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リアクション
「団長〜。夜風ですよ」
アリーセが、鋭峰を布団のように、デッキの手すりに引っかけた。
「何をする。私は……酔っぱらってはいない」
まわらない舌でそう言われても、まったく信じることはできない。
それでも鋭峰は、手すりから体をおこし、背筋だけは伸ばしてみせた。
その時、デッキに数名が上がってきた。
ワインボトルとグラスを手に、デッキで飲み直そうということになった彩羽と斐、それに夜景をもっと見たいと彩華にせがまれて一緒に来た静玖だ。
「ん? 団長?」
四人は、鋭峰の姿を見つけ、口々に「お疲れ様です」などと挨拶をした。
「そうなのだよ……本当に、本当にお疲れなのだよ」
鋭峰の愚痴モードは、まだ終わっていないようだ。
「ま、団長。一杯いかがですか」
見た目は背筋がしゃんと伸び、しらふに見えるため、斐は手にしていたワインを鋭峰にすすめた。
「あっ」
クレアが止める間もなかった。
鋭峰はぐいっとワインを飲み干してしまった。
かっ!
鋭峰の瞳が鋭く光る。
何かのスイッチが入ってしまったようだ。
「よーし。今から戦闘訓練を行う!」
セーヌ川を走る船のデッキで、パリの夜景を背に、鋭峰は戦闘訓練をすると言い始めた。
「団長? 冗談を言うなんて珍しいですね」
彩羽が笑うと、鋭峰はずいっと前に出て叫んだ。
「冗談ではない! さあ、そこに整列するのだ!」
(この人、本気だ)
全員、とても残念な気持ちになった。
「早く整列するのだー!」
「団長! 目を覚まして来てください!」
アリーセのバーストダッシュからのドロップキック炸裂!
しらふであればもちろん対応できたのだが、いまの鋭峰はきれいに喰らった。
「団長が……団長が飛んでいる」
ダイヤモンドをちりばめたようなパリの夜景が放つ光の中、鋭峰の体はまるでスローモーションのようにふわりと飛び……セーヌ川に落ちた。
後に、この光景を目撃した者は声を揃えて、この世で最も美しい団長のお姿を見たと証言したという。
どぼーーーーん。
「ねぇ。浮いてこないよぅ」
彩華がちょっと心配そうに、水面を見ている。
「ま、大丈夫だろ。なんといっても団長だ」
静玖は、そう言ってぽんぽんと彩華の肩を叩くのだった。
実際、それからちょうど30秒後、すっかりしらふに戻った鋭峰が浮かび上がってきたのだった。
●
「ん?」
近くで「どぼーん」という派手な落水音が聞こえ、リース・アルフィン(りーす・あるふぃん)は一瞬、夢の世界から現実へと引き戻された。
(ま……いっか)
リースはそのことをすぐに意識から追い出し、すぐ隣にいる大切な人の横顔を見た。
その目線の先にいるのは篠宮 悠(しのみや・ゆう)。
彼もまた、どぼーんという音を聞いたが、正直そんなことを気にしている場合ではなかった。
(リースと一緒にこういう夜景を見るのもいいモンだ……が、女一人相手にここまでヘタれる日が、俺にも来るなんてな)
要するに、ホレているのである。
二人の間を、静かな時が流れている。
だが二人の心臓は、全く静かではなかった。
「リースちゃん……頼まれてたジュースもってきたよー」
リースにパシらされていたミリル・シルフェリア(みりる・しるふぇりあ)が、こぼさないように気をつけながら、グラスを持って早足で歩いてきた。
もはやミリルは、リースにこき使われることなど、慣れっこである。
ところが……。
「あ、ありがとう」
リースが、ミリルに礼を言ったのである。
(聞き間違いじゃないよね……? 普段なら絶対に言わないのに……どうしたんだろ〜?)
実はリース、自分が「ありがとう」と言ったことにも気がついていない。
ただ、悠との距離に緊張が高まりすぎて、パニックになっているだけなのだ。
緊張で喉がからからのリースは、ミリルが持ってきたジュースをこくりと飲んだ。
「ん? リース……それ、ワイン!?」
ワイングラスに入っている白い飲み物を見て、悠が声を上げた。
「違うよー。これぶどうジュースだよー」
そう言うとリースは、こくこくとグラスを空けてしまった。
「まあ、ジュースならいいけどな……」
この時期の夜風は冷たい。
頬を刺すような冷たさに、悠は隣にいるリースのことを気遣った。
「寒いな。中に入るか?」
ところが。
「あ、あっついぃ……」
リースは、顔を真っ赤にしてふらふらしている。
「お、おい! もしかして、酔っぱらってないか?」
「へぇ? だってぇ、ジュースしか飲んでないよぅ……」
もうベタベタな展開になってしまったので容易に想像がつくだろうが、一応説明をすると、リースが飲んだ飲み物はやっぱりワインである。
ミリルが、期待を裏切らずしっかりと間違えて持ってきたのだ。
緊張してパニック状態だったリースは、アルコールと気がつかずに飲み干してしまったのだった。
「あついから……フランスの夜風が気持ちいい〜!」
「リゼット、暑いネ? だったら脱げばオウケイ!」
とんでもないことを言い出したのはヴェル・ド・ラ・カッツェ(う゛ぇる・どらかっつぇ)だ。
彼の頬もしっかりワイン色に染まっている。
「そだね。えーい、もう全部脱いじゃおう!」
言いながらリースは、どんどん服を脱いでいる。
「オウケイ……それでは朕が優しくベッドまでエスコート……」
「こらヴェル! おまえも酔った勢いで絡むな。どこの酔っぱらいオヤジだ!」
ドゴオッ!
「オオォォゥ! 朕の切ない所が……NOおおおおおおォォォォゥ……!」
悠渾身の蹴りが、的確に急所を捉えた。
そうこうしている間も、リースは服を脱ぎ続けている!
「うわああぁぁ! 脱ぐなって!」
リースが一糸まとわぬ姿になる寸前!
悠はとっさの判断で、デッキに置かれていたテーブルに駆け寄ってテーブルクロスを引き抜き、がばりとリースを包み込んだ。
「と、とにかくどこか目立たないところへ!」
悠はそのままリースのテーブルクロス包みを抱き上げ、立ち上がった!
「オウ、リゼットを連れて抜け駆けなんて許せないネ」
ついてこようとしたヴェルに、悠はもう一度蹴りを見舞った。
「オーーーウ!」
どぼーん。
ヴェルは、セーヌ川へと吸い込まれていった。
今宵のセーヌは、どうも人を招くようだ。
落ちたヴェルにはかまわず、悠は猛ダッシュで離脱した。
「お、お手数かけます〜。服は片付けておくから……」
混乱を引き起こした張本人であるミリルは、とりあえずのんびりとリースが脱ぎ散らかした服の回収を始めた。
●
「ふえ? ゆ、悠さん?」
しばらく後。
正気に戻ったリースは、自分が裸であることと、悠に抱きかかえられていることに気がつき、顔を真っ赤に染めた。
「もう、あんなところで脱ぐのはやめてくれよな……」
覚えていないかもしれないリースに、悠は事情を説明した。
「ど、どうして悠さん、私にそこまでしてくれたの……?」
「……あーくそ! いいか、言うのは一度だけだぞ!」
悠が男を見せるときがきた。
「……好きなんだよ…! リースが……っ! だからよ……リースがこんな風に脱いだりしたら、周りがリースの……その、裸を見ちまうかもしれねぇのが嫌なんだ……」
しばらくの沈黙。
リースは、今度は自分が勇気を出すべき番だと悟った。
「あーうー、そりゃ、私も悠さんのこと好きですよ。……ずっと一緒にいたいし、悠さんだったら信じられる……」
再びの沈黙。セーヌ川の水音だけが聞こえてくる。
「でも、本当に私でいいの? 悠さんにいっぱい迷惑かけるかもしれないよ?」
「……リースだから好きなんだよ」
ようやく通じ合った気持ち。
パリの夜景と、セーヌの水に祝福されて、二人は恋人同士となった。
ぱちぱちぱちぱち。
「いやぁ、悠君、リース。話は聞かせてもらったよ」
なんだか場違いな雰囲気で現れたのはレイス・アズライト(れいす・あずらいと)だ。
「うんうん。お似合いだよ。二人とも幸せにね。……っと悠君、ちょっとこっちに」
レイスは悠だけを、少し離れたところに引っ張ってきた。
「どうしたんだよ?」
「いや、改めて……リースのことをよろしくね」
レイスはぺこりと頭を下げた。
「……実はあの子の、前の恋人さんとの不幸な記憶を僕が封印していたんだ」
「え……」
驚き、動きを止める悠。
「でも、もう安心だね」
にこりと、レイスは笑った。
「悠君が近くにいて、あの子を守ってくれれば、僕も安心できるよ」
何かから開放されたような、そんな伸びをひとつ、レイスはした。
(……よくやく僕も、罪の意識から解放される……)
「そういう事か。ま、言われるまでもないさ」
悠は、レイスの肩をぽんっとひとつ叩いた。
「リースは、俺が守り抜く」
その瞳には、わずかな曇りもなかった。
「だからさ、レイスも……がんばれよ」
それは恋に積極的になれ、という意味だ。
「……そうだねぇ」
レイスは、遠い目をした。
●
船は出発した場所に戻り、ディナークルーズは終了した。
友人、恋人、思い出、風邪。
それぞれ、乗る前には持っていなかった何かを得て、船を降りた。