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【カナン再生記】緑を取り戻しゆく大地と蝕む者

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●ポート・オブ・ルミナス(01):Illusional

 カナンの払暁は極寒の夜の終わり、そして酷暑のはじまりを意味する。
 西カナン、ポート・オブ・ルミナスについてもそれは同じだ。夜と朝との狭間、この短い時間は、カナンの空がもっとも美しいひとときでもあった。紺碧に染まりゆく紫の空、たなびく雲も赤みがかって、幻想的な光景として眼に映える。
 ヴァル・ゴライオン(う゛ぁる・ごらいおん)は警邏の足を止め、しばし空に見入った。慢性的な疲労感があったが吹き飛ぶような気がした。実際は、頭からすっぽり被ったような疲労が飛び去ることはなかったのだが。
 ここ数日、ヴァルは殺人的な忙しさの只中にいた。自警団としてポートを警備することだけが彼の仕事ではない。移住者や難民によって人口が増え続けるこの地域には、小さな問題が頻発しがちだ。物資や水の配分ひとつにしたって、すぐに手違いや小競り合いが発生する。人々の言い分は様々で、恫喝されたり大騒ぎされたりは始終であった。そんな中、ヴァルはときに説得しときに指導し、あるいは指揮、根回しなど、あらゆる手立てを用いて人々の軋轢を減らすべく努力していた。限界までストレスの溜まる役割であったが、ヴァルは決して声を荒げず、高圧的になることもなく公正平等たるを目指した。ためにか住民の、彼への信頼は日々高っていったものの、だからといって問題が経るわけではないのだった。
「ヴァルよ、昨夜の仮眠中にもさっそく、山のように訴状が来ているのだよ。見回るべき箇所も増えた」傍らの神拳 ゼミナー(しんけん・ぜみなー)が、空を見つめるヴァルを現実に引き戻した。
「そうか。戻ったら訴状を検討しよう。まずは見回りを終えるぞ」振り返った彼は、もう空を見ていなかった。
「大丈夫か? 顔色が悪いのだよ。自称『帝王』にしては安楽なところなど微塵もないな」
「茶化すなよゼミナー。それから、顔色が悪いのはまだ朝食前だからさ」ヴァルは微笑した。
 本当は『帝王の孤独というやつさ』と言いたかったのだが、さすがに照れ臭かった。

 ポート内では既に、古代戦艦ルミナスヴァルキリーの修理作業が始まっていた。
 カナン民の多くがこれに従事している。決して待遇の良い仕事ではないうえ、連日ほぼ丸一日の作業であるにもかかわらず、誰もが熱心に働いていた。ルミナスヴァルキリーが再起できるかどうかがカナンの運命の分かれ目であることを皆理解していたのだ。戦場に出て武器をとるのではないが、これもまた、生きるための戦いだった。
 朝野 未沙(あさの・みさ)も参加してここで働いていた。「長期航行にも耐える設計じゃないとね」と言いながらレンチで水道管をしっかりと留めた。この水道は艦内の入浴施設に繋がっているという。他にも、洗濯所や物干し台の修理が彼女の担当だ。生活空間は乗務員の生命線、おろそかにするわけにはいかなかった。改装して、前より居心地の良い場所にしたい。
「姉さん、モニタールームのチェックをするから見に来てくださいぃ〜」朝野 未那(あさの・みな)が呼びかけた。彼女は電気工事を担当、以前撤去された艦内各所の監視カメラを設置し直していたのだ。今後、ネルガル側のスパイが内部に入り、破壊工作をする可能性は充分にある、その用心のための装置だった。断じてのぞきのためのものではない……はずだ。
「朝からお疲れ様! 下で朝食、一緒にしない?」そんな姉妹のもとに五十嵐 理沙(いがらし・りさ)が顔を出した。「まあ、弁当だけどね。あと十五分くらいで揃うよ。温かい飲み物も用意してるから来てねっ」未那が手を振って「行きます〜」と応じたのを確認して、理沙は艦外へ降りていった。そのまま戦艦脇の仮設食堂に入る。
「五十嵐さん、連絡は終わりましたか?」鍋を火にかけ終えて、後鬼宮 火車(ごきみや・かしゃ)が彼女に呼びかけた。鍋が沸くまで、火車は配膳する弁当の数を念入りに数え直していた。しっかり把握しておかねばなるまい。とりわけ、契約者の分がどれだけあるかは。
「うん、ばっちり! みんな交替で来るって」理沙は答えた。そしてセレスティア・エンジュ(せれすてぃあ・えんじゅ)に呼びかける。「お弁当詰めも手伝うよ」彼女らはポート・オブ・ルミナスで修理を行う人々に、食事を作る役割を担っているのだ。
「手伝ってくれるのはいいですけれど」セレスティアはにこやかに、理沙のおでこをピンと指で弾いた。「今回はご飯の中にチョコバー突っ込んじゃ、ダ・メ、ですわよ」
「だ、大丈夫だってっ。前回の『チョコバーがご飯に埋没』はちょっとした事故だったのよっ」理沙は頬を赤らめつつ主張した。「今日は頑張っている人たちのためだもん、失敗はしないよん」
「だったらいいのですけれどー……では、わたくしの詰めたものを見本にして、一つ詰めてみてくださいませ」
 ――と、和気あいあいと作業する彼女らの頭上では、災いがその姿を現しつつあった。