空京

校長室

建国の絆 最終回

リアクション公開中!

建国の絆 最終回
建国の絆 最終回 建国の絆 最終回

リアクション

 聖冠クイーン・パルサー

「バチバチで黒焦げですぅ〜!」
 エリザベートの杖の先から紫電が迸った。まばゆい輝きがはじけたかと思うと、行く手の通路の表面を覆っていた瘴気が臭いすら残さずに消滅する。勢い余って床の上に敷かれた絨毯もぶすぶす焦げ跡をつくっていた。
「すっきりきれいですぅ〜。おトイレ掃除より簡単ですぅ」
 箒の上で、エリザベートはにんまり笑う。実は箒などがなくても魔法で空を飛べるのだが、なるべく魔力は温存するように、と同行の百合園女学院白百合団団長桜谷 鈴子(さくらたに・すずこ)に忠告を受けたのだった。
「トイレ掃除させられてたんですか」
 呆れたように応じるイルミンスールの生徒に、エリザベートは慌てたように杖をぶんぶん横に振った。
「冷蔵庫のプリンをこっそり食べただけ……だ、だけですぅ! ああっ、急がないとまた入ってきちゃいますぅ! めんどくさいからさっさと行くですぅ!」
 空に面した窓の外が黒い。窓枠に張り付いた粘つく瘴気が、窓枠の隙間から入り込み、滴っている。
 ゆるやかに上っていく廊下を走りながら、
「……大丈夫ですかぁ?」
 エリザベートは、傍らの不安げな生徒の一人を、気遣うように見やった。
「は、はい」
 東雲 いちる(しののめ・いちる)は尊敬する校長にそう答えたものの、声音にはいまいち元気がない。
「敵に回った砕音なんてぇ、目じゃないですぅ。私がぁくればぁもう安心ですぅ!」
「そうですね。は、はい。大丈夫です」
 頷きながら、横目に見たギルベルト・アークウェイ(ぎるべると・あーくうぇい)が不快を露わにしているのに気付いて軽く頭を下げる。
 ギルベルトは視線で瘴気の流れを追って、顔をそむけた。
 ──ちょっと危険かもしれないけど。私にしかできないこと。だから、それで二人の絆が戻るなら、少しくらい無茶してでも……。
 ここに来ることを決めたいちるは、彼にそう言った。
 いちるは正しいと思う……預かった聖冠を返しに来た。覚悟もある……ダークヴァルキリーには一度は“寝所”で理解し合おうとして炎を吐かれてまでいるのに。
 そんな彼女を止めることなどできない。けれど、やはり来させたくはなかった。ちょっとどころの危険じゃない。守るのは当然としても、出来るならその肌に傷一つつけさせたくないくらいなのだから。
「ごめんね。だけど、やっと返す人が見つかったの」
「そうよぉ。さっさと返して、ちゃちゃっと剣で正気に戻してきましょうねぇ」
 軽く言ってのけたのは雷霆 リナリエッタ(らいてい・りなりえった)だ。いや、軽くできると真に思っているのではなくて、願望だったが。
「早く済ませて、封印の間とやらに行って、女王様復活のお役に立ちたいわぁ」
 女王様の目の前で百合園が活躍するところを見せれば、女王様も百合園を”気にかけて”くださると思うわぁ……と、これは口に出さない。
ラズィーヤ様によれば、百合園という学校の目的の一つには、建国後の女官育成があるそうですわぁ。女王が復活すれば、それなりの地位を得て、王宮暮らし。素敵ねぇ……ふふ)
 本当なら封印の間に駆けつけているはずの彼女たちが優先順位を逆にしたのは、鈴子がこちらに来たからだ。十二星華の希望が優先されるのは面白くないが、
「闇龍と契約しているダークヴァルキリーを正気に戻すことができれば、闇龍の力も削がれますわ。ひいては女王陛下の闇龍封印のお役に立てますもの」
 鈴子は意味ありげなリナリエッタの視線を受け止めて、諭すように言った。
 それに、想定していたより宮殿突入組が少ないため仕方がなかった。この状況で戦後のことを考えてどうこうしている余裕がなかったのだ。
 無論気にかけてもらいたいと思うに至ったのは、不良お嬢様の彼女だけではない。
 他の百合園生とて、今の状況に甘んじていたいわけではない。百合園と白百合団が戦力的に微々たるもののせいか、今まで各学校の中でリーダーシップをいまいち発揮できないという事実がある。今までの女王を巡る一連の戦いでは、いつでも蒼空学園と教導団が主導権を握ってきたし。
「平和になったヴァイシャリーに、白百合の園に、女王様をお招きしてお茶会がしたいですわぁ……!」
 ポケットから出した黒檀の砂時計を逆さまにして再び突っ込み、迷彩塗装を施した小型飛空艇のグリップを左手で握りしめ、右手に白百合と対になるような黒薔薇の銃を構え、リナリエッタは鈴子の頭上に舞った。
 後部座席に跨る男装の麗人ベファーナ・ディ・カルボーネ(べふぁーな・でぃかるぼーね)は高さを生かし、遠くに見える魔物にサンダーブラストをぶち込む。
「姉妹喧嘩はここで終わりでしょう。……ああ、姉妹ではなく兄弟喧嘩──王子様だったら、平和の後のお楽しみが増えたのでしょうが……これはやがて来る別勢力に期待しましょうかね」
「あたしだって班長だもん! みんなが安心して暮らすために、儀式を成功させるために、頑張らなきゃ!」
 二人を見上げて、それから正面に立ちはだかるキメラというにはあまりに醜悪すぎる被造物の群れに視線を定めて。
 白百合団班長の秋月 葵(あきづき・あおい)が最近手に入れたばかりの栄光の刀の柄に手をかける。
「葵ちゃん、……ううん、何でも」
 言いかけて首を振るエレンディラ・ノイマン(えれんでぃら・のいまん)に、葵は安心させるように笑顔をつくった。
「分かってるよ。そんな簡単に倒れない。鈴子団長を守らなきゃ」
 白百合団の指揮官に何かあれば、士気は勿論のこと帰ってからも百合園生に悪い影響を与えてしまうだろう。これはリナリエッタも同じ考えだ。
「私は大したことできないから。だけど、大切な人や目の前にいる仲間を守ることはできる!」
「葵ちゃんは私が守ります。だから葵ちゃんは、自分の望むことをしてください」
「うん」
 葵は抜いた刀を正眼の位置に構え、エレンディラは女王のカイトシールドを前に立て葵を庇うように立つ。そして二人は共に“女王の楯”の防御姿勢を取った。
 蒼空学園が設立したものではない、古来から本来のクイーン・ヴァンガードが受け継いできた、女王を守るために編み出された戦技が本来の意味で役に立つ時が来たのだ。
 鈴子は彼女たちと、彼女が率いる二、三十人の白百合団に守られ、硬い表情も和らいだように見えた。ただでさえ戦場に立つのは得手ではない。それがこんな風に前線に配置され、旧宮殿に送り込まれ、さすがの彼女も緊張を悟らせずにいるのは難しかったのだ。
 鈴子は和服の袖に付いた土埃をそっと懐紙で拭うと、すうっと息を吸い込む。副団長の顔を一瞬だけ思い出し、そして声を朗々と響かせた。
「皆さん、私たち百合園の矜持を女王陛下にご覧いただきましょう!」

 そこから先の戦いの詳細は、生徒たちの記憶には残っていない。旧宮殿の上空で、けたたましい笑い声をあげるダークヴァルキリーへと続く道のりは長く、あまりに厳しいものだったからだ。ようやく彼女の真下にあると思われる塔の下にたどり着いたときには、流石のエリザベートも疲労の色を隠せなかった。
「帰るまでが遠足ですからねぇ。もうテレポートはぁ無駄打ちできません〜。皆さぁん、頑張って上ってくださぁい」
 塔内部の壁面を伝う螺旋階段。その中央の吹き抜けを箒で上がりながら、エリザベートは生徒に声援を送った。
 それに気付いたのかどうか。突如塔の上部が吹き飛んだ。
「何が起こったんですかぁ!?」
 エリザベートが慌てて階段下に避難するなり、ばらばらと天井の破片が落ちてきた。重力という力を得た破片が、がすがすと床に激突し、床石にひびという蜘蛛の巣が張られる。最後に吊るされていただろう鐘が落ちて、ガランガランと反響を上空に向かって響かせた。
「神子みコミコガ! フウいンの間ニつイタ!!」
 薄曇りの空を背景に、苛立ちを隠せないのだろう、ダークヴァルキリーが叫び触手を振り回しつつ旋回している。叫びに呼応するように、彼女の周囲にキメラが召喚されていく。
「ミんな姉さんノミカたすル! クルシメクるシめ、クルしメ!!」
 キメラが混乱する彼女よりも先に生徒を見つけ、彼女と同じような金切り声をあげながらこちらに急降下してくる。
 襲い来る爪や牙の群れに銃弾や炎、雷が放たれていく。しかし数を減らし血肉の焦げる嫌な臭いを上げながらも、キメラは勢いを殺さずに、声を一層張り上げつつ、向かってくる。
 桜谷鈴子の放つ神聖魔法の光が撃ち漏らしたそれを一体一体屠っていく。仕留め損ねたものは理子や近接戦闘を得意としたクイーン・ヴァンガードが迎え撃つ。
 それらにやっと気付いたのだろう、ダークヴァルキリーは、彼女の本来の頭部と身体から飛び出た無数の赤子の瞳が、一斉にぎょろりとこちらを捕えた。が、彼女の瞳に始めに映ったのは、魔法よりも剣戟の火花よりも、一際まばゆい輝きだった。
「頭ノきらキラ……!!」
 いちるの願いに応え両手に召喚されたそれは、間違いなく聖冠クイーン・パルサー、シャンバラ女王が少女時代に使った冠だ。
 以前生徒たちの目の前に現れたのは、強力な女王器のひとつとして、鏖殺寺院と、或いは学校や生徒同士で競って奪う対象だった。
 しかしそれは女王器などでなくとも、特別な意味を持つのだ──目の前の人物にとっては。いちるは砕音から聞いていた。「『思い出の品を信頼のおける人物に、絆の証しとして贈』ろうとしていたもの」だと。
 凶器をはらんだ瞳をぎらつかせて冠の前に急降下したダークヴァルキリーは、それが本物かどうか確かめるように凝視しながら首を伸ばした。
 目の前のダークヴァルキリーが怖くないといったら嘘になるが、それでも希望を込めて上に掲げる。
 ──が。
「待っておくれやす」
 声をかけたのは、木花 開耶(このはな・さくや)だった。
「……東雲はん、今それを渡してはあきまへん。深空ちゃんも、もう少しだけ堪忍しておくれやす」
「開耶!?」
 ぴたりと魔物の召喚が止む。
 同時にクイーン・ヴァンガード及び理子様親衛隊の一部が騒然とする。
「なんで神子がこんなところに……封印の間に行ったんじゃなかったのか!?」
「どうしてこっちに来たのよ! 迷子になったワケでもないでしょ!?」
 神子である開耶と、そのパートナーの橘 柚子(たちばな・ゆず)は唇を引き結んでいる。反論はしない。儀式不参加の汚名は甘んじて受けるつもりだ。ただ言うべきことがあるとしたら、
「約束は女王はんの手で果たされる必要があります。そうしてダークヴァルキリー……深空ちゃんに頼まれるまでは、儀式に参加する気はあらしまへん」
「何言ってるんだ!」
 思わず肩に掴みかかる隊員に、開耶は強い視線を返す。
「今、彼女の側を離れ儀式に参加する、それではうちらがアムリアナ女王の味方になったと思われます。それは、心の闇を深くする事につながると思います。無理やりうちらを参加させると言われはるなら、うちらは神子の力を利用されないよう、死を選びます」

 奇妙な沈黙が、肩を掴んだ隊員と開耶の間に流れる。彼女が冗談で言っているのではないことが分かったからだ。けれど、放置するわけにもいかない。上官の指示を仰ぐべきか彼が迷っている間に、携帯の着信音が響いた。柚子はそれが友人からのものであることを確認し、携帯を開く。
 が、そこから届いた悔恨と苦悶に満ちた声は友人のものではなかった。
「……ごめんなさい」
ジークリンデ……じゃない、アムリアナじゃない!」
 理子が驚いて声をあげる。電話が通じることもそうだが、もし何か用があるのなら自分にかかってくるのではという思い込みもあった。
「姉さン!?」
 聖冠に釘づけになっていたダークヴァルキリーにとってもそれは意外だった。
「ごめんなさいネフェルティティ! 皆さんに言われて、やっと思い出したの……! でも……そこには行けないの。直接、冠を渡すことができないの。闇龍を……抑えるので、精いっぱい……」
「嘘ツキ! クレるツモリなンてナカっタクせニ!!」
「だから、お願いします、東雲さん。私の代わりに、妹に冠を返してあげて。……ネフェルティティ、ごめんなさい。本当にあげるつもりだったのよ。でも、その前に闇龍が現れて、渡すことができなかった……本当なのよ、お願い、信じて」
「ダークヴァルキリー……いいえネフェルティティ様。ずっとお預かりしていました。今、お返しします」
 いちるが踵を上げ、腕を伸ばし、冠を高く掲げた。そして遂にダークヴァルキリーの頭に、そっと乗せられる──。
 五千年の間封印されていた冠は、新しい主を得て喜ぶように輝いた。
 それを悔しそうに眺めながら、柚子が電話の相手に言葉を返す。 
「女王はん自身の手で返して欲しかったどす」
「ごめんなさい……その気持ちはよくわかります。私もできることなら、今すぐ駆けつけたかった。……あの子のことを考えてくれて、ありがとう……うっ」
 電話の向こうで、苦しそうな息遣いが激しくなる。話すために無理をしていたのだろう。
 柚子は電話を切ると、ネフェルティティの心の行方をじっと見つめていた。