラ主導で利益搾取するものじゃなく、自力でやっていけそうな物を……」 ところが彼のパートナーリンドセイ・ニーバー(りんどせい・にーばー)は、この発言を聞くなり青ざめたのだ。「みなさーん! にげてくださーい!」彼女は突然叫んで周囲をぎょっとさせた。「大事故……落盤しかねませんよ! みなさん! にげてくださーい!」 「こら! 物騒なこと言うな!」慌てて景勝は彼女を捕まえて口を塞いだ。「どういう意味だ!」 「言った通りの意味です!」しかし彼から逃れ、再度リンドセイは声を上げた。「景勝さんが真面目なこと言っているから! 大事故が起こりねないんですよ! 避難誘導しないとまずいですよ!!」 「だからどういう意味なんだそれは!」虎のごとく飛びついてリンドセイにヘッドロックをかけ黙らせると、景勝はマルドゥークに相談した。 「カナンからシャンバラに輸出、できそうなもんないかな? 今、仕事がない難民沢山いるよな? それに仕事やるために何か、カナン主導でシャンバラと取引できれば、いいかもしれねーよね?」 「ほほう、面白い提案だな。それは」ふむ、とマルドゥークは口髭を捻った。そして言ったのである。「カナンの名産で、今でもシャンバラに輸出できるとすれば菜種油やワイン、ビールといったところになるだろうか。菜種油は純度が高く、食用にもランタンの燃料にも使える。ワインとビールはシャンバラにもあるだろうが、カナン産のものは味が濃くて美味いぞ」 「そりゃいい!」景勝も、手を打たんばかりにして喜んだ。いつの間にか彼と卿は、時間を忘れ話し込んでいたのである。 「にかわや水袋、バッグに馬具なんて、カナンではありふれているかもしれないが、シャンバラからすれば新奇なものもある。こういうのを産業にできればいいと思うんだ」 「なるほど、革産業か……女神様が復活しカナンの地が蘇れば、試してみる価値はありそうだな」 かくて二人が熱心に話せば話すほど(「私のこと忘れないで下さいっ!」)ヘッドロックされたまんまのリンドセイはジタバタと暴れるのであった。 「フォォォォォ!」 アンジェラが感極まって、身を捩らせシャウトした。ついにアンズーが動いたのだ。 「落ちつく、って言ったじゃないか」晴人は苦笑気味だが、満足げな笑みを浮かべていた。アンズーを取り囲んでいた面々から拍手が巻き起こる。コクピットには誠一の姿があった。アンズーはまだ歩いただけ……歩いただけだが、その一歩は重要な意味を持つことだろう。 そのときドン・マルドゥークの前に、謎めいた女性が姿を見せた。マルドゥークは心臓が止まりそうなほど驚いた。彼とて歴戦の勇士である。その彼が、彼女の接近にまるで気がつかなかった。そして彼は、初対面であるにも関わらず彼女を知っていた。年の頃は二十三、四だろうか、彼女はダークブロンドの髪を頭の後ろで束ね、海のような紺色のチュニックを着ている。やや垂れた目だが眼差しは涼やかで、艶然とした……されどいささかぞっとするような笑みを口元に浮かべていた。 「そうかい。シェブワースは逝ったかい……」彼女はやや寂しげな口調で雷龍の死体に目をやり、振り返ってマルドゥークに言った。「どうやらあんたがマルドゥーク卿だね? アンズーを手に入れたんだね。ここで満足して帰路につくのであれば良し、これ以上ドラゴンや、その眷属にあんたたちの妨害はさせないよ」 マルドゥーク卿ともあろうものが満足に口をきくことすらできなかった。「そ、その議は……」 ウィング・ヴォルフリート(うぃんぐ・う゛ぉるふりーと)がいち早く列を飛びだし、彼女の前にひざまずいた。「その旨、了承しました。寛大な処置に感謝いたします……」ウィングは彼女を「ティアマト様」と呼んだ。 ティアマトとは、龍の逝く穴を統べるグレータードラゴンであり、この世界で最も力ある龍族の一つである。カナンの民にとっては伝説に等しい。 「我々の目的は機晶石の採取とアンズーの入手、それが共に果たされた現在、これ以上ティアマト様と龍族の寝所を荒らすつもりはありません」ウィングは姿勢を変えず口上した。「許されるのであれば、質問させていただきたいのですが」 「いいよ。知りたいことを一つだけ言いな」ティアマトは興味を引かれたように頷いた。 「まずひとつ、ティアマト様が地上の動乱を知っているかどうかお教え下さい。知っているならば、どちらに付く気かも……」 「知らないはずがないよ。立場は中立……と言いたいけれど、アンズーを譲渡するのだから、イナンナ側と言わざるを得ないだろうね。だが戦争への直接関与は約束できない。あたしは立場上、やすやすと人間の争いに介入できないのさ」 「ネルガルの意図はご存じで?」 「悪いね。今日は、一つきりしか受け答えできない」やんわりとティアマットは告げたものの意志は固そうだ。ウィングは礼を述べて下がった。 「ティアマト!」風祭 隼人(かざまつり・はやと)が声を上げた。「俺は風祭隼人、史上最高の冒険家になる男だ!」周囲が止めるのを無視し、彼はずかずかとティアマトの前に歩み出る。「願わくは俺と拳を交えてくれ。『最強』といわれる力がどれほどの凄さかを味わってみたいし、挑戦を通じて俺自身も強くなりたいと思……!」隼人は言葉を終えることはできなかった。彼の体は浮き上がり、天地逆になって頭から地面に落とされていたからだ。ティアマトは彼に触れもしなかった。 「挑戦、受けたよ。今日はこれで帰りな」ティアマトは隼人に背を向け、ドン・マルドゥークの手を握った。「マルドゥーク、イナンナの名代ご苦労様。今後、あたしらはこの階層までをあんたらに開放してあげてもいい。だけどさらに深層を荒らすのは遠慮してもらいたい。いいね?」 「女神様に代わってしかと約しました」マルドゥーク卿はその手を握りかえした。まだ手が震えていた。 「それじゃあ速やかに引き上げるんだね。浅い階層の機晶石は好きに持って帰るといい。約束さえ守るなら今後の採掘も自由さ」じゃあね、と微笑するとティアマトは、取り囲む契約者たちの間をくぐってどこかへ去っていった。ただ、消え際に一言、彼女は付け加えた。「……そうそう、さっきの威勢のいい坊や、そろそろ動けるようになったはずさ。別に怒ってないって伝えておくれよ」 倒れたままの隼人に、ホウ統 士元が手を差し伸べる。「隼人くん、いきなりケンカをふっかけるのはマナー違反ですよ。さ、立てますか?」 「……ああ。すまない」憑き物が落ちたような顔をして隼人は起き上がった。ティアマトに挑んだ瞬間から、さっきまでの短い時間の記憶がない。気絶していたのだろうか。されど体はどこも痛まなかった。「挑戦のしがいがあったな」 また機会があれば胸を借りたい、隼人はそう思った。