校長室
建国の絆 最終回
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ネフェルティティ 「あアあアアアあアア!!」 聖冠を被ったダークヴァルキリーは、両手でその顔を覆い、悶えた。赤く長い髪が乱れ振り回される様は、獅子舞のたてがみのようだ。 「冠が……冠カンムリかんムり!?」 五千年前の約束は果たされた。姉妹のすれ違いの元となった冠は、やっと本来の持ち主に渡された。同時に、彼女の本当の願いは叶えられた。 それにより狂気と憎悪に塗れていた彼女の瞳には正気の光がちらつき始めていたが、エリュシオン帝国の五千年に渡る、数億人分の呪いは強固だ。 「姉サン……!! 姉さんが……うう、うあああああああ」 呪いによってできあがった彼女の狂気と、真実と記憶の矛盾にさらされ、彼女はますます混乱していた。 頭を抱えたまま振り回し、全身をぶるぶると震わせながら縦横に飛翔する。壁面に階段にあちこち全身を打ちつけながら叫び続ける。今までの怨嗟の声ではなく、彼女は何かから解放されたくて、もがいているように見える。 それを眺めていた理子は、ぶるっと武者震いをした。 「理子、……理子?」 「……あ、うん」 ワンテンポ遅れて、理子は葛葉 翔(くずのは・しょう)を見返した。その不安げな顔が友人のいつも通りの表情を受けて少しだけ緩む。 「ぼーっとしてんじゃねぇよ」 「してないわよ」 そう言って、理子は手の中の鞘を見つめた。友人を通して、砕音から預かったものだ。 「この剣にも、あんな呪いがかかってるんだよね」 剣を鞘に納めれば魔剣の封印が解ける。封印を解いた剣でダークヴァルキリーを斬れば、正気に戻せる。非常にシンプルで、しない手はないといった状況。封印を解いたときに今までの呪いが理子に襲い掛かるというだけ。そう、それだけと思っていたのに、いざダークヴァルキリーの姿を目にすると躊躇はせずとも知らず知らず緊張してしまっていた。 「高根沢さん、パワーブレス掛けてあげますよ」 翔のパートナーアリア・フォンブラウン(ありあ・ふぉんぶらうん)が理子に魔法をかける。 「あ、念のためにヒールもかけますね」 「ありがと」 アリアは理子が負った傷を、かすり傷一つ残さず治療する。呪いがどんな形を取って襲い掛かってくるのか分からない以上、万全の状態にするのに越したことはない。 「この戦いが終わったらすぐに夏休みだな。女王復活とかあったから、きっと大きな祭りもあると思うぞ」 「そうだね」 「もし祭りがあったら、今年は皆で回らないか?」 去年の夏、理子は翔に誘われて、それからアリアも途中で加わって、夏祭りを楽しんだ。 場違いな話題だったが、それは不安を払うための遠回しな激励。これから先はいいことしか起こらない、そんな予感を感じさせるような。 「うん! 今年は色々あったもんね。お互いいっぱい友達ができたし!」 「ああ。約束したんだからな、呪いなんかに負けるなよ」 翔は彼女に背を向ける。そして両手に握りしめるグレートソードに力を込める。刃の表面にふとあるはずのない陽光が当たったかに見えたかと思うと、次第に輝きを刃先と鍔元に伸ばした。やがて光は目の錯覚などではなく、刃自体が光を発しているとはっきりと判別できるまでになる。 剣に力が行き渡ったと見るや、彼は残るキメラに向かって跳躍する。 「邪魔はさせねぇ!」 “女王の剣”──クイーン・ヴァンガードに伝えられた剣技のうち、最高難度を誇る対多人数攻撃。その光の斬撃がキメラ達を薙ぎ払った。 理子はごくりとつばを飲み込むと、斬姫刀スレイヴ・オブ・フォーチュンを紋章の描かれた鞘に差し込み、引出した。 瞬間、剣から噴き出した“呪い”がその不気味な触手を伸ばして理子にまとわりつく。体の芯から力を吸い取られるような感覚に、理子の膝ががくりと折れる。呪いが実体を伴う敵として戦えば済むようなものだったら、望むところだった。が、ダークヴァルキリーと同じく、そんなものではないようだ。 理子の耳から入り込んだ幾重もの五千年前の恨み、憎しみ、呪詛の声ならぬ声が頭の中で反響する。 「っつう、タチの悪い頭痛みたいじゃない……」 理子の青ざめた顔に向け、鞘を渡した友人小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)が激励する。 「いい、リコ? やるからには勝つだけじゃなくて、思いっきり見せつけてやるのよ。呪いなんかに、私たちの思いは止められないってことをね!」 「あ……あったり前よ! 先生にも期待されてるしね!」 理子には最初、女王を斬ると言われていたこの剣が、なぜ自分のところに来たのか皆目見当もつかなかった。しかも勝手に呼びかけて体を支配して動かして、色々なものを破壊しようとするようなアブナイ剣が。 けれど、ジークリンデと約束したのだ。 「宿命なんて関係ない。ジークリンデが悲しむことなんて絶対しない、って。っていうか名前通りなら、この剣の名は女王ではなく姫を斬る、運命を斬る剣じゃない!」 理子は丹田に力を込めて、妖しく光る魔剣を持ち上げた。 「だったら呪いなんて運命ごと、叩っ斬ってやるわ!!」 魔剣をかざし、彼女は叫んだ。 呪いが、霧散する。 「……はぁ、っく、はぁ……」 理子の脚がゆらり、と床を離れる。 理子様親衛隊の一人森乃 有理子(もりの・ありす)が、ふらりと倒れる彼女の肩を抱きとめた。 「あはは……勝った。やっぱ、先生の言ったとおりだったね……」 砕音は、呪いに打ち勝っても消耗が激しいと言っていた。 それは彼女が呪いに打ち勝つことを信じてくれていた、ということなのだろう、と理子は自分でも分かるくらいわざと都合よく解釈して、微かに、達成したぞと笑みを浮かべる。 有理子は理子の肩を抱いたまま、親衛隊の隊列中央に下がった。周囲には、飛び回るダークヴァルキリーに引き寄せられたキメラがまだ次々と出現していたからだ。 「理子様、こちらを」 水筒のコップにお茶を注ぎ、チョコひとかけらと共に理子に手渡す。 「用意いいわね」 「親衛隊ですから。それに、理子様には、ちゃんと仲直りまで見届けていただきたいんです」 「ありがと」 理子はからからに乾いた咽喉をお茶で湿らせると、ありがたくチョコを口に放り込んだ。 有理子は彼女をゆっくりと床に座らせると、周囲に声をかける。 「理子様が魔剣を解放されました! 皆さんあともう少しです!」 それを好機と見たのだろう。「今のうちだ、ダークヴァルキリーを弱らせろ!」誰かが叫ぶ。理子の魔剣を誰が使うにせよ、その使い手にチャンスを与える為に。 クイーン・ヴァンガードが、理子様親衛隊が、イルミンスールの生徒が、白百合団が一転攻勢に転じようとする。一刻でも早く闇龍を止め、ダークヴァルキリーを正気に戻し、神子の儀式をしたいと逸る心がそうさせたのは尤もなことだ。相手は神の一人、敵わぬことは知っているけれど。 しかしそんな彼らの前に、飛び出した者がいた。 「やめろ!」 それは鏖殺寺院に所属するメイコ・雷動(めいこ・らいどう)とマコト・闇音(まこと・やみね)の二人だった。イルミンスールの生徒であり、寺院に所属していることは隠していた二人だ。それが今、ヴァルキリーを守るために立ちふさがったのだ。無論向かい合う相手の中にはクラスメートや校長・エリザベートもいる。 「やめろ、傷つけちゃ駄目だ!」 「鏖殺寺院だったのですかぁ!?」 メイコはびっくりするエリザベートに目礼をしただけだ。それから、その後ろにいる理子、いや彼女の手中にある魔剣に視線を移す。 「理子。その剣を貸してくれ! まこちに貸してあげてほしいんだ。この時の為にあたしに出会い、復活したんだと思う。救うのは、鏖殺寺院のあたしたちでいたい」 メイコはパートナーの黒翼のヴァルキリー・マコトを理子の方に押し出した。 「ダークヴァルキリー様も鏖殺寺院も、同じようにパラミタから呪いを受けたんだ。どうしてもお救いしたい。……その後は、鏖殺寺院として捕まっても構わない」 彼女達は真剣だったが、 「捕まっても構わない、ですって? 捕まるのが当然でしょう!?」 戸惑う理子に対し、北条真理香は理子を庇うように背後に隠し、代わりに目を吊り上げた。 メイコ達はいわゆるテロをするような鏖殺寺院のメンバーではない。けれどはたから見たらそれは同じなのだ。正体を明かせば危険だとはいえ、今までほとんど学生にまぎれて生活していながら、大した説明もなく「鏖殺寺院だから貸してくれ」といきなり言われても、はいそうですかというわけにはいかない。 「それに、あなたたちが呪いを受けたわけじゃないでしょう。組織として変質したという話は聞いていますが、呪いを受けたのは幹部ですわ」 真理香は両手を腰に当ててメイコにぴしゃりと言い、同意を求めるように周囲を見回す。 だがメイコとマコトが鏖殺寺院であることを追及するよりも──、 「俺に貸してくれ!」 「私も!」 二人に押されるように、何人もが理子に申し出る方が先だった。大切な人を守るため、呪いを解くため、魔剣を貸してほしいと。 その中には美羽もいた。彼女は手を差し出すと、理子をまっすぐに見つめた。 「リコにだけいいところ持ってかせてたまるもんですか!」 理子は魔剣を美羽に付き出す。誰に渡すか迷ったのはわずかな時間だった。今までずっと、ライバルとして友人として彼女は側にいた。自分の思いもダークヴァルキリーに届けてくれるような気がしたのだ。 「あたしの分までお願いね」 「当り前よ!」 美羽は胸を叩くと、魔剣を受け取った。元々理子の身長ほどもある剣が、150センチに満たない小柄な彼女が握ると余計大きく感じられる。彼女は何度か素振りをして剣を身体に馴染ませると、螺旋階段を駆け上がった。 美羽に遅れまいと、コハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)も全力で続く。試作型星槍で美羽の横から背から浴びせられるキメラの爪牙や炎を弾きながら彼女の進撃を支援する。 (僕にも大切な友達がいるんだ。僕は……神子を、儀式を、守りたい。何としても) コハクは【神子を見出す目を持つ者】として、友人を神子に見出している。 (美羽も同じだ。友達のために……) (まだ、まだ高さが足りない。ううん、隙が足りない!) 美羽は頭上で飛び回るダークヴァルキリーとの距離を測る。あちらこちらの空中を激しく舞う彼女は、塔の外に出るかと思えば床すれすれに近づいたり、高さが一定しない。塔の半分まで登って美羽は足を止める。どうにかして隙を作らなければ、と思うが、足を止めればそれだけキメラ達の攻撃にさらされることとなってジリ貧だ。どうすべきか考えて視線を巡らせていると、無謀にも小型飛空艇で一人ダークヴァルキリーの前を舞う少女の姿が目に入った。 ただでさえいつキメラや彼女にぶつかって撃墜されてもおかしくない状況なのに、彼女は契約者の中でも特別腕が立つわけではなかった。けれど、少女・テレス・トピカ(てれす・とぴか)の顔には固い決意が見て取れる。 彼女は五千年前、女王とは知り合いだった。女王の復活に伴い思い出した過去の記憶の中には狂う前のネフェルティティもいる。アムリアナの側で優しくたおやかに微笑む彼女は、まさにお姫様と呼ぶにふさわしい少女だった。 「ネフェルちゃん、思い出してよ〜! ボクの知ってるネフェルちゃんは、こんな事する子じゃなかったよ。優しい、思い遣りのある女の子だったよ!」 テレスは声を張り上げた。 ──ネフェルティティ。その名に、ダークヴァルキリーの動きが緩慢になる。 「ボクがリンデちゃんのところにお伺いした時、ネフェルちゃんと会ったことがあるんだよ。ボクがお茶をこぼしちゃったとき、ネフェルちゃんが拭いてくれたんだよ!」 ダークヴァルキリーは呻きながらも、必死で思い出そうとするように、塔の先端部分から、声の主の元に身体をねじって飛んでゆく。 「元のネフェルちゃんに戻ってよ! それで一緒にリンデちゃんのところに行こう!」 ダークヴァルキリーは急降下した。 テレスは彼女を見上げて、目をつぶりたいのを必死で我慢した。最悪、自分は死ぬかもしれない。でも。 ダークヴァルキリーは本体の腕を伸ばし、テレスを掴み上げようとする。 「ネフェルちゃん、おかえり!」 テレサは声を一層張り上げた──彼女の思惑は、成功したのだ。 螺旋階段の手すりから、バーストダッシュで飛び上がった美羽の姿が、ダークヴァルキリーの背中越しに見えた。 スレイヴ・オブ・フォーチュンの刀身が吸い込まれるように、ダークヴァルキリーの背中に突き立てられた。 変化は急激だった。剣が突き立てられるなり、ダークヴァルキリーの身体、いや身体を覆っているものが次々に剥がれ落ち塵と消えてゆく。赤子の顔が、触手が、突起が──呪いが、彼女の本来の姿でなかったものすべてが。 後に残ったのは、赤髪のヴァルキリー。聖冠を被り白いドレスを纏った美しい少女の姿だった。 彼女は光翼を伸ばして美羽を包むと、ふわりと地面に着地した。瞑っていた眼をゆっくりと開く。 その目には正気が戻っていた。 「ネフェルティティも聖冠を使って、お姉さんを助けてあげて」 美羽は彼女の復活を喜ぶよりも先に、そう言った。今は時間がない。 ネフェルティティはこっくりと頷くと、彼女を見つめていた神子に体を向けた。 「深空ちゃん……」 「開耶、柚子、心配をかけました。またお願いをするのは心苦しいし、これは不本意かもしれません。でも……お願いです。女王復活の儀式に参加してくれませんか?」 「……半分だけどす、な」 「え?」 「半分ちょっとしか、叶いませんどした」 本当は、冠は女王陛下自身の手でかぶせてほしかったけれど。 「ええどす。怨嗟と呪いから解放されたなら、……もう」 柚子はゆるゆると首を横に振ると、 「ほな、行きましょか。深空ちゃん、いいえ……ネフェルティティはん」 ネフェルティティはありがとう、と言うと、今度はこの場の全員を見渡した。 「皆様にはお礼の言葉もありません。ゆっくりとお話したいところですが、一刻を争う状況です。封印の間へ急ぎましょう」