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リアクション
第1章 ウンラート
ギーーーッ。
廃港の暗い桟橋に、タラップが下りる。
真っ暗な船のその中から、声を揃えて歓迎の言葉が響いてくる。
「ようこそ、ブルー・エンジェル・クルーズへ!」
照明がパッとついて、従業員がズラッと勢揃いしているのが見える。
サラッとした黒髪、浅黒い肌の少年が一歩前に出る。
「私が案内係のウンラートです。さあ、中へどうぞ。一番乗りはどなたですか?」
桟橋に集まった客の中で、ランツェレット・ハンマーシュミット(らんつぇれっと・はんまーしゅみっと)が一番入口近くに立っていたが、
「ウンラート……? お、お先にどうぞ」
ランツェレットは何故か隣にいたいんすます ぽに夫(いんすます・ぽにお)に順番を譲った。
「そうですか、では……」
ぽに夫はタラップをゆっくり上ると、ウンラートの前に立った。
ウンラートはぽに夫の目をじっと見つめて握手をした。
ぽに夫もウンラートをみつめ返し、大きく深呼吸をして中に入っていった。
ウンラートは集まった大勢の客を見渡し、
「みなさん1人1人と握手して出迎えたいところですが、ここは狭いので我々はいったん中に入ります。船内でわからないことがありましたら、どうぞお気軽にお声かけください。それでは……」
と闇に消えた。
ランツェレットはウンラートが中に入ったのを確認し、乗船した。
そして、みんなも次々とタラップを上がっていった。
桟橋には、モップ戦士トメさんの弟子であるプレナ・アップルトン(ぷれな・あっぷるとん)、ラーフィン・エリッド(らーふぃん・えりっど)、葉月 ショウ(はづき・しょう)の3人が残った。もちろん、3人ともモップを持っている。
ラーフィンが師匠の病気を憂う。
「師匠の病気、ボクたちで絶対治そう!」
「ああ、師匠の仇は弟子の俺たちがとらなきゃな」
「プレナもがんばってみますよぉ〜」
3人は大きく頷いて、船に乗り込んだ。
汽笛が鳴り、タラップが上がる。
そのとき、桟橋を青 野武(せい・やぶ)が走ってきて、なんとかギリギリで飛び乗った。
「ぬううう〜。我輩としたことが、危ない危ない」
出航した船がすっかり港から離れた頃、ウンラートは乗客を引き連れて、船内を案内していた。
ブルー・エンジェル号は豪華な客船ではあったが、どこか古びたデザインだ。照明はランプで、よく言えば雰囲気があるが、暗くてどこか陰気でもあった。
ウンラートは船の表通路(船の側面通路で、甲板にもつながる)に出て、備えられた小型救命艇を指差す。
「こちらが、小型救命艇です。万一のために乗客乗員の全員が十分に乗れるようになっております。安心してクルーズをお楽しみください」
みんながウンラートに近寄らず、なんとなく重苦しい空気が流れている。
が、それを打ち破るべく思い切って城定 英希(じょうじょう・えいき)が声をかける。
「そんなことより、ウンラート君。歳いくつ?」
「私ですか。10才ですけど何か」
「そうだよね。10才だよね。実はさあ……初体験を済ませちゃったって聞いたんだけど、嘘でしょ?」
なんという直球!
しかし、ウンラートは動揺することなくサラッと答える。
「ええ。嘘だと思います」
「あれれれ? そうあっさり否定されちゃうと、なーんかやっぱり怪しいなあ。ほんとのこと言ってほしいなー」
英希はメモ帳を手に持って、接近する。
さりげなくペラリとめくったメモ帳の1ページ目には、既に何か書いてある。
『ンカポカ=ウンラート』
ウンラートはチラリとメモを見ると、クスッと笑った。
「そういうことですか。皆さん、私があの悪名高きンカポカだと?」
今、ウンラートのまわりにいるのは、ナーシュ・フォレスター(なーしゅ・ふぉれすたー)、ファタ・オルガナ(ふぁた・おるがな)、カレン・クレスティア(かれん・くれすてぃあ)、皆川 陽(みなかわ・よう)、七枷 陣(ななかせ・じん)。
少し離れて聞き耳を立ているのはリカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)だ。
リカインは、もしウンラートがンカポカなら、自分が犠牲になってでも抱きついて一緒に海に落ちてやろうと思っていた。
(少しでもボロを出したら、……やってやるわ!)
リカインの後ろから、じろじろとウンラートを見ている者もいた。坂下 鹿次郎(さかのした・しかじろう)だ。
彼は、ウンラートが本当に少年なのだろうか……と根本的なところから疑っていた。
(ははは、10歳で童貞卒業なんてファンタジーでござる。つまり、女の子でござろう)
ウンラートは余裕の笑みを浮かべてみんなに話した。
「どういう勘違いかわかりませんが、これは日頃契約したパラミタ人との付き合いにお疲れの皆さまに癒してもらための純粋なパーティー・クルーズでございます。そのような悪人を乗船させるようなことはありません。安心してクルーズをお楽しみください」
みんな、言い返せずに押し黙ってしまった。
が、陣は違った。
「おいおいおいおい。さっきから嘘ばっかりだな。ん? オレを騙そうなんてやめとけや。つまらない嘘をついてもな……無駄やで」
「嘘……ですか?」
「そう。嘘はつかない方がいい」
すると、意外!
ウンラートはさっぱりとした表情になって、
「わかりました。では、本当のことをお教えしましょう」
みんなに緊張が走る。
――こいつがンカポカか!!
そのとき、みんなを押し退けてリカインが突っ走ってきた。
「どいたどいたー! みんな、気づいてからじゃ遅いんだよ!」
ドドドドドドドド……
リカインはウイルスをばらまかれる前に海に落とそうと凄いスピードで走ってくるが、ウンラートは動じない。
「そうです。私は本当は――」
と背中で組んでいた両手を前に出す! ウイルスか???
しかし、リカインが早かった!
「どおおおおおおりゃあああああああ。子供は風の子。海で寒中水泳……はじめっ!!!」
リカインはウンラートをかついで、そのままジャンプ! 柵を越え、海に飛び込んだ!
が、ウンラートは落ちなかった。
ウンラートの体はバラのつるに絡まって柵に引っかかっていた。
「はっ!」
驚いたのは、陽だ。
「ボ、ボク……ンカポカを捕まえようと思って……」
薔薇学の陽は、制服に絡まるバラのつるを使って、ウンラートを拘束しようと仕掛けていたのだ。
バラのつるのおかげで、絡まったウンラートだけは落ちずに済み、リカイン1人が……
ひゅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。どっっぼーーーん!
冷たく真っ黒な海に消えた。
「リカインさーん!」
陽は慌てて救出しようとバラのつるを伸ばすが、届くわけがない。
みんなも柵に乗り出して、リカインを探す――
そのとき!
ウンラートが衝撃の言葉を発した。
「嘘をついてすみませんでした。本当です。私は、初体験を済ませました」
この瞬間、みんなはリカインを忘れた。
ナーシュは思わずウンラートの肩をガッと掴む。
「アンビリバボーでござる!」
リカインを忘れる方がアンビリバボーだが、それはナーシュだけではなかった。
カレン、ファタ、英希。ここから、この“アンビリバボー・カルテット”の怒濤の質問攻めがはじまるのだった。
「うわあ。ホントなんだ。ホントなんだ!」
「ありえんじゃろ。ありえんじゃろおおおお」
「ほ、ほんとうだった……!」
ウンラートは困ったな、と子供らしからぬ澄ました顔をしていた。
ちなみに……今いる地点は港からはもう相当離れていて泳げる距離ではない。廃港だから目印にする明かりもないし、海上パトロールも何もない。そもそも季節は冬で、泳いでいられるような水温でもない。また、客船のすぐ脇に落ちたということは、スクリューに呑まれてるかもしれないし、それを切り抜けたとしても、この辺りは人喰い鮫のパラシャークが出ることで有名だった。
……リカイン、アーメン!
そして、陽は警備員に捕まった。
「お客様。本船の従業員に対し危険なことをして頂いては困ります」
「あ、すみません。いや、あれなんです。ただ、メガネがなかったから……」
陽はテキトーな言い訳をしていたが、それは甘かった。
「お客様。申し訳ありませんが、本船からの即時退去をお願いいたします」
「え? 退去って、もうだいぶ港から離れて……あ、あれ? あれ?」
警備員は陽の体をバラのつるでぐるぐる巻きにすると、柵の外側にポイッと投げる。
びーーーん。
バラのつる1本で柵から吊された陽は、あまりの恐怖で脳みそがトコロテンになってしまった。
「んぱーんぱー」
もちろん、“アンビリバボー・カルテット”はそれどころではない。
カレンは芸能リポーターよろしく、マイクを向けて訊いた。
「ウンラート君は10才にして早くも大人の階段をのぼっちゃったということだけど、そのときの率直なキモチは?」
「そうですねえ……ありふれた言い方になってしまいますが、こんなの初めてって感じでしょうか」
カルテットが口を揃えて叫ぶ。
「コ・ン・ナ・ノ・ハ・ジ・メ・テ!!」
カレンの質問はまだまだ続く。
「どんなのが初めてだったの?」
「どんなのって……その……快感が」
「カ・イ・カ・ン!!」
まだまだ続く。
「カイカンって、どんな?」
「え? そんなこと訊かれても困りますねえ」
と、そこで、ファタが口を挟む。
「それより相手はどこの誰だったんじゃ?」
「相手ですか……」
カレンがマイクを向ける。
「お名前は?」
「たしか、……マリア」
「マ・リ・ア!」
ここで、ファタはちょっと引っかかったようだ。
「たしかじゃと? おいおい。名前もちゃんと覚えとらんのか?」
「まあまあ、この話はこの辺で――」
ウンラートは立ち去ろうとするが、ファタは簡単に放さない。
「待て待て。待たんか。おぬし、それで実のところ、どうやってそんな展開にもってったんじゃ?」
カルテットの熱い眼差しに負けて、ウンラートがまた話し出す。
「だいぶ前のことだから忘れましたけど――」
「ダ・イ・ブ・マ・エ!」
「地球に遊びに行ってたときです。町を歩いてたら、あちらから声をかけてきましてね」
「ア・チ・ラ・カ・ラ!」
しつこい上にいちいちうるさいカルテットにうんざりしたのか、ウンラートは少し語気を強めて言った。
「すみません。仕事があるのでこれで失礼します」
と、そのとき!
ウンラートがもぞもぞとおかしな動きを始めた。もぞもぞもぞ……
その怪しい動きに、さすがのカルテットも一瞬怯む――
と、それは鹿次郎がウンラートの体をまさぐっているからであった。
「初体験といっても、いろいろでござる。相手が男なのか女なのか。そもそもウンラート殿が男の子なのか女の子なのか、こればかりは触ってみなくてはわかりませぬ」
そう言ってあちこち触りながら、ズボンのチャックをおろしていく。
「きゃあああ。やめてやめて」
カレンはそう言って手で顔を隠しながら、しっかり指の間から見ていた。
「これはセクハラではありませぬぞ。立派な身体検査でござる。ん! こ、これは……!!!」
と、そのとき!
鹿次郎の体は、やらしい手つきをしたまま宙に浮いた。
「あ、あれ。おかしいでござる。重力がなくなったでござる」
のぞき部一の策士と恐れられた鹿次郎だったが、もはや見る影もない。あっさりと警備員に捕まって……ポイッ。
ひゅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。どっっぼーーーーん!
鹿次郎は海に落とされた。
「鹿次郎君―――!!!」
海に2人も落とされて、ようやくカルテットは気がついた。
(ウンラートは、自分で戦おうとしていない。落とされかけたり、バラで縛られたり、やられ放題だ。最強戦士がこんなにやられるだろうか。条件反射で身を守ってしまうのではないだろうか……だとしたら、やはりウンラートが……ンカポカ!)
全員そう思った。たしかに思ったんだが、が、が、が、しかしである。
“アンビリバボー・カルテット”がアンビリバボーと言われる所以は、やはりその好奇心と嫉妬心であった。アーメン。
「ど、ど、どうやって女性とそんなに簡単に仲良くなるでござるか!?」
ナーシュは質問というより、もう半分教えを請う弟子のようになっている。
ウンラートも多少は性的な話から遠くなったせいか、饒舌になる。
「簡単ですよ。人は皆、どこか自信がないものです。だから、そこをつくんですよ」
「そこをつく?」
「自信のないところをわかってあげて、認めてあげるんです。大丈夫だよと。そうして安心できる相手だとわかれば、どこまでもさらけ出しますよ。自分の方からね」
「……」
カルテットは、10才とは思えぬいきなりの大人発言に何も言えなくなってしまった。
この様子を、影から見ている者がもう1人いた。
プリーストの法衣をまとったエース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)だ。
しかし実際のところ、エースはウンラートを見ることはできてなかった。
「お、お、落とされた……! 2人も落とされた!」
泳げないエースは、ガクガクブルブル震えていた。お股がひゅーっとなって、立っているのがやっとだ。
「あ! よ、よお。エンプレス! こ、ここは涼しいから、な、な、中に入ろうぜ」
ちょうど目の前を通った友達にくっついて、中に入っていった。
エンプレスと呼ばれたのは、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)だ。
「エース。真一郎さん知らない? ルカルカさっきから探してるんだけど」
「知らないな。なんでだよ」
「ルカルカの天才的推理を聞いてもらおうと思ったんだー」
「エンプレスの推理? どんなだよ、俺に聞かせろよ」
「あのね。すっごいウイルスを作るってことは、すっごい頭がいいはずでしょ。だから……理数系に強い人が怪しいわ」
ルカルカはものすごく当たり前のことを言っている。
が、
「おおお! それは言えてるな」
エースはまだ海が怖いのか、正常な判断ができないようだ。
「エースは何か考えた?」
「ああ。もしかしたら、ンカポカは変装の達人ってこともあるかなって」
「それだ!!!」
ルカルカは早くも真理に辿りついた。
「実は、もうずっと前から変装してたんだよ。たとえば、学生に化けたりして!」
「学生か……理数が強いと言えば、たしかエンプレスの友達の――」
「わっ! わわわわわ!」
こうして、推理の結論は出た。
『ンカポカ=セシリア・ファフレータ(せしりあ・ふぁふれーた)』
「ひっくしゅん!」
噂の的のセシリア(またはンカポカ)は、パーティー会場にいた。
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