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第1章 さがしものは誰ですか


 青。蒼、藍、そして碧。幾つもの青が重ねられた“原色の海”(プライマリー・シー)の中央付近に、小さな島が浮かんでいる。
 森と平原が広がる、原色の海ではどこにでもあるようなその島に、ヴォルロスはあった。
 海と空の青、森の緑とのコントラストもくっきりと、白い石造りの建物と入港する船の帆が目に眩しい。
 交易都市との名に相応しく、商店には三つの旗の部族をはじめとして海の島々からもたらされた様々な珍しい品物が並んでいる。
 賑やかな港から行政の中心たる中央地区へ続く道の両側に立ち並ぶ店を、きょろきょろと歩きながら眺めていたヴァーナー・ヴォネガット(う゛ぁーなー・う゛ぉねがっと)は、その中にヴァイシャリー・グラスを見付けて声をあげた。
「せんせい、こんなところにヴァイシャリーのお皿があるですよ!」
 ヴァイシャリーと原色の海の間では、貿易が始まっている。だから、あってもおかしくはないのだけれど。ヴァーナーの第二の故郷のようなヴァイシャリーから、遠く離れてはるばるやってきたから懐かしくて。
 高価そうな布が敷かれた恭しい佇まいだから何だか珍しくて、それにゼロの数が……?
「……おねだんがちがうです」
「それは関税があるからよ。……なんてね」
 宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)は、ヴァーナーに返答して笑った。彼女は現在百合園の“先生”──教育実習生だ。
「だから例の超高級布団が実際はどれほどのものかと、見学に来たのね。実際はもっと安価なのかもしれないし」
 もしそうならヴァイシャリーで布団を調達した方が安い。加えて提出されたサンプルだけ高品質だった、ということも有り得る。それに、胡散臭い業者と取引をする訳にはいかない。
 だから敢えて「着ぐるみ姿で」見学に行くことにしたそうだと、百合園女学院・生徒会会計の村上 琴理(むらかみ・ことり)は言っていた。
 姿かたち振る舞いで取引先だと知られては、素の姿が見えない、と誰からともなく言い出したのだそうだ。
 そして、おそらくそのせいで──生徒会長のアナスタシア・ヤグディン(あなすたしあ・やぐでぃん)を始め4人の生徒が失踪。連絡が付かなくなった。
 ヴァーナーと祥子は、手に持った観光マップを見ながら、再び通りを歩きだす。マップは、ゆる族の一族・ヌイ族が作ったものだ。

 二人は失踪を知ってからまず、ヌイ族の経営する「着ぐるみ体験」をしているぬいぐるみ販売店を訪れた。
 ヌイ族は、そのマスコットとして生きる者が多いゆる族の性質ゆえか、この地方を治める三部族の中で最も交易に熱心で、ヴォルロスにも幾つかの店や観光施設を展開している。着ぐるみ体験は、ヌイ族の技術アピール及び本島への観光客誘致を兼ねており、ここで手に入れた観光マップの中身は着ぐるみでも楽しめるヴォルロス観光マップ(必然か、ヌイ族経営の店が多い)になっていた。
 アナスタシアたちを対応した店員によれば、彼女たちは今朝観光客向けのホテルを出発した後、この着ぐるみ体験を利用して着替えた。
 そして<フラフィー寝具店>を見学後、ここで予約したヌイ族のレストランで昼食。午後はマップを頼りにヴォルロスの商業地を観光する予定だった、という。
 だが、彼女たちはレストランに連絡も入れずに予約をすっぽかした……。
 先程からヴァーナーと祥子が歩いているのは、ヌイ族の店からフラフィー寝具店、そしてレストランまでの道のりだった。
「すみません、こんなゆる族を見ませんでしたか」
 祥子は適当な店を選ぶと、携帯電話で撮影した着ぐるみの写真を店主に見せていく。アナスタシアたちが着ていたものと同型のペンギンの着ぐるみで、先程店で撮影させてもらったものだった。
「大きさはこれくらいみたいなんです。なかみは女の子なんですよ」
 ヴァーナーも手分けして、両手を大きく広げて身振り手振りしながら、近くの店員に聞き込みを続ける。普段のややのんびりした口調にも、少し焦りが混じっていた。
「何かおぼえてないですか? どんなことでもいいんです」
(アナスタシアおねえちゃんたちだけじゃなくて、ほかにもたくさんゆくえふめいでゆうかいされてるかもなんです。しかもゆる族のユルルおねえちゃんはすごいばくはつしちゃうかもってたいへんなんです!)
 何かあったら。そう、何かあったら……その時はヴァーナーも「たたかう」気でいた。
 それは武器で脅かして戦わないでも済むように、無力化できるようにという戦いだ。でも、誘拐事件というのは、そんな戦いが予想されてしまうような、大変なものだから。
 ヴァーナーはしばらく聞き込みをしてから、寝具店向かいの店主と話し込んでいる祥子のところへと駆けて行く。
「祥子おねえちゃん、しんぐ店に入っていくところを見たっていう人がいましたよ!」
「丁度良かった、この店主さんが、出てきたところを見たっていうのよ」
 店主によれば、特徴通りのペンギンやカピバラたちは店から出てくると、レストランの方へ向かう道から路地に入って行ったという。
「あの辺りは近道になってて、景色もいいからね。観光客が時々通るんだよ」
 馬車などがなかったか、と祥子が尋ねれば、馬車が路地への視界を塞ぐように停っており、都市を出る門の方へと去って行ったとか。
「乗り込むところは見なかったのね? 馬車の特徴は覚えてる?」
「四頭立ての普通の荷馬車だよ。茶色のよくあるやつだ。
 乗り込むって言っても、仕事をしてたから、ずっと見ていた訳じゃないからねぇ。ああ、でも分厚いカーテンが閉まってたなぁ。……そんなに詳しく尋ねるなんて何かあったのかい?」
「いえね。うちの生徒が社会見学できてるんだけど迷子になったみたいなの」
 祥子は誤魔化しながら、ヴァーナーと眼を見合わせる。
「そのばしゃがあやしいんです!」
「そうね。一旦報告に行きましょう。それに新たな失踪者も見つかった……かもしれないし」
 二人は頷き合うと、急ごしらえの捜査本部へと向かうことにした。
 ところで新たな失踪者とは、ぬいぐるみ販売店に脱ぎ捨てられた「くたびれたろくりんのぬいぐるみ」だった。
 それは一目でキャンディス・ブルーバーグ(きゃんでぃす・ぶるーばーぐ)の抜け殻だと分かったし、もしかしたら彼女も浚われたのでは……と思ったのだけれど。
(ろくりんくんの中身……)
(どうなってるんでしょう〜?)
 二人は足早に歩きながらも、そんな妄想をしてしまうのだった。