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リアクション
夜のお楽しみ〜きもだめし編〜
「うう……こ、怖くない。怖くなんかないぞ……」
小声でもらしたつもりだったが、思った以上に大きな声が出てしまい、周りの者にもはっきりと聞こえた。
声の主はゴットリープ・フリンガー(ごっとりーぷ・ふりんがー)。
この場所に来ようと言い出した、そもそもの提案者である。
この場所……地下墓所「カタコンベ」。
彼らは、その入り口に立っていた。
「さ。私はここまでじゃ。さっさと行ってくるがよい」
天津 幻舟(あまつ・げんしゅう)は、ぱたぱたと手を振った。
「ええ……。つ、ついてきてよ……」
「いやじゃよ。ぞろぞろと入ったら、ここで眠る死者たちに申し訳ないじゃろう」
入ろうとする者を止めはしないが、自分は死者の尊厳を冒涜する行為はしたくない……そう考えている幻舟だった。
「えっと……私もここでお見送りってことで……」
幻舟の隣で、卜部 泪(うらべ・るい)も手を振っている。
泪は、引率という役目に対して忠実だった。
そのため、夜に外出する予定だというゴットリーブたちを放っておけず、「引率として」ついてきたのだった。
夜景でも見に行くものと思っていた泪は、まさか墓場に来るはめになるとは思っておらず、ちょっと涙目になっている。
「ええ! じゃあ一人?」
「そもそもお主が言い出したのだから、仕方あるまい」
「み、みんなも来ると思ったのに……」
ゴットリーブが企画したのは『みんなできもだめし! カタコンベ集合!』という催しで、同国に来ている幾人かに声はかけてあったのだ。
だが、地下墓所カタコンベに、しかも夜に出かけようなんていう者は、他に現れなかったのだ。
「うう……いってきます……」
言い出しっぺということもあり、また幻舟と泪が見ている手前引き下がれず、ゴットリーブは一人、地下に向かう階段を降りた。
地下墓地に足を踏み入れたとたんゴットリーブの全身を、寒さとは違う震えが駆け抜けた。
鳥肌がたつ。
右を見ても、左を見ても、どの方向からも骸骨が見つめてくるのだ。
「す、すごい……」
何がすごいのか、ゴットリーブも分からなかったが、とにかくすごいと感じたのだ。
おそらく、この威圧感に対する感想であるのだろう。
壁が、人骨でできているのだ。
その、人骨壁の間の通路を進んでいかなければならない。
「やめとけばよかった……」
どうせ一人なのだ。弱音を吐いても誰にも聞こえない。
ゴットリーブは遠慮無く、言葉にして弱音を吐いた。
声でも出さなければ、恐怖に押しつぶされそうなのだ。
かた。
誰もいない、風もないはずなのに、何かが動く音がした。
「き、気のせい……?」
問いかけても返事があるはずがない。
だけど。
かたり。
気のせいではありませんよ、と音が告げた。
「そんなばかな……」
ゴットリーブは笑い飛ばそうと努力した。
だが、努力は報われなかった。
かたっ。
今度は少し大きく、確実に物音がしたのだ!
「うわあぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁああぁぁ……!」
暗い人骨でできた地下道に響く悲鳴。
数分後。
悲鳴を聞きつけた泪が係員に通報し、ゴットリーブは担架で運び出されてきた。
ちなみに本来であれば夜中は見学ができないのだが、遠くパラミタからはるばる来た観光客のため、特別に開放してくれてあったのだ。
「ホントにすみません……すみません……」
時間外開放に対応してくれたうえに、担架まで出させてしまった係員に、泪がぺこぺこと謝る。
係員は「たまにこういうお客がいるから気にするな」といったようなことを言ってくれている。
ゴットリーブは完全にフリーズしていた。
「まったくもう、お主というヤツは、フランスに来てまで世話の焼ける男じゃのう」
幻舟は、まだ動かないゴットリーブをつんつんとつつきながらため息をついた。
「まぁ、そこが可愛いところではあるんじゃがな」
言われるがまま、つつかれるがままのゴットリーブが我に返るには、もう数時間を必要としたのだった。
後日。
係員は「絶対に物音がした」というゴットリーブの言葉を信じて、どこか壁に崩れがあるのではないかと思って調査をした。
だが、異常はひとつも見つからなかった。
物音の原因は……今も謎のままである。
夜のお楽しみ〜セーヌ川編〜
どこかの地下墓地で悲鳴が響いているころ。
セーヌ川では明るい歓声が響いていた。
「出航〜!」
ゆっくりと動き出す船。
乗客たちは、まるで高級レストランのような船内で、各自テーブルについている。
そして各テーブルに、乾杯用のシャンパンが配られた。
酒が飲めない者には、ぶどうジュースだ。
「今宵は無礼講である。大いに楽しむがいい」
金鋭峰が、乾杯前の挨拶を行っている。
「それでは、乾杯!」
鋭峰がグラスを高らかに上げると、まるで出撃前の戦勝前祝い儀式のように見えてしまう。
だが、今夜は楽しいセーヌ川ディナークルーズなのだ。
「かんぱ〜い!」
あちこちで、グラスがぶつかりあう気持ちのいい音がした。
そして次々と料理が運ばれてくる。
お楽しみの、フランス料理である。
「おいしいぃぃ〜!」
有機野菜にオリーブオイルをかけたアミューズを口に運んだ天貴 彩羽(あまむち・あやは)は、まさに「ほっぺたがおちそうな」笑顔になっている。
上質なオリーブオイルの香りを楽しみ、そこへわずかなワインを流し込んでマリアージュを楽しむ。
「ああ〜〜〜! あれってアメリカですぅ〜!」
外を指して天貴 彩華(あまむち・あやか)が声を上げた。
「ああ、自由の女神……」
彩羽も外に目をやると、ちょうど自由の女神の前を通過するところだった。
「アメリカにもあるけどね、ここにも自由の女神があるんだよ」
「兄妹〜?」
「んー、まあそんなもんかな」
確かに、ふたつの自由の女神は「兄妹(姉妹)」といえなくもない、と彩羽は思った。
「きれいですぅ〜」
夜の女神はライトアップされており、美しく浮かび上がっていた。
やがてそれを通り過ぎても、美しい夜景が次々と目に飛び込んでくる。
「デザートはまだですかぁ〜?」
まだ前菜が出たばかりだというのに、そんなことを言う彩華だった。
「ふふ。デザートはもう少し後だぜ」
やさしく微笑んで彩華に声をかけたのは風羽 斐(かざはね・あやる)。
「まだなの〜」
「ああ。ほら、それまで外の夜景を見ているといい」
「うんっ!」
斐に言われ、彩華は席を立ち、たたたっと窓際まで駆けていった。
斐たちは、彩羽たちと同じテーブルに同席していた。
「ワイン、いかが?」
彩華が夜景に夢中で静かになったため、このテーブルは落ち着いた時間が流れ始めた。
「いただこう」
彩羽がワインボトルをかたむけると、ルビーのような赤が、斐のグラスの半分程度まで注がれた。
その時、ちょうど魚料理のムニエルが運ばれてきた。
魚の香りとワインの香りが、混ざり合って鼻に届く。
その香りだけで、この二品の相性がぴったりだということが分かる。
「これは素晴らしい」
最高のワインと料理に、斐は嬉しそうだ。
「おい。メインはオッサンじゃなくて学生なんだから、飲み過ぎるなよ……」
斐の隣にいる翠門 静玖(みかな・しずひさ)が釘を刺す。
「俺が、飲み方をしらない子供だと思ってるのか?」
「いや別にそうじゃねぇけど……」
「子どもは夜景、大人はワイン。おまえは、あのお嬢ちゃんと夜景を見てきたらどうだ」
じっと夜景を見ている彩華のほうを見て言う。
「ちっ。本当だったら飲めるのに」
そう言いつつも静玖は席を立ち、窓際まで歩いていって、彩華に声をかけている。
夜景も気になってはいたのだ。
彩華のほうも「おにいちゃんのおともだちができた〜」と喜んでいるようだ。
彩羽は、彼に任せておいて大丈夫そうだと、ほっと胸をなで下ろした。
「じゃ、改めて」
彩羽と斐は、赤ワインのグラスで乾杯した。
さて。
フランス料理は、コース立てで提供される。
ひとくち前菜のアミューズから始まり、スープ、魚料理、口直しを挟んで肉料理……と続く。
ハラペコだった生徒たちは、出された料理を次々に胃の中へ消し去り、ほぼどのテーブルも肉料理までコースが進んでいた。
だが、彼女だけは、まだスープをじっと見つめていた。
いや、スープ専用のスプーンを見つめていた。
「はぁ。綺麗なスプーン……」
スプーン大好き宇佐川 抉子(うさがわ・えぐりこ)は、スープスプーンに目を奪われていた。
フランス料理は味だけでなく、ワイン、盛りつけ、食器全てで楽しませる。
このスープスプーンも、扱うのに邪魔にならない程度の上品な細工が施され、抉子の顔が鏡のように映るほどぴかぴかだった。
その時、船がちょうど夜景の明るい場所を通りかかった。
「わぁ……!」
窓際に座っていたのは幸運だった。
スープスプーンにパリの夜景が映り、まるで星くずをすくっているかのようだ。
夜景きらきら、スプーンきらきら、抉子の瞳もきらきら。
そんな、瞳をきらきらさせて、頬を赤くしている抉子の横顔に、西尾 桜子(にしお・さくらこ)は一瞬どきっとしてしまった。
「こ、このスープ美味しいから、早く食べればいいのに……」
想いを振り払うように、ため息と一緒に、そんな言葉をはき出した。
「ええ、でもスプーンが……」
「周りを見て下さい。お食事、進めなくちゃ」
……とは言いつつ、桜子の前にもまだスープが置かれている。
なんだかんだで、食事のペースを合わせてあげているのだ。
「このスプーンがあんまりにも素敵すぎて……」
ねじねじ、ねじねじ。
「ああ、また!」
スープスプーンは、ねじねじに曲がってしまった。
「もうっ。それじゃあお食事ができないじゃありませんか」
そっぽを向いたスプーンは、もうスープをすくうという本来の役目を果たすことはできないようだ。
「またスプーンを無駄にして。従業員さんに謝らなければなりませんね」
「だってぇ……」
桜子に怒られたような気がして、しゅんとする抉子。
だが桜子は、抉子のそんなところが嫌いではない。
すぐにやさしい笑顔になると、くすりと笑った。
「しょうがないなぁ。はい」
桜子は自分のスプーンでスープをすくうと、抉子の口まで運んだ。
「えへへ、ありがと。あーーーん」
ぱくっ。
「美味しいでしょう」
「……うん! 美味しいね!」
その後は、二人で一本になってしまった貴重なスプーンをねじらないよう気をつけて、仲良く食事を続けた。
まだ未成年なので、ワインは飲まない。
きれいなワイングラスに注がれているのは、透明のミネラルウォーターである。
「……いつか、さ」
ふいに抉子が食事の手を止めて、口を開いた。
「ワインが飲める年齢になったら、また一緒に来たいね!」
その嬉しい言葉に桜子が抉子のほうを向くと、ちょうど背景にライトアップされたエッフェル塔が見えた。
笑顔の抉子と、輝くエッフェル塔、そして抉子が握りしめたままのねじれスプーン。
桜子は、この場面を切り取って宝物にしたいと思った。
「また来たいな……」
返事というよりひとりごとのような感じで、桜子は応じた。
この美しい場所に抉子とまた来たいと、心から思ったのだった。