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リアクション
■ 雪見温泉 ■
天然の岩風呂で雪景色。
そんなうたい文句に心惹かれて、黒崎 天音(くろさき・あまね)は鬼院 尋人(きいん・ひろと)たちに馬術部のプチ温泉合宿を提案した。
そこは湯質の良い小綺麗な温泉宿が併設されている牧場で、馬も入れる温泉があるらしい。
「少し鄙びてはいるけれど、馬も入れる温泉なんて珍しいでしょ? 馬って雪が好きみたいという話を前に鬼院がしてたしね。どう? 行ってみるかい?」
天音の誘いに、尋人は一も二もなく頷いた。
互いのパートナーを伴い、それぞれの愛馬を連れてやってきた牧場は、一面の銀世界だった。
大地は雪に覆われた白。
空もわずかに灰色がかった白で、その中にほとんど葉を落とした木々が黒々と墨絵のように浮かび上がって見える。
「温泉だー、雪だー」
広い馬場と柵の向こうの厩舎が見えてくると、尋人は我慢出来ずにアルデバランを走らせた。
「雪が好きなのは、馬よりも鬼院なのかもしれないね」
尋人の背中に視線を当てて天音が笑う。
「雪も温泉も冬の楽しみだからな」
答えるブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)の荷物はかなり多い。どうせ天音はちゃんと準備などして来ないだろうからと、必要になりそうなものを詰め込んできている為だ。
「温泉、いいですねぇ〜」
西条 霧神(さいじょう・きりがみ)も愛馬スパルナの背で目を細めた。日本でホストとして働いていた霧神は温泉にも馴染みが深い。俗っぽいものも大好きなので、今回はしっかり雪見酒の用意をしてきている。
反対に、呀 雷號(が・らいごう)は風呂というものが苦手だ。どうして皆が温泉を好むのか理解できないと小さく首を振ったが、それを口には出さず、尋人のあとを追うように愛馬マナサを歩かせた。
牧場に着くと、天音はアブヤドゥを預けて温泉宿へと向かう。
「明日は雪の牧場で走る馬を眺めようか」
「うん……」
生返事をかえしてくる尋人の視線は牧場の馬たちに釘付けだ。
「僕たちは先に行ってるから、ゆっくりしておいで」
それを見て取った天音が声をかけると、
「ありがとう黒崎。オレもすぐ宿に行くから」
牧場で手伝いをさせてもらうという尋人を残し、皆は隣接している宿に入った。
すぐにと言っていたにもかかわらず、尋人が宿に戻ったのはもうそろそろ夕食かという頃だった。
「夕食前に部屋風呂に入ったほうが良さそうだね」
尋人の髪についた牧草を指で取ってやりながら天音はそう勧めた。
風呂でさっぱりと身を清めると、皆揃って宿の心づくしの夕食を食べた。野趣に溢れているが、料理に使われている食材はどれも新鮮で美味しかった。
夕食後、少し休むとこの宿名物の温泉に、という流れになった。
「私はもうちょっと、部屋で休ませてもらいますね」
尋人と天音がゆっくり出来るようにと、霧神は一緒に入るのを遠慮した。
「私は周辺の野外の警戒にあたります」
雷號にとって野外の風呂に入ることは危険な行為だ。尋人たちがそうすると言うのなら周囲の見張りをしなければと、雷號は風呂に入る為ではなく、警戒の為に部屋を出て行った。
「僕は用意をしてから行くから、鬼院は先に入っててくれるかい?」
髪に手をやりながら天音が言うと、尋人はがたんとテーブルにぶつかりながら席を立った。
「う、うん。じゃあ、先に入ってるから」
そう言って部屋を出てきたものの、尋人はすぐ温泉に入ることはせず、人間用のものに隣接している動物用の温泉にアルデバランと剣竜の子供を連れてゆき、その世話をした。
最初は警戒していたアルデバランも、湯が心地よいと知ると温泉に踏み込んで、幾筋も細く流れ落ちている打たせ湯を背に受けてじっとしている。
しばらくそうしていたけれど、ずっとこうしている訳にはいかない。
真っ正面から天音に好きだと告白した後なので、一緒に温泉に浸かるとなると緊張する……。
できるだけ意識しないようにと自分に言い聞かせると、尋人は人用の温泉に向かった。
衣類をぬぎ、尋人は自分の腕に目を留めた。
腕を曲げて筋肉の盛り上がりを確認してみる。
最初にパラミタに来たときと比べると、身体は大きくなっていると思う。筋肉だって、格段に増えた。
「……自信もっていいのかな」
けれど天音は自分よりも戦闘能力が高い。
背だけ追いついても敵わない相手……。
そう思うとちょっと悔しくて、尋人は湯につかる前にその場で腕立て伏せを始めた。
が、何回もしないうちに、誰かがこちらにやってくる気配、そして話し声がした。
尋人は慌てて湯に入り、素知らぬ顔で待ち受けた。
まだ尋人が湯に入った時の波紋が消えぬうちに、天音とブルーズが姿を現した。
「おや、貸し切りみたいだねぇ。宿に泊まっているのも僕らだけみたいだし、のんびり経営なんだろうね」
「ふむ。雪の時期でなければ、もう少し客もいるのだろうな」
そんな会話をブルーズとかわしながら掛け湯をする、天音の姿態に尋人の視線は釘付けになった。
気持ちよさそうに顔を仰のけた天音の肩を湯が滑る。
髪を高い位置でまとめ落ちないように留めてあるから、天音のきれいなうなじが惜しげもなくむき出しになっている。
(やっぱり綺麗だ……)
そんな尋人の思いを知ってか知らずでか、まるで見せつけるかのようにゆっくりと時間をかけて掛け湯をしてから、天音は湯に足を入れた。
ちゃぷん、と小さな水音がしただけで、尋人の心臓は飛び上がりそうになる。
「昼間、尋人が牧場の手伝いをしているときにも入ったんだけど、雪景色の岩風呂って良いね。ほらこれ、そのときに作ったんだよ」
岩風呂はほぼ屋根に覆われているが、屋根の届かないふちの部分にはこんもりと雪が積もっている。その上に、小さな雪だるまが2つ並んでいるのを天音は指した。
「これを黒崎が?」
「ああ。意外かい?」
天音は尋人の隣に来て、ふふっと笑った。
その笑みに誘われるように、尋人は手を伸ばし……天音を抱きしめた。
頬に触れる天音の肩は外気に冷えていて、けれど湯の中の身体はなめらかに温かい。
直接肌が触れ合う状態で思いっきり天音を抱きしめるのは、これが初めてだ。
背中にそっと天音の腕が回され、あやすように、からかうように背を撫でてくる。
くらり。
尋人は眩暈の中に意識を手放した。
「気絶しちゃった。湯あたりかな?」
天音の苦笑に、目のやり場なく夜空の星を数えていたブルーズはやれやれとため息をついた。
が、すぐに気を取り直し、尋人を部屋に運んで布団に入れ、額に冷たい手ぬぐいを載せて介抱する。
しばらく様子を見ていたが、特に苦しそうな気配もなく良く寝ているようなので、もう一度布団をかけ直すとブルーズも温泉に戻った。
「お帰りブルーズ。どうだった?」
「寝ているだけのようだから心配ないだろう」
「そう。良いお湯だから長くつかりすぎたのかも知れないね」
いや、原因は恐らく別のところにあると思うのだが……そう言おうとしたブルーズは、天音の表情を見てやめた。天音がこういう笑い方をするときは、こちらが考えていることなどすっかり承知しているのだろうから。
ブルーズは持参してきた秘蔵の酒を注いで天音に手渡し、自分も杯片手に月光に照り映える雪を愛でた。
しばらくそうして天音とブルーズが雪見酒を楽しんでいると、霧神と雷號が連れ立ってやってきた。
「確かに、以前試した足湯は気に入ったが……裸で野外の風呂に入るとは……」
雷號はまだ抵抗していたが、たまにはいいでしょうと霧神は構わず追い立てる。
「郷に入っては郷に従え、温泉宿に来ているこんな機会には、温泉でゆっくりするものですよ」
「……尋人のように寝てしまったりしないか?」
「寝てしまったら私が運んであげますよ」
ああ言えばこう言う。
雷號は観念して湯に入った。
実を言えば雷號は、最初は霧神と良い関係ではなかった。あまりに人間くさい霧神は、雷號にとって理解しがたい存在だったからだ。
今はどうかと言われれば……やはりよく分からない。
ただ。
「……美味い」
温泉につかって飲む酒は美味だった。
雷號がそれなりに温泉を楽しんでいるのを確認すると、霧神は天音たちの方へと移動した。
霧神は尋人のパートナーとして、ずっと尋人と天音の2人を見てきた。尋人が天音に追いつこうとしているのも察しているし、そして天音も、そんな尋人を待っていてくれていた、とも感じている。
「黒崎さん」
呼びかけにこちらを向いた天音に、霧神は含みをもたせた言い方をした。
「尋人は強くなりました。だから、大丈夫ですよ」
その言葉の意味を推し量っているらしき天音に対し、霧神は笑顔でもう一言付け加える。
「ちょっとくらいいじめても」
「そう? だったらいじめて来ようかな」
杯の残りを飲み干すと、天音はふらりと露天風呂を出てゆこうとする。
「おい、本当に行くつもりなのか?」
焦るブルーズに意味深な笑みを残すと、天音は本当に風呂から出て行った。
起こさぬように静かに部屋に入ってみると、尋人はよく眠っていた。
赤みの差した頬に触れてみると、まだ熱い。そのまま滑らかな頬を指でなぞっていると、くすぐったかったのか、尋人が身をよじった。
それを追いかけるように天音は尋人の頬にキスを落とした。
尋人はそれでも起きる気配がない。
「そんなによく眠ってると、本当にいたずらされてしまうよ」
邪気のない寝顔を見つめ、天音は尋人の少し開き加減の口唇に自分の口唇を重ねた。
ほろ酔い気分ですくすく笑いながら、天音はしばらくそうして無抵抗の尋人で遊んでいたが、そろそろ自分も眠くなってくる。
尋人の隣に潜り込んでみると、人肌に温められた布団がとても心地よい。
ただ、普段寝るときには何も身に着けない習慣なので、温泉から着てきている浴衣が邪魔で仕方がない。布団から出るのも億劫なので、寝たまま帯を解き浴衣をもぞもぞと脱ごうとする。
けれど布団の中ではうまくいかなくて、途中で面倒になった天音は半脱ぎ状態のまま眠りに落ちていった……。
――夢を見ていた。
大好きな黒崎をずっと抱きしめ続けている夢を。
どうせ夢なのだから、ずっとこの感触を味わっていたい。
出来るだけ長くこの夢の世界に留まって、この幸せを噛みしめて……。
そう思っていたにもかかわらず、尋人は目を覚ましてしまった。
良い夢だったのに。
もう一度眠ったらまたあの続きが見られないかと、尋人は寝返りをうち……。
「く、黒崎っ?」
まるであれが正夢だったかのように、隣にはしどけない恰好の天音が眠っている。
それを認識した途端、尋人は再び気を失った。あの夢にかえってゆくように――。