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リアクション
夜のお楽しみ〜ニュルンベルク編〜
昼間、甘いケーキを食べ過ぎた涼司は、夕食をろくに食べられなかった。
一応ホテルの従業員が気を遣い「深夜でも軽いものをご用意しますので」と言ってくれていたので、涼司は先に約束を済ますことにした。
この夜、涼司は外出の約束があったのである。
ニュルンベルクの街の広場は、そこだけ昼間のように明るく照らされていた。
広場を囲む木々にはイルミネーション。
さらに、多くの露天が軒を連ね、明るい声で客を呼び込んでいる。
「わぁっ! これがクリスマスマーケット……」
涼司と並んで歩いているのは、火村 加夜(ひむら・かや)。
今宵、彼を呼び出した張本人である。
同日の日中、ドレスデンのクリスマスマーケットに行った生徒もいたように、この時期クリスマスマーケットは、ドイツの各地で開催されている。
もちろんドイツだけでなく、この素晴らしい文化を取り入れようと、日本でも札幌や大阪などで開催されることがある。
それらはどこも例外なく、人々の体と心をあたため、盛り上がっていた。
二人は会話をしながら、ニュルンベルクの街をゆっくりと歩いていた。
「涼司くんの、なりたいものってなんですか?」
ふいに加夜が、そんなことを言った。
「ええ? また急だな」
ふいうちの質問に、すぐに返答が出ない涼司。
「私、蒼空学園に来るまでは、何もできなかったんです」
遠い目をする加夜。
「でもパートナーに出会って、蒼空学園に入って、私は変わることができました。たくさんの仲間や、涼司くんに出会えてよかった」
涼司はだまって、その言葉を聞いている。
加夜は、高い鉄柵の前で歩を止めた。
「これは、『美しの泉』っていうんです。ここについている金の輪を三回転まわす間に願い事を唱えると叶う……って」
「へぇ」
涼司は、手袋をはずして、そっと輪に触れてみた。
ちなみにこの手袋と、揃いのマフラーは、先ほど「寒くないように」と加夜が涼司に贈ったものだ。
その手袋とマフラーは、後先考えずに軽装で出てきた涼司をあたため、さっそく役割を果たしている。
素手で触れた金の輪は、冷気にさらされていてひんやりとしている。
「やってみたらどうだ? 願い事をするってやつ」
涼司がそう言うと、加夜は首を横に振った。
「私は以前、もうやってみたんです。3つのお願いをして、2つは叶いました」
「もうひとつはどうなんだ?」
「まだ叶っていません」
「どんな願いなんだ?」
「内緒ですよ。叶うまでは秘密にするものなんです」
涼司は、そうなんだ、と返すと、金の輪を改めて手にした。
そうして、ゆっくりと回した。
1回……2回……3回。
「……へへ。俺の願いも叶うといいな」
「叶ったら教えて下さいね?」
「ああ。叶ったら、な」
二人は、冷えた手をあたためるため、ホットドリンクを求めてクリスマスマーケットの露店のほうに戻っていった。
夜のお楽しみ〜バッキンガム編〜
夜のロンドン。
まだ活気を失わない時間であるため、通りには人が活発に行き来している。
「景観は変われど、此処は正にロンドン……。ふふ、懐かしい。……本当に、懐かしいわ」
エリザベス?世ことグロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)は、夜の街をぐるりと見渡し、そして軽いため息混じりに、そうつぶやいた。
その瞳には、現在の華やかなロンドンの都ではなく、異なる姿が映っているのかもしれない。
「ようこそロンドンへ! 私がホレーショ・ネルソンだ」
ネルソン銅像の前で、ホレーショ・ネルソン(ほれーしょ・ねるそん)が仁王立ちとなり、周囲に声を響かせている。
だが、行き交う人々は、まさか彼がホレーショ・ネルソン自身であるとは、つゆとも思わないだろう。
「さ、次はどこへ行く?」
フランシス・ドレーク(ふらんしす・どれーく)が、案内を受ける側の二人に問いかけた。
エリザベス?世とホレーショ・ネルソン、そしてフランシス・ドレークという贅沢なガイドに案内を受けているのは、二人のアメリカ人――ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)とハイナ・ウィルソン(はいな・うぃるそん)――だった。
「私よりも、あんたたちが久しぶりに見ておきたいところに行けばいいよ」
ローザマリアは、三人の里帰りを素晴らしいものにしてあげたいと思った。
「もう充分見せてもらったし、あとは里帰りのお三方で」
ハイナも同じ気持ちだ。
既に現在は夜なのだが、彼らが観光を始めたのは日中である。
二人のアメリカ人は、もうすっかりロンドンに詳しくなっていた。
「ふむ。それならば、一目会ってみたいものだのぅ。現在の君主に」
心の内に秘めたる望みを口に出したのは、グロリアーナである。
「……そっか。じゃあ行こう! 宮殿に!」
ローザマリアは、グロリアーナが望みを口にしたことが、なんだか嬉しかった。
ここはグロリアーナたちの故郷なのだ。
思い残すことがないよう、叶えてあげたいと思う……親心に近かった。
●
「こ、ここは本当に王族の居城か?」
バッキンガム宮殿に着くなり、グロリアーナは付近を警備していた衛兵を捕まえて、そんな質問を浴びせていた。
「まあまあ、ここじゃ何だから」
ぽかーんとしている衛兵にひとつ頭を下げ、ハイナはグロリアーナを引きはがした。
案内されてばかりではなく、多少は引率らしいこともしなければならない。
ここ、バッキンガム宮殿が王室となったのは、グロリアーナことエリザベス?世の時代よりもだいぶ後……ヴィクトリア女王即位時だったと言われている。
つまりグロリアーナは、この宮殿の存在を知らないのだ。
「……なるほど。まあ、長い時が流れておるのだ。何も変わらずにいる、というほうが不気味というものであろうな」
ふんふんとうなずくグロリアーナ。
「じゃ、そろそろ当代の女王陛下に会いに行きますぜ」
フランシスが、正面玄関を指して意気込んだ。
「だめ」
衛兵が、5人を止めた。
まあ、当たり前である。
いきなり「自分はエリザベス?世だから、女王に挨拶させろ」と言って、すんなり通れるはずがない。
「控えおろう! 此方におわす御方をどなたと心得る! 畏れ多くもかつてのイングランド女王、エリザベス?世に在らせられるぞ!」
……と、フランシスが声高に宣言してみたが、もちろんそれで衛兵たちが「ははーっ」と地面に頭をこすりつけるようなことはなかった。
一人、日本の時代劇を観るのが趣味の新米衛兵がツッコミを入れようとしたが、上司の目を気にして、控えたのだった。
「仕方ない……」
ローザマリアは『ヒプノシス』で、衛兵をコントロールすることを試みた。
「一応、引率の目の前であるのだがな」
ホレーショが、ちらりとハイナを見て小声で言った。
「あー、見てない見てないなにも見えない〜」
ハイナは、わざとらしく後方を向いた。
彼女なりの優しさだ。
ローザマリアの試みは成功し、5人は堂々と宮殿の中に入っていった。
●
夕食を終えた女王は、私室で読書をしていたところだった。
侍女が部屋をノックし「お客様です」と言ったため、彼女は読書を中断した。
このような時間の来客は、よほどの急用であろうか。
女王は部屋着からドレスに着替えるため、着替えを手伝う侍女を呼ぼうとした。
その時。
「おじゃましまーす」
どやどや。
なんと、女王の私室に客が入ってきたのだ!
異例中の異例というより、ありえないこと、あってはならないことである。
「……だれ?」
さすがの女王も、それきり言葉が続かない。
ドアのところでは、すっかり術にはまった侍女が、快く客たちを、女王の私室に招き入れているところだった。
「其方が、この妾、エリザベス?世の系譜を継ぐ者か。……善き眼をしている。一度、会うてみたかったのだ」
グロリアーナが、女王の前に進み出た。
時空を越えた視線が交わる。
「ああ……女王陛下」
現女王は、グロリアーナの言うことが間違いではないことを、頭ではなく心で感じた。
グロリアーナは、女王の手をやさしく握った。
現在、至高の地位にいる女王は、女王ゆえの孤独を感じていた。
女王自身が不安を口にするわけにいかず、心にため込み、耐えていた。
いま、グロリアーナに手を握られたとき、女王の心の闇は、音もなくほぐれていった。
同じ孤独を、きっと感じたことがあるはずの、グロリアーナの手に包まれて。
「其方が王室の物語を紡ぐのを終えようと、それは真の意味で終焉ではない。早く数十年の後、また会おう。パラミタで、待っているぞ?」
「はい……。またいずれ、お会いできることを楽しみに、いまはここで……貴方が守ってくださった英国で、生きてゆきます」
孤独な女王は、後ろであたたかく見守っている仲間に囲まれ、日々をのびのび生きているであろうかつての女王の姿がまぶしく見えた。
そして、遠いパラミタに思いをはせたのだった。
その気持ちがよく理解できるグロリアーナは、もう一度彼女の手をやさしく握りしめるのだった。
女王同士の対面を、他の者たちは少し離れたところで見守っていた。
「現女王、本当によき瞳と良き気配をまとっておられるな」
ホレーショが腕組みをしながら、うんうんとうなずいた。
「陛下が満足だったら、それで俺も満足ですぜ」
本当に満足そうに、フランシスはにやりと笑った。
「まさかバッキンガム宮殿の中を歩けるなんてね」
「しかも女王の部屋まで……」
史上最高の観光をした二人のアメリカ人は、互いの顔を見て笑い合った。